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名作を読みませんかコミュの次郎物語  下村湖人  151

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次郎物語
第五部
下村湖人


   一 友愛塾《ゆうあいじゅく》・空林庵《くうりんあん》


 ちゅんと雀《すずめ》が鳴いた。
 一声鳴いたきりあとはまたしんかんとなる。
 これは毎朝のことである。

 本田次郎《じろう》は、この一週間ばかり、寒さにくちばしをしめつけられたような、そのひそやかな、いじらしい雀の一声がきこえて来ると、読書をやめ、そっと小窓のカーテンをあけて、硝子戸《ガラスど》ごしに、そとをのぞいて見る習慣になっている。

 今朝はとくべつ早起きをして、もう一時間あまりも「歎異抄《たんにしょう》」の一句一句を念入りに味わっていたが、そとをのぞいて、いつもと同じ楓《かえで》の小枝《こえだ》の、それも二寸とはちがわない位置に、じっと羽根をふくらましている雀の姿を見たとたん、なぜか眼がしらがあつくなって来るのを覚えた。

 かれの眼には、その雀が孤独《こどく》の象徴《しょうちょう》のようにも、運命の静観者のようにも映《うつ》った。
 夜明けの静寂《せいじゃく》をやぶるのをおそれるかのように、おりおり用心ぶかく首をかしげるその姿には、敬虔《けいけん》な信仰者《しんこうしゃ》の面影《おもかげ》を見るような気もした。

 雀は、しかし、そのうちに、ひょいと勢いよく首をもたげた。
 同時に、それまでふくらましていた羽根をぴたりと身にひきしめた。それは身内に深くひそむものと、身外の遠くにある何かの力とが呼吸を一つにした瞬間《しゅんかん》のようであった。
 そのはずみに、とまっていた楓の小枝がかすかにゆれた。

 小枝がゆれると、雀ははねるようにぴょんと隣りの小枝に飛びうつった。
 その肢体《したい》には、急に若い生命がおどりだして、もうじっとしてはおれないといった気配《けはい》である。
 間もなく雀は力強い羽音をたて、澄みきった冬空に浮《う》き彫《ぼ》りのように静まりかえっている櫟《くぬぎ》の疎林《そりん》をぬけて、遠くに飛び去った。そして、すべてはまたもとの静寂にかえった。

 次郎は深いため息に似た息を一つつくと、カーテンを思いきり広くあけ、机の上の電気スタンドを消した。
 そして、外の光でもう一度「歎異抄」のページに眼をこらした。

 机の上の小さな本立てには、仏教・儒教《じゅきょう》・キリスト教の経典類や、哲人《てつじん》の語録といった種類のものが十冊あまりと、日記帳が一冊、ノートが二三冊たててあるきりである。

 次郎は、どういう考えからか、一月《ひとつき》ばかりまえに、自分の蔵書《ぞうしょ》の中から、それだけの本を選んで座右におき、ほかはみんな押《お》し入れにしまいこんでしまったのであるが、このごろでは、そのわずかな本のいずれにもあまり親しまないで、ほとんど「歎異抄」ばかりをくり返し読んでいるのである。

 次郎が郷里の中学校を追われてから、もうかれこれ三年半になる。
 父の俊亮《しゅんすけ》が退学の事情をくわしく書いて朝倉先生に出してくれた手紙の返事が来ると、かれはすぐ上京して先生の大久保の仮寓《かぐう》に身をよせた。

 先生の上京からかれの上京までに二十日とは日がたっていなかったので、かれが着京したころには、先生自身もまだ十分にはおちついていず、運送屋から届けられたままの荷物が、玄関《げんかん》や廊下《ろうか》などにごろごろしていた。

 次郎は、はじめの十日間ばかりは、朝倉夫人と二人で、毎日その整理に没頭《ぼっとう》した。
 「本田さんとは、よくよくの因縁《いんねん》ですわね。
  同じ学校を追われた先生と生徒とが、また同じ家に住むなんて……」
 次郎を東京駅にむかえてくれた朝倉夫人は、電車に乗って腰《こし》をかけると、すぐしみじみとそういったが、次郎は、荷物を整理しながらも、夫人が心の中でたえず同じ言葉をくり返しているような気がして、うれしくてならないのだった。

 先生は、毎日外出がちだった。
 帰りも、たいていは夜になってからで、夕食をともにすることもまれだった。
 たまに家におちつく日があっても、夫人とも、次郎とも、めったに口をきかず、何か考えこんでは、心にうかんだことをノートに書きつけるといったふうであった。

 ところが、荷物もあらましかたづき、階下の六畳《じょう》二間を先生の書斎と茶の間兼食堂に、二階の四畳半を次郎の部屋にあて、夫人の手で簡素《かんそ》ながらも一通りの装飾《そうしょく》まで終わったころになって、先生は、ある夕方、外出先から帰って来て室内を見まわしながら言った。

 「せっかく整理してもらったが、近いうちにまた引越すことになるかもしれないよ。」
 「あら。」
 と夫人は、めったに先生には見せたことのない不満な気持ちを、かるい驚《おどろ》きの中にこめて、
 「やはり、こちらでは手ぜまでしょうか。」
 夫人がそういうと、次郎も、それが自分のせいだという気がして顔をくもらせた。

 先生は、しかし、笑いながら、
 「手ぜまなのは、覚悟《かくご》のまえさ。
  越したところで、どうせ今度の家も広くはないよ。
  あるいは、ここよりも窮屈《きゅうくつ》になるかもしれん。
  実は、はっきり決まらないうちに話して、ぬか喜びをさせるのもどうかと思って、
  ひかえていたんだが、私がかねて考えていたことが近く実現しそうになったのでね。」

 「考えていらしったことといいますと?」
 「青年塾《じゅく》のことさ。」
 「あら、そう?」
 夫人はもう一度おどろいた。
 それは、しかし、深い喜びをこめたおどろきだった。

 「土地や建物も、あんがいぞうさなく手に入ったんだ。
  何もかも田沼《たぬま》さんのお力でできたことなんだがね。」
 田沼さんというのは、朝倉先生が学生時代から兄事《けいじ》し崇拝《すうはい》さえしていた同郷の先輩で、官界の偉材《いざい》、というよりは大衆青年の父と呼ばれ、若い国民の大導師《だいどうし》とさえ呼ばれている社会教育の大先覚者で、その功績によって貴族院議員に勅選《ちょくせん》された人なのである。

 次郎はまだ一度もその風貌《ふうぼう》に接したことはなかった。
 しかし、朝倉先生の口を通して、およそその人がらを想像していた。
 先生のいうところでは、「田沼さんは、聖賢《せいけん》の心と、詩人の情熱とをかねそなえた理想的な政治家」であり、「明治・大正・昭和を通じて、日本が生んだ庶民《しょみん》教育家の最高峰《さいこうほう》」だったのである。

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