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好きな監督で洋画◆海外映画観るコミュの◆ヌーべルヴァーグ他フランス旧作系…ゴダール/トリフォー他 仏映画 …◆クラシック系◆

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◆ヌーヴェルヴァーグ(前史&外伝含む)他、フランス映画周辺旧作系…

◆ジャン・リュック・ゴダール◆フランソワ・トリフォー◆アラン・レネ◆クロード・シャブロル◆ルイ・マル
◆ジャン・ルノワール◆ジュリアン・デュヴィヴィエ(デュビビエ)◆アンリ・ジョルジュ・クルーゾー◆フィリップ・ド・ブロカ
◆ジャン・コクトー◆ジャン・ピエール・メルヴィル◆ルイス・ブニュエル◆ロジェ・ヴァディム
◆ルネ・クレ−ル◆ルネ・クレマン◆マルセル・カルネ◆ジャック・タチ◆ロベール・ブレッソン◆ジャック・ベッケル
◆ジャック・ドゥミ◆ロベール・アンリコ◆クロード・ルルーシュ◆エリック・ロメール◆ロマン・ポランスキー etc.

■【各リンク等は近日設置予定です】
掲げた監督達は「何本も名作・話題作アリ」という点を優先し掲載した【一例】です。
これら以外の【トピック分類に沿った監督】に関しても〜どんどんお書きくださいませ。

Mixi減少の実情を踏まえ、監督別コミュで書き難い人もココではお気軽にどうぞ。
(節度や冷静さ・客観性等は希望します。荒れた場合は当方で判断。)
基本ネタバレ無しで。あらすじ程度はOKです。別途ネタバレ・コーナー近日予定

コメント(54)

◆ジャン・リュック・ゴダール と ヌーヴェル・ヴァーグ 【2】

ゴダール作品自体に関しては、先ほどママデュークさんも挙げて頂いてましたし、
後にも皆さんご自由に挙げられるでしょうから、私は一般論と少し私見のみ。

代表作とされるのは〜まず先にも挙げた「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」。

ゴダール作品を何本も見られた人は「女と男のいる舗道」辺り好きな人多いかも。
アイデアのユニークさでは「女は女である」や、設定のSF「アルファヴィル」、
そして、フランスの人気セクシー女優ブリジット・バルドー出演の「軽蔑」、
初期の終わりを感じる「彼女について私が知っている二、三の事柄」、
といった辺りから〜通常まずは挙げられる事が多いかもな〜とは思います。

私個人はゴダール好きかと言われたら〜正直「好き」って言葉は当て嵌まらないです。
私にとってのゴダールは、ビートニク派詩人のアレン・ギンズバーグ的な存在。
作品自体「好きなもの挙げよ」と言われたら…「ないです」と答えるしかないけど、
「貴方にとって意味は無いのか?」と言われたら…「読めば意義に触発される」。


最後に、「はじめてゴダール作品に触れる人へのオススメ」を挙げるなら…
ゴダールはアクが強いので、有名な「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は〜
「大好き」な人も居れば、「死ぬ程キライ」な人もいるかも、と言っておきます。
そしてこれらで〜「フランス映画は嫌い」と決め付けたりしないでとは願います。

フランス映画のオシャレさを求める派には〜「女は女である」、
ちょっと考える映画にトライしてみたい人は〜「女と男のいる舗道」、
そして人気の高かった60年代までの彼の作品中〜
ちょうどイメージ的にビギナー入り易いかなぁ、と思うのは〜「男性・女性」です。

(P.S./ゴダール手間取って長くなっちゃい、トリフォー今日はムリ。すいません〜)
【ヌーヴェル・ヴァーグ系をタイプ別で細分化】

眠れないので、極めてドライに細分化してみます。「トピTOPに挙げた人達から」という限定で。

まずカイエ・デュ・シネマ派…ゴダール、トリフォー、ロメール、シャブロル。

そしてルイ・マル、アラン・レネ辺りは〜ちゃんと映画制作学校や現場で学んでた派。

ロベール・アンリコやクロード・ルルーシュは、やや〜ヌーヴェル・ヴァーグに「乗った」派?

微妙なの位置なのが、フィリップ・ド・ブロカ。彼は映画制作現場に元々居た人物で、
カイエ・デュ・シネマ派の助監督=つまりプロとして映画現場まとめた側なので〜
カイエ・デュ・シネマ派と近い位置に居るし交流もあったけど、
「もろヌーヴェル・ヴァーグ」と言えるかは微妙な作風。(個人的にはむしろ好き)

あと、イメージ的にはヌーヴェル・ヴァーグかも知れないけど…実は元々居ました派(笑)なのが〜
ルネ・クレマン(太陽がいっぱい)やジャン・ピエール・メルヴィル(恐るべき子供たち)。

そして同様に元々居て、ヌーヴェル・ヴァーグのエロ文芸部門役で便乗気味だったのが〜
ルイス・ブニュエル(昼顔)にロジェ・ヴァディム(危険な関係/バーバレラ)。

(*あくまで私的見解で深夜に半分眠りながら書きましたので許してくださいね〜)
(先のに追加)
やっぱ半分眠ってました。すいません、挙げ漏れを追加。

Myフェイヴァリットのジャック・ドゥミ…ルイ・マル、アラン・レネ辺りが妥当かも知れません。

そしてオマケで、
ヌーヴェル・ヴァーグに影響された「外伝」としてポーランドのロマン・ポランスキー。
ルイス・ブニュエルは面白い監督ですね。蓮実はメキシコ時代のブニュエル作品を評価していますが、観る機会が限られているし、メキシコ時代の作品も何作品か観た事があるのですが、それほど面白くなかった記憶があります。
ボク的には、ブニュエルは「昼顔」「ブルジョワジーの密かな愉しみ」「欲望の曖昧な対象」など晩年の作品がとても面白いです。「昼顔」は若い男の殺し屋が靴を脱ぐと靴下に穴が開いている演出・「ブルジョワジーの密かな愉しみ」は「血まみれ巡査部長の日」・「欲望の曖昧な対象」はSEXをしようとして暗闇で服を脱がせようとしたら女がヒモがいっぱいついたガードルを着ていてヒモがナカナカほどけないという演出なんかが印象に残っています。
ブニュエルはシュールすぎて訳が分らないという人も多いのではないかとボクは思いますが、ボクはそのシュールさが大好きです。
それでは失礼致します。
ブニュエルは多分、意図的に自分を「シュールな監督であれ」としていたような気が私はします。
それはやはり、映画の世界のきっかけがあのダリと組んだ「アンダルシアの犬」なので〜
“皆の期待に応える為にも”的というか。

ここから「あくまで私的意見」です。「杉本彩と黒木瞳、どっちがエロいか?」みたいな話です(笑
一番私が感じるのは〜やはり「昼顔」「哀しみのトリスターナ」に於ける美貌ドヌーヴを使っての…
“妄想エロ・精神サドde文芸?”という辺り。
私の趣味嗜好では絶対ダリ派なので、ブニュエル/ヴァディム辺りのは…
「みなさん見たいでしょ?こういうの」的サービスに感じてしまいます。話題にはなるとは思います。
日本映画にもよくある「結局文芸エロ?」みたいなのに通じるオヤジ破滅性願望みたいな…。
これら芸術かどうか個人的にはワカンナイです。笑って「そふとサド気分」プチ楽しむ物かな、と。

My趣味では〜トリフォーの脚フェチやド・ブロカの浮遊女性キャラ、デュミの人形化が好みです。
これら、あくまで完全私的観点、個人の趣味の問題、です。
トピ見てる皆さんに一応改めてふれておいた方がいい事思い出しました。

●私が<コメント6>で挙げました「ピクニック」という作品は、ジャン・ルノワール監督作の他にも〜同名タイトルのウィリアム・ホールデン/キム・ノヴァック出演の「ピクニック」もありますが、それとは違う作品です!
(そちらも結構人気作ですが。内容も恋愛物なのでちょっと被りますが。)
ゴダールの映画だけは何遍見てもわかりません。
そのほかの、いわゆる「難解映画監督」は、ブニュエル、リンチ、デレク・ジャーマン、グリーナウェイ、コクトー、タルコフスキー、アンゲロプロス、ソクーロフなど、皆、観客にはわかりにくい「何か」にこだわってる結果、難解となる気がするのですが(つまり集中型)ゴダールだけは、何に、何故こだわっているのかわからない(分散型)つまり映画の傾向がバラバラなのですね。
「勝手にしやがれ」「気違いピエロ」「ワン・プラス・ワン」「ウィークエンド」「東風」これらの映画に何の共通点があるというのでしょう?
さっぱりわかりません
【ゴダールとトリフォー、その映画観と、評価のされ方タイプの差異】

ゴダール評価はホントに意見が分かれますね。多分それはゴダール・ファンも充分ご存知の筈。
私みたいに〜「特に好きな作品ナイけど、意義として大きいのは認める」なんて人も意外と多い。

そして1番近くて1番リアルなのは…かつては同志だったトリフォーと袂を別つ事となった映画観。
多分ゴダールにとっては「映画は手段」、そしてトリフォーにとっては…「映画は人生そのもの」。

前に挙げたように、ゴダールの映画動機が…「その一瞬の切り口」「思想・実験・破壊」としたら〜
トリフォーは…独自で新鮮ながらも〜やはり「構築の人」だった事は、その後の歩みでも明らか。
スタート地点は同じでも、10年後には既に全く異なる展開を見せて行った両者の流れは〜
その評価のされ方のタイプでも、人それぞれの好みにより差異は当然大きく生じると思います。

(次あたり、そろそろ私なりのトリフォーについて書いてみたいと思います。書くの難かしそう〜)
(トリフォーに関し書くつもりでしたが〜その前に往年フランス監督達の代表作軽く挙げます♪)

揺れるハート【ヌーヴェルヴァーグ以前から活躍の監督】

◆ジャン・ルノワールカチンコ大いなる幻影/ゲームの規則/フレンチ・カンカン
◆ルネ・クレ−ルカチンコ巴里祭/自由を我等に/巴里の屋根の下
◆ジュリアン・デュヴィヴィエカチンコ望郷/舞踏会の手帖/アンナ・カレニナ
◆マルセル・カルネカチンコ天井桟敷の人々/嘆きのテレーズ/北ホテル
◆アンリ・ジョルジュ・クルーゾーカチンコ恐怖の報酬/悪魔のような女/情婦マノン
◆ジャン・コクトーカチンコオルフェ/美女と野獣/恐るべき子供たち(監督はメルヴィル)

◆ジャン・ピエール・メルヴィルカチンコ恐るべき子供たち/いぬ/仁義/サムライ
◆ジャック・ベッケルカチンコ穴/現金に手を出すな/モンパルナスの灯
◆ロベール・ブレッソンカチンコジャンヌ・ダルク裁判/スリ/ラルジャン
◆ルイス・ブニュエルカチンコ昼顔/アンダルシアの犬/欲望のあいまいな対象
◆ロジェ・ヴァディムカチンコ素直な悪女/危険な関係/バーバレラ
◆ルネ・クレマンカチンコ太陽がいっぱい/禁じられた遊び/パリは燃えているか
◆ジャック・タチカチンコぼくの伯父さん/プレイタイム/トラフィック


ハート達(複数ハート)【ヌーヴェルヴァーグ時期(1950年代後期)からの監督】+オマケ1

◆ジャン・リュック・ゴダールカチンコ勝手にしやがれ/気狂いピエロ/女と男のいる舗道
◆フランソワ・トリフォーカチンコ突然炎のごとく/終電車/アメリカの夜/華氏451
◆クロード・シャブロルカチンコいとこ同志/二重の鍵/気のいい女たち
◆エリック・ロメールカチンコ獅子座/海辺のポーリーヌ/クレールの膝

◆ルイ・マルカチンコ死刑台のエレベーター/鬼火/さよなら子供たち/地下鉄のザジ
◆アラン・レネカチンコ去年マリエンバートで/二十四時間の情事/戦争は終った
◆フィリップ・ド・ブロカカチンコリオの男/まぼろしの市街戦/陽だまりの庭で
◆ジャック・ドゥミカチンコロシュフォールの恋人たち/シェルブールの雨傘/ローラ
◆ロベール・アンリコカチンコ冒険者たち/オー!/若草の萌えるころ/追想
◆クロード・ルルーシュカチンコ男と女/白い恋人たち/愛と哀しみのボレロ

◆ロマン・ポランスキーカチンコ水の中のナイフ/反撥/袋小路/赤い航路(当トピ的Pick-up)

*トピック冒頭掲載監督の代表作(必ずしもこの限りでは当然ないですが)を挙げてみました。
お好きな監督・作品等、これご覧になられて何か思い浮かべられましたらご自由にコメント下さいませ♪
ゴダールは<方法論>とか<切り口>の人だと思うので、映画構造を分析したりしたい派には格好の<生きた教材>かも知れませんね。計算式とかも似合いそうかも。実際、テロップとか確か入れてたりもした気がします。確か「男性・女性」あたりはあったかな?

私個人がぶっちゃけ<メチャ好きな往年フランスもの>は、最近では…
コクトー「オルフェ」、ジャック・ドゥミ「ロシュフォールの恋人たち」、アンリコ「冒険者たち」、
そして時期はかなり後になりますが〜トリフォー「終電車」、究極趣味ではこんな辺りかも。
ゴダールは昔”気狂いピエロ”を見たとき、意味不明だったけど、
最近見直したら普通におもしろかったですね。

そもそも、映画の中になにかメッセージがあって、それをくみ取らなければならない
んじゃないかと思うから意味不明なわけで、ふつうにぼおっと見てると
めちゃくちゃ面白いのがゴダールですね。

ゴダール自身ハリウッドのB級犯罪映画に影響を受けてるし、
(アルファヴィるなんかもろにサミュエル・フラーの”東京暗黒街竹の家”だし。)
淀川さんが言うとおり、花火みたいなものですね。

●「男性・女性」  ジャン・リュック・ゴダール監督作

私がコメント15で書いた…<60年代までの彼の作品中〜イメージ的にビギナー入り易いかなと思う>と書いた〜1966年作「男性・女性」の…Youtube予告編が出てきたので下記に貼ります。ついでに軽く説明。

予告編は曲が超POPですが、映画全編そうだという訳では勿論全然ナイですが〜
そうしたPOPな要素や「恋愛も主軸のひとつ」という面では入り易いかと思うのと、
このすぐ後の時期からゴダールが社会的思想全開する前兆が明らかに大きく現れてるという〜
<様々な要素が作品に同居>という意味で本作を挙げてみたのです。決してコレが代表作とか言いませんので、ご理解を。

主演はトリフォー映画の分身としても有名なハンサムなジャン・ピエール・レオー。
ヒロインはシャンソン〜アイドル歌手の可愛いシャンタル・ゴヤ。有名なフランス・ギャル的。
もう一人のアイドル〜ブリジット・バルドーもこの映画一部に唐突に出てくるのでお見逃しなく。
音楽はフランシス・レイ。編集がとてもユニークで、全体構成もインタビュー的パートやエピソードが散りばめられるなど〜人気作「女と男のいる舗道」にもやや通じるかも知れません。


http://www.youtube.com/watch?v=53KROTcwf-Y
●「恐怖の報酬」 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督作

これはMyかなりのお気に入り作品です。
一般的フランス映画のイメージとは異なるかもしれない〜異国での焦燥感とサスペンスの傑作。
クルーゾー監督は本作や「悪魔のような女」で、<フランスのヒッチコック>と形容されました。
本作は多分…米国巨匠ジョン・ヒューストンの「黄金」に影響受けていると私は感じました。

「黄金」では金山だったのに対し、フランスの人気者イブ・モンタンが〜本作では「油田」に絡み、
様々な局面を迎える作品。これは非常に評価も高い作品で、名作の名に恥じないと私も思います。

一見、関係ありませんが…「スーパー・マリオ」や「マリオ・ブラザース」好きはマストかも♪
(写真参照)
70年代にアメリカのウィリアム・フリードキン監督(エクソシスト、フレンチ・コネクションetc)により〜リメイクもされています。
●ジャック・ベッケル

「肉体の冠」

フレンチ・フィルム・ノワールの始祖と呼ばれる作品。
冒頭シモーヌ・シニョレが輝く湖から森の料亭へ入っていくと、そこでは悪党たちのパーティーが行われていた。
まずこの画面でこの映画に出てくる殆んどの俳優が一堂に会している。シニョレの恋人となるセルジュ・レジアニ、シニョレの愛人ウィレム・サバティエール、一同の首領にしてレジアニのライバル、クロード・ドーファン、レジアニの親友レイモン・ビュシエール、組織のナンバー2ガストン・モド等、それぞれがそれぞれの形でファム・ファタール、シニョレを恋しあるいは劣情を抱き、所有しようとするがあるいは彼女のために破滅し、あるいは逃亡する。
そして、さいごに生き残ったレジアニがドーファンを追い詰め(この追う過程で、すれ違った2人の屑屋のくちずさんでいたシャンソン「サクランボの実る頃」がバックミュージックとなって、二人の対決まで続いていくのが印象的)そしてレジアニがついにドーファンを追い詰めて射殺するところでシャンソンが終わる。
ラストシーン、彼らのファム・ファタールであったシニョレの涙が一筋、その頬を伝って流れその顔がアップのまま光り輝く画面にディゾルヴする。
その演出や見事。
ヌーヴェル・ヴァーグはもちろんジャン・ルノワール、ロベール・ブレッソン、ジャン・コクトーを神としてる。

私にとっても神ですな。

ゴダールは良いよ。好き嫌いで云ったら好きよ。

ちょっと簡単にまとめると、初期のモノクロなら『はなればなれに』、カラーなら『女は女である』、ジガ・ヴェルトフ集団になってからは『東風』、商業映画にもどって、『勝手に逃げろ人生』、80年代安定期なら、『ゴダールのマリア』、90年代の『ヌーヴェル・ヴァーグ』、21世紀で『愛の世紀』、そして最近作の『アワーミュージック』。

とりあえず、ゴダール入門としてはこれだけをがんばって観ましょう。

有名な作品は初期に集中するので、それでは初期のゴダールしか分かりません。
また、超有名な作品には余計な情報も付きまとうので、避けましょう。
これだけ観て、面白くなかったら、バイバイ・ゴダールです。

ルネ・クレマンについて

ヌーヴェル・ヴァーグ的には微妙な立場にいたこの監督。

元々はジャン・コクトーとの同性愛的な交友から映画界にやって来たとか、そういう噂がある。

トリュフォーはジャン・オーランシュ、ピエール・ボストの脚本家コンビの映画を、監督の映画ではなく、脚本家の映画であり、さらに映画ではなく、文学の下に従属するようなモノとして、徹底的に批判した。

だから、コクトーとの関係で、ヌーヴェル・ヴァーグ側に近いハズのルネ・クレマン監督も、『禁じられた遊び』とか『居酒屋』とかトリュフォーに批判される。

なんだけれど!!

現在、トユフォーに否定された監督の作品を観ると、見応えたっぷりで、圧倒される作品が多い。

中でも、ルネ・クレマンは『太陽がいっぱい』のような、まるでヌーヴェル・ヴァーグのような映画も撮ってしまう。

撮影監督にアンリ・ドカを使用したり、脚本がポール・ジェゴフだったり。


昔、なんかのシンポジウムにルネ・クレマンが来て、映画と音楽について語っていて、とても面白かった。たしか柳町光男監督もいて、ディスカッションになっていたと記憶するが、20年以上も昔の話。






tin様

ゴダールは多分、「問いかけ系」なんだと思います。

「何でなんだろう?」って映画を作っている人。

まあ、だから、永遠に「実験映画」になっちゃうんじゃないですか?

単なる思いつきの山カンですけれど(笑)

昔、大島渚のゴダール論が「うわ!! 凄い!! そうか!!」
って思ったけれど、内容忘れてしまった(笑)

日本の映画ファンで、トリュフォーを嫌いな人はあまりいないと思う。

僕は大好きな、とても大切な監督のひとりです。

フランスでは、晩年のトリュフォーは通俗映画に堕落したとか、批判される事も多いらしい。

例えば、『終電車』とかが特に。

日本の場合は、そもそも娯楽と芸術を一応線引きはするけれど、両方愉しみましょう、と云う国民性があるような気がします。

古いキネ旬のベストは娯楽と芸術にわけているし、文学でも「直木賞、芥川賞」とか「山本賞、三島賞」とか、娯楽と芸術にわけてそれぞれ愉しもうとする。

そんな事はあまり海外ではやらない、と誰かが言ってました。


しかし、元々トリュフォーに前衛芸術的なところはありませんよね。

『大人は判かってくれない』だって、『突然炎のごとく』だって、ローケション撮影の生々しい演出が新鮮ではあったのかもしれないけれど、誰にでも判る、普遍的なドラマだし、語り口は相当な達者ぶりです。

てか、『ピアニストを撃て』があるでしょ。

そもそも、トリュフォー達は、ヒッチコックやホークスと云った、職人扱いされて評価の引くい監督を引き上げようとしたのであって、芸術映画を目指したわけではない。

ヌーヴェルヴァーグと云う時に、必ず、『去年マリエンバートで』が出てきちゃうから、芸術映画と勘違いしている人が多い。
(アラン・レネ批判でありません。絶対に違うので誤解しないで下さい)

トリュフォーはルノワールやルイ・マルのように、ハリウッドで映画を撮りませんでした。

トリュフォーは英語が全然ダメだったらしいですね。

あまり面白くない長文失礼します。
>32 ギロチン様

「問いかけ系」ですか。うむむ。。。。。

私が「わからない」と思ってるのは、「問いかけ系」なら、もうちょっと集中的になるんじゃないですかね?
アンゲロプロスなら「ギリシァとは何か?」だし、コクトーなら「詩とはなにか?」だし、リンチなら「物語とは何か?」グリーナウェイなら「映画とは何か?」で、こだわりすぎてわからなくなる、というなら納得するんですがね?
ゴダールは作品ごとに「問いかけ」るものが違うんですかね?
ある種の自閉症児のように、常に、「目の前にあるものが謎」という状態なのですかね?それだったら納得するんですが。。。。。
tin様

しかし、その良く分からないゴダールがフランスの大学で映画の講義とかしているんだと思いますよ。多分(笑)。

僕は好きなんですけれど、上手に説明出来ないですね。

山田宏一氏の著作を読むと、「普通に面白いんじゃないだろうか」って錯覚を起こすぐらい「面白そう」に書いてますね。


全然関係ないけれど、ゴダールがインタヴュアーになって、ブレッソンと話している記事を読んだことがあるけれど、案外、ゴダールは普通の事を発言してて、何だか、面白かったです。

こだわり過ぎるブレッソンに、「もう少し柔軟に考えてもいいんじゃないかな?」的なスタンス。

だから、「実験映画」で、「これを、やったら、こうなった」みたいな感じじゃないかな?

NHKの「ピタゴラ・スイッチ」みたいな物。
(科学の実験番組)

何にこだわっているか、例えば、「ズームは駄目」とかそう云う発言はありますね。なんで、駄目なのか良く分からないけれど、「ズーム禁止監督」って結構いるみたいですね。たしか黒澤明もそんな事発言してなかったかな?

あと、映画の長さね。ゴダールの映画は出来上がった作品が短すぎて、配給会社や興行側から、上映出来ないから長くしてくれ、ってよく言われているみたい。

で、「撮り足すんじゃなくて、なんか別の物をくっつける」わけです。

「ゴダールのリヤ王」だと、映画監督の写真が次々と映し出される。

「ゴダールのマリア」だと、「マリアの本」と云う短編が足される。


最初から丁度良い長さに撮れないのかよ!!


だから毎回実験、実験の繰り返しのような、デンジロウ先生的な感じじゃないかな?

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551319091&owner_id=9166640

メルヴィル監督の尊敬する監督リストだそうです。

おや? あれ? って監督が見あたらない。
私の勝手な思い込みかも知れませんが、私はゴダールは
「問いかけ系」というより「押し付け系」と感じてました。

で、その押し付ける内容が、一見理屈が通っているように見えて、
だけど納得しかねる様なもの。

上手く表現できませんが、「ゴダールの探偵」だったかな、
トイレで用を足す前に手を洗うとかいう下りがありますよね。
言わば、あの理屈が内容や表現方法に表れているような気がします。

理屈を捏ねているおっさんの話をまともに理解して聞こうとすると
面倒くさくなってきますが、ちょっと距離を置いて、かいつまんで
聴いてみると中々面白いことをのたまわっている。

私的には、こんな楽しみ方をして観てました。

zak

面白いですね。

なるほど、なるほど。
管理人さんがぶっちゃけてるので、便乗します。

ゴダールとロッセリーニです。

この二大巨匠の評価はちょっと、本当はどうなの?

ってクエスチョンがつきそうな、気がします。

少なくとも、劇映画の範疇では落第だと思います。


ただし、僕は本当に『ストロンボリ』には感動しました。

火山の噴火を避ける為に海に逃げ込む漁民の姿に感動しました。

じっと、火山を見ている漁民たちの姿は本当に美しいと感じました。

個人的な話ですが、僕は、一時、映画の世界を夢見ましたが、それは主にドキュメンタリー映画を目指したのでした。それには、ロッセリーニ監督の『ストロンボリ』やフラハティー監督の『ナヌーク』や、なんと云っても土本典昭監督の『水俣』に感動したからでした。

したがって、劇映画としてのロッセリーニとなると、それはルイス・ヴニュエル監督も批判しているように、シロウトみたいなもんじゃないかと、思っています。

ゴダールもです。

でも、僕は好きです。

ドキュメンタリーとして観ているからなんですが、これ以上はうまく説明出来ません。

失礼しました。
ギロチンさん書かれてるゴダールとロッセリーニ、判ります。

私が書いた事はあくまで個人趣味に過ぎませんので、その辺りはどうぞご察し下さいませ。

ゴダールとロッセリーニはタイプは異なりますが〜共に「現場実況的」なんですよね。
以前ゴダールに関して書いたんですが、
映画の完成度より〜「その場でどれだけ自分のアイデアをやれるか?」優先という気が。
POPアート的ですね、ウォーホールとか(彼の映画がこれまた…)。
あと、先人にコクトーとか居るので〜フランスはアート自由度・容認度は高いのかも。

(個人的脱線)
ちなみに「ストロンボリ」はハワイと私の田舎ある伊豆大島と並ぶ確か世界3大活火山で、幼い頃に伊豆大島爆発したので「ストロンボリ」は話として全く人事では無いんです。火山溶岩の島は本当に土がダメで大変なんです。ドキュメントとか後日見たら本当に恐ろしかったです。
【フランソワ・トリュフォー・1】

今ならトリュフォー勢いで書けそうなので行きます。
私は「ヌーヴェルヴァーグ命」派じゃないのでトンチンカンな事書いてくと思いますが、ご容赦を♪

▼以前の抜粋(背景として、ゴダールとトリュフォーは映画誌カイエ・デュ・シネマ評論家でした)
多分ゴダールにとっては「映画は手段」、そしてトリュフォーにとっては…「映画は人生そのもの」。
前に挙げたように、ゴダールの映画動機が…「その一瞬の切り口」「思想・実験・破壊」としたら〜
トリュフォーは…独自で新鮮ながらも〜やはり「構築の人」だった事は、その後の歩みでも明らか。

こんな風に考える私は〜トリフォーは「映画という人生に、可能性や愛する女性観・人間観・自分の投影をしながら〜様々に構築するのを生き甲斐とした人」だったと思います。
そして、人々が思う「ヌーヴェルヴァーグ派」なんてどうでもよくて、
ゴダールが<ひとつの映画に色々詰め込む>としたら、トリュフォーは<ひとつ構築したら、次は全然逆のやりたい>という人だったかも(後期になるほど特に)。

「大人は判ってくれない」(1作目)「突然炎のごとく」(3作目)はトリフォーの、そしてヌーヴェルヴァーグを代表する作品なのは間違いありません。子供の視点、そして三角関係。
更にゴダール「勝手にしやがれ」の原案者としての延長上に「ピアニストを撃て」(2作目)、そして「突然炎のごとく」の大人版として「柔らかい肌」(4作目)を置く事も可能かも。
これら初期作は〜様々な人それぞれの解釈のある<ヌーヴェルヴァーグの十人十色の定義>の、ある意味の最大公約数的な作品と言えるかも。まずはこの辺から〜♪
>ギロチンさん

ロッセリーニの映画は
”奇跡が起きているのを目撃してしまった”感があります。

ロッセリーニの映画の中では、
本当に現実的なことしか起きなくて、いわゆる”奇跡的”なことは全くおきないけれども
大半の人にとっては、どうでもいい普通の事や、もしくは嫌なことであっても、
登場人物にとっては、それが人生を変え、その人にとっての救い・救済にすらなるという、一見奇跡的じゃなくても、その人にとっては実は奇跡なんだという感じ!!
それを見る人=観客に目撃させる感じがして、とにかくロッセリーニは凄い人だと思います。
ロベール・アンリコやフィリップ・ド・ブロカはもう出てきてますが、ジュルジュ・ロートネルとかもいますね。ミレーユ・ダルク主演映画ばかりですね。

ちょっと、今日は酔ってるので、ゴダールについて書きますが、ネタバレ要素があり得るので、続きは「ネタバレ」で!!

今日ジャン=リュック・ゴダール監督の最新作「ゴダール・ソシアリスム」を観てきました。この作品も「愛の世紀」や「アワーミュージック」と同様「ベトナムから遠く離れて」などの60・70年代の作品程政治的センスの良さを感じられず、映画としての面白みも「カルメンという名の女」「右側に気をつけろ」等80年代の作品に匹敵はしなかったけれど、印象に残る撮り口や編集にはソコソコ観るものがあり、80歳近くでこれだけの作品を作った事を考慮すると、ソコソコの佳作と言える作品だとボク的には思いました。
ゴダール又最新作を撮って欲しいです。
それでは失礼致します。
●オルフェ

詩人の枠に収まりきれなかったフランスを代表する芸術家ジャン・コクトーが描く〜ギリシャ神話世界の大胆な独創解釈。
有名な「鏡」のシーンに代表される前衛芸術性と共に〜メロドラマ性(お国柄?)とのバランス調和が古典名作として幅広い支持を生んだとも思えるかも。
コクトーが偏愛した骨太美男子ジャン・マレーの没頭破滅性ぶりは…来たるべきヌーベルヴァーグの土壌でもあり〜同時に…容易に越えるのも困難な指針ともなったと思います。
●「野性の少年」 フランソワ・トリフォー

知識も得ず、得ようとせず、得る術も思いつかなかった少年は、ギャーギャー騒ぐ事しか出来ない。
知識を得る機会を得て、物に釣られてでも〜「たとえ」で応用のヒントを受けてでも、
自分で動く事をしてはじめて…小さな探求や信頼や愛情の「かけら」に触れられる。
それをしてなかったら〜狼と共に裸で獣として一生を終えた。感性は、もっと先の話。
思いっきり「意訳」すると〜そんな映画。これが実話なのだから、経験を壁で閉ざす人は贅沢貧乏。
フランソワ・トリフォー監督自ら演じる医師の少年への取り組みがドキュメント的で新鮮。
●『男と女』

有名な…ダバダバダ♪のスキャット・コーラスのテーマ曲でも知られますが〜
実は浮ついた作品ではなく詩的な大人の恋愛物語。

むしろ恋愛から距離を置いていた二人の…痛みや新しい希望と葛藤がシンプルかつスタイリッシュに描かれています。
随所に挿入されるアート写真のようなモノクロの風景もたいへん美しいですが〜

いわゆるフランス映画に実は多い…「顔で惚れて」じゃない、心象描写と言えそうなものを〜
ジャン=ルイ・トランティニャンにアヌーク・エーメという美形2人がやってるのが…他の当時のフランス映画と実は一線を画してると思います。

定番作なので定石通り筋が広がると思い油断してると〜肘鉄食らう。
ソコがコア。
◆終電車

ヌーベルヴァーグ派には古典的な本作はあまり評判良くないようですが、
当のトリフォーが「ヌーベルヴァーグであれ」なんて枠を自分に掲げていたでしょうか?

ナチス占領下フランスの舞台劇場での様々な人間模様と劇中劇…ドラマとしてサスペンスとして恋愛物として〜非常にまとまった名作だと思います。
あえて言うなら「カサブランカ」好きに薦めたいほど。

ドバルディが若い!ドヌーヴが円熟期!
トリフォー晩年の代表作であり〜幾つもの賞に輝いたのも納得の完成度。

「愛とは喜びであり…苦しみなのです」の名セリフ再び!(「暗くなるまでこの恋を」)
 
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【いきなりですが…このトピックのMyベスト10】


※このトピックは【1980年以前フランス監督作ベスト30】とします。
実質フランス人なロマン・ポランスキーもココに入れました。

1980年以降も含めた【フランス映画ベスト80】はMy日記にあります。


■ロシュフォールの恋人たち(ジャック・ドゥミ'66)
◆冒険者たち(ローベル・アンリコ'67)
★男と女(クロード・ルルシュ'66)
★映画に愛をこめて アメリカの夜(トリフォー'73)
★運命の饗宴(ジュリアン・デュヴィヴィエ/脚本ベン・ヘクト 他'42)
★アンリエットの巴里祭(ジュリアン・デュヴィヴィエ'52)
★チャイナタウン(ロマン・ポランスキー'74)
▲恐怖の報酬(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー'52)
▼去年マリエンバートで(アラン・レネ'60)
▼オルフェ(ジャン・コクトー'49)


▼まぼろしの市街戦(フィリップ・ド・ブロカ'67)
▼舞踏会の手帖(ジュリアン・デュヴィヴィエ'37)
▼旅路の果て(ジュリアン・デュヴィヴィエ'39)
▼リオの男(フィリップ・ド・ブロカ'63)
▼華氏451℃(フランソワ・トリフォー'66)
・自殺への契約書(ジュリアン・デュヴィヴィエ'59)
・神々の王国(ジュリアン・デュヴィヴィエ'49)
・肉体と幻想(ジュリアン・デュヴィヴィエ'43)
・ローラ(ジャック・ドゥミ'61)
・二十四時間の情事(アラン・レネ'59)


望郷(ジュリアン・デュヴィヴィエ'37)
黒いオルフェ(マルセル・カミュ'59)
ピクニック(ジャン・ルノワール'36)
時の支配者(アニメ/ルネ・ラルー'82)
悪魔のような女(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー'55)
巴里の空の下セーヌは流れる(ジュリアン・デュヴィヴィエ'51)
わが青春のマリアンヌ(ジュリアン・デュヴィヴィエ'55)
死刑台のエレベーター(ルイ・マル'57)
大いなる幻影(ジャン・ルノワール'38)
フランス式十戒(ジュリアン・デュヴィヴィエ'62)


【以降】
袋小路(ロマン・ポランスキー'66)
密告(アンリ・ジョルジュ・クルーソー'43)
禁じられた遊び(ルネ・クレマン'52)
軽蔑(ジャン=リュック・ゴダール'63)
ローズマリーの赤ちゃん(ロマン・ポランスキー'68)
自由への闘い(ジャン・ルノワール'43)
※上記プチ訂正
アニメの方の扱いとした「時の支配者」を削り忘れました〜(^_^;
けど、「ファンタスティック・プラネット」の監督作なのでコレもいいですよ〜♪
ちなみに【フランス映画ベスト】の日記ってこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1938644728&owner_id=19334409

「フランスと言えばヌーベルバーグ」…では全く無い観点からのセレクトの理由とかも色々書いてみました。
そんな私のフランス映画監督イチオシは〜ジュリアン・デュヴィヴィエ♪
>>[52]

デュヴィヴィエは「旅路の果て」だけは好きですが、後の作品はとうにもセンチメンタルで好きになれないですね。
私はロベール・ブレッソンが好きですが、この2人はフランス映画の中ではある一対かもしれません。
デュヴィヴィエの好きな人はブレッソンは好きではない。
ブレッソンが好きな人はデュヴィヴィエが好きではない。
そういう相容れなさの中に、かつてのフランス映画の射程の幅があったと思うのですが。
>>[53]

ごぶさたしてます。
デュヴィヴィエは確かにセンチメンタルな面を感じる印象は強いかも知れないですね。有名作がその手の作品が多いので〜私も学生の頃に接した数作はそうした印象でした。しかし色々観れていく内に印象は変わり〜人間を冷徹に描いたりコメディもこなしたりもする「多面性を客観して描けるエモーショナルな作家」だと今は感じています。
デュヴィヴィエは多分40〜50作はある多作家なので。

一方ブレッソンの印象は「寡黙、淡々」かな…描写スタンスがそうであって、逆に行動描写は細かく忙しい。
確かにこの二人は相反する要素が温度差的に現れてますけど…「人間というもの」をまず語ろうとしてるという面では遠くなくも感じます。
日記の方に挙げましたが、私は「スリ」「抵抗」は好きですよ。「ラルジャン」はちょっとミニマルだなぁとは思いますけど(それが良さなのかも)。

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