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『新』楽座組コミュのコピペ

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一人でいる時に読むと泣けます
一人でいる時に読むと癒されます

ただ、全部コピペです

コメント(7)

糖尿病を患ってて目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。

思えば小さい頃の記憶はほとんど、ばあちゃんと一緒に居た気がする。
一緒に買い物行ったり散歩したり。

だけどばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でも分かっていた。

高校に入ると友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行く事が少なくなっていた。

たまに行くと

『さぁちゃんかい?』

と弱々しい声で反応してた。
もう声だけじゃ私だって分からなくなっていた。

『そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こっかー?』

手を取って散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばあちゃんは歩けなくなっていた。

それからあまりばあちゃんの家に行く事はなくなっていた。

しばらくして母さんから

『ばあちゃんがボケちゃったよ』

と聞いた。

誰が誰だか分からないんだって。
私の事も分からなくなってるらしい。
なんとなく覚悟は出来ていた。けれど悲しかった。

それから

半年くらい過ぎた頃。
ばあちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣く事もなくお通夜、お葬式が終わった。

お葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。

叔父はばあちゃんと最後まで暮らしていた人だ。

『タンスの中にな、≪さぁちゃんの≫っていう封筒が入ってたんだよ』

そう言って私に封筒を手渡した。

ばあちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。

中身は通帳だった。私名義の。

20万円ほどの預金が入っていた。

働いてないばあちゃんがこつこつ貯めたお金。

そういえば昔ばあちゃんが話していた。

『さぁちゃんが結婚する時の為にばあちゃん頑張ってるからね

だから、ばあちゃんにも孫抱かせてね』

その夜、初めて泣いた。

ばあちゃん。

あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。

孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。
川の堤防ぞいで夕方
子供が一人で歩いてて、いきなり立ち止まった
そんでいきなり川の方に向かって
「おかあさーん!」
って叫んだ
なんか一瞬でぎゅうって胸が痛くなって
子供はおかあさぁん、って何度も叫び続けてるし
うわぁやめてこれどうしたらいいの泣いたらいいの
喪女は子供に声かけていいの誰か!とか思ってたら
凄い遠くから「なーにー?」

川向こうのマンションのベランダから手を振る女性orz

子「おかあさーん!きょうのばんごはんなにー?」
母「今日はー、カレー!」(聞こえ難い)
子「おれダッシュで帰るからなー!」

子供はカレーカレー歌いながら走ってった
喪女の後ろの高校生も、「おかんおらん子かと思った」
「嫌がらんかったら肉まんでも買ったろおもてたのに」
「すげー悲しかったのに」「畜生」「おかんおってよかった」
とブツクサ言いながら笑ってた

> 局長さん

確かに子供が急に『おかぁさ〜ん』って叫び出したらこんな気持ちになるやろなぁウッシッシ

その女性が14才の頃の話です。女性は生まれつき目が見えません。
彼女はその不幸を産んだ母親にいつも恨みとしてぶつけ責めつづけていました。
ある夜に母親が
『ごめんね』
と言いながら一人ですすり泣いているのを聞いてしまいました。この時に彼女は気付きます。
『目の見えない子供を産もうなんて思う親はいるはずない。それなのにお母さんに対して自分はなんてひどい事を言ってきたのだろう』という事に。
それから彼女は自分の人生をもう一度見つめなおそうと心から改心します。
その頃彼女はある作家に出会いました。
その作家が彼女に

『もし願いが叶うならあなたはどんな願いを神様に伝えますか?』
『もし願いが叶うなら1時間でもいい、私の目を見える様にしてほしい。1時間がダメだったら10分でもいい。10秒でもいい。目が見えるようになりたい。』

『あなたは目が見えたら何を見るの?』

『私はお母さんのひざの上に頭をのせて、目が見えるあいだずっと、お母さんの顔をずっと眺めていたい』


女性スタッフは涙を終わりの合図にしました。
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。

親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。

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