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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの海の百万石2『銭屋五兵衛』?(^O^)「悲しき現実」

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『五兵衛』は、この話を聞いて 『木谷藤右衛門(きや とうえもん)』親子が捕らわれた日のことを 思い出しました(^_^;)
捕らえられてから5年、1791(寛政3)年に罪を許され 財産の ほんの僅かな一部を返却されていました(^_^;)
些細な口実をつけて 財産を奪うやり方は、松前藩(まつまえはん)も同じでした(^_^;)
松前藩は、『伝兵衛(でんべえ)』さんの財産を没収した前にも、『飛騨屋久兵衛(ひだや きゅうべえ)』も 没落(ぼつらく)させているんです(^_^;)
理由は、ロシアとの密貿易と その他の疑いをかけて(^_^;)
『伝兵衛』は、飛騨屋の下請けでした(^O^)が、同じように没落させられてしまいました(^_^;)
伊助「旦那さん、藩は 商人を利用して 運上金を吸い上げておきながら、商人が力をつけ 大きくなると 財産を没収してしまう(^_^;)なんか、許せませんよね(^_^;)しかし、ワシらには 悲しいかな なーんにも出来ないんですよ(^_^;)旦那さんも、気をつけて くださいよ(^_^;)」
『五兵衛』は、この話や 木谷家に対する仕打ちに 憤(いきどお)りを 感じるのでした(`o´)
五兵衛「ワシが、この体制を 変えてやる(`o´)必ず 安心して商人が商売の出来る世の中に 変えてやる(`o´)」
『五兵衛』は、誓うのでした(^O^)人差し指(やったるでぇ〜)
蝦夷地は、1590(天正18)年以来、松前藩が支配しています(^O^)
蝦夷地では、全く米が穫れません(^_^;)
そのため松前藩は、蝦夷地の産物を求めてやって来る船や、本州から出稼ぎにくる砂金掘りやら 木こりやらに税金をかけることで、藩を支えていました(^_^;)
勿論、それだけでは藩を支えられません(^_^;)
他の藩と違って、藩士たちに 禄米(ろくまい)どんぶりを 与えられない松前藩は、蝦夷地を 幾つにも区切って、藩士たちに交易の権利や漁業権を与えていました(^_^;)
松前藩ならではの、場所制度です(^O^)人差し指
藩士たちは、自分の場所に交易所をつくって 米・酒や 普段の暮らしで使う品物を船で運んで行き、アイヌと交易してきました(^O^)
珍しい毛皮・鮭を 松前の商人に売って、その利益で暮らしをまかなってました(^O^)
松前の商人の大半は、なんと“近江商人(現在の滋賀県の商人)”ですウッシッシ
彼らは次第に、藩士に権利金を払い 自分たちが交易に行きましたウッシッシ

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