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藤井厳喜アカデミーコミュの国民の為の政治学・第10講「政治家論:求められる資質とリーダーシップ論」

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今回の政治学講座は第10回目で、テーマは「政治家論」となっています。

※ 今回の講義では、危機管理論の教科書として執筆しました拙著『危機の指導者―検証・同時テロと大統領のリーダーシップ 』をもとに話しております。




但し、今回の講義では、普通、考えられるような政治的指導者に関する評伝的な論評(西郷さんは偉かった等々…)は、敢えて避けています。

 第一に、政治家に、つまりリーダーに必要な資質とはどのようなものか、を論じています。
つまり、リーダーシップ論です。
第二に、リーダーシップの本質が、最も明らかになる「危機」における決断を取り上げます。
別の言い方をすれば、危機管理論でもあります。

第三に、新しい政治家をどのように育成していったらよいのか、について考えます。
これを英語では、「エリート・リクルートメント」と呼んでいます。

デモクラシー(民主国家)においては、世襲的な指導層が存在しません。
それ故に、なおさら、リーダーをどのように選抜し、育成するかは極めて重要な民主国家の課題です。
日本では、デモクラシーという言葉がリーダーシップを否定するように使われていますが、これは全くの誤りです。

 民主国家もまた、国家である以上、指導する者(Leader)と指導される者(Follower)に分かれます。

 世襲的な指導層がいない以上、如何に指導者を育て、これを教育するかは、国家の命運のかかった課題となります。
アメリカは民主社会で、誰もが平等なスタートラインに立つ事を建前としています。
それ故に、激しい競争が行われ、リーダー教育・エリート教育にも極めて熱心なのです。

「民主社会であるにも関わらず、エリート教育をする」のではなく、「民主社会であるが故に、エリート教育に力を入れる」のです。

 日本においては、全く看過されている重要点であると思います。


 最後に、「言論の自由」についても、私の俗論とは全く異なる見解を論じています。

 では、以下の講義をご覧ください。





コメント(8)

1/7 【国民の為の政治学】第10講政治家論:リーダーシップ論?[H22/4/16]



 第10講目のテーマは、「政治家論」ですが、内容としては、リーダーシップ論と危機管­理論の2つのテーマからこれを講義します。
 個々の政治家に対する評価や、伝記的評論は、今回の講義からは敢えて、外しました。

 最初のチャプターでは、政治家に必要な資質を検証しています。政治家に最も必要な3つ­の条件は、1先見力、2決断力、3説得力の3つです。

 先見力とは先ず、未来を予測する能力の事です。決断力とは、国家が重要な岐点に差し掛­かった時に、正しい方向を選びとる能力です。
 説得力とは、その決断の内容を、国民の多くに知らせ、1つの方向にまとめる能力です。
 
 先見力だけならば、それは学者の領域と言えます。欧米においては、政治家の先見力を補­う為に、公共政策の為の多くのシンクタンクが存在します。日本においては、民間のシン­クタンクが非常に脆弱な事が憂慮されます。

 政治家に必要な資質を日本風に言い換えれば、政治家には2種類の人間が必要であり、そ­れは「器量人」と「知恵者」であると言える事も出来ます。

 知恵者とは、先見性があり、正しい判断を準備出来る者の事です。それはまた、死んだ知­識を大量に持っている知識人ではなく、常に事態を打開する生きた智恵を出せる人間の事­でもあります。

 器量人とは、大きな度量を持ち、知恵者を使って仕事をする指導者の事です。正しい判断­をし、それを多くの人々に説得する力を持った人間と言っても良いでしょう。
2/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:危機管理論?[H22/4/16]



政治と政治家の本質は、危機における対応によって、最も明らかとなる。それ故に、政治­家論において、敢えて「危機管理論」を取り上げる事にした。

 危機の本質を明らかにするには、先ず、危機(Crisis)と危険(Risk)が異な­ったものである事を認識する必要がある。危機とは、前例のない事態であり、危険とは、­前例のある事態である。

危険(Risk)は前例がある出来事であるから、これに工学的・機械的に対応し、危険­を管理する事が出来る。
これに必要な知識をイギリスの政治哲学者マイケル・オークショットに従って、「技術知­」と名付けておこう。

 これに対して、真の危機とは、前例のない非常事態であり、それ故に危機に対する対応は­、マニュアル化する事が不可能である。優れたリーダーの深い叡智によってのみ危機への­対応は可能となる。
この叡智を、マイケル・オークショットは、「実践智」と呼んでいる。

 リスク管理は、行政の行う事であり、本質的に言うならば、危機への対応こそ、政治の専­有する分野である。 危機における決断こそ、一国の存亡を賭けた、政治の本質である。 
 しかし、危機に対処する為に必要な事は、実は事前の調査・準備を行う事により、潜在的­な危機を管理できるリスクへと転換させる事なのである。
3/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:危機管理論?[H22/4/16]



 危機の三要素とは何か?

それは、1.死活的利益を犯す事件である事。
2.いつ起きるか分からない事件である事。
3.対処法が分からない事件である事。
 以上の3つである。

 つまり原理的に、危機を管理する事は出来ない事になる。危機とはまさに、予知不可能な­事態の事なのである。
 3つの内の、どれか1つでも欠いていれば、それは真の危機ではない。

 例えば、心臓病の持病を持つ人がいつ心不全に陥るか
分からない不安を持っていたとしよう。起きれば本人の生死にかかわるし、いつ起きるか­分からない訳であるから、危機のはじめの2つの要素は満たしている状態である。しかし­、心不全に有効な薬を常時、携帯しているならば、その対処法が明らかなのだから、第3­の条件は欠いている事になる。であるからこの状態は真の危機とは、呼べない訳である。
 また、首都圏を大地震が襲う危険があっても、もし地震予測の技術が進み、いつ地震が起­きるかを数時間前に予測する事が出来るならば、それは危機とはならない。
 国家の死活的利益に関わり、大地震に完璧に対処する術は存在しないが、いつ起きるかが­分かっていれば、極めて有効に対応する事が出来る訳である。数時間前に大地震の発生が­予測できるならば、交通機関は全て停止させ、危険な地域から人を批難させ、火の用心を­徹底させれば、地震に伴う火災の発生も防ぐ事が出来る。
 いつ起きるかの予測が可能ならば、どんなに大きな災害も真の危機とはならなくて済む訳­である。
4/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:危機管理論?[H22/4/16]



民主社会が順調に機能する為には、中間レベルにおけるリーダーシップ、つまりミドル・­リーダーシップが重要である。

 民主国家は、1人の優れた大統領や首相が存在しても、それだけでは巧く機能する訳では­ない。様々な制度や組織に支えられた政治社会の中間レベルにおけるリーダーシップが機­能して初めて、国民一般の意見が吸い上げられ、TOPリーダーの意志が国民各層によく­理解され、指導者と被指導者が中間リーダーシップを媒介として、それぞれの役割を果た­す事が出来る。

 中間リーダーシップにおいては、マスコミ・政党・自治体、更に企業・経済団体・労働組­合等の組織が有効な役割を果たす事が期待されている。
 つまり、一般国民の政治参加への欲求や利害の要求を巧く吸収し、これを国のTOPリー­ダーシップに媒介する働きを、これらの制度・機関が果たす事によって、民主政治は順調­に機能するのである。

 伝統的な社会においては、国の為政者の意志は、上意下達によって国民大衆に伝えられる­。中間リーダーシップは必要がない。また、伝統社会が崩れ、民主的な中間リーダーシッ­プが成立していない変革期の社会(大衆社会:多くの発展途上国で見られる)においては­、中間リーダシップを支える制度・組織が発達していない。

 それ故に、指導者と一般大衆が直接ぶつかり合う事態になってしまう。一般大衆は、指導­層に暴力的な反抗をし、指導層は一般大衆を扇動したり、鎮圧したりするという、行動パ­ターンを取る。
 この場合、国民大衆の政治への参加意欲を媒介する制度・組織が脆弱な為に、政治の運営­が極めて不安定になってしまう。
5/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:危機管理論?[H22/4/16]



 リーダーシップ論の延長として、「制度化と参加」というパラダイムから、過渡期の政治­秩序の在り様を考えてみたい。

 これは、多くの発展途上国において生じる政治的不安定の原因を考えることにもなる。

 従来の政治学では、参加(Participation)というのは、常に肯定的な要素­とみなされてきた。これに反論したのが、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントン­であった。
 彼は、制度化(Institutionalization)と制度を対概念で用いる事­により、制度化のレベルを超えた過度な参加は、政治社会を不安定に陥れると主張した。
 発展途上国においては、伝統的な社会の制度が崩れる一方、流動化した大衆が無秩序に参­加を求め、参加の量が制度化の水準を大きく上回ってしまう場合が多い。
この場合、政治秩序は著しく不安定となり、その不安定さのゆえに、経済発展も妨げられ­る場合が多い。
 ハンチントンの理論は、ある意味で、開発独裁を合理化する理論であった。
 
