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名作を読みませんかコミュの「蟹工船」  小林 多喜二  11

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        九

 監督は周章(あわ)て出した。
 漁期の過ぎてゆくその毎年の割に比べて、蟹の高はハッキリ減っていた。
 他の船の様子をきいてみても、昨年よりはもっと成績がいいらしかった。
 二千函(ばこ)は遅れている。
 監督は、これではもう今までのように「お釈迦(しゃか)様」のようにしていたって駄目だ、と思った。

 本船は移動することにした。
 監督は絶えず無線電信を盗みきかせ、他の船の網でもかまわずドンドン上げさせた。
 二十浬(かいり)ほど南下して、最初に上げた渋網には、蟹がモリモリと網の目に足をひっかけて、かかっていた。
 たしかに××丸のものだった。
 「君のお陰だ」と、彼は監督らしくなく、局長の肩をたたいた。

 網を上げているところを見付けられて、発動機が放々の態(てい)で逃げてくることもあった。
 他船の網を手当り次第に上げるようになって、仕事が尻上りに忙しくなった。

 仕事を少しでも怠(なま)けたと見るときには大焼きを入れる。
 組をなして怠けたものにはカムサツカ体操をさせる。
 罰として賃銀棒引き、
 函館へ帰ったら、警察に引き渡す。
 いやしくも監督に対し、少しの反抗を示すときは銃殺されるものと思うべし。
                     浅川監督
                     雑夫長


 この大きなビラが工場の降り口に貼(は)られた。
 監督は弾をつめッ放しにしたピストルを始終持っていた。
 飛んでもない時に、皆の仕事をしている頭の上で、鴎(かもめ)や船の何処(どこ)かに見当をつけて、「示威運動」のように打った。

 ギョッとする漁夫を見て、ニヤニヤ笑った。
 それは全く何かの拍子に「本当」に打ち殺されそうな不気味な感じを皆にひらめかした。

 水夫、火夫も完全に動員された。
 勝手に使いまわされた。
 船長はそれに対して一言も云えなかった。
 船長は「看板」になってさえいれば、それで立派な一役だった。

 前にあったことだった――領海内に入って漁をするために、船を入れるように船長が強要された。
 船長は船長としての公の立場から、それを犯すことは出来ないと頑張(がんば)った。
 「勝手にしやがれ!」
 「頼まないや!」
 と云って、監督等が自分達で、船を領海内に転錨(てんびょう)さしてしまった。

 ところが、それが露国の監視船に見付けられて、追跡された。
 そして訊問(じんもん)になり、自分がしどろもどろになると、「卑怯(ひきょう)」にも退却してしまった。
 「そういう一切のことは、船としては勿論(もちろん)船長がお答えすべきですから……」
 無理矢理に押しつけてしまった。
 全く、この看板は、だから必要だった。
 それだけでよかった。

 そのことがあってから、船長は船を函館に帰そうと何辺も思った。
 が、それをそうさせない力が――資本家の力が、やっぱり船長をつかんでいた。
 「この船全体が会社のものなんだ、分ったか!」
 ウァハハハハハと、口を三角にゆがめて、背のびするように、無遠慮に大きく笑った。

 「糞壺」に帰ってくると、吃(ども)りの漁夫は仰向けにでんぐり返った。
 残念で、残念で、たまらなかった。
 漁夫達は、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何も云えない程ぐッしゃりつぶされてしまっていた。
 学生の作った組織も反古(ほご)のように、役に立たなかった。

 それでも学生は割合に元気を保っていた。
 「何かあったら跳ね起きるんだ。
  その代り、その何かをうまくつかむことだ」 
 と云った。
 「これでも跳ね起きられるかな」
 威張んなの漁夫だった。

 「かな?
  馬鹿。
  こっちは人数が多いんだ。
  恐れることはないさ。
  それに彼奴等が無茶なことをすればする程、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、
  火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりにいいだけつまっているんだ。
  俺はそいつを頼りにしているんだ」

 「道具立てはいいな」威張んなは「糞壺」の中をグルグル見廻して、
 「そんな奴等がいるかな。
  どれも、これも…………」
 愚痴ッぽく云った。
 「俺達から愚痴ッぽかったら――もう、最後だよ」
 「見れ、お前えだけだ、元気のええのア。
  今度事件起こしてみれ、生命(いのち)がけだ」

 学生は暗い顔をした。
 「そうさ……」と云った。
 監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。
 三、四人固まっていると、怒鳴りつけた。
 それでも、まだ足りなく、秘密に自分の手下を「糞壺」に寝らせた。

 「鎖」が、ただ、眼に見えないだけの違いだった。
 皆の足は歩くときには、吋太(インチぶと)の鎖を現実に後に引きずッているように重かった。
 「俺ア、キット殺されるべよ」
 「ん。
  んでも、どうせ殺されるッて分ったら、その時アやるよ」

 芝浦の漁夫が、
 「馬鹿!」
 と、横から怒鳴りつけた。
 「殺されるッて分ったら?
  馬鹿ア、何時(いつ)だ、それア。
  今、殺されているんでねえか。
  小刻みによ。
  彼奴等はな、上手なんだ。
  ピストルは今にもうつように、何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。

  あれア「手」なんだ。
  分るか。
  彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。
  目的は、本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木(しめぎ)にかけて、
  ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。
  そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。
  どうだ、この滅茶苦茶は。
  まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」
 「んだな!」
 「んだな、も糞もあるもんか」
 厚い掌(てのひら)に、煙草の火を転がした。

 「ま、待ってくれ、今に、畜生!」
 あまり南下して、身体(がら)の小さい女蟹ばかり多くなったので、場所を北の方へ移動することになった。
 それで皆は残業をさせられて、少し早目に(久し振りに!)仕事が終った。
 皆が「糞壺」に降りて来た。

 「元気ねえな」芝浦だった。
 「こら、足ば見てけれや。
  ガク、ガクッて、段ば降りれなくなったで」
 「気の毒だ。
  それでもまだ一生懸命働いてやろうッてんだから」
 「誰が!
  仕方ねんだべよ」
 芝浦が笑った。
 「殺される時も、仕方がねえか」
 「…………」

 「まあ、このまま行けば、お前ここ四、五日だな」
 相手は拍手に、イヤな顔をして、黄色ッぽくムクンだ片方の頬(ほお)と眼蓋(まぶた)をゆがめた。
 そして、だまって自分の棚(たな)のところへ行くと、端へ膝(ひざ)から下の足をブラ下げて、関節を掌刀(てがたな)でたたいた。

 下で、芝浦が手を振りながら、しゃべっていた。
 吃(ども)りが、身体をゆすりながら、相槌(あいづち)を打った。
 「いいか、まア仮りに金持が金を出して作ったから、船があるとしてもいいさ。

  水夫と火夫がいなかったら動くか。
  蟹が海の底に何億っているさ。
  仮りにだ、色々な仕度(したく)をして、此処まで出掛けてくるのに、
  金持が金をだせたからとしてもいいさ。
  俺達が働かなかったら、一匹の蟹だって、金持の懐(ふところ)に入って行くか。

  いいか、俺達がこの一夏ここで働いて、それで一体どの位金が入ってくる。
  ところが、金持はこの船一艘で純手取り四、五十万円ッて金をせしめるんだ。
  さあ、んだら、その金の出所だ。
  無から有は生ぜじだ。
  分るか。
  なア、皆んな俺達の力さ。
  んだから、そう今にもお陀仏するような不景気な面(つら)してるなって云うんだ。

  うんと威張るんだ。
  底の底のことになれば、うそでない、あっちの方が俺達をおッかながってるんだ。
  ビクビクすんな。
  水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。
  労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ。

  さっき云った船を買ったり、道具を用意したり、仕度をする金も、
  やっぱり他の労働者が血をしぼって、儲けさせてやった。
  俺達からしぼり取って行きやがった金なんだ。
  金持と俺達とは親と子なんだ……」

 監督が入ってきた。
 皆ドマついた恰好(かっこう)で、ゴソゴソし出した。


        十

 空気が硝子(ガラス)のように冷たくて、塵(ちり)一本なく澄んでいた。
 二時で、もう夜が明けていた。
 カムサツカの連峰が金紫色に輝いて、海から二、三寸位の高さで、地平線を南に長く走っていた。

 小波(さざなみ)が立って、その一つ一つの面が、朝日を一つ一つうけて、夜明けらしく、寒々と光っていた。
 それが入り乱れて砕け、入り交れて砕ける。
 その度にキラキラ、と光った。
 鴎の啼声が(何処(どこ)にいるのか分らずに)声だけしていた。
 さわやかに、寒かった。

 荷物にかけてある、油のにじんだズックのカヴァが時々ハタハタとなった。
 分らないうちに、風が出てきていた。
 袢天(はんてん)の袖に、カガシのように手を通しながら、漁夫が段々を上ってきて、ハッチから首を出した。
 首を出したまま、はじかれたように叫んだ。
 「あ、兎(うさぎ)が飛んでる。
  これア大暴風(しけ)になるな」

 三角波が立ってきていた。
 カムサツカの海に慣れている漁夫には、それが直(す)ぐ分る。
 「危ねえ、今日休みだべ」
 一時間程してからだった。
 川崎船を降ろすウインチの下で、其処(そこ)、此処(ここ)七、八人ずつ漁夫が固まっていた。
 川崎船はどれも半降ろしになったまま、途中で揺れていた。
 肩をゆすりながら海を見て、お互云い合っている。
 一寸した。
 「やめたやめた!」
 「糞(くそ)でも喰(くら)らえ、だ!」

 誰かキッカケにそういうのを、皆は待っていたようだった。
 肩を押し合って、「おい、引き上げるべ!」と云った。
 「ん」
 「ん、ん!」
 一人がしかめた眼差(まなざし)で、ウインチを見上げて、「然(しか)しな……」と躊躇(ため)らっている。
 行きかけたのが、自分の片肩をグイとしゃくって、
 「死にたかったら、独(ひと)りで行(え)げよ!」
 と、ハキ出した。
 皆は固(かたま)って歩き出した。

 誰か「本当にいいかな」と、小声で云っていた。
 二人程、あやふやに、遅れた。
 次のウインチの下にも、漁夫達は立ちどまったままでいた。
 彼等は第二号川崎の連中が、こっちに歩いてくるのを見ると、その意味が分った。

 四、五人が声をあげて、手を振った。 
 「やめだ、やめだ!」
 「ん、やめだ!」
 その二つが合わさると、元気が出てきた。
 どうしようか分らないでいる遅れた二、三人は、まぶしそうに、こっちを見て、立ち止っていた。
 皆が第五川崎のところで、又一緒になった。

 それ等を見ると、遅れたものはブツブツ云いながら後から、歩き出した。
 吃りの漁夫が振りかえって、大声で呼んだ。
 「しっかりせッ!」

 雪だるまのように、漁夫達のかたまりがコブをつけて、大きくなって行った。
 皆の前や後を、学生や吃りが行ったり、来たり、しきりなしに走っていた。
 「いいか、はぐれないことだど!
  何よりそれだ。
  もう、大丈夫だ。
  もう!」

 煙筒の側に、車座に坐って、ロープの繕いをやっていた水夫が、のび上って、
 「どうした。
  オ――イ?」
 と怒鳴った。
 皆はその方へ手を振りあげて、ワアーッと叫んだ。
 上から見下している水夫達には、それが林のように揺れて見えた。
 「よオし、さ、仕事なんてやめるんだ!」
 ロープをさっさと片付け始めた。
 「待ってたんだ!」

 そのことが漁夫達の方にも分った。
 二度、ワアーッと叫んだ。
 「まず糞壺さ引きあげるべ。そうするべ。
  非道(ひで)え奴だ。
  ちゃんと大暴風(しけ)になること分っていて、それで船を出させるんだからな。
  人殺しだべ!」
 「あったら奴に殺されて、たまるけア!」
 「今度こそ、覚えてれ!」

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