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うつとドキュメンタリーコミュのNYタイムズ記事

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ドキュメンタリーのきっかけとなった記事です。
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「抗鬱薬は日本を鬱病にしたか?」

キャスリン・シュルツ
2004年8月22日付ニュー・ヨーク・タイムズ紙より

過去5年の間に日本に住んだことがある人なら、「ココロ」が風邪をひくおそれがあるということはもはやご存じだろう。あなたの「ココロ」とは呼吸器系の一部ではない。あなたの家族の一員でもない。その治療は、普通の耳鼻咽喉科医の守備範囲を超えている。あなたの「ココロ」とはあなたの魂であり、「ココロ」が風邪をひくことがあるという考え方が、製薬産業によって日本に導入されたのは、軽度の鬱病というものをほとんど論じたことがなかったこの国に、それを説明するためであった。

日本語で鬱病を語るということは、それを英語で語ることとは、常に根本的に異なる作業であった。われわれの言葉(訳注:英語)では、鬱病を表す言葉は際だって広い用途を持っている。それは地形や経済や気分の沈下を表し得る。それは人を押しひしぐ精神医学的状態を意味することもあれば、カブスがペナントを取り損ねたことへの一過的な反応をも意味し得る。ほぼ無限に分類することも可能だ。重度の、軽度の、興奮性の、心配性の、二極性の、一極性の、産後の、生理前の。

しかし日本語では、「鬱病」という言葉は、伝統的に重度の、もしくは躁鬱性の障害だけを指し、精神医学界の外ではめったに聞かれないものだった。感情を語る際、人々は「生のエネルギー」を意味する「気」という言葉に頼った。悲しみを意味するさまざまな日本語を直訳してみると、西洋人には、台所の流しにでも降りかかりそうな感情的トラブルのように読めてしまう。「気がふさぐ」=「気が詰まったことによる悲しみ」。「気が重い」=「気が鈍重であることによる悲しみ」。「気が滅入る」=「気が漏れていることによる悲しみ」。

新しい表現の内部には、かならず簡略化された文化的変容の歴史が潜んでいるものだ。「マックジョブ(訳注:低賃金で、福利厚生もなく、昇進の機会もない仕事)」、「メトロセクシャル(訳注:おしゃれに敏感で、ファッションやライフ・スタイルにお金と時間をかける、ストレートの都会派男性)」、「ブロゴスフィア(訳注:『ブログ圏』、ブログからなるネットワーク)」などを考えてみてほしい。日本では、「心の風邪」という造語は、人々の鬱病に対する考え方に一大潮流の変化を生み出した。この変容の引き金になったのは、1999年の、製薬産業から日本へのもう一つの贈り物だった。軽度の鬱病に対するキャッチーなスローガンと共に、製薬産業はその治療法をも提供したのだった。最新の抗鬱薬がそれである。10年以上前に、ピーター・クレイマーは、著書「驚異の脳内薬品?鬱に勝つ『超』特効薬」において、いかに抗鬱薬には文化的風景を一変してしまうだけの力があるかを、叙述してみせた。しかしその時は、抗鬱薬が一変しつつあった文化は、それ自身を生み出した文化でもあった。今、製薬産業が巨大なキャンペーンを打って宣伝している軽度の鬱病というものは、ほとんどの日本人が最近までそんなものが存在するとも思っていなかった代物なのである。西洋精神薬理学のグローバルな拡張によって、われわれが何を得、何を失おうとしているのか、それを実証する場に、日本はなったのである。

たしかに、日本は精神衛生の立て直しにはうってつけの候補である。この国では、重大な精神病が長い間不適切な扱いを受けてきた。自殺率はアメリカの2倍以上である。精神病による平均入院日数は、アメリカが平均10日に満たないのに対し、390日である。最近まで、鬱病は分裂病と同じ扱いを受けてきて、治療法はほぼ病院内にしかなかった。軽度の鬱病など存在しなかったのである。対話療法は稀だったし(今でもそうである)、大っぴらな議論は、政策レベルで自粛させられているも同然だった。「厚生省は《鬱病》を悪い言葉だとみなしたんですね」と、1971年の日本の国立精神衛生ホットライン設立に一役買ったサイトウ・ユキオは語る。何十年もの間、ホットラインの広告を公的な場に貼り出してほしい、というサイトウの要請は、判で押したように却下された。

去年、過去5年間の文化的潮流の変化を反映する形で、方針の一大転換がなされ、厚生労働省は鬱病の国民への認知度を高めるべく委員会を発足させた。女優・木の実ナナは、2000年彼女の更年期鬱病について、公に語った。他の著名人も続いた。そして先月、宮内庁は雅子妃が抗鬱薬を服用しており、鬱病と「適応障害」のためカウンセリングに入っていることを認めた。

日本書店協会によれば、過去5年間に鬱病に関する書物は177冊出版された。1990年から1995年の間には、わずか27冊しか出版されていない。今月初め、この国のもっとも人気のあるオンライン掲示板「2ちゃんねる」には、713の鬱病に関するスレッドがあった。それは音楽(582)や食べ物(691)をしのぎ、ほとんどロマンス(716)に匹敵するものだった。

鬱病は、悪い言葉から流行語になった。「マスコミではほとんど毎週のように鬱病が取り上げられています」と、日本を代表する鬱病の専門家の1人であり、慶応大学教授でもある精神病医・オノ・ユタカは語る。新聞を片手に彼のオフィスを訪れ、自分が悩んでいるものが鬱病であるかどうか訊きに来た人々もいるらしい。オノは開業してから25年になるが、軽度の鬱病で彼に相談に来る人の数は、ここ4、5年で急増した、と彼は言う。日本のほとんどの罹病統計データは、鬱病を程度で分けていないが、精神保健省(訳注:国立精神保健研究所のことか?)や私が話した著名精神病医たちの見解は、新しい病例の大半は軽度の鬱病で占められている、ということで一致している。そして新しい病例そのものの数が、驚くほど多い。世界中の医療や製薬情報を調査するIMSヘルス社によれば、日本における鬱病関連の診察は、1999年から2003年にかけて、46%増加しているのである。

罹病率が上がるのは、普通、より多くの人が病気になったか、よりよい診断と報告がなされるようになった時である。しかしそのどちらも、日本における軽度の鬱病の増加を十分には説明し得ない。「重度の、入院を要するような鬱病が、本当の病気であることには、疑いの余地はありません」と、精神医学教授であり、ハーバードの人類学部長、かつその分野の決定版ともいうべき「文化と鬱病」の共編者の1人でもある、アーサー・クライマンは言う。「あなたを世界中連れ回すとしましょう。全く異なる条件下にあっても、重度の鬱病患者は、あなたにもすぐ見分けられるでしょう。しかし軽度の鬱病というものは、全く別物なのです。それは、膨大な数の事例に、鬱病というレッテルを貼ることを許してしまうのです。」

軽度の鬱病という概念が日本の人々の心に像を結び始めてきた現状を考えると、以前より多くの人が病気になったのではないかもしれない。ただ単に、彼らは、彼らを悩ませているものを、病気だと定義するようになったのである。軽度の鬱病は伝染しない。しかしそれは、言葉の根本の意味において、伝播可能だとみなすことができる。そして過去5年間、製薬産業とマスコミは、1つの一貫したメッセージを伝播してきたのである?「あなたの苦しみは、病気かもしれませんよ」と。あなたの漏れてる生のエネルギーは、止まらない鼻水のように、薬で良くなるかもしれませんよ。

振り返ってみて、鬱病を最初に経験したのは、大学生の時だったかもしれない、とミタケ・ナオヤは考える。「卒業間近でした。友人はみな日本の企業に就職が決まっていました」と彼は当時を振り返る。「自分にはそんなこと想像もできなかったんですけど、他に何をしていいのかもわかりませんでした。」彼は自分がダメで価値がないように感じられ、自分の将来について何も決断を下すことができなかった。その時には鬱病だったのかもしれないが、「そんな言葉は思いつきもしなかった」と彼は言う。

現在39才になったミタケは、日本の企業社会に完全に背を向け、駒沢大学の比較政治学助教授になった。2001年、彼は長年続く不眠と疲労との闘いについて、医者に相談した。医者は抗鬱薬を処方した?それは不眠症に対するごく普通の治療法だった?が、ミタケの眠りは改善されなかった。(抗鬱薬を服用する人々は、治療効果が現れるまで、異なった錠剤や服用量を試さなければならないことがしばしばある。)その間、ミタケは次第に不安になり、怯え、悲しくなった。彼は最初にもらった抗鬱薬の服用をやめたが、問題は去らなかった。こんどは《極度の鬱病》になったんだなと悟った、と彼は言う。

ミタケはハンサムで、温かい人柄で、はっきりと物を言うことができる。彼は自分の経験について、好奇心と穏やかさが魅力たっぷりに混ざった形で、語ってくれた。彼の描写する感情は、穏やかさとははるかにかけ離れたものだったのだが。「夜中に、この奇妙な、強い不安で目が醒めるんです」と彼は過去を振り返った。「独りじゃとてもいられないんです。怖すぎて。とても講義を受け持てる状態ではありませんでした。」

気分が落ち込んでから3ヵ月後、彼は再び抗鬱薬に助けを求め、かなり気分はよくなったが、まだ完全ではなかった。ほぼ2年の間、彼はいろいろな薬を行ったり来たりし、憂鬱は強まったり弱まったりした。2003年の夏、偶然薬に頼らない独自の療法を発見して、初めて彼の鬱病は消え去った。

アメリカ精神医学協会の精神障害大要である「診断と統計マニュアル」には、鬱病は3つのカテゴリーに分けられる、とある。しかし現実には、すぐれない気分が軽度の鬱病となるはっきりとした境界線があるわけではないし、軽度と重度の鬱病の境も同様である。さらに、軽度の鬱病は、それを経験する当事者には、軽度と感じられないのである。ミタケに彼の心が風邪をひいたと思うか、と訊いた時、彼は笑い、そしてしばし間を置いてから、笑うべきじゃなかった、と言った。「その表現で助けられた人もいるんです。それで人々の鬱病に対する認識が変わって、鬱病について話しやすくなった。」

語らないことで有名な国にあって、それはけっして小さからぬ功績である。鬱病について語ることは、鬱病治療の1つの効果的な方法であるから、それはなおさらである。しかし日本では、カウンセリングは今でも稀である。著作や講演で、オノ・ユタカは、自らの鬱病について専門家と語り合うことを人々に勧めてきたが、対話療法は、投薬よりはるかに普及が遅れている、と彼は言う。今現在の語られ方に限界があるのも事実である。例えばミタケは、「心の風邪」という表現をけっして使わない。「ある種の人にとっては、鬱病は風邪のようなものかもしれません」と彼は言う。「そうだとしたら、その人たちの風邪は私の風邪よりよっぽど症状が重いんでしょう。それか、私の鬱病がその人たちの鬱病よりずっと重いのか。」

日本の歴史1500年間にわたって、仏教は悲しみの受容を説き、幸福の追求を諫めてきた。それは、西洋と東洋の生活態度を根本から区別する。仏教の4つの中心的教訓の第一のものは、苦しみは存在する、というものである。病と死が避けられないものである以上、それに抗うことは苦難を増すだけで、減らすことにはならない。「人生は悲しみである、全てのものは死ぬか終わるかする、と自然は教えてくれます」と、臨床精神科医であり、現在日本の文化庁長官である河合隼雄は言った。「われわれの神話はそれを繰り返します。その後誰かがずっと幸せに暮らしました、めでたしめでたしという話は、日本にはないのです。」日本の芸術や文学にあっては、幸福はほとんど常にはかないものである。「あわれ」と呼ばれるこのほろ苦い美学は、憂鬱を感受性の印であるとして尊ぶのである。

苦しみについてのこうした伝統的な考え方は、なぜ軽度の鬱病が病気とみなされることがなかったかについて、ヒントを与えてくれる。「憂鬱、感じやすさ、壊れやすさ?これらのものは、日本の文脈にあっては、否定的なものではないのです」と、国立精神保健センターに30年務めた精神病医・タカハシ・トオルは説明してくれた。「これらのものを取り除くなどということは、思いも寄らなかったんですね。なぜなら、これらのものが悪いものだなどということが、そもそも思いも寄らなかったからです。」

対照的に、鬱病の医学的モデルは、苦しみを病的ととらえ、錠剤を処方することによって応える。この見解には実用的な要素も含まれている?鬱病を病気と呼べば、健康保険が治療費を出してくれる。

