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OBK大阪のおばちゃんの会コミュのOBK 事前勉強会 1-9 小学校英語活動の目標とは?

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OBK事前勉強会課題 1-9

文科省の言う「小学校外国語活動の目標」とは何か、また、あなた自身はそれについてどう思いますか?

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参考資料

兵庫教育文化研究所 発行
子どもと教育 No.134
「外国語活動からことば活動へ」大津由起雄先生 より引用
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小学校の外国語活動の目標
 
 基礎知識3として、外国語活動の目標について考えましょう。小学校の外国語活動の目標は、先ほど触れたように「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」を育成するというものです。しかし、学習指導要領を読んでいただくと分かるように、同時に「外国語の音声やリズムなどに慣れ親しむととTに、日本語との違いを知り、言葉の面白さや豊かさに気付くこと」ということが書いてあって、この点は非常に重要なのです。

 これまでの学習指導要領の中で、「言葉」とか、「言葉の面白さや豊かさに気付く」といった表現はわたくしが知っている限りは使われたことがなくて、そういう意味では小学校の外国語活動のあり方を考えるときに、ここの所は将来に向かって非常に重要な展開になるのではないかと思っています。
 小学校での英語をどのように位置付けるかという時に、その議論の中で「スキル派」と「コミュニケーション派」の鬩ぎ合いがありました。「スキル派」というのは英語教育の目的・目標として英語の運用能力の育成を前面に出す考えの人たちを指します。

 文科省は、現実的にみて、中学校の英語の前倒しは不可能であると考えました。「現実的にみて」というのは、<実際に教える方々の知識とか技術を考えて>ということもあるし、教科書の作成とか、そもそも中学校以降の学校英語教育とどのように連携するのか、どうやって関連づけるのかということをきちんと議論して詰める時間的な余裕もないということで、現実的には不可能と踏んだということです。<それなら、やめてしまえばいいのではないか>と思うかもしれませんが、しかし「英語」という二文字は、経済界とか、教育産業とか、大学英語教育会、そして国民の、「国民」といっても十分な情報を与えられないまま判断している国民ですけれども、これらの観点か外すわけにはいかない。

 いま、「大学英語教育界」と言いました。<小学校英語の話をしているのに大学英語教育界というのがどう関わるのか>と不思議に思われるかもしれませんが、小学校で英語が教科化されるとか、教科化されないまでも今回のように必修化されるということになると、小学校での英語教育や英語活動を担当する教員を養成する必要がでてきます。教科化されたら確実でし、教科化されていなくても何らかの形で英語活動を指導できる教員を養成する必要が出てくるのです。教育の養成は現状では実質的に大学が行っていますから、そこでそういう教員を養成するための大学の教員が必要になってくるのです。誰が担当するかというと、英語教育の教員に対する需要は、外部機関の減少とかいう理由でだんだん小さくなってきています。そこで、小学校での英語を何らかの形で教える教員を養成する教員の需要が増すことはとても重要な意味を持つのです。こういうしたたかな計算も一部にはあり、小学校英語の問題を考える際にはきちんと承知しておく必要があります。
 もう一回スキル派とコミュニケーション派の鬩ぎ合いという話に戻りますと、そこで重要なのが、直山木綿子教科調査官と、以前岐阜大学におられて、現在は岐阜県の教育長をされている松川禮子さんのおふたりです。このふたりが<小学校英語というのは新たな教室文化の創出を目的とするものだ>ということを主張したのです。

 松川=直山組は、英語活動を主導するのはあくまでも学級担任であるが、担任が必ずしも英語ができる必要なないのだというのです。担任は学習者のモデルとなればいいのだ。つまり、子どもたちと一緒になって、英語のできない子どもと英語のできない先生が一緒に外国語である英語に取り組む。両者とも学習者ですね。そのときの学習者のモデルとして学級担任が重要な役割を果たすのだという議論を展開しました。

 これはなかなか聞こえのよい議論です。「学習者のモデル」、なんだかかっこいいでしょ?しかし、ちょっと考えてみればすぐ分かるように、担任=学習者が学習上の問題に直面することは間違いありません。そのときに誰が支援をするのか。別のことばを使えば、「フィードバック」と言うのですけども、学習者のモデルとしての担任に対してだれがフィードバックを与えるのかという問題ですよね。その問題に対するきちんとした解答がないことが決定的な欠陥です。
 まあ安直な答えとしてはALTなのでしょうね。<アシスタント・ラングウィッジ・ティーチャー>という、彼ら彼女らのことです。あるいは、地域で英語に堪能な人を採用して、その人たちがやるのだという答えもあるかもしれません。でも、これも是非覚えておいて欲しいのですが、その言語に堪能であるからとか、との言語を母語とするということだけで、その言語の先生になれるかというとそうではないのです。

 この点を理解するには、世の中が変わって日本語が「国際共通語」になり、どこかの国の小学校で日本語活動をするうようになったときのことを考えるとよいと思います。そのとき、<日本語はあなたの母語なんだから教えてください>と言われたって、そうは簡単にはいかないのです。教えるためにはちゃんと教えるための知識も必要だし、技術も必要なのです。「むかしむかし、おじいさんとおばあさんがおりました」というのは自然ですが、「むかしむかし、おじいさんとおばあさんはおりました」というとすわりが悪い。日本語が母語ならそのことはわかるのですが、日本語を教えるためには「は」を使うとなぜすわりが悪くなるのか説明できないといけませんよね。

 全く同じことが英語の場合にもあてはまります。地域にいる外国人、英語を母語とする人、英語に堪能な人に<あなたは英語が使えるのだから是非教えてください>、<あなたはずいぶん長く英語圏にいたのですから英語を教えてください>と言って教室へ出向いてもらっても、そうはうまくいかないのです。うまくいかないどころか、完全に失敗してしまうケースだってけっこうある。そんな問題があるにもかかわらず、松川=直山組の議論は非常に影響力が強く、文科省の再終案が「コミュニケーション能力の素地の育成」というところに落ち着いていったのは、その議論が背景になったことも併せて覚えておいてください。

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