ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

仏教コミュのカースト制度と三宝

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1 ブラフミン (婆羅門〔バラモン〕)
神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。
「司祭」とも翻訳される。

2 クシャトリヤ
王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。

3 ヴァイシャ
商業や製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。

4 シュードラ(スードラ)
一般的に人々の嫌がる職業にのみしか就くことしか出来ない。
ブラフミンに対しては影にすら触れることを許されない。
「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。


位置情報


釈尊の時代には カースト制度というものが社会の中で
大きな意味を持っていた。 

下のものは上のものに奉仕をして 上下の階級を守って
それぞれの階級で 生涯を通じて生きてゆく、、

生まれた時から 死ぬ時まで

社会を治めるという 意味での このシステムは
広く民衆の中に 広まってゆき 社会制度が作られた

しかし

階級を守る 利権を守る という意味の他に 
多くの 矛盾と憎しみ をもまた内包していた。


当然 若い王子シッダールタは疑問に 思った、、


なぜ 飢えて苦しみ死んでゆく者がいるのだろうか?
その一方で いくら使っても 有り余るほどの富を持つ物がいるのだろうか?


家を追われて 逃げ惑うもの
戦争で親をなくすもの

盗むもの 殺すもの 

祭司 資産家 多くの注目を集める物
戦士 強い物 自慢するもの 栄光あるもの 
仕えるもの 外れるもの 


王がいて奴隷がいる。 











「何 不自由なく 暮らしている あんたに世の中の事は わからない、、」

「なぜ 戦をするのか、、」

「奴隷が貴族になっては いけないのか、、」 






多くの憂いと 悩みと 悲しみを背負った 王子はやがて 菩提心に目覚めるようになる。

この世にはびこる 苦悩と苦しみを 解決する方法はないのか?
すべての人々を救うには どうしたらいいのか?

決めた!

私はこの難問を 解決してみせる! 




こうして 彼は 王子の位 また その支配下の部下 家族 息子 富 家 
その他もろもろの 一切を 捨てて 悟りの旅へ 出たのであった。 


彼は 旅の中で多くの師に 学び 超えていった
瞑想をするもの
神通力を使う物
懐疑論を 報ずるもの
死を求める物 
苦行を求める物  



そうして すべてを超えて 阿耨多羅三藐三菩提(最高の完全な悟り)
を成し遂げた時

あらゆる過去の因縁 また未来の姿 
あらゆる法則 そして あらゆるものに関する智慧
一切智 を備えたのであった。







ーー 一切智経 ーーー

1 http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/issaichi1.htm
2 http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/issaichi2.htm
3 http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/issaichi3.htm


パセーナディ王は、仏陀に、このように尋ねた。

「世尊よ、この世に、身分制度があります。
この制度は、絶対的な区別が、有るのですか。
それとも、絶対的な区別などは、無いのですか。」

「大王よ、五つを失うならば、区別が生じ、
反対に、五つを得るならば、区別が滅される。
それでは、この五つの支とは、如何なるものか。

第一の支は、三宝に対して、信心を有すること。
第二の支は、病気に罹らず、元気に生きること。
第三の支は、妄語を抑えて、正語を修めること。
第四の支は、悪業を撤して、善業に徹すること。
第五の支は、無智を破って、智慧を具えること。」