病気化派は、鬱病を病気だと再分類することは、鬱病の持つ負のイメージを軽減することにも役立つ、と論じる。しかしおそらく何よりも重要なのは、製薬産業に、すぐれない気分を「医学的問題」と呼び変え、クラインマンの言う《自責と後悔の薬理学》を作り出すための、金銭的な動機がある、ということである。それは「グローバリゼーションのもっとも強力な一面であり、日本はその最先端に位置する」と、クラインマンは言った。

80年代後半、イーライ・リリー社は、市場調査の結果日本には抗鬱薬の需要がほとんどないとして、プロザックを日本では販売しないことに決めた。90年代を通して、西洋ではプロザックや他の選択的セロトニン再吸収阻害物質(S.S.R.I.)が、化学合成物質から文化現象へと至る奇妙な道を歩んでいた時に、日本ではそれらの薬も病気も同じようにほとんど知られないままだったのである。

それが1999年、日本の明治製菓会社が、S.S.R.I.であるデプロメールを売り始めた。明治製菓は「心の風邪」というフレーズを最初に使い始めた会社の1つであった。翌年、抗鬱薬「パクシル」の製造元であるグラクソ・スミスクライン社が明治製菓の後を追って市場に参入した。グラクソ・スミスクライン社のパクシル担当マネージャーであるナカガワ・コウジは、こう説明した。「日本での抗鬱薬の開発を、他の製薬会社が諦めている時に、われわれが開発を断行した理由は、ごく単純なものでした?アメリカとヨーロッパで、マーケティングが成功していたからです。」

日本では、直接消費者に向かって医薬品の宣伝をするのは違法であるため、同社は軽度の鬱病をターゲットにした認知度アップキャンペーンに頼った。ナカガワの言葉によれば、「自分が病気で苦しんでいるということをみなさん知らなかったんですね。こうした人々に手を差し伸べることは大切なことだ、とわれわれは感じたのです。」そこで同社は3部構成のメッセージを作り上げた。「鬱病は誰もがかかり得る病気である。それは薬で治すことができる。早期発見が重要である。」

ブッシュ政権のように、グラクソ・スミスクライン社は、ここ4年の間このメッセージにたゆむことなく固執し続けた。同社のパクシル宣伝担当の医学スタッフは、選ばれた医師たちを平均週2回訪問する。認知度アップキャンペーンは、一般開業医と一般市民たちに、以下のような鬱病の症状を見極めるようにと説く(原注:訳は同社のものである)?「頭が重く感じられる、眠れない、肩が凝る、背中が痛い、疲れてだるい、食欲がない、興味が湧かない、気分が落ち込む」。

精神病医オノ・ユタカは、鬱病について認知度を高めることには賛成だが、グラクソ・スミスクライン社のマーケティングには、居心地のわるい思いをした。「彼らは、軽度の鬱病に関して、強烈なキャンペーンを張ったんですね。きれいな若い女性がニッコリ笑いながら出てきて、『お医者さんに見てもらって、今は幸せです』って言うんです。鬱病って、そんなに簡単なものじゃないんですよ。そんなに簡単だったら、それは鬱病じゃないかもしれませんね。」

軽度の鬱病の医療対象化について、オノやその他の医師たちがどんな不安を抱こうとも、それは金銭的にめざましい成功を収めてきている。精神病医キタニシ・ケンジの皮肉に満ちた言葉を借りれば、「日本の精神医療は、今バブル経済ですよ。」IMSヘルス社によれば、1998年から2003年の間に、日本における抗鬱薬の売上げは、5倍に増えた。グラクソ・スミスクライン社だけを見ても、パクシルの売上げは、2001年の1億8百万ドルから、2003年には2億9千8百万ドルにまで増えた。同社によれば、昨年同社が打った7ヵ月間にわたる宣伝キャンペーンの期間中、人口が1億2千7百万人の国で、11万人の人が鬱病に関して医師に相談している。

2001年末、そうして医師を訪れた人の中に、ミタケもいた。「いろいろ読んでいましたので、セロトニンだの何だのといった脳の中の化学物質については、知っていました」とミタケは言った。「なのでこう思ったんです。よし、これは化学現象なんだ、だから化学物質で治す必要があるんだ。」実際には、鬱病の病因は誰にも理解できていないし、セロトニンが果たす役割についても、あいまいな点が多い。軽度の鬱病を持つ人にその起源を訊いてみれば、ほとんどの人が生物化学ではなく、身の上話を提供してくれるはずだ。折り合いにくい家族、壊れた恋愛関係、きつい仕事。日本人の精神衛生専門家たちは、この国の鬱病患者数の増加の大きな要因として、一貫してバブル経済の崩壊と、社会構造の変容を挙げる。

鬱病が神経化学的誤作用であるという考え方は、根本的なニワトリかタマゴかの問題を避けて通る。狂った神経化学組成は鬱病を引き起こし得るが、同時に鬱病もあなたの神経化学組成を狂わせ得るのである。同様に、研究結果によれば、脳内の化学組成に変化を及ぼす干渉には、無数の事例が考えられるのである。医薬品、対話療法、運動、祈祷など。ならば、問題は鬱病が生物化学的現象であるかどうか、ではない。それはそうなのだから。思考を構成するという行為もそうだ。ある意味では、悲しみもそうだ。問題は、われわれの脳のいまだ闇に包まれた活動を、病気と理解することによって、われわれは何を得、何を失うのか、ということである。

ミタケが服用していた抗鬱薬の副作用の1つは、体重増加だった。そこで2003年8月、彼は山間の断食道場へ行った。彼は読書でもしようと思っていたのだが、4日目が過ぎてから、「考えることすらできなくなるんです。ただじっと寝ているだけです」と彼は当時を振り返った。断食の終わりの方で、ミタケは温泉に行った。「素っ裸になって、そよ風が吹いて、お日様が照っていました。そしたら、突然気分がよくなったんです」と彼は述懐した。ミタケは、鬱病が治ったのは、断食のおかげだと言う。「しばらく何も考えられなかったから、悪循環が壊れたみたいですね。否定的な心持ちは、全て消し飛んでしまいました。」以来彼の鬱病は再発していない。医師の勧めに従い、先月まで抗鬱薬は服用し続けたが。

ミタケはすぐさま警告を発した。「鬱病を持つ友人たちに、『おお、断食しろよ』なんて言えませんよ。彼らには、いい医者を見つけて、処方されるとおりに薬を飲め、と言うだけです。自分の場合には本当に断食が効いたと信じてますが、それを治療法として人に勧めたりは絶対にしません。」

「白昼の悪魔」の著者であるアンドリュー・ソロモンは、抗鬱薬絶賛派であるが、その彼ですら、各自が良いと信じる治療法こそが最良の治療法である、と究極の結論を導き出している。「もしガンを患っていて、風変わりな治療法を試して、良くなったと思うなら、おそらく間違っている」と彼は書く。「もし鬱病を患っていて、風変わりな治療法を試して、良くなったと思うなら、本当に良くなっているのだ。」しかし鬱病を医療の対象にすることは、医学以外の治療法を信じることを困難にする。苦しむ人々の治療のオプションを拡げる代わりに、精神薬理学のグローバリゼーションは、健康と病についての考え方に関して、究極的に単一作物の種をまいているのかもしれない。

外国における鬱病理解の変容の記事を書くことには、苦悩と異文化を美化してしまう危険が伴っている。しかし何も書かないことは、すでに日本にはっきりと見て取れるある種の沈黙に貢献することである。「自由に質問を発することを困難にするような、このほとんど眼に見えないプレッシャーが、存在します」と、日本の精神衛生ホットライン創設者の1人であるサイトウは指摘した。「医療対象化というのがいい傾向なのかどうか、疑いを発している自分がいます。しかし自分は医療制度から何らかの援助を受けなければならない立場にいるわけですから、ふだんはそういう発言はしませんね。」

トーマス・ハーディーはかつてこう指摘した。「われわれが科学から得るものは、結局のところ、悲しみだ。」彼の言いたかったのは、自然について学べば学ぶほど、自然はより残酷になり、個々の経験の持つ意味も薄れてくる、ということだった。彼がそう書いてからの1世紀の間に、テクノロジーは驚愕すべき進歩を遂げたわけだが、科学を、人間であることの意味を理解するためのそれ以外の道と調和させる方法を見出すことにかけては、われわれは大した進歩を遂げていない。今では、悲しみまでもが失われようとしている。

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