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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  141

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 当時にあっては、偶像はベートーヴェンだった。
 ベートーヴェンが――いずくんぞ知らん――流行児だったのだ。
 少なくとも、上流人士と文学者との間ではそうだった。

 音楽家らの方は、フランスにおける芸術趣味の一の法則たるシーソー的な方法で、すぐにベートーヴェンから離れてしまっていた。
 フランス人は自分の考えを知るためには、まず隣人の考えを知りたがり、それによって、同じように考えるかあるいは反対に考えるかするものである。

 かくて、ベートーヴェンが広く知られてきたのを見ると、音楽家らのうちの最も秀《ひい》でた人々は、ベートーヴェンも自分らから見るとそう秀でた者ではないと考え始めた。
 彼らは世論に先んじようとしていて、決して世論のあとに従ってゆこうとはしなかった。
 世論に同意するよりはむしろ、それに背を向けたがっていた。

 それで彼らはベートーヴェンをもって、金切り声で叫ぶ聾の老人だとした。
 傾聴すべき道徳家ではあるかもしれないが、音楽家としては買いかぶられてるものだと、断定する者さえあった。
 そういう悪い冗談は、クリストフの趣味に適しなかった。

 また上流人士の心酔もやはり彼を満足させなかった。
 もしベートーヴェンがその時パリーへ来たら、彼は当時の獅子《しし》となり得たであろう。
 惜しいかな彼は一世紀前に死んでいた。

 それにまた、感傷的な伝記によって世に広く知られてる、彼の生涯《しょうがい》の多少小説的な事情の方が、彼の音楽よりもさらに多く、この流行を助けていた。
 獅子のような顔つきをした彼の荒々しい面影は、小説的な顔だちとなされていた。
 婦人らは彼に同情を寄せていた。
 もし自分が彼を知っていたら彼をあれほど不幸にはさせなかったものをと、彼女らははばからず言っていた。
 そしてベートーヴェンがその言葉を真面目《まじめ》に取るの恐れがなかっただけに、なおさら彼女らはその寛大な心をささげようとしていた。

 がこの好々爺《こうこうや》はもはや故人となって、何物をも求めてはいなかったのである。
 それゆえに、名手や管弦楽長や劇場主らは、多くの憐憫《れんびん》を彼にかけてやっていた。

 そしてベートーヴェンの代表者だという資格で、ベートーヴェンにささげられた敬意を身に引き受けていた。
 ごく高価な華麗な大音楽会は、上流人士らに、その寛仁さを示す機会を与えていた。
 時としてはまた、ベートーヴェンの交響曲《シンフォニー》を発見する機会を与えていた。

 俳優や軽薄才子や遊蕩《ゆうとう》者や、芸術の運命を監理するの任をフランス共和国から帯びせられた政治家、そういう連中から成る委員らが、ベートーヴェンの記念碑建設の計画を、世間に発表していた。
 ベートーヴェンが生きていたらその足下に踏みにじられそうな下劣な連中が、かつぎ上げられてる若干のりっぱな人物とともに、その名簿に名を連ねていた。

 クリストフはながめまた聴いていた。
 悪口を言うまいと歯をくいしばっていた。
 そんな晩じゅう、気を張りつめ身体をひきつらしていた。
 口をきくことも黙ってることもできなかった。
 愉快からでもなくまた必要からでもなく、口をきかなければいけないという礼儀から口をきくことは、彼には卑しい恥ずかしいことのように思われた。

 心底の考えを口に出すことは、彼に許されなかった。
 つまらないお座なりを言うことは、彼にはできない業だった。
 しかも黙っていて礼を失《しっ》しないだけの才能を、彼はもっていなかった。
 隣席の人をながめるにしても、あまりにじっと見つめるのであった。

 彼はわれ知らず隣席の人を研究してるのであって、向こうはそれを不快に感じた。
 口をきけば、自分の言うところをあまりに信じすぎていた。
 それは皆のものにとって、また彼自身にとっても、気まずいことだった。

 彼は自分の来るべき場所でないことをよく知っていた。
 そして相当に怜悧《れいり》で、一座の調子が合ってるのを感ずることができ、自分が交ってるためにその調子が狂ってるのを感ずることができたので、来客らと同じように自分でも自分の態度が気にくわなかった。

 彼はみずから自分を恨みまた他人を恨んでいた。
 真夜中ごろついに街路に出て一人っきりになると、厭《いや》で厭でたまらなくて、歩いて帰るだけの力がなかった。
 昔少年名手であったころ、大公爵邸の演奏から帰る途中、幾度もしたがったと同じように、往来のまん中に寝そべってしまいたかった。

 時とすると、一週間の間五、六フランしかもたないにもかかわらず、その二フランを馬車に費やしてしまうこともあった。
 早く逃げ出すために急いで馬車に飛び乗るのだった。
 馬車に運ばれながらがっかりして嘆息していた。

 家に帰っても寝床の中で、眠りながら嘆息していた。
 それから突然、おかしな言葉を思い出して放笑《ふきだ》した。
 その身振りを真似《まね》て言葉をくり返しながら、自分でもびっくりした。
 翌日、または数日後、一人で歩き回りながら、にわかに獣のように唸《うな》り出すことがあった。

 なぜああいう連中に会いに行くのか?
 なぜ彼らに会いにまたやって行くのか?
 他人と同様に身振りをししかめ顔をし、面白くもないことに面白がってるふうをすることが、なぜ余儀ないのか?
 面白くないというのはほんとうなのか?

 一年前だったら、彼はかかる仲間には我慢ができなかったはずである。
 しかし今や、彼らは彼をいらだたせながらも実は面白がらせていた。
 パリー風の無関心さが多少彼のうちにしみ込んできたのか?
 彼は不安の念をもって、自分が弱くなったのではないかと怪しむこともあった。

 しかし反対に、彼はいっそう強くなったのだった。
 他国の社会において、彼の精神はいっそう自由になったのだった。
 彼の眼はわれにもあらず、世間の大喜劇に向かって開かれていた。

 そのうえ、芸術家を知るにつれてその作品に興味をもちだしてくるこのパリーの社会から、自分の芸術が知られんことを望むならば、彼は否でも応でもかかる生活をつづけなければならなかった。
 またこれらの俗衆の間に、生活に必要な稽古《けいこ》の口を得んと望むならば、彼は人に知られることを求めなければならなかった。

 それにまた、人は一つの心をもっている。
 心は知らず知らず愛着する。
 いかなる環境にあっても、愛着の対象を見出してゆく。
 もし愛着しないとすれば、生きることができないのである。

 クリストフが稽古を授けてる若い令嬢のうちに、自動車を製造してる富豪の娘で、コレット・ストゥヴァンというのがあった。
 父はフランスに帰化してるベルギー人で、アンヴェルスに住まってるアングロ・アメリカ人とオランダ婦人との間《あい》の子であった。
 娘の母親はイタリー人であった。

 それはまったくパリー的な家庭だった。
 クリストフにとっては――また多くの他人の眼から見ても――コレット・ストゥヴァンはフランスの若い令嬢の典型だった。
 彼女は十八歳になっていた。

 若い男たちにやさしみを送るビロードのような真黒な眼、湿《うる》んだ光を眼いっぱいにみなぎらすスペイン風な瞳《ひとみ》、すねたような口つきをしながら話の間に軽く顰《ひそ》めたり動かしたりする、やや長い奇妙な小さい鼻、乱れた髪、愛嬌たっぷりの顔、白粉をなすりつけた平凡な肌《はだ》、やや脹《ふく》れっ気味の大きな顔だち、太った子猫《こねこ》のような様子。

 彼女はごくすらりとした身体つきで、服の着つけもよく、誘惑的な挑戦《ちょうせん》的な姿だったが、わざとらしい馬鹿げた嬌態《きょうたい》をいつも見せていた。
 小娘らしいふりを装《よそお》って、船底肱掛椅子《ひじかけいす》でいつまでも身体を揺り、「どう、そんなのないの?」などと小さな叫び声をたて、食卓で自分の好きな料理が出ると、両手をたたき、客間では、巻煙草《たばこ》を吹かしてみ、男の前で女の友だちにたいする途方もない愛情の様子を見せ、その首に飛びつき、その手をなで、その耳にささやき、やさしい細い声で、無邪気なことを言い、また巧みに悪口をも言い、場合によっては、何気ないふうでごく際《きわ》どい事をも言い、またいっそうそれを人にも言わせ、きわめておとなしい小娘のような清純な様子をし、重々しい眼瞼《まぶた》のある、肉欲的な陰険な輝いた眼で、狡猾《こうかつ》そうな横目を使い、あらゆる冗談を待ち受け、あらゆる猥《みだ》らな話を拾い取り、どこかで男の心を釣《つ》ろうとつとめていた。

 それらの猿《さる》知恵は、小犬のようなそれらの道化振りは、猫被《ねこかぶ》りのその無邪気さは、いかにしてもクリストフの気に入るはずがなかった。
 放縦《ほうじゅう》な娘の策略に巻き込まれたり、あるいは面白そうな眼でそれをながめることよりも、彼には他になすべきことがあった。

 彼はパンを得なければならなかった。
 自分の生命と思想とを死から救わなければならなかった。
 客間の鸚鵡《おうむ》たる彼女らから受ける唯一の利益は、この必要な方法を得るということだけだった。

 彼は金の代わりに彼女に、稽古《けいこ》を授けていた。
 額《ひたい》に皺《しわ》を寄せ、仕事に気をこめて、熱心にやりながら、仕事のつまらなさ加減のために気を散らされないようにし、またコレット・ストゥヴァンのように婀娜《あだ》っぽい弟子《でし》たちの揶揄《やゆ》のために、気を散らされないようにつとめていた。

 彼はコレットにたいしても、その小さな従妹《いとこ》にたいするくらいの注意をしか払っていなかった。
 この従妹というのは、黙った内気な十二歳の少女で、ストゥヴァン家に引き取られていたものであるが、やはりクリストフからピアノを教わっていた。

 しかしコレットはきわめて機敏だったので、自分の容色もクリストフにたいしては無駄《むだ》であると感ぜずにはいなかったし、またきわめて柔和だったので、一時彼のやり方に順応せずにはいなかった。
 彼女はそれをみずからつとめるにも及ばなかった。
 それは生来の一本能だった。

 彼女は女だった。
 形のない波のようなものだった。
 彼女が出会うあらゆる魂は、彼女にとっては器《うつわ》のようなもので、彼女は好奇心からまた必要から、すぐにその形をみずから取るのであった。
 存在せんがためには、いつも他の人となる必要があった。彼女の性格と言えば、一つの性格者でないということであった。彼女はしばしば自分の器を取り換えていた。

 クリストフは彼女をひきつけていた。
 それには多くの理由があったが、その第一のものは、彼が彼女からひきつけられていないということだった。
 なお他の理由としては、彼女の知ってるあらゆる青年と彼が異なってるからでもあった。
 こんな形のこんな粗暴な容器に、彼女はまだかつて順応しようとしたことがなかった。

 また最後の理由としては、彼女は容器や人々の正確な価値を一見して評価するのに、民族的な巧慧《こうけい》さをそなえていたから、クリストフには優雅な点はないが、骨董《こっとう》品的なパリー人の示すことのできない堅実さをもっているということを、完全に見て取ったからであった。

 彼女は現代の暇な若い娘の大多数と同じ調子で、音楽をやっていた。
 盛んにやるとともにほとんどやっていなかった。
 言い換えれば、常に音楽をやりながらほとんど何にも知らなかった。

 仕事がないために、様子ぶるために、楽しみのために、終日ピアノをたたきちらしていた。
 あるいは自転車をでも取扱うようなふうにやることもあった。
 あるいは趣味と魂とをこめてごくうまくひくこともあった。

 彼女は一つの魂をもってるとも言えるほどだった。
 しかしそれには、一つの魂をもってるだれかの地位に身を置けば十分なのであった。
 彼女はクリストフを知る前には、マスネー、グリーグ、トーマ、などを好むこともできた。
 しかしクリストフを知ってからは、そういう人々をもう好まないこともできた。
 そして今ではバッハやベートーヴェンをごく正しくひいていた。
 実を言えばそれは大したことでない。

 しかしいいことには、彼女は彼らを好んでいた。
 が結局は、彼女が好んでいたものは、ベートーヴェンでもトーマでもバッハでもグリーグでもなかった。
 それは、音符をであり、音響をであり、鍵盤《けんばん》の上を走る自分の指をであり、神経の弦を刺激する弦の震えをであり、快感をそそるそのくすぐりをであった。

 貴族的な邸宅の客間の中は、やや色褪《あ》せた壁布で飾られていて、室のまん中の画架の上には、強健なストゥヴァン夫人の肖像がかかっていた。
 流行児の一画家が描いたもので、眼には光がなく、身体は螺旋《らせん》状にねじ曲げて、百万長者の魂の世に稀有《けう》なことを表現するため、あたかも水なき花のように、憔悴《しょうすい》した姿に描かれていた。

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