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名作を読みませんかコミュの吾輩は猫である 夏目漱石 13

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 見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃《せいぞろい》をしている。
 「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」
 と牡蠣先生《かきせんせい》は掛念《けねん》の体《てい》に見える。

 「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、
  ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表し被下《くださ》ればそれで結構です」
 「そんなら這入《はい》ります」
 と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。

 責任さえないと云う事が分っておれば謀叛《むほん》の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。
 加之《のみならず》こう知名の学者が名前を列《つら》ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。

 「ちょっと失敬」
 と主人は書斎へ印をとりに這入る。
 吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。
 東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張《ほおば》る。
 モゴモゴしばらくは苦しそうである。
 吾輩は今朝の雑煮《ぞうに》事件をちょっと思い出す。

 主人が書斎から印形《いんぎょう》を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。
 主人は菓子皿のカステラが一切《ひときれ》足りなくなった事には気が着かぬらしい。
 もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。

 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間《ま》にか迷亭先生の手紙が来ている。

 「新年の御慶《ぎょけい》目出度《めでたく》申納候《もうしおさめそろ》。……」

 いつになく出が真面目だと主人が思う。

 迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後《そのご》別に恋着《れんちゃく》せる婦人も無之《これなく》、いず方《かた》より艶書《えんしょ》も参らず、先《ま》ず先《ま》ず無事に消光罷《まか》り在り候《そろ》間、乍憚《はばかりながら》御休心可被下候《くださるべくそろ》」と云うのが来たくらいである。

 それに較《くら》べるとこの年始状は例外にも世間的である。

 「一寸参堂仕り度《たく》候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以《もっ》て、此千古|未曾有《みぞう》の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候《そろ》……」

 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

 「昨日は一刻のひまを偸《ぬす》み、東風子にトチメンボーの御馳走《ごちそう》を致さんと存じ候処《そろところ》、生憎《あいにく》材料払底の為《た》め其意を果さず、遺憾《いかん》千万に存候《ぞんじそろ》。……」

 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

 「明日は某男爵の歌留多会《かるたかい》、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」

 うるさいなと、主人は読みとばす。

 「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候《そろ》為め、不得已《やむをえず》賀状を以て拝趨《はいすう》の礼に易《か》え候段《そろだん》不悪《あしからず》御宥恕《ごゆうじょ》被下度候《くだされたくそろ》。……」

 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

 「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度《たき》心得に御座|候《そろ》。寒厨《かんちゅう》何の珍味も無之候《これなくそうら》えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛|居候《おりそろ》。……」

 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

 「然《しか》しトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]は近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候《かねそろ》も計りがたきにつき、其節は孔雀《くじゃく》の舌《した》でも御風味に入れ可申候《もうすべくそろ》。……」

 両天秤《りょうてんびん》をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

 「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半《なか》ばにも足らぬ程故|健啖《けんたん》なる大兄の胃嚢《いぶくろ》を充《み》たす為には……」

 うそをつけと主人は打ち遣《や》ったようにいう。

 「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可《べか》らずと存候《ぞんじそろ》。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔《など》には一向《いっこう》見当り不申《もうさず》、苦心《くしん》此事《このこと》に御座候《そろ》。……」

 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫《ごう》も感謝の意を表しない。

 「此孔雀の舌の料理は往昔《おうせき》羅馬《ローマ》全盛の砌《みぎ》り、一時非常に流行致し候《そろ》ものにて、豪奢《ごうしゃ》風流の極度と平生よりひそかに食指《しょくし》を動かし居候《おりそろ》次第御諒察《ごりょうさつ》可被下候《くださるべくそろ》。……」

 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

 「降《くだ》って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候《あいなりおりそろ》。
 レスター伯がエリザベス女皇《じょこう》をケニルウォースに招待致し候節《そろせつ》も慥《たし》か孔雀を使用致し候様《そろよう》記憶致候《いたしそろ》。
 有名なるレンブラントが画《えが》き候《そろ》饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘《まま》卓上に横《よこた》わり居り候《そろ》……」

 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

 「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成《あいな》るは必定《ひつじょう》……」

 大兄のごとくは余計だ。
 何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

 「歴史家の説によれば羅馬人《ローマじん》は日に二度三度も宴会を開き候由《そろよし》。
  日に二度も三度も方丈《ほうじょう》の食饌《しょくせん》に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸《かも》すべく、従って自然は大兄の如く……」

 また大兄のごとくか、失敬な。

 「然《しか》るに贅沢《ぜいたく》と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪《むさぼ》ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候《そろ》……」

 はてねと主人は急に熱心になる。

 「彼等は食後必ず入浴致候《いたしそろ》。
  入浴後一種の方法によりて浴前《よくぜん》に嚥下《えんか》せるものを悉《ことごと》く嘔吐《おうと》し、胃内を掃除致し候《そろ》。胃内廓清《いないかくせい》の功を奏したる後《のち》又食卓に就《つ》き、飽《あ》く迄珍味を風好《ふうこう》し、風好し了《おわ》れば又湯に入りて之《これ》を吐出《としゅつ》致候《いたしそろ》。
  かくの如くすれば好物は貪《むさ》ぼり次第貪り候《そうろう》も毫《ごう》も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申《もうすべき》かと愚考致候《いたしそろ》……」

 なるほど一挙両得に相違ない。
 主人は羨《うらや》ましそうな顔をする。

 「廿世紀の今日《こんにち》交通の頻繁《ひんぱん》、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄《そろおりから》、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬《ローマ》人に傚《なら》って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候《そろ》事と自信致候《いたしそろ》。
 左《さ》もなくば切角《せっかく》の大国民も近き将来に於て悉《ことごと》く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃《ひそ》かに心痛|罷《まか》りあり候《そろ》……」

 また大兄のごとくか、癪《しゃく》に障《さわ》る男だと主人が思う。

 「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂《いわば》禍《わざわい》を未萌《みほう》に防ぐの功徳《くどく》にも相成り平素逸楽《いつらく》を擅《ほしいまま》に致し候《そろ》御恩返も相立ち可申《もうすべく》と存候《ぞんじそろ》……」

 何だか妙だなと首を捻《ひね》る。

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