「世尊よ、五つを失うと、どうなりますか。」
「強いものは強いまま、弱いものは弱いまま。
人々は、カルマに塗れて、カーストに従属する。」

「世尊よ、五つを得ると、どうなりますか。」
「弱いものも強くなり、強いものも弱くなる。
人々は、カルマを越えて、カーストを解脱する。」

「世尊よ、解脱の境地に、差が有りますか。」
「誰が点けたところで、火は同じであるよう、
誰が越えたところで、辿り着く処は同じである。」


ヴィドゥーダバは、仏陀に、このように尋ねた。

「世尊よ、神々は、存在しているのですか。
善い神と悪い神、どちらの神が来ていますか。
悪い神が、善い神を、滅ぼすことはないですか。」

これを聞いていた、アーナンダが、こう言った。

「ここは、わたしに、答えさせて頂きたい。
善い神は上に住み、悪い神は下に棲んでいる。
地に降りて来るのは、専ら、悪い神の方である。」

「地の人が、天の神に、手を出せないよう、
悪い神が、善い神に、手を出せることはない。
下から上は見えず、上から下は見えるのである。」

この答えを聞いて、パセーナディ王は感心した。

「尊者よ、あなたの名前は、何でしょうか。」
「我が名は、アーナンダ、歓喜という意です。」
「尊者よ、あなたの答えは、実に歓喜であった。」

大王は、仏陀に恭しく挨拶して、帰って行った。



ーーーー




カルマ 

宇宙を経験させる、神の意思 または 業

業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、
輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。(by WIKI)







位置情報




さて 仏教が日本に伝来し それを 政治に織り込めた人がいる、、


聖徳太子である。


彼は 憲法十七条の中で こう言ってる


http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm

二章

二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。

現代訳

二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。


十四章

十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。

現代訳

十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。






c⌒っ゚ρ゚)φ 聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。






憲法十七条が秀逸杉。    







三宝の意義

帝釈相応
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/shaku1.htm


あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「遠い昔のこと、阿修羅と帝釈天が戦った。
比丘達よ、そのとき、帝釈天は、臣下である、
三十三天の神々を呼び出し、このように言った。」

『神々よ、もし、阿修羅との戦いに於いて、
心が挫けてしまうならば、我が旗を仰ぎ見よ。
我が旗を仰ぎ見るなら、恐怖が消え去るだろう。』

『神々よ、もし、既に、我が旗が無ければ、
ヴァルナ王、イーサナ王、パジャーパティ王、
彼ら王の旗を仰ぎ見よ、恐怖が消え去るだろう。』

「旗を信じて、恐れが消えさる事もあれば、
旗を見ても、恐れが消えない事もあるだろう。
比丘達よ、ここで、わたしは、このように説く。」

「比丘達よ、もし、独り静かな森に赴いて、
心が挫けてしあむならば、私の心を仰ぎ見よ。
仏の心を仰ぎ見るなら、恐怖が消え去るだろう。」

「比丘達よ、もし、仏を仰ぎ見れないなら、
法を仰ぎ見よ、もし、法を仰ぎ見れないなら、
僧伽を仰ぎ見よ、すぐ、恐怖が消え去るだろう。」

「仏と法と僧を念じるなら、恐れは消える。
汝らが抱くべきは、恐れでなく、畏れである。
三宝は、最高の福田であり、至福の源泉である。」









三宝が失われると カーストが現れる。






(゚Д゚)ノ ァィ

コメント(4)

バラモン教はカースト制度を定着させ強化するものとして機能していたのであり、そこには宗教というものが社会においていかに機能するかということの一つの原型があると思います。

商業の発達と共に現実の社会関係が大きく変容することによって人々の意識が固定的バラモン教とそれと不可分の形で人々を縛っているカースト制度に強い不満を覚えるようになる中からさまざまな自由思想家がインド社会に現れることになりましたね。
その一人がまさにゴータマ・ブッダその人でした。

したがってブッダの思想は固定的なバラモン教や、それと結び付いたカースト制度の閉塞感を打ち破ろうとする自由な息吹に満ちたある種、革命思想だったことを忘れてはならないと思います。
>78910 さんへ
全くその通りですね。 (^ω^)b

>提婆達多@21世紀天皇 さんへ

>仏教の規範では悪神なのでしょうか。

そうですね 上の文章から見れば
地に堕ちてきた神  悪神 アスラ 阿修羅 となりますね。

神は 「 唯一にして絶対の神 」 ですから 他の神を認めません。
しかも 神は地には降りてきません 
だから 神の使い を 送り出す 訳です。




法華経 化城喩品

世尊がまだ出現したまわなかった時は 十方は暗黒で暗かった
三つの悪道は増大し 阿修羅もまた盛んであった
多くの天たちは次第に減少し 死んで多くは悪道に落ちた
仏から法を聞くことがなく 常に不善を行い
物質的な力も智慧も これらはみな減少した。 
罪をおかした行為のいわれの故に 安楽と安楽の想いを失い
まちがった見解の教えにとどまって 善の法則を知らない
仏の教化を受けないで 常に悪道へ堕ちる



イザヤ書 14章 12節
http://elbaal.web.fc2.com/isaya13-14.htm#14/12-15



>威徳で従えるという諸天や、
因果の始めにある自在天王もたいしたことはないということでしょうか。


創造においては偉大ですが 
法においては そうでもない


最強の強さ と 無限の創造力をもってしても 
この世の すべての根本解決には至らない 

ということでしょうね。



梵天招待経
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/bontenshoutai1.htm
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/bontenshoutai2.htm
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/bontenshoutai3.htm
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/bontenshoutai4.htm




帝釈所問経
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/taishaku1.htm
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/taishaku2.htm
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/taishaku3.htm



(゚Д゚)ノ ァィ
三宝を敬え

と言うが よく考えたら 
三宝を敬う というのは少し ズレている気がしてきた

三宝はこう

仏ー釈迦牟尼仏
僧ー釈尊の弟子
法ー釈尊の教え

だが 
仏の入滅後 は こうだろう

仏ー入滅
僧ー入滅
法ー一部が残っている

となるわけで 
これが 例えば仏を 他に当てはめたり 
僧 他の何かに 当てはめたり すると 

仏ーある宗派の教祖様
僧ーある宗派の弟子
法ー釈尊の教え+ある宗派の教え

に なる ケースが多々あって 
そうなると 初めの三宝と趣旨がずれて 
いろいろな問題が起こる

これは
歴史が 既に実証済み であろう。

ゆえに
三宝帰依 は 実質 無理とみなして 
三宝のうちの2つは すでに滅し去った とみるのが いいと思う

「三宝のうち二宝は既に滅し去った。」


涅槃経で 

仏陀の入滅後 何を灯火にすればよいか 弟子から聞かれた 仏陀は
自燈明 法灯明 
と 言われたわけだから 

何を敬うかと 言われれば 

自分 と 法 
つまり 

仏陀の亡き後は 

篤く 

「自分 と 法 を敬え 」


というのが 正解だろう。


人 他人 僧 組織 変な預言者 変な仏 政府 大多数 
を 灯火と する人が多いい 現代社会において、、、、


大般涅槃経

ーーー

「アーナンダよ、私に、何を期待するのか。
私は、余す所なく、全ての法を説き明かした。
師に握拳なし、説くべき法は既に解き明かした。」

「守もろうとしたり、護られようとしたり、
そのような関係ならば、何かを語るであろう。
しかし、我々は、そうではない、何を語ろうか。」

「わたしも、老け込んで、八十歳となった。
アーナンダよ、世尊が、全ての相を作意せず、
心三昧に止まる時、世尊の身体に安穏が訪れる。」

「私の死んだ後、比丘は、このようにせよ。
他を帰依処とせず、自己を帰依処としなさい。
自我を帰依処とせず、法則を帰依処としなさい。」

「周りを灯明とせずに、自らを灯明とせよ。
自我を灯明とせずに、真理の法を灯明とせよ。
アーナンダよ、そのためには、如何にすべきか。」

「このように、正念して、正智すべきである。
身に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
受に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
心に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
法に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。」

「こうすれば、現在にも、わたしの死後にも、
周りを灯明とせず、自らを灯明に出来るだろう。」



大般涅槃経
http://yusan.sakura.ne.jp/library/buddha_mahaparinirvanasutra/


この時代と この後の時代の人々に言う

もはや 三宝のうち二宝は滅した
ゆえに 

「篤く 自分と法を敬え」 

と。 


(゚д゚)/ハイ

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

仏教 更新情報

仏教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング