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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  138

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 元気のいいタイプライターの音がやんだ。
 印刷された紙が機械からはずされ、クリップでとめられた。
 「さあ、すんだ」
 山上元の、背の高くない、がっしりとした体が、伸子のおさまっているテーブルの向いの使いふるされた肱かけ椅子へ移って来た。

 「えらく、お待たせした」
 そして、去年の十二月、彼の七十回の誕生祝賀のときプラウダにのった大きい写真で伸子がよく見知っている山上元の特徴のある三白眼が、まっすぐ伸子を見た。
 亡命生活をつづけている老革命家であり、その晩年に計らず父親としての生活ももつようになった山上元の、遠慮のない、観察的な視線を、伸子もかえして、山上元を見た。

 年よりの柔かくなった筋肉につつまれていても、短くて四角い山上元の顎は、何と強情で、まけじい魂をあらわしているだろう。
 節のたかい太い指。
 剛い眉。
 山上元の住んでいる室内にも彼自身の体にも、新しいと云えるものは一つも見あたらなかった。

 けれども、日向の古い石が確りしていて清潔であるとおり、七十歳の山上元は、強情にしっかりしていて、さっぱりしていた。
 年とった大きい犬と、仔犬とが、かぎあって、互に不満足でなかったときのような親しい感じが伸子の心に湧いた。

 「『自伝』を、ずっと前、拝見しました。
  それから、この間うちインプレコールへ出たようなものも」
 「世界的経済恐慌の軌道における日本」という山上元の論文は、日本共産党の事情を知らない伸子に、その任務や、目下たたかわれている闘争の状況、党内の偏向は右翼日和見の清算主義であることなどを教えた。

 ウォール街のパニックと連関する日本の経済恐慌と戦争準備の事情についても伸子は非常に多くのことを学んだ。
 「そうか。
  僕も、よっぽど前、何かの雑誌で、きみの書いた小説をよんだことがある、
  何だったかもうおぼえちゃいないがね」
 山上元が、僕というとき、それは紺がすりを着た老人という感じだった。

 「きみがモスクワへ来ていることは、きいていた。
  とにかく、よく来たよ」
 論文などをかくとき山上元は英語を使用していた。
 伸子がこの室へ訪ねて来たとき、彼のうっていたのも英文タイプだった。
 けれども、彼の話す日本語は、ちっとも錆びついていないで、いきいきしていた。

 ソヴェトの生活をどう思うかという質問が出たとき、伸子は、ありのままに話した。
 「七ヵ月ばかり、あっちこっちして、ロンドンやベルリンをちょっとでも見て来たのは、
  わたしのために、ほんとによかったと思います。
  日本で、わたしは何にも知らないで来ているから、ロンドンなんか見ると、
  しんから資本主義の社会ってものがわかったんです。
  ドイツにしても。
  ドイツってところは、ベルリンをちょっと見ただけだけれども気味がわるかった。
  ソヴェトというものの価値が、しっかりのみこめてしまったんです」

 「ハハハハ、のみこめてしまった、か。
  そういうもんだ。
  僕が一八九四年にロンドンやエジンバラの貧民窟を見て、
  社会主義についてまじめに考えはじめたようなもんさ」
 山上元は暫く話していて、
 「一つ、僕のつくったジャムをごちそうしてやろう」
 身軽に立って、伸子があんまりそっちへ目をやらないようにしていた室の一隅へひっこんだ。

 その一隅にバネのよわくなった寝台がおかれていた。
 寝台の裾にちょいとした衝立《ついたて》があって、そのかげに、水のつかえるところがあって、顔を洗ったり、茶を入れたりする場所になっているらしかった。

 山上元は、衝立のむこうから、相当はなれた窓のわきにいる伸子に向って、大きな声で喋った。
 「僕は、きみなんかより、ずっと料理がうまいよ。
  若い時分、アメリカでは、ケチン仕事を何でもやったもんだ。
  ジャムをつくることなんかは、なかんずく得意だね」

 伸子は、笑い出した。
 「じゃ、モスクワでは、ようございますね。
  苺やいろんなベリーがどっさりあって、やすいから」
 「ところがいそがしくて、ジャムもあんまり煮ていられない」
 せっかちらしく、指先の太い両手にコップについだお茶をもって、山上元は衝立のかげから現れた。

 伸子は、自分が動かずにサーヴィスさせては、わるいと思った。
 「おてつだいしましょう」
 席から立ちかけた。
 「もう何もすることはありゃしない。
  ジャムをもって来るだけだ」

 ガラスの小さい入れものにはいった、つやつやした色の黄苺のジャムが出された。
 「たべて見なさい、うまいよ」
 云われるとおりに、ジャムを小皿にとって、ロシア流に茶をのみながら、伸子には、そのジャムがお愛想でなしにおいしかった。
 たしかに上手に煮られているし、伸子たちは、正餐につく乾果物の砂糖煮のほかには、甘いものなしで暮しているのだった。

 「きみは、酒をのまないのかい」
 「いいえ」
 「ローザは、酒のつよい女だったよ」
 「ローザって、ルクセンブルグですか」
 「ああ。
  アムステルダムの会議では、ローザが僕の通訳をしてね。
  あれは素晴らしい女だった。
  火みたいな女だった。
  朝っぱらから葡萄酒をのんで、いつもほろよいきげんなんだが、
  そういう時のあの女の頭の冴えようときたら、男がたじたじだった」

 面影がよみがえってそこにあるというような、話しぶりだった。
 「わたしたちは、
  ひさし髪に結って、白いブラウスを着たローザの写真しか知らないけれど」
 「あの女はたいしたものだった。
  クララもそのとき会ったが、ローザにくらべるとクララの方は、ずっと常識的な女だ」
 「ツェトキンですか?」
 「ああ。
  あれは常識的な女だ」
 伸子は、山上元の話しぶりを軟かにニュアンスの深いこころもちできいた。

 たたかいのうちに七十歳になったこのひとが、こんな新鮮さでローザを思いおこしていることに、伸子は心にふれて来るものを感じた。
 クララ・ツェトキンとのくらべかたも、男として山上元のうちにある婦人への好みが知らず知らずあらわれている。

 おそらく多忙なこの人にとって、まれなくつろぎのひととき、どんな公の関係もない伸子のようなものをあいてに、こういう昔話も出る、それら全体の雰囲気を伸子はよろこびをもって感じた。
 「そのアムステルダムのとき、プレハーノフにもお会いになったんでしょう?」
 「そうだ、そうだ」
 山上元は、両方の下瞼にふくろの出来ている三白眼で、自分の前にちょこなんとかけている伸子を、思いがけなそうに見直した。

 「よく、そんなことまで知っているね」
 「だって」
 おかしそうに伸子は笑った。
 「書いてあるんですもの」
 「そんなはずはない」
 とがめるような鋭いまっすぐな視線が山上元の瞳から射出された。

 伸子は山上が、「自伝」のこととごっちゃにしたのを感じた。
 「『自伝』じゃありません。
  ほかのひとが、あなたについて書いているもののこと」
 「ああ、そうか。
  わかった」
 「アムステルダムの会場で、ロシアへの侵略戦争反対のアッピールをなすったことや、
  大会が戦争反対の決議をしたことや、平民新聞が戦争反対したことや。
  古いことは、割合しられているんじゃないでしょうか」

 「うむ」
 ほんの瞬間だが、山上元の皺のふかい顔の上に遠い、とらえどころのなくなったどこかを思い出そうとするような表情が浮んだ。
 そのかげには、数十年の月日がたたまれているその表情は、すぐ消えた。

 「きみは、日本平民新聞を見たことがあるかい」
 「いいえ」
 「見せてやろうか」
 「ほんとに?
  持っていらっしゃるんですか?」
 「見せてやろう」
 再び寝台の置かれている隅へひっこんだ山上元は、伸子が予期したよりずっと短い時間で、窓ぎわのテーブルのところへ戻って来た。

 「創刊号からちゃんと揃っている」
 テーブルに置かれた平民新聞のとじこみは、二十六年の古びを帯びながら、実によく保存されていて、新聞紙の端さえめくれあがったり、やぶけたりしていなかった。
 「まあ、何てちゃんとしているんでしょう!」
 伸子は心から感歎した。

 昔、自分たちが日本で出した平民新聞をこんなに丁寧に今もなお保存しつづけている山上元の気持がわかるように思った。
 たまに山上元とのインタービューに成功した日本人の新聞記者は、いつも、山上元の郷愁について語った。

 彼が世界的な日本の革命家としてコミンターンのうちに重要な地位をしめながら、やはり心の底には日本への郷愁をもっていると書いていた。
 新聞記者などに会ったとき、山上元は、やっぱり伸子とのように、現在の活動にふれない話題をもつだろう。

 そして、平民新聞の話も出るだろう。
 山上元が、これほど平民新聞を可愛がっていて、云ってみれば、長年よくも世界じゅうもって歩いて来たものだが、それを日本恋しさからという風に解釈されたら、いかにも笑止千万であるだろうと思えた。

 このとじこみは、山上元という最も適切な解説者つきで、モスクワに移動して来ている在外日本革命小図書館とでもいうべきものなのだった。
 伸子は、腰かけから立って、明治三十六年十一月という日づけからはじまる日本平民新聞を見て行った。

 幸徳秋水、堺利彦、西川光二郎、河上清、木下尚江、高野房次郎、沢田半次郎。
 そのほか、あるものは伸子が歴史上の名として知っているものであり、あるものは全く知っていない人の名だった。

 「これが、日本ではじめて出た階級的な新聞さ。
  相当仕事をしたんだ。
  この発刊宣言をかいたのは幸徳秋水だよ」
 一枚一枚とめくって見て行くうちに、伸子は、歴史の流れのうちに、いろいろな人が押し流され、やがて漂流して行ってしまった姿を、まざまざと感じた。

 「西川光二郎というような人が、ここに書いているなんて。
  不思議のようだわ。
  わたしの小さかった頃、西川光二郎と書いた白いたすきをかけた、髪の長い人が、
  何だか道ばたに立って演説しているのを見たことがあります。
  その西川光二郎なんでしょう?」

 「そうだ。
  この男もしまいには無政府主義者になって妙なことになってしまった。
  堺も、はじめは、増税反対の社説をかいたり、
  幸徳秋水と共訳の『共産党宣言《マニフェスト》』の翻訳をのせて、
  ぶちこまれたりしていたが、根が小悧口者だから、俗化してしまった。
  もったいないことをしたのは、幸徳秋水だ。
  あの男はほんものだったね。
  日本で、はじめて帝国主義ということを云い出した男だ」

 山上元は、とくに伸子に見せておきたい号があるらしく、自分で平民新聞のとじこみをめくった。
 「ほら、これを見なさい。
  面白いだろう、これが、例の有名な、レーニンが、
  『イスクラ』で返事をかいてよこした平民新聞の『露国社会党に与える書』だ」
 ロシアへの侵入に反対している日本の社会主義者とロシアの社会党とは協力して、たたかわなければならないとアッピールしている文章だった。

 「黒岩涙香や内村鑑三なんかも、日露戦争には反対したことがあったんでしょう?」
 「それは、平民新聞を出す前のことだ、黒岩が万朝報で非戦論をとなえたのは。
  半年ばかりで、へこたれて、青年会館で演説会をやる頃には、
  すっかり豹変しちまった」

 「内村鑑三は?
  あのひとは、もったんでしょう?」
 「これは、大戦《グレートワア》でだめになった」
 どう駄目になったのだろう。

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