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名作を読みませんかコミュのはつ恋  ツルゲーネフ  22

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 十八


 あくる朝わたしは、頭痛をおさえながら起き出した。
 ゆうべの興奮は消えていた。
 その代り、重くるしい疑惑と、まだ身に覚えたこともない、まるでわたしの中で何ものかが息を引き取ろうとしているような、一種異様なわびしさが、わだかまっていた。

 「なんだって君は、脳みそを半分抜き取られた兎みたいな顔をしているのですね?」と、出会いがしらにルーシンが言った。

 朝飯のとき、わたしは父の様子や母の顔色を、こっそり窺った。
 父は、いつものとおり落着きはらっていたが、母は例によって、内心いらいらしていた。

 わたしは、父が時々出す癖で、打解けてわたしに話しかけはしまいかと心待ちにしていた。
 けれど父は、つね日頃の例の冷たいお愛想をすら、言ってはくれなかった。

 『すっかりジナイーダに話してしまおうか?』と、わたしは考えた。
 『こうなったからには、どっちみち同じじゃないか。
  どうせ二人の間は、きれいにお仕舞いなんだもの』

 わたしは彼女のところへ出かけて行ったが、肝心の話を切り出すどころか、雑談さえ思うようにできない始末だった。
 公爵夫人の生みの息子が、ペテルブルグから帰省して来たのである。
 幼年学校の生徒で、十二ぐらいの子だった。
 ジナイーダはこの弟を、早速わたしの手にあずけた。

 「さあ、よくって」と、彼女は言った。
 「わたしの可愛いヴォロージャ、
  (彼女がわたしを愛称で呼んだのは、これが初めてだった)、
  あなたのいい仲間ができたわ。

  この子もやっぱり、ヴォロージャっていうのよ。
  どうぞ、可愛がってやってちょうだい。
  まだ野育ちだけれど、気だてはいいのよ。ネ
  スクーチヌィ公園でも見せてやって、
  一緒に散歩して、目をかけてやって下さいね。

  ね、いいでしょう、そうして下さるわね?
  あなたも、ほんとにいい人なんですもの!」

 と言って、彼女が両手を優しくわたしの肩にかけたので、わたしはすっかりまごついてしまった。
 この少年が来たおかげで、わたしまでが子供に成り下がったわけである。

 わたしは黙って、幼年学校の生徒を眺めた。
 向うもやはり無言のままわたしを見つめた。
 ジナイーダは、ホホホと笑い出して、わたしたち二人を、どすんとぶつけ合わした。

 「さ、抱き合うのよ、いい子だから!」
 我々は抱き合った。
 「どうです、庭を案内しましょうか?」と、わたしは幼年学校の生徒に訊いた。
 「は、どうぞ」と彼は、いかにも幼年学校の生徒らしい、しゃがれ声で答えた。

 ジナイーダはまた笑い出した。
 そのひまにわたしは、彼女の顔にこれほど艶麗な紅らみのさしたことは、ついぞなかったことに気がついた。

 わたしは、幼年学校の生徒と一緒に出かけた。
 うちの庭には、古いブランコがあった。
 わたしは彼を細い板ぎれに坐らせて、揺すぶってやり始めた。

 彼は、幅の広い金モールのついた、新調らしい厚地のラシャの制服を着て、身じろぎもせず坐ったまま、しっかり綱につかまっていた。
 「襟のボタンでもはずしたらどうです?」と、わたしは言ってやった。
 「いいであります、慣れていますから」と彼は言って、咳払いをした。

 彼は姉さんに似ていた。
 とりわけ眼がそっくりだった。
 わたしは、この少年の面倒を見てやるのが楽しくもあったけれど、同時にまた、相も変らぬうずくような侘しさが、そっとわたしの胸を噛むのであった。

 『ああ、これでもう、僕はすっかり赤ん坊だ』と、わたしは思った。
 『ところが昨日は……』
 わたしは、ゆうべナイフを落した場所を思い出したので、そこへ行って拾い上げた。

 幼年学校生は、それをねだり取って、ウドの太い茎を折ると、それで笛を削りあげ、ぴゅうぴゅう吹き出した。
 オセロもやはり、ちょっと吹いてみた。

 だがその代り、その夕方になると、この同じオセロが、ジナイーダの胸に抱かれて、どんなに泣いたことだろう!
 それは彼女が、庭の隅でオセロを見つけ出して、なぜそんなに悲しそうにしているのかと、尋ねた時のことである。
 するとわたしの涙、おそろしい勢いでほとばしり出たので、彼女はびっくりしてしまった。

 「どうしたの?
  いったいどうしたの、ヴォロージャ?」と、ジナイーダは繰返したが、わたしが返事もしないし泣きやみもしないのを見て、わたしのびしょ濡れの頬にキスしようとした。
 が、わたしは顔をそむけて、むせび泣きのひまから、こうささやいた。

 「僕は、すっかり知っています。
  なぜあなたは、僕をおもちゃにしたんです?
  なんのために、僕の愛が入り用だったんです?」

 「申し訳ないわ、ヴォロージャ……」と、ジナイーダは言った。
 「ああ、ほんとに申し訳ないわ……」と続けて、両手をぎゅっと握り合せた。
 「わたしの中には、悪い、後ろ暗い、罪ぶかいものが、なんていっぱいあるんでしょう。

  でも今はわたし、あなたをおもちゃになんかしていないわ。
  あなたを愛しているの。
  それが、なぜ、どういうふうにかっていうことは、
  あなたには夢にも想像がつかないわ。

  それはそうと、何をいったいあなたは知ってらっしゃるの?」

 何をわたしが彼女に言えたろう? 
 彼女はわたしの前に立って、じっとわたしを見つめていた。
 そしてわたしは、彼女に見つめられるが早いか、たちまち頭から足の先まで、すっかり彼女の俘になってしまうのだ。

 それから十五分すると、わたしはもう幼年学校生やジナイーダと、鬼ごっこをしていた。
 わたしは泣かずに、笑っていたけれど、泣きはらした目蓋は、笑うたんびに涙をこぼすのだった。

 わたしの首っ玉には、ネクタイの代りに、ジナイーダのリボンが結んであった。
 そしてわたしは、首尾よく彼女の胴をつかまえるたびに、歓喜の叫びをあげるのだった。
 彼女はわたしを、思うままにあやつっていたのだ。

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