ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

昭和歌謡愛聴協会コミュの阿久悠氏死去〜また一人「昭和の作り手」が〜

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
70年代以降、日本の歌謡界をリードしてきた大ヒットメーカー・作詞家の「阿久悠」氏が亡くなった。

氏の作詞した曲は約5000曲あるらしいが、ヒット曲の数も半端じゃないだろう。
「北の宿」「津軽海峡冬景色」「舟唄」などの演歌から、一世を風靡した沢田研二、ピンクレディー、山本リンダなどのポップス系、「ピンポンパン」や「宇宙戦艦ヤマト」などの子ども向けまで、ありとあらゆるジャンルを手掛けていた。
一時期、「ベスト10」のすべての曲が阿久悠作詞といってもいい位、絶頂を極めた時期もあったほどだ。

自分が特に印象深いのが「勝手にしやがれ」「時の過ぎ行くままに」「サムライ」などの名画のタイトルを連想させる沢田研二ものと「ペッパー警部」「UFO」「モンスター」などのハリウッド映画的ピンクレディーものを聞きながら、「あぁこの人はかなりの映画好きなんだな。」と感じたことだ。

元々氏が映画を志していたというのは後から知ったのだが、演歌の「北の宿」「津軽海峡冬景色」「舟唄」などもまるで映画を観ているようなドラマチックな詞の内容だった。おそらく映画のシナリオを書いているつもりで歌詞を書いていたのではないだろうか?
面白いことに「舟唄」にインスピレーションを得た「倉本聡」が脚本を書き「駅」という映画になったということもあった。

阿久悠ほど詞から映像が浮かぶ「映像派の作詞家」はいないのではないだろうか?またひとり「昭和の作り手」がいなくなってしまった。

氏の作品で一番好きな作品をひとつ挙げるとしたら「ヤマト」のエンディングテーマ「真っ赤なスカーフ」を挙げたい。

真っ赤なスカーフ
 
作詞:阿久 悠 作曲:宮川 泰
 
あの娘が振っていた 真っ赤なスカーフ
誰の為だと思っているか?
誰の為でもいいじゃないか みんなその気でいればいい
旅立つ漢の胸には 浪漫の欠片が欲しいのさ
ララ 真っ赤なスカーフ
 
必ず帰るから 真っ赤なスカーフ
きっとその日も迎えておくれ
今は遙々宇宙の果て 夢を見るのも星の中
旅する漢の瞳は 浪漫を何時でも映したい
ララ 真っ赤なスカーフ


ご冥福をお祈りします。

コメント(2)

ホント残念ですね!

正直、青春時代と言うよりも、
少年時代にテレビから聴こえるヒット曲は、
いつも阿久悠氏の作品だった。

ピンクレディー・沢田研二・都はるみ、、、

みんなで歌謡曲を楽しんだいい時代でした。
本当に偉大な人だったのだと、亡くなってから知りました。
もうこんな人は現れない時代になってしまったんだなぁと思うと、少しさびしいですね。

ピンクレディはいまだにカラオケでも歌って踊っちゃうほど、歌も踊りも鮮明に覚えています。これからも歌い継いでいきたいですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

昭和歌謡愛聴協会 更新情報

昭和歌謡愛聴協会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング