ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

名作を読みませんかコミュの「次郎物語」  下村湖人  69

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
    三 無計画の計画 2

 それからどのくらいの時間がたったのか、次郎は、小屋のそとから誰かしきりにどなっているような声をきいて、はっと眼をさました。

 「起きろっ。」
 「出て来いっ。」
 「ぐずぐずすると、身のためにならんぞっ。」
 それは一人や二人の声ではないらしかった。
 次郎は、さすがに胸がどきついて、息づかいが荒くなるのをどうすることも出来なかった。

 彼はそっと恭一をゆすぶってみた。
 すると恭一は、もうとうに眼をさましていたらしく、次郎の手を握って静かにせい、と合図をした。
 同時に、
 「僕に任しとけ。」
 と、大沢の囁《ささや》く声がきこえた。

 そとの人声は、しばらく戸口のところにかたまって、がやがや騒いでいたが、
 「きっと、ここじゃよ。
  路をこっちにおりたとこまで、おらあ見届けておいたんじゃよ。
  あけてみい。」
 と誰かが命ずるように言った。

 戸ががらりとあくと、提灯の灯らしい、黄色い明りが、屋根うらの煤けた竹をうっすらと光らした。
 それが、闇に慣れた三人の眼には、眩ゆいように感じられた。
 「おや、一人ではねえぞ。
  あいつは靴じゃったが、下駄もある。」
 「靴が二足あるでねえか。
  すると三人じゃよ。」
 「そうじゃ、たしかに三人じゃ。
  ようし、のがすなっ。
  一人ものがすなっ。」

 誰かが変に力んだ声で言った。
 「おい、書生、にせ学生、出て来いっ。」
 「出て来んと火をつけるぞっ。」
 大沢が、その時、途方もない大きなあくびをして起きあがった。
 すると、下の騒ぎは急にぴたりとしずまった。

 次郎は、その瞬間、何か最後の決意といったようなものを感じて、全身が熱くなるのを覚えた。
 「兄さん、起きよう。」
 言うなり、彼ははね起きた。
 大沢は、しかし、すぐ彼の肩を押さえ、低い声で、
 「待て、待て、僕が会ってみるから。」
 次郎は何か叱られたような、それでいて、ほっとした気持だった。

 間もなく、大沢は積藁の端のところまではって行ったが、
 「どうもすみません。
  しかし、僕たちは中学生です。
  決して怪しい者ではありません。
  今夜一晩ここに寝せてくれませんか。」
 と、いやにていねいな調子だった。

 「ばかこけっ。」
 と、下の声がどなった。
 「怪しいものでのうて、こんなところに寝る奴があるけい。」
 「泊《と》めてくれる家がなかったもんですから。……」
 「理窟はどうでもええ。
  とにかくおらたちと村までついてくるんじゃ。」
 「そうですか、じゃあ行きましょう。」
 大沢は、いきなりどしんと土間に飛びおりた。
 恭一と次郎とは、思わず手を握りあって、息をはずませた。

 「一人じゃねえだろう。
  三人とも行くんじゃよ。」
 村の人たちの声には、どこかおずおずしたところがあった。
 「かわいそうですよ、今から起してつれて行くのは。
  ことに一人はまだ小さい一年生ですから。」
 「何でもええから、つれてゆくんじゃよ。
  つれてゆかねえじゃ、おらたちの務めが果たせねえでな。」

 しばらく沈默がつづいた。
 その沈默を破って、次郎が藁の中から叫んだ。
 「大沢さん、僕たちも行きますよ。」
 「そうか。
  じゃあ、すまんが起きてくれ。
  どうも仕方がなさそうだ。」
 大沢が、あきらめたように答えた。

 二人が起きて行くと、村の人たちは、めいめいに大きな棒を握って、大沢をとりまいていた。
 三十歳前後から十五六歳までの青年がおよそ十四五人である。
 しかし、恭一の品のいい顔と、次郎の小さい体とを見ると、案外だという顔をして、少し構えをゆるめた。

 年長者らしいのが、提灯で恭一と次郎の顔をてらすようにしながら、
 「おらたち、村の見張りを受持っているんでな。
  気の毒じゃが仕方がねえ。」
 と、言訳らしく言って、
 「じゃあ、ええか。」
 と、みんなは目くばせした。

 外に出ると、青年たちは、三人の前後に二手にわかれて、ものものしく警戒しながら歩き出した。
 畦道を一列になって歩いたが、かなり長い列だった。
 提灯が先頭と後尾にゆらゆらとゆれた。
 次郎は三人のうちでは先頭だったが、自分のすぐ前に、大きな男が棒をどしんどしんとわざとらしくついて行くのを、皮肉な気持で仰いだ。

 そして歩いて行くうちに、しだいに寒さが身にしみ、踵のあかぎれがつきあげるように痛み出すと、もう「人を愛する」といったような気持とは、まるでべつな気持になっていた。
 つれて行かれたのは、この辺の山村にしては不似合なほど大きな門のある家で、玄関には一畳ほどの古風な式台《しきだい》さえついていた。
 次郎たちを玄関の近くに待たして、二三人の青年が勝手の方にまわった。

 しばらくすると、
 「ほう、三人、……そうか、そうか。」
 と、奥の方からさびた男の声がして、やがて玄関の板戸ががらりと開いた。
 「さあ、お上り。」
 そう言ったのは、もう八十にも近いかと思われる、髪の真白な、面長の老人だった。

 次郎は、山奥に隠栖《いんせい》している剣道の達人をでも見るような気がした。
 彼は、何かの本で、宮本武蔵が敦賀の山中に伊藤一刀斉を訪ねて行った時のことを読んだことがあったが、それを思い出しながら、おずおず大沢と恭一のあとについて玄関をあがった。

 通されたのは、大きな炉《ろ》の切ってある十畳ほどの広い部屋だった。
 老人は、
 「さあ、あぐらをかいておあたり。
  寒かったろうな。
  何でも、今きくと、藁小屋に寝ていたそうじゃが、あんなところで眠れるかの。」
 と、自分も炉のはたに坐って、茶をいれ出した。

 「ふとんより温かいです。」
 大沢が朴訥《ぼくとつ》に答えた。
 「ほう。
  そんなもんかの。で、飯はどうした、まだたべんじゃろ。」
 と、老人は柱時計を見て、
 「今から炊《た》かしてもええが、もうみんな寝てしもうたで、今夜は芋でがまんするかの。
  芋なら炉にほうりこんどくと、すぐじゃが。」

 時計は、もう十二時をまわっていた。
 大沢は微笑しながら、
 「芋をいただきます。」
 「そうしてくれるかの。」
 と、老人は自分で立ち上って台所の方に行った。

 三人は顔を見合わせた。
 大沢は笑ってうなずいてみせたが、恭一と次郎とは、まだ硬《こわ》ばった顔をしている。
 間もなく老人は小さな笊《ざる》を抱えて来たが、それには里芋がいっぱい盛られていた。
 「小さいのがええ。
  これをこうして灰にいけて置くとすぐじゃ。」
 と、老人は自分で三つ四つ里芋を灰にいけて見せ、
 「さあさ、自分たちで勝手におやんなさい。
  遠慮はいらんからの。」

 「有りがとうございます。」
 と、大沢は、すぐ笊を自分の方に引きよせた、すると、老人は、
 「なかなか活発じゃ。」
 と、三人を見くらべながら、茶をついでくれた。
 里芋が焼けるまでに、老人は、三人の学校、姓名、年齢、旅行の目的といったようなことをいろいろたずねた。
 しかし、べつに取調べをしているというふうは少しもなく、ただいたわってやるといったたずねかたであった。

 恭一も次郎も、しだいに気が楽になって、たずねられるままに素直に返事をした。
 「ここの村の若い衆はな、――」
 と老人は言った。
 「そりゃあ真面目じゃよ。
  じゃが、真面目すぎて、おりおりこの老人をびっくりさせることもあるんじゃ。
  今夜も旅の泥棒が村にはいりこんだ、と言って騒いでな。
  わしもそれで今まで起きて待っていたわけじゃが、
  その泥棒というのがあんた方だったんじゃ。はっはっはっ。」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

名作を読みませんか 更新情報

名作を読みませんかのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング