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名作を読みませんかコミュの「三四郎」  夏目漱石  10

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 少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。
 広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。
 「時代錯誤《アナクロニズム》だ。
  日本の物質界も精神界もこのとおりだ。
  君、九段の燈明台を知っているだろう」
 とまた燈明台が出た。

 「あれは古いもので、江戸名所図会《えどめいしょずえ》に出ている」
 「先生冗談言っちゃいけません。
  なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。
 じつは東京名所という錦絵《にしきえ》の間違いだということがわかった。

 先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社《かいこうしゃ》という新式の煉瓦《れんが》作りができた。
 二つ並べて見るとじつにばかげている。
 けれどもだれも気がつかない、平気でいる。
 これが日本の社会を代表しているんだと言う。
 与次郎も三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。

 与次郎が、ここを抜けて道灌山《どうかんやま》へ出ようと言い出した。
 抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹《さたけ》の下屋敷《しもやしき》で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪《やぶ》の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。
 その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。
 それから谷中《やなか》へ出て、根津《ねづ》を回って、夕方に本郷の下宿へ帰った。
 三四郎は近来にない気楽な半日を暮らしたように感じた。

 翌日学校へ出てみると与次郎がいない。
 昼から来るかと思ったが来ない。
 図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。
 五時から六時まで純文科共通の講義がある。
 三四郎はこれへ出た。
 筆記するには暗すぎる。
 電燈がつくには早すぎる。

 細長い窓の外に見える大きな欅《けやき》の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋《へや》の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。
 したがって暗闇《くらやみ》で饅頭《まんじゅう》を食うように、なんとなく神秘的である。
 三四郎は講義がわからないところが妙だと思った。
 頬杖《ほおづえ》を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。
 これでこそ講義の価値があるような心持ちがする。
 ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭《めいりょう》になった。

 すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。
 先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。
 三四郎は早足で追分《おいわけ》まで帰ってくる。
 着物を脱ぎ換えて膳《ぜん》に向かうと、膳の上に、茶碗蒸《ちゃわんむし》といっしょに手紙が一本載せてある。
 その上封《うわふう》を見たとき、三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。

 すまんことだがこの半月あまり母の事はまるで忘れていた。
 きのうからきょうへかけては時代錯誤《アナクロニズム》だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。
 三四郎はそれで満足である。
 母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。
 その煙を見るとさっきの講義を思い出す。

 そこへ与次郎がふらりと現われた。
 どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。
 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、
 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。
  どこか心当りはないか」
 と言う。
 こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。
 三四郎にはほとんど合点《がてん》がいかない。

 与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。
 「元来先生が家を捜すなんて間違っている。
  けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。
  おかげで佐竹の邸《やしき》でひどい目にしかられていい面《つら》の皮だ。
  君どこかないか」
 と急に催促する。

 与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。
 よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹《ごうはら》だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。
 それでは与次郎に責任があるわけだ。
 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。
  大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。
  かわいそうにまだ色光沢《いろつや》が悪い。
  辣薑性《らっきょうせい》の美人、おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。
  しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。
  轢死《れきし》もあれぎりないそうだ」

 与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。
 平生から締まりのないうえに、きょうは家《や》捜しで少しせきこんでいる。
 話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかないかと聞く。
 しまいには三四郎も笑い出した。

 そのうち与次郎の尻《しり》が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。
 話題ははしなく広田先生の上に落ちた。
 「君の所の先生の名はなんというのか」
 「名は萇《ちょう》」と指で書いて見せて、
 「艸冠《くさかんむり》がよけいだ。
  字引にあるかしらん。
  妙な名をつけたものだね」
 と言う。

 「高等学校の先生か」
 「昔から今日《こんにち》に至るまで高等学校の先生。
  えらいものだ。十年一日《じつ》のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」
 「子供はおるのか」
 「子供どころか、まだ独身《ひとりみ》だ」
 三四郎は少し驚いた。
 あの年まで一人でいられるものかとも疑った。

 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」
 「そこが先生の先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。
  細君《さいくん》をもらってみないさきから、細君はいかんものと理論できまっているんだそうだ。
  愚だよ。
  だからしじゅう矛盾《むじゅん》ばかりしている。
  先生、東京ほどきたない所はないように言う。
  それで石の門を見ると恐れをなして、いかんいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」
 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」
 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」

 「先生は東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」
 「なにするもんか。
  ああいう人なんだ。
  万事頭のほうが事実より発達しているんだからああなるんだね。
  その代り西洋は写真で研究している。
  パリの凱旋門《がいせんもん》だの、ロンドンの議事堂だの、たくさん持っている。
  あの写真で日本を律するんだからたまらない。
  きたないわけさ。
  それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」

 「三等汽車へ乗っておったぞ」
 「きたないきたないって不平を言やしないか」
 「いやべつに不平も言わなかった」
 「しかし先生は哲学者だね」
 「学校で哲学でも教えているのか」
 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているからおもしろい」

 「著述でもあるのか」
 「何もない。
  時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。
  あれじゃだめだ。
  まるで世間が知らないんだからしようがない。
  先生、ぼくの事を丸行燈《まるあんどん》だと言ったが、夫子《ふうし》自身は偉大な暗闇だ」

 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」
 「出たらよさそうなものだって、先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。
  第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」
 三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。

 「嘘《うそ》じゃない。
  気の毒なほどなんにもやらないんでね。
  なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが。
  そんな瑣末《さまつ》な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」
 与次郎はまじめである。
 三四郎はその大言《たいげん》に驚いた。
 驚いてもかまわない。
 驚いたままに進行して、しまいに、
 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。
 まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻《こうふん》である。

 与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。
 一人ですわっていると、どことなく肌寒《はださむ》の感じがする。
 ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。
 障子をあけると月夜だ。
 目に触れるたびに不愉快な檜《ひのき》に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。
 檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。

 三四郎はすぐ床《とこ》へはいった。
 三四郎は勉強家というよりむしろ低家徊家《ていかいか》なので、わりあい書物を読まない。
 その代りある掬《きく》すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。
 そのほうが命に奥行《おくゆき》があるような気がする。
 きょうも、いつもなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。

 手紙には新蔵《しんぞう》が蜂蜜《はちみつ》をくれたから、焼酎《しょうちゅう》を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。
 新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米《ねんぐまい》を二十俵ずつ持ってくる。
 いたって正直者だが、癇癪《かんしゃく》が強いので、時々女房を薪《まき》でなぐることがある。

 三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。
 それは五年ほどまえである。
 裏の椎《しい》の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗《もみじょうご》に酒を吹きかけて、ことごとく生捕《いけどり》にした。
 それからこれを箱へ入れて、出入《ではい》りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。

 すると蜂がだんだんふえてくる。
 箱が一つでは足りなくなる。
 二つにする。
 また足りなくなる。
 三つにする。
 というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。
 そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。
 毎年《まいとし》夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。
 が、今年《ことし》は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。

 平太郎《へいたろう》がおやじの石塔《せきとう》を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。
 行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石《みかげいし》でできていたそうである。
 平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。
 山から切り出すのに幾日《いくか》とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。
 百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那《わかだんな》は大学校へはいっているくらいだから、石の善悪《よしあし》はきっとわかる。
 今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。
 三四郎はひとりでくすくす笑い出した。
 千駄木の石門よりよほど激しい。

 大学の制服を着た写真をよこせとある。
 三四郎はいつか撮《と》ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。
 このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々《きんきん》大学を卒業なさることだが、卒業したら家《うち》の娘をもらってくれまいかという相談であった。
 お光さんは器量もよし気質《きだて》も優しいし、家に田地《でんち》もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。
 お光さんもうれしがるだろう。
 東京の者は気心《きごころ》が知れないから私はいやじゃ。

 三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元《まくらもと》へ置いたまま目を眠った。
 鼠《ねずみ》が急に天井《てんじょう》であばれだしたが、やがて静まった。

 三四郎には三つの世界ができた。
 一つは遠くにある。
 与次郎のいわゆる明治十五年以前の香《か》がする。
 すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。
 もっとも帰るに世話はいらない。
 もどろうとすれば、すぐにもどれる。
 ただいざとならない以上はもどる気がしない。
 いわば立退場《たちのきば》のようなものである。

 三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。
 なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。
 そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に低徊《ていかい》して旧歓をあたためる。

 第二の世界のうちには、苔《こけ》のはえた煉瓦造りがある。
 片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。
 梯子《はしご》をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。
 手ずれ、指の垢《あか》で、黒くなっている。
 金文字で光っている。
 羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵《ちり》がある。
 この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊い塵である。
 静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である。

 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精《ぶしょう》な髭《ひげ》をはやしている。
 ある者は空を見て歩いている。
 ある者は俯向《うつむ》いて歩いている。
 服装《なり》は必ずきたない。
 生計《くらし》はきっと貧乏である。
 そうして晏如《あんじょ》としている。
 電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。

 このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅《かたく》をのがれるから幸いである。
 広田先生はこの内にいる。
 野々宮君もこの内にいる。
 三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。
 出れば出られる。
 しかしせっかく解《げ》しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

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