 ハンチントンの理論で欠落しているのは、国家の二元性という視点である。国家は単に、­制度であるばかりでなく、その制度を支える徳(価値観)の共同体でもなければならない­。ハンチントンはこの「徳の共同体」即ち、精神共同体としての国家を完全に無視してい­る。
 参加そのものの量が問題なのではない。徳の共同体がある限り、その基礎の上における参­加は必ず、秩序と制度化を指向するものである。

 徳の共同体を失った、やみくもな参加への衝動が、政治秩序を破壊するのである。
 それ故に、単に上意下達的な制度化のレベルを上げる事によっては、参加の問題を解決す­る事は出来ない。常に徳の共同体としての国家を建設する努力を伴った制度化が行われて­こそ、参加を排除しない安定した秩序が構築されるのである。
6/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:危機管理論?[H22/4/16]



第10講 「政治家論:求められる資質とリーダーシップ論―政治家教育とエリート・リクルートメ­ント」?
(講師:藤井厳喜・国際政治学者)


日本においては、優れた政治家を育成する社会のシステムが全く完備していない。ここに­日本政治の大きな問題点がある。
 能力のある人材がいない訳ではない。しかし、これらの人材を政治家として選抜し、育成­する仕組みが存在しないのである。
 明治以来、そして戦後社会においても、国会議員となる人材の供給源は、大きく分けて2­つあった。それは官僚と地方政治家である。中央官庁のエリート達が政治家に転ずるパタ­ーンは明治時代から存在した。第二次大戦後においては、大量の政治家が占領軍により追­放された為、吉田茂首相は、多くの若手官僚を政治家に転向させ、これを時代のリーダー­として育成した。

 官僚と並んで国会議員の1つの大きな供給源となってきたのが地方政治家である。これは­所謂、自民党内における「党人派」の人脈を形成してきた。
 これと並んで、近年注目されるのが、これ以外の第三の人材の供給源である。
 テレビ・タレントやスポーツ選手等、マスコミでの知名度のある人間が政治家に転身する­場合が今日しばしば見受けられる。

 また、日本においては、世襲的な名望家支配の伝統も未だに保たれている。鳩山家や吉田­家(麻生太郎)、細川家、安倍家、等の名門出身の政治家は、国会議員になるハードルも­低く、また出世の階段も一般の政治家よりは速く駆け上がる事が出来る。

 総じて言える事は、政治家としてのリーダーシップのある人間をリクルートし、こ
れを教­育、育成するルートが日本においては極めて貧弱であるという点である。
 単に権力欲の旺盛なあまり優秀でない、そして使命感もない多くの政治家が存在するのは­この為である。
7/7 【国民の為の政治学】第10講 政治家論:暗殺とデモクラシー?[H22/4/16]



 民主国家においては、言論の自由は極めて重要なものである。

 しかし、その言論の自由とは、実は政敵を暗殺しかねないほどの情熱と使命感によって支­えられているものなのである。そこに言論の自由のアイロニーが存在する。
 国家の重大政策において意見が異なれば、政敵を暗殺することこそが正しいという判断も­愛国心の表現の1つである。しかし、真に国を憂うるものが、その信念を貫くあまり、お­互いに殺し合いをしていたのでは、逆に国益の為にはならない。
 自らの命をも賭して、国益の為に尽力しようとする者同士が、命を無駄にしない為に、一­発の銃弾を一票に変えることによって近代のデモクラシーは成立してきたのである。

 英語では、これを「Bullet(弾丸)からBollot(投票)へ」と表現している­。
 言論の自由の根底には、お互いの命をやり取りしてまでも自らの主張を貫こうという政治­的意思が存在するのである。
 ここである1人の人間が「私はBallotを放棄するのでBulletを取り戻す」と­宣言し、社会契約から外れるとすれば、彼の行動にはそれなりの正統性があると言わざる­を得ないであろう。

 アメリカのような契約精神に基づく民主国家においては、原理的に政治家の暗殺を否定す­る事が難しいのである。ここにアメリカの悲劇も存在する。

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