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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  88

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源氏物語
澪標
紫式部
與謝野晶子訳



みをつくし逢はんと祈るみてぐらも
     われのみ神にたてまつるらん (晶子)



 須磨《すま》の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提《ごぼだい》を早く弔いたいと仕度《したく》をしていた。
 そして十月に法華経《ほけきょう》の八講が催されたのである。
 参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。

 今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜《くちお》しく思召《おぼしめ》すのであったが、帝《みかど》は院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。

 時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。
 政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。

 帝は近く御遜位《ごそんい》の思召《おぼしめ》しがあるのであるが、尚侍《ないしのかみ》がたよりないふうに見えるのを憐《あわ》れに思召した。
 「大臣は亡《な》くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしている  のだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。
  初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれ  よりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。

  私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないこ  とはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
 帝は泣いておいでになった。

 羞恥《しゅうち》に頬《ほお》を染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌《あいきょう》がこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。

 「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐ  にまたその悦《よろこ》びをする日もあるだろうと思うとくやしい。
  それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
 こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。

 帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖《はっこう》な女だからであるとも悲しんでいた。

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