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名作を読みませんかコミュの「蟹工船」  小林 多喜二  6

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 無電係が、他船の交換している無電を聞いて、その収獲を一々監督に知らせた。
 それで見ると、本船がどうしても負けているらしい事が分ってきた。
 監督がアセリ出した。
 すると、テキ面にそのことが何倍かの強さになって、漁夫や雑夫に打ち当ってきた。

 何時(いつ)でも、そして、何んでもドン詰りの引受所が「彼等」だけだった。
 監督や雑夫長はわざと「船員」と「漁夫、雑夫」との間に、仕事の上で競争させるように仕組んだ。
 同じ蟹(かに)つぶしをしていながら、「船員に負けた」となると、(自分の儲(もう)けになる仕事でもないのに)漁夫や雑夫は「何に糞ッ!」という気になる。
 監督は「手を打って」喜んだ。

 今日勝った、今日負けた、今度こそ負けるもんか。
 血の滲(にじ)むような日が滅茶苦茶に続く。
 同じ日のうちに、今までより五、六割も殖(ふ)えていた。
 然し五日、六日になると、両方とも気抜けしたように、仕事の高がズシ、ズシ減って行った。

 仕事をしながら、時々ガクリと頭を前に落した。
 監督はものも云わないで、なぐりつけた。
 不意を喰(く)らって、彼等は自分でも思いがけない悲鳴を「キャッ!」とあげた。
 皆は敵(かたき)同志か、言葉を忘れてしまった人のように、お互にだまりこくって働いた。
 ものを云うだけのぜいたくな「余分」さえ残っていなかった。

 監督は然し、今度は、勝った組に「賞品」を出すことを始めた。
 燻(くすぶ)りかえっていた木が、又燃え出した。
 「他愛のないものさ」監督は、船長室で、船長を相手にビールを飲んでいた。
 船長は肥えた女のように、手の甲にえくぼが出ていた。
 器用に金口(きんぐち)をトントンとテーブルにたたいて、分らない笑顔(えがお)で答えた。

 船長は、監督が何時でも自分の眼の前で、マヤマヤ邪魔をしているようで、たまらなく不快だった。
 漁夫達がワッと事を起して、此奴をカムサツカの海へたたき落すようなことでもないかな、そんな事を考えていた。

 監督は「賞品」の外に、逆に、一番働きの少いものに「焼き」を入れることを貼紙(はりがみ)した。
 鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。
 彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような「焼き」に始終追いかけられて、仕事をした。

仕事が尻上(しりあが)りに、目盛りをあげて行った。
 人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。
仕事が終って、丸太棒のように棚(たな)の中に横倒れに倒れると、「期せずして」う、う――、うめいた。

 学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」の絵が、そのままこうであることを思い出した。
 それは、小さい時の彼には、丁度うわばみのような動物が、沼地ににょろ、にょろと這(は)っているのを思わせた。
 それとそっくり同じだった。
 過労がかえって皆を眠らせない。

 夜中過ぎて、突然、硝子(ガラス)の表に思いッ切り疵(きず)を付けるような無気味な歯ぎしりが起ったり、寝言や、うなされているらしい突調子(とっぴょうし)な叫声が、薄暗い「糞壺」の所々から起った。
 彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく、まだ生きているな……」と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。
 よく、まだ生きている。
 そう自分の身体に!

 学生上りは一番「こたえて」いた。
「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、
 あれだって大したことでないって気がする。」
 その学生は、糞(くそ)が何日もつまって、頭を手拭(てぬぐい)で力一杯に締めないと、眠れなかった。

 「それアそうだろう」相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつ嘗(な)めていた。
 「何んしろ大事業だからな。
人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。
 この蟹工船(かにこうせん)だって、今はこれで良くなったそうだよ。
  天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったり、
  した創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。
  露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、
  立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。
  まア仕方がないさ」
 「…………」

 歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。
 然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。
 彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹を撫(な)でた。
 弱い電気に触れるように、拇指(おやゆび)のあたりが、チャラチャラとしびれる。
 イヤな気持がした。
 拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。

 皆は、夕飯が終って、「糞壺」の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。
 お互の身体が少し温(あたたま)ってくると、湯気が立った。
 蟹の生ッ臭い匂(にお)いがムレて、ムッと鼻に来た。
 「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」
 「んだよ!」
 憂々した気持が、もたれかかるように、其処(そこ)へ雪崩(なだ)れて行く。

 殺されかかっているんだ!
 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。
 「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞(くそ)、こッ殺されてたまるもんか!」
 吃(ども)りの漁夫が、自分でももどかしく、顔を真赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。
 一寸(ちょっと)、皆だまった。何かにグイと心を「不意」に突き上げられた――のを感じた。
 「カムサツカで死にたくないな……」
 「…………」

 「中積船、函館ば出たとよ。
  無電係の人云ってた」
 「帰りてえな」
 「帰れるもんか」
 「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」
 「んか ……ええな」
 「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものも.
いるッてな」
 「…………」

 「日本帝国のためか、――又、いい名義を考えたもんだ」
 学生は胸のボタンを外(はず)して、階段のように一つ一つ窪(くぼ)みの出来ている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシ掻(か)いた。
 垢(あか)が乾いて、薄い雲母のように剥(は)げてきた。
 「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」

 カキの貝殻のように、段々のついた、たるんだ眼蓋(まぶた)から、弱々しい濁った視線をストオヴの上にボンヤリ投げていた中年を過ぎた漁夫が唾(つば)をはいた。
 ストオヴの上に落ちると、それがクルックルッと真円(まんまる)にまるくなって、ジュウジュウ云いながら、豆のように跳(は)ね上って、見る間に小さくなり、油煙粒ほどの小さいカスを残して、無くなった。

 皆はそれにウカツな視線を投げている。
 「それ、本当かも知れないな」
 然し、船頭が、ゴム底タビの赤毛布の裏を出して、ストーヴにかざしながら、
 「おいおい叛逆(てむかい)なんかしないでけれよ」と云った。
 「…………」
 「勝手だべよ。糞」
 吃りが唇を蛸(たこ)のように突き出した。

 ゴムの焼けかかっているイヤな臭いがした。
 「おい、親爺(おど)、ゴム!」
 「ん、あ、こげた!」
 波が出て来たらしく、サイドが微(かす)かになってきた。
 船も子守唄(うた)程に揺れている。
 腐った海漿(ほおずき)のような五燭燈でストーヴを囲んでいるお互の、後に落ちている影が色々にもつれて、組合った。

 静かな夜だった。
 ストーヴの口から赤い火が、膝(ひざ)から下にチラチラと反映していた。
 不幸だった自分の一生が、ひょいと――まるッきり、ひょいと、しかも一瞬間だけ見返される――不思議に静かな夜だった。
 「煙草無(ね)えか?」
 「無え……」
 「無えか?……」
 「なかったな」
 「糞」
 「おい、ウイスキーをこっちにも廻せよ、な」
 相手は角瓶(かくびん)を逆かさに振ってみせた。
 「おッと、勿体(もったい)ねえことするなよ」
 「ハハハハハハハ」
 「飛んでもねえ所さ、然し来たもんだな、俺も……」

 その漁夫は芝浦の工場にいたことがあった。
 そこの話がそれから出た。
 それは北海道の労働者達には「工場」だとは想像もつかない「立派な処」に思われた。
 「ここの百に一つ位のことがあったって、あっちじゃストライキだよ」と云った。
 その事から――そのキッかけで、お互の今までしてきた色々のことが、ひょいひょいと話に出てきた。

 「国道開たく工事」「灌漑(かんがい)工事」「鉄道敷設」「築港埋立」「新鉱発掘」「開墾」「積取人夫」「鰊(にしん)取り」――殆(ほと)んど、そのどれかを皆はしてきていた。
 内地では、労働者が「横平(おうへい)」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪(かぎづめ)をのばした。
 其処(そこ)では、彼等は朝鮮や、台湾の殖民地と同じように、面白い程無茶な「虐使」が出来た。

 然し、誰も、何んとも云えない事を、資本家はハッキリ呑み込んでいた。
 「国道開たく」「鉄道敷設」の土工部屋では、虱(しらみ)より無雑作に土方がタタき殺された。
 虐使に堪(た)えられなくて逃亡する。
 それが捕(つか)まると、棒杭(ぼうぐい)にしばりつけて置いて、馬の後足で蹴(け)らせたり、裏庭で土佐犬に噛(か)み殺させたりする。

 それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。
 肋骨(ろっこつ)が胸の中で折れるボクッとこもった音をきいて、「人間でない」土方さえ思わず顔を抑えるものがいた。
 気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度も繰りかえした。
 終(しま)いには風呂敷包みのように、土佐犬の強靱(きょうじん)な首で振り廻わされて死ぬ。
 ぐったり広場の隅(すみ)に投げ出されて、放って置かれてからも、身体の何処かが、ピクピクと動いていた。

 焼火箸(やけひばし)をいきなり尻にあてることや、六角棒で腰が立たなくなる程なぐりつけることは「毎日」だった。
 飯を食っていると、急に、裏で鋭い叫び声が起る。すると、人の肉が焼ける生ッ臭い匂いが流れてきた。
 「やめた、やめた。
  とても飯なんて、食えたもんじゃねえや」
 箸を投げる。
 が、お互暗い顔で見合った。

 脚気(かっけ)では何人も死んだ。
 無理に働かせるからだった。
 死んでも「暇がない」ので、そのまま何日も放って置かれた。
 裏へ出る暗がりに、無雑作にかけてあるムシロの裾(すそ)から、子供のように妙に小さくなった、黄黒く、艶(つや)のない両足だけが見えた。
 「顔に一杯蠅(はえ)がたかっているんだ。
 そばを通ったとき、一度にワアーンと飛び上るんでないか!」
 額を手でトントン打ちながら入ってくると、そう云う者があった。

 皆は朝は暗いうちに仕事場に出された。
 そして鶴嘴(つるはし)のさきがチラッ、チラッと青白く光って、手元が見えなくなるまで、働かされた。
 近所に建っている監獄で働いている囚人の方を、皆はかえって羨(うらやま)しがった。
 殊(こと)に朝鮮人は親方、棒頭(ぼうがしら)からも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」ような待遇をうけていた。
 其処から四、五里も離れた村に駐在している巡査が、それでも時々手帖をもって、取調べにテクテクやってくる。
 夕方までいたり、泊りこんだりした。

 然し土方達の方へは一度も顔を見せなかった。そして、帰りには真赤な顔をして、歩きながら道の真中を、消防の真似(まね)でもしているように、小便を四方にジャジャやりながら、分らない独言を云って帰って行った。
 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。

 築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。
 北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。
 蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。
 これこそ、全くそっくりではないか! 
 そこでは誰をも憚(はばか)らない「原始的」な搾取が出来た。
 「儲(もう)け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。
 しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。

 抜目がなかった。
 「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。
 「其処(あこ)から生きて帰れたなんて、神助け事だよ。
  有難かったな!
  んでも、この船で殺されてしまったら、同じだべよ。
  何アーんでえ!」
 そして突調子(とっぴょうし)なく大きく笑った。
 その漁夫は笑ってしまってから、然し眉(まゆ)のあたりをアリアリと暗くして、横を向いた。

 鉱山(やま)でも同じだった。
 新しい山に坑道を掘る。
 そこにどんな瓦斯(ガス)が出るか、どんな飛んでもない変化が起るか、それを調べあげて一つの確針をつかむのに、資本家は「モルモット」より安く買える「労働者」を、乃木軍神がやったと同じ方法で、入り代り、立ち代り雑作なく使い捨てた。
 鼻紙より無雑作に!
 「マグロ」の刺身のような労働者の肉片が、坑道の壁を幾重にも幾重にも丈夫にして行った。

 都会から離れていることを好い都合にして、此処でもやはり「ゾッ」とすることが行われていた。
 トロッコで運んでくる石炭の中に拇指(おやゆび)や小指がバラバラに、ねばって交ってくることがある。
 女や子供はそんな事には然し眉を動かしてはならなかった。
 そう「慣らされていた」彼等は無表情に、それを次の持場まで押してゆく。
 その石炭が巨大な機械を、資本家の「利潤」のために動かした。
 どの坑夫も、長く監獄に入れられた人のように、艶(つや)のない黄色くむくんだ、始終ボンヤリした顔をしていた。

 日光の不足と、炭塵(たんじん)と、有毒ガスを含んだ空気と、温度と気圧の異常とで、眼に見えて身体がおかしくなってゆく。
 「七、八年も坑夫をしていれば、凡(およ)そ四、五年間位は打(ぶ)ッ続けに真暗闇(まっくらやみ)の底にいて、一度だって太陽を拝まなかったことになる、四、五年も!」
 だが、どんな事があろうと、代りの労働者を何時でも沢山仕入れることの出来る資本家には、そんなことはどうでもいい事であった。

 冬が来ると、「やはり」労働者はその坑山に流れ込んで行った。
 それから「入地百姓」――北海道には「移民百姓」がいる。
 「北海道開拓」「人口食糧問題解決、移民奨励」、日本少年式な「移民成金」など、ウマイ事ばかり並べた活動写真を使って、田畑を奪われそうになっている内地の貧農を煽動(せんどう)して、移民を奨励して置きながら、四、五寸も掘り返せば、下が粘土ばかりの土地に放り出される。

 豊饒(ほうじょう)な土地には、もう立札が立っている。
 雪の中に埋められて、馬鈴薯も食えずに、一家は次の春には餓死することがあった。
 それは「事実」何度もあった。
 雪が溶けた頃になって、一里も離れている「隣りの人」がやってきて、始めてそれが分った。
 口の中から、半分嚥(の)みかけている藁屑(わらくず)が出てきたりした。
 稀(ま)れに餓死から逃れ得ても、その荒ブ地を十年もかかって耕やし、ようやくこれで普通の畑になったと思える頃、実はそれにちアんと、「外の人」のものになるようになっていた。

資本家は――高利貸、銀行、華族、大金持は、嘘(うそ)のような金を貸して置けば、(投げ捨てて置けば)荒地は、肥えた黒猫の毛並のように豊饒な土地になって、間違なく、自分のものになってきた。
そんな事を真似て、濡手をきめこむ、目の鋭い人間も、又北海道に入り込んできた。
 百姓は、あっちからも、こっちからも自分のものを噛(か)みとられて行った。
そして終(しま)いには、彼等が内地でそうされたと同じように「小作人」にされてしまっていた。
 そうなって百姓は始めて気付いた。
「失敗(しま)った!」
 彼等は少しでも金を作って、故里(ふるさと)の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。

 蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」に追い立てられて来たものが沢山いた。

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