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宇宙の外ってどうなってるの?コミュの映画「惑星ソラリス」

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こんばんは。dondonです。わーい(嬉しい顔)

映画「惑星ソラリス」 http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/wksslr.html からインスピレーションを得て、冨田 勲氏は膨大なコンピュータで音楽を作成しています。るんるん

<Wikipediaより(抜粋)>
”タルコフスキーの名前を世界に知らしめた記念碑的作品。1972年のカンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けた。哲学的SF映画として『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督)と並び称されることもある。

・・・『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうした事(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしている。また、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味が無いと言う、殆どSFを否定するような台詞を劇中でスナウトに語らせてもいる。”

僕はこの映画を見て、神様を排除した唯物論やそれに基づく思想・科学・医学、また生き方が、いかに恐ろしい結末にたどりつくかを感じました。

この映画にはテーマとして、J.S.バッハの「我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」が冒頭から重要な場面で流れています。

タルコフスキー監督は、冷戦下のソ連でこの映画を作りました。よく検閲を逃れられたと思います。タルコフスキー監督はその後、ソ連を亡命しました。

・冨田 勲 アルバムCosmos(宇宙幻想)より、CDジャケット1・2
  ・楽曲「ソラリスの海(J.S.バッハ)」
    The Sea Named "Solaris" (J.S.Bach)
        ・3声のインヴェンション 第2番
         Three-Part Invention No.2 in C Minor
        ・我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ
         Chorale "Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ ", BWV639
        ・3声のインヴェンション 第2番
         Three-Part Invention No.2 in C Minor

<冨田 勲氏のコメント>・ソラリスの海
 これはソ連のSF映画を見た時の印象に基づいています。惑星ソラリスは全体がプラズマの海によって出来ていて、その海そのものが理性を持った有機体になっています。地球人がその実態を知るために、ソラリスに観測用のステーションを作り、そこに何人かの科学者を送り込みましたが、ソラリスの海は地球人の脳髄を寝ている間に探索し、そこから人間の記憶を引き出し実体化する力を持っていました。この映画の主人公クリスの前に、10年前に自殺したはずの妻のハリーが、生前そのままの姿で、しかも精神の完全な状態で突然現れたのです。しかしクリスは科学者としてこの現象を探求するために、わざわざ地球から来ている訳で、その意味では格好の実験材料が現れたことになります。けれどもこういった場合、地球上に於けるもっとも人間臭い人間というものは、本来の目的がややもすると忘れがちになってしまいます。それが明らかにソラリスの海が実体化されたコピーであることを知りながらも、クリスも自分自身の良心が許さなくなり、ハリーに心を通わせるようになってしまいます。私は、この曲の始めと終わりにピアノのレッスンでバイエルからツェルニーを終えた後で、必ず誰もが弾かされるバッハの「3声のインヴェンション」第2番を使用しました。これは記憶の中の懐かしさを表したつもりです。中間部の曲はバッハのコラール「我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」で実際に映画の中でも使用されています。私は惑星ソラリスそのものを描いた訳ではなく、むしろソラリスの起こす現象によって起きるであろう、人間のある状態を描いてみました。この映画のラスト・シーンはクリスの懐かしい故郷が映されますが、やがてカメラが下を写しながら空に向かって、だんだん上昇して行き、クリスの家が小さくなって行った頃 、その遙か周りの外は恐ろしいことに全部ソラリスの海になっていました。波

*「ソラリスの海」はポーランドのSF作家スタニスラフ・レムによって書かれた「ソラリスの陽のもとに」を原作として映画化されたものです。

<Amazonによる、見た人のカスタマレビュー(抜粋)>
・この映画を初めて見たのは、有楽町にあった映画館で、当時のタウン情報誌で絶賛してあったから見てみた・・・。超満員の空気の悪さのためもあろうが、あまりの長さと眠さにさすがにまいってしまった。
しかし、タルコフスキー体験とは常にそうで、見終わったあと、じわじわと断片的場面がバッハのオルガン曲とともに執拗によみがえってきて、気になってどうしてもまた見たくなる・・・そしてその奥深い宇宙へと浸っていくのだ。
この映画で最も印象深く、陶然としてしまうのは、わずかな無重力状態の中で、男と女がふたり抱擁したまま中に浮くところ。そこにかぶさるのがまたバッハである。それは赦しと救いのつかの間の奇跡が起こったようで、比類なく美しく、宗教的愛にあふれている。
地球に帰還した主人公が、なぜか雨のしたたり落ちる家の中に父の姿を見つける場面も、取り返しのつかない後悔と限りなき慈愛の心がないまぜになったような、意味深遠な感動に心震える。
彼の映画では、、宗教的な愛や超越的な哲理と、実人生の諸相との相矛盾することへの葛藤と焦燥感、対立を超えた昇華と昂揚感のようなものが、詩的で鮮烈なイメージとともに描かれているのではと思う。
哲学者、芸術家、詩人、建築家、工芸家、演出家等、さまざまな要素が彼の中で混然と調和および葛藤していたのではなかろうか?
主人公ケルビンが劇中でこう言っていた・・・・
      「地球にはまだ人類愛が届いていないんだ。」

・ソラリスを初めて観たのは若年の頃、その時は俗に言うタルコフスキー映画の催眠効果の為、最後まで鑑賞する事が出来ませんでした。なにしろこの映画は一見すると抑揚が少なくそれでいて長い。当時横行していた"ハリウッド映画"を見なれていた私には刺激が少なかったのです。今思えば無知による無感覚と言うのがその最大の原因だったのでしょう。結局のところ2度に分けて全編を視聴するという非常に不敬な形で映画鑑賞をしてしまいました。

時を経て書物を読むようになって久しく、現代の娯楽映画の氾濫に絶望しかけていた頃、再び「ソラリス」を鑑賞しました。原作を読んだ後その映像化されたものを観たくなるのが人情と言うものです。レムのSF小説はどれもが取り分け素晴らしい作品なので尚更です。映画版ソラリスの過去の印象を刷新出来ると確信しておりました。しかし私がその時観たのはソダーバーグ版でした。間違えたのでは有りません。タルコフスキー版が見つからなかったのです。どのような呪いの言葉が口から飛び出すか知れたものでは無いのでソダーバーグ版の批評はここでは控えるとします。

ともかくも私はその後タルコフスキー版を手にする機会に恵まれました。タルコフスキーのソラリスを鑑賞したのは、はるか昔。驚くべき事に*"あの"テーマ音楽すら忘れていた私は改めてソラリスのオープニングを"体験"し終えた時、何かが始まると感じました。それは鑑賞と言うよりは体験でした。ソラリス・ステーションの4人(あるいはそれ以上)の男女と共に苦悩や決断を共有したのです。

映画中のある女性のあの言葉「でもわたしは人間になります。 ‥‥わたしは人間です。」 なんと悲痛に、なんと美しく心に響くことか。私は創られた映像の中で彼女ほど人間に近いひとを見た事はありません。言葉の壁、時間、空間の壁を越えて彼女の声は響きます。生きた人間の言葉として。

  *コラール・プレリュード《主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる》
   BWV639 J.S.バッハ

・バッハがこれほどまでに美しく鳴ったことはないんじゃないでしょうか。ふたりが抱擁するあの場面を見ると涙があふれて、もうことばになりません・・・

・この映画については 他のレビュアーの方も色々書かれているので 内容はそちらを参照下さい。小生が言いたいのは この映画の音楽についてである。
 冒頭タイトルバックを流れるバッハのオルガン曲の美しさは例えようが無いと常々思っている。ゆっくりとした曲は 冷え冷えとしたメロディーを奏でつつ たゆたゆと進んでいく。タイトルバックからの初めのシーンが川の中の水草がゆらゆらとしているシーンはあまりに有名なわけだが その水草のゆらめきを その前からのバッハで表現してきた様である。それだけに そのゆらめきが すんなりと心に入り この3時間にならんとする長尺の映画の基調を決定づける 非常に上手な導入装置であり いつ見ても感嘆する。
 古本屋でこの映画の岩波ホールでの上映の際のパンフレットを買った。最後のページに 元の持ち主が「バッハが素晴らしい」と万年筆で記入があった。
 それを見て バッハのオルガン全集CDを購入した。1枚目から聞いていって 10枚目でようやく この曲を見つけた。あまりに嬉しくて 5回連続で聴いた。もう15年前の事だ。今でも時折 一人で聴いている。聴いている小生の目には ゆらめく水草と このタルコフスキー畢竟の傑作が甦る。

・ レムの傑作『ソラリス』のほぼ忠実な映画化。ほぼ忠実なようですが、レムはこの映画が大嫌いだったのも有名です。映画化に見えて、実は
テーマが異なるからでしょう。タルコフスキーはレムの原作の枠組みを借りて、SF映画でしか表現できない思想を映像化したわけです。また、この形を借りなければソ連体制の検閲を通ることはできなかったでしょう。
もっとも、タルコフスキーはいつものようにテーマを明示はしていません。私は20年間、30回ほど見直していますが、自分の解釈が正しいのかについては今も自信がありません。しかし、最近の結論は、「精神と物質のいずれが実在か」というのがテーマなのではないかということです。
小難しいことを書きましたが、この映画は娯楽映画としても非常に優れています。展開はスリリングであり、面白いことも保証致します。
この作品は私にとって、あらゆる映画の最高傑作です。極論ですが、映画という芸術のジャンルが存在するのは、この作品を生むためであったとさえ感じます。

・この作品を初めて見たときの衝撃は大変なものでした。何しろ私はタルコフスキーのタの字も知らずに、何なんだろう、この映画は?面白いのかな?というくらいの気持ちで見にいったのですから。幸いなことに、私はタルコフスキーの世界にすんなりと入っていけるタイプの人間だったようです。見終わって、体が震えて立てないくらい感動していました。実は私はレムの原作は読んだことがありません。しかしこれが単なる小説の映画化作品ではなく、見事にタルコフスキー世界の映像になっていることに異論を唱える人はないでしょう。私が何より驚いたのは、これがロシア芸術の大きな流れを汲む作品であること。タルコフスキーの映画に共通して流れるテーマの一つに、人類を苦悩から救いたい、というのが必ずあると思うのですが、それはまさに往年のロシア文学の掲げていた大いなる命題でもあったわけです。つまりタルコフスキーは、かつてトルストイやドストエフスキーが文学の世界でやっていたようなことを、映像の世界で表現しようとしているわけでいるわけです。しかし、何よりもびっくりしてしまうのは、人類を救いたいなんて途方もない考えを(へたすれば気違い扱いされますよね。だいたい彼の映画に出ている役者さんたちって、自分がどういう映画に参加しているのか本当に理解できていたんでしょうか?)映画という最も金のかかる、世俗的な世界でやってしまったこと。ほとんど奇跡ですね。こんな映画を20本も30本も作ったら偽善者でしょうが、彼の場合、たった8本の作品を残して燃え尽きるようにして(しかも祖国をおわれて)死んだのだから本物でしょう。まさにロシア芸術の底力が生んだ怪物的に高貴なアーティストですね。(一応、誉め言葉です。これは)

・1972年【ソ連】
冷戦下のソ連で作られた映画ですよ、良く検閲を逃れたと関心するばかりです
明らかに体制の批判をしてますよ。こりゃ監督命がけで映画を撮ったに違いない。1983年の「ノスタルジア」を最後に1984年亡命しその後1986年に「サクリファイス」が遺作となりました。だから「ストーカー」や「鏡」この作品は表現の自由を多少なりとも犠牲にされて作られたと考えるのは妥当でしょう。「鏡」を視ていないので何とも言えませんが逆に「鏡」こそDVD化して欲しいのです。「ノスタルジア」や「サクリファイス」はいずれも視ましたが、何かが足りなかったのです。それは自由を得た変わりに何か重大なモノをなくしてしまったような感じがします。
「ストーカー」の最後は希望がもてました、奇跡は最後に起きたのだ、でもこの作品はどうでしょうか、絶望感しか、与えてはくれません。いずれの作品も同じ程恐怖を与えくれ、やるせない話なのに、だから私は「ストーカー」のほうがすきなのです。タルコフスキーの作品の中で2番目に好きな映画なのです。亡命する前にソ連でこれほどの作品がつくれたもんだと。
この作品の最後は恐怖ですよ。カチンコ

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