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地球と未来・グローバル・コミュコミュの非暴力と感情のコントロール

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先日、どのように怒りという感情をコントロールすれば良いのか、に焦点を当てた日記を書きました。その中で Mr. chaos さんが心理学者マーシャル・ローゼンバーグ博士の事を紹介してくれました。ローゼンバーグの考え方に私も共感します。

以下のサイトで彼の提唱する「NVC(非暴力コミュニケーション)」が紹介されています。転載歓迎とあるので一部抜粋して、載せます。

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http://mirainet.exblog.jp/13506568/

NVCとは、相手とのつながりを保ち、強化しながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法です。カール・ロジャ−ス博士の弟子のマーシャル・ローゼンバーグ博士によって体系付けられました。

ローゼンバーグ博士は、どんな困難な状況に 陥っても尊厳を失わない人たち(マザーテレサ、ガンジー、キング牧師ら)が、どうしてその状況を乗り越えて来られたのか、について研究して次のような発見をしました。

彼らの使う言葉・話す言葉が他の人たちとは異なる!そしてそれを誰でも使えるように体系付けました。

具体的なやり方は、観察(Observation)・感情(Feeling)・ニーズ(Needs)・リクエスト(Request)の4つの段階に分けて、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していきます。

アタマで判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心の声に耳を傾けて、今の感情、そしてニーズを明確にしていくことで、お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴って コミュニケーションをすることを主眼にします。

あなたもNVCを学んで、あなたの世界をさらに素晴らしいものに変えませんか?

「次に発する言葉が、あなたの世界を変えることができる」マーシャル・ローゼンバーグ博士
マーシャル.ローゼンバーグのビデオクリップ(字幕付き)

http://www.youtube.com/watch?v=6b7dRoTZI6s

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日記にも書いたように、私は個人的にアメリカのラジオで聞いた「怒りを生むメカニズム」という話にインスピレーションを受け、「期待しない」事で「怒り」「不満」「ストレス」等の感情をコントロールするようにしています。怒りは、「相手にこうして欲しいと期待し、その結果が裏切られた場合」に沸く感情なのです。

「人が自分の悪口を言っている、だから頭に来た」

頭に来たのは、まず第一にその人に自分の悪口を言って欲しくない、という期待がある事が要因になります。悪口を言われた事が第一の要因なのではなく、自分が期待を持っていた事が要因なのです。ローゼンバーグの理論を当てはめると、それがニーズです。

自分の悪口を言って欲しくない・・・その理由は、悪口を言われると自分の立場が悪くなる、人に誤解されて人と触れ合う上で弊害が生じる、等が挙げれれます。その人が自分にとって信頼できる仲間だ、という思いがあればある程、感情はより大きく動きます。一緒の学校に行き、何年も付き合ってきた親友にある日、悪口を言われた・・。これはショッキングです。しかしアフリカから来た留学生とある日、一緒に授業を受けた。そのアフリカ人が日本を離れた後、アフリカで自分の悪口を言っていると知った・・・。これはさほどショッキングではないでしょう。

なぜなら親友は信頼感を抱いてきたし、これからも必要な自分の身近にいる存在である、一方アフリカ人留学生は信頼もしていないし、普段からの付き合いもない。だから、あの人は遠い国から来て価値観が違うから勘違いされても仕方ないよね、などと冷静に解釈ができて、同等の怒りが沸かないわけです。

悪口を言う人間、或いはその行為が第一の要因ではなく、その人に期待する気持が裏切られる、自分のニーズが満たされなかった・・・それ故に人は怒る(或いは悲しむ、傷つく)のです。

もう一つ、分かり易い例を挙げると、自分の好きな異性に「君の事は嫌い」と言われたらショックです。しかし好きじゃない人に「嫌い」と言われても、そこまでショックではないはずです。嫌いだと言われる言葉自体が、感情的になる第一の要因ではなく、その人に対する期待度の大きさが要因なのです。

私は人に悪口を言われても怒りません。それは「私は人とは違い、理解される事もない」と否定的な考えを持っているからなのです。決して人に期待してはいけない、と日頃、思っています。また誤解されても何も困らない、と考えています。もちろん人間ですから完璧じゃないのも承知しています。だから自分にも期待しない、という事になります(この辺りはバランスが必要となってきますが)。

世の中に発生し続ける犯罪や戦争等の暴力。それは怒りから生まれます。怒りをコントロールする事、それが非暴力の世界につながると思っています。

コメント(10)

ほんとうに世界中の人間が実行できたら戦争など起らないのでしょうね。残念ながら大多数の人が出来ないのが現状です。

ただ怒りを原動力に「負けないぞ!」と、自分を高めることが出来る人も存在すると思います。
>ほんとうに世界中の人間が実行できたら戦争など起らないのでしょうね。

戦争のない世界・・それは人類の理想でありながら、そう簡単には達成できない。世の中には今まで非暴力を説いて実行し、それを広めた人もいるけど、劇的な変化には結び付きませんでした。現状を見ると、これから世界で軍縮が進むとは期待できません。マーシャル・ローゼンバーグの言葉を借りると、過去8000年の間に形成された文明社会の(強者が弱者を支配する)構造が問題だと言う事です。

>We have lived under a domination-culture paradigm for about 8,000 years. Rosenberg says this culture utilizes a specialized language and system of education to allow a small minority to rule over the vast majority of the people, so that the majority is not serving their own life-needs, but serving their masters'.
(Wikipedia より)

これに関してはほぼ100%、同意します。つまり戦争を無くす為には、そこから変えないとならないわけです。

>ただ怒りを原動力に「負けないぞ!」と、自分を高めることが出来る人も存在すると思います。

怒りのエネルギーをどこに持って行くか、という事が分かれ目だと思います。例えばこのコミュの「世界経済について」というトピでは、世界の権力者に対する怒りをプラスのエネルギーとして捉えています。人間は完璧でもないし、怒りの感情を持つ事自体は決して100%、マイナスだとは言えないでしょう。問題は感情をどうコントロールするか(どのように処理するか)、です。怒りという感情が心に沸いた時、それをどうやって具現化(暴力で人を傷つける事)させずに抑制できるか、という部分が議論の争点と思います。

個人的にはローゼンバーグの話にいくつかの違和感を感じます。まず第一にあまりに理論に頼ったセオリーだという点。人が争っている時や、絶望の淵にある時、感情を卓上の理論で片付ける事は困難だろうと思われます。人間はそこまで利己的ではないのでは、と思ってしまうし、こうした話をしてもすでに手遅れという人の方が多いでしょうし。

さらに相手の心を理解するために、慈悲や博愛を持って人と接しよ、と言うのですが(A Language of Compassion という著もあります)、それは殆どの人にとっては無理なような気がします。人の不幸は蜜の味と言うけど、むしろそういった感情を持つのが当たり前とも思います。

独立行政法人・放射線医学総合研究所という研究機関が以下のような研究結果を発表しています。

http://www.nirs.go.jp/news/press/2008/02_12.shtml

以下抜粋

>妬みは現代人の誰もが持つ普遍的な感情と言えます。私達は他人に不幸が起こると通常、同情をしますが、反対に喜ぶ場合もあり、“他人の不幸は蜜の味”と呼ばれる非道徳な感情を持つことがあります。これらは私たちがごく普通に持ちうる感情ですが、これらの感情が脳のどのような機能によってもたらされるかはこれまで不明でした。

>妬みは、他人が優れた物や特性を持っていることによる劣等感や敵対心を伴う、心の痛みです。

>また他人の不幸を喜んだり切望したりする感情は、しばしば非道徳的な行為や犯罪にも結びつきます。このように妬みは個人の生活の満足度や自己の評価にも関係し、この感情をマネジメントすることは個人や集団の心理的安定に重要です。

>妬みの対象の人物に不幸が起こると、その人物の優位性が失われ、自身の相対的な劣等感が軽減され、心地よい気持ちになります。この心の痛みの強い人ほど、他人の不幸が起きると痛みが緩和され、蜜の味と感じやすいことが脳科学的に示されました。


怒りもそうなのですが、妬みは犯罪に直結します。「妬みは現代人の誰もが持つ普遍的な感情と言えます」・・・ここはとても重要かと。妬みを全く持たない、それはほぼ不可能でしょう。だけどその気持ちを否定し続ける事が大事なのでは?と思っています。それが出来ないと、人を妬む気持ちを抑えられず、その最終的な解決策がその対象の抹消、つまり殺人です。日本でもこうした妬みが発端となる殺人がしょっちゅう起きています。

プラス思考で考えれば、妬みを自分の中で処理し、負けてなるかと努力し、自己の昇華に役立てる事が出来る・・・それも一理あるでしょう。怒りや妬みはコントロール(自己処理)できれば問題にはならないのです。

話をローゼンバーグに戻しますが、相手に思いやりの気持ちを持って接しなさい、というのは多くの人には無理だろうと、思うのです。むしろ「期待しない方がいいよ」と言う方が現実的でしょう。
Mr chaos さん、

>仏教やヒンディー系の思想から影響を大きく受けていますから、そちらの理解が進むと、NVCにも理解の広がりがもてます。

そうなんですか。私はYouTube の映像を5〜6本見て、後は2〜3の関連サイトを読んだだけで思ったのですが、キリスト教の流れなのかな、という印象を受けました。

>個人のPersonalityも決して固定したものではありません。ですので、人間は元々矛盾した存在であるとも言えます。

これに関しては全く同じ考えを持っています。この世の全ての物は矛盾ですから。光と影、表と裏、男と女、水と氷・・万物に対象物があり、そして両面性を内包しています。光があれば必ず影があるのです。暑い夏と寒い冬があってこそ地球環境が成り立ちます。男も女もお互いの存在なしでは生きられません。水は氷になったり沸騰して蒸気になったり・・・。

哲学を追求してゆくと「何事も絶対ではない、唯一疑いの余地のない絶対的事実、それは自己の存在のみである」という結論にたどり着きます。私ももう20年くらい、それを頭の片隅に置いて生きています。

>つまりレッテルを貼るわけですね。

しかし私はそうしたレッテルやステレオタイプが、決して悪いモノだとは思っていないのです。むしろうまく付き合えば役に立つとも思います。あの男はダメな奴だとか、そう決めつけていればお互いの関係がうまく行く事もあります。

例えば・・私は社長で人を雇っている、だけど従業員Aはあまり仕事が出来ない。最初は細かく仕事を教えるのだけど、ある程度の期間が経つとその人の能力の限界が見えてきます。そこでもう見切りをつけて、この人は能力がないんだからこの程度の仕事をやってもらえばいいや、と判断します。もう少し頭を使えば仕事もできるようなるのに、と期待しても本人にとっては重荷になってしまう可能性があります。Aは「社長は口やかましくて仕事がつまらない」と逆にやる気を失くし余計、仕事の効率も悪化します。

心の中では、この人はダメだなと思っていても、もちろんそれは口に出しては言いません。口に出すと関係は壊れます。問題はここなのです。その人に敬意を払っていれば、言葉で責める必要もないでしょう。能力がなくても、それは本人が悪いわけではないのです。世の中とはそういうものだ、人はそれぞれ違うのだ、だけど全ての人間には人権があり、敬意が与えられるべきだと思っていれば軋轢は起きません。

人に対してジャッジしてしまう(この人はこうだと決めつける)、それ自体はむしろ当たり前の事だと、私は考えます。世の中は全てにおいて不公平なのです。これだけはどうにもなりません。能力のある人⇔ない人、顔の綺麗な人⇔綺麗でない人、健康な人⇔不健康な人・・・・。

男と女は明確に不公平です。女性は子供を産む、男性は産まない・・・これ以上の不公平はないでしょう。我々、男性は生理に苦しむ事もないし、セックスをして子供を体内に宿すという事を考えなくても良いのです。だけど女性が完璧な平等を求めると社会は成り立たなくなるのです。全て公平にするのならオリンピックも男女混合で競技を行うべきであり、そうなると女性の金メダル数は圧倒的に減ります。女性にも男性にも敬意を払ってゆくと、一緒には扱えないという結論になります。不公平は決して無くならない、だから必要なのはそれを受け入れて、良い方向に向けて協力してゆく事でしょう。

そうした私の持論を踏まえて考えると、やはりローゼンバーグには若干の違和感を抱きます。もちろん彼の功績には最大級の賛辞を送りますし、特にナイジェリアやパレスティナで実践している非暴力運動には頭が下がります。だけど私は、人には慈悲よりも敬意を与える事が必要だと思います。不公平は無くならない、だからそれを受け入れる必要がある、それゆえ人に対するジャッジも必要とも言えます。

また矛盾というキーワードに戻って説明するなら、私自身、善の塊である必要もありません。私の中にも悪は存在しているのです。それを認めて生きる方が正直な人間らしいと思っていますし。
Mr chaosさん、

とても分かり易い解説、ありがとうございます。

>教師がすべきことは、機械的に生徒の進路を仕分けする事ではなく、可能性を引き出し、より幸福な未来を実現する手助けをする事だと思っています。

本当にその通りです。私は高校時代、学校と先生を心から憎んでいました。学校も不登校だったし、成績とか興味もなかったですね。廊下の壁に貼りだされるテスト結果の順位表とか、なんでこんなもので生徒を評価するのか、理解できませんでした。

学校や大人に対する不信感、それは高一の時の友人の自殺から起きたものです。彼とはクラスは違ったのだけど家が近所で、彼がピアノの天才だった事もあり、とても興味を持っていました。しかし彼は学校では虐めにあっていたのです。私は彼が亡くなった事を知らず、学校でその死を知らされました。校内放送でそのY君が急死した、という発表があったのです。理由は語られずに・・。

私は葬儀に出席したいと申し出たけど、クラスが違うという理由で却下されました。その数日後、葬儀に出席した友人から、彼が首をつった事を知らされたのです。つまり学校は自殺を隠そうとして、なるべく生徒に葬儀に出席させないよう、取り計らったのですね。

そして私は学校や先生に対する信頼を一切、失い、大人に対して疑いを持つようになったのです。彼が自殺した季節になると一人で胸を痛めました。自分が彼を救ってあげなかった事・・それは余りに悲しかったけど、それを隠ぺいしようとした学校に対する憤りは表現のしようがありません。それが大人なんだ、それが世の中なんだと痛感しました。

自分の人生の分岐点だったとも言えるでしょう。そこから人とは違う道を歩み、今まで生きてきました。自殺に追い込まれるほどの虐め、そしてそれを認めようとしない学校。それが教育の場であるわけがないのです。

教育とは偏差値ではなく、押しつけでもなく、先生から生徒への兄弟愛であるべきとも言えるんじゃないでしょうか。しかし日本ではその関係が崩壊していると思うのです。
Mr chaos さん、

本当にそうあって欲しいですね。教育ダイナミズムの転換は全ての人々の意識、そして政治にも大きな影響を与えるでしょう。現代のねじれた社会がまっすぐになるとは思えないしても、暴力が支配する力関係が清算されると良いですね。こうしたコミュで未来について語り合う事も、小さな一歩となる事を願います。ローゼンバーグがパレスティナで子供に対して行っている、非暴力の教育にも期待したいですね。

>期待ゼロの状態から、水が飲める、服が着れる、人と話せる、歩ける、学べる、働ける、食べ物がある、住むところがある、それらは、ガンジーが自ら貧困層の中に入っていった事とも繋がっている様な気がします。

その通りかもしれません。私は8年ほど前はホームレスでした。頭の狂った女性と付き合い、彼女に全てを持って行かれました。家族もいないし、誰も助けてくれないし、路頭をさまよいながら、もう死ぬしかないのかと思ったけど、それでも平然としてましたね。自分の信じた道を生きてきたから、人生が終わったとしても後悔はなかったです。そして資本金ゼロ、協力者ゼロでスタートしたITビジネスが波に乗り、今に至ります。

信じ難いくらいの運の好転でした。しかしそれも自分がその時、すでに人生で大切な物を掴んでいて、精神的に屈する事がなかったからでしょうね。

話が逸れちゃいましたが、人は本当に怖いですよ。まあ、そんな個人的な話がほどほどにしておきましょう。
今の中東アフリカ情勢はまさに非暴力 感情のコントロールができていない。革命を起こすにせよ無血革命だって可能なのに・・・・悲しい現実。
この理論は私にとって生き方の基本となっている教訓なので、上げておきます。

・怒りは、「相手にこうして欲しいと期待し、その結果が裏切られた場合」に沸く感情である。

「人が自分の悪口を言っている、だから頭に来た」

頭に来たのは、まず第一にその人に自分の悪口を言って欲しくない、という期待がある事が要因になります。悪口を言われた事が第一の要因なのではなく、自分が期待を持っていた事が要因なのです。

分かり易い例を挙げると、自分の好きな異性に「君の事は嫌い」と言われたらショックです。しかし好きじゃない人に「嫌い」と言われても、そこまでショックではないはずです。嫌いだと言われる言葉自体が、感情的になる第一の要因ではなく、その人に対する期待度の大きさが要因なのです。

私は人に悪口を言われても怒りません。それは「私は人とは違い、理解される事もない」と否定的な考えを持っているからなのです。
(以上、まとめ)

ここ2年ほど、中国、韓国との関係が悪化しています。私はその問題はこのコミュで取り上げるほどの問題ではないと捉えています。率直に言えば子供の喧嘩に近いですね。昨日、安部内閣の額賀元財務相が韓国を訪問したところ、空港で罵声を浴びました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130105-00000095-fnn-int

政治家のやる事はことごとく裏目に出るようです。せめてこうした感情のコントロールが出来れば、こうした問題もなくなるわけですが。

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