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伊藤若冲コミュの松樹番鶏図

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 伊藤若冲(じゃくちゅう)という名前をご存じの方は多いと思います。
 江戸中期に京都で活躍した絵師で、2000年に開かれた没後200年を記念する展覧会がきっかけとなって若い人を中心に若冲ブームが起き、出版物の動向を見るとその余波は今もまだ続いている気がします。骨董商の方のお話によれば、作品の相場がとても上がったそうです…。

 若冲は、1716年(正徳6年)、京の台所と言われる錦市場にあったとても大きな青物問屋「桝源」の長男として生まれました。父親の急逝に伴い、23歳でお店の跡を継ぐことになったのですが、本格的に絵を学び始めたのは20代後半、狩野派と関係がある画家を師としたのではないかと言われています。
 こうして若冲の絵師としての足跡は不明の部分が多く、最近の研究では新しい若冲像が提示されたりしているのですが、若冲の出発点を考える上でとても重要なのがこの「松樹番鶏図」(しょうじゅばんけいず)なのです。

 「松樹番鶏図」は、本当に実在する作品で、1900年(明治33年)12月発行の美術雑誌の中でモノクロ画像が紹介されて以来、作品は行方不明となりました。その後、1928年(昭和3年)の京都美術倶楽部主催「江州 浅見家所蔵品目録」の中でも、モノクロ画像が掲載されていることが分かったのですが、作品の行方は杳として知れません。


 この「松樹番鶏図」がなぜ重要なのか、それは、作品の右に、「壬申春正月旦呵凍筆於平安独楽窩 若冲居士」という款があるからなのです。
 「壬申春正月」とは、宝暦2年(1752年)正月、若冲数え年37歳のときのことで、現在分かっている限り、若冲が「若冲」という画号を使って描いた最も早い作品なのです。やがて若冲は40歳の時に家督を弟に譲って隠居し、絵画の制作に没頭していくのです。

 ドラマでは、この「松樹番鶏図」の制作に挑みました。「松樹番鶏図」は絹本着色画なのですが、残っているのはモノクロ画像のみ、ディテールにどんな色を載せていくのかも問題です。色に関しては、美術考証をお願いした狩野先生のアドバイスで、モチーフが似ている若冲の代表作、動植綵絵の中の一幅「老松白鶏図」を参考にしました。
 2016年は、若冲の生誕300年にあたります。2000年の時のような企画展が計画されているかどうかは分かりませんが、本物の「松樹番鶏図」がどこかでひょっこり姿を現さないかと秘かに願っています。
 劇中の「松樹番鶏図」、ストーリーとともにお楽しみください。


第1回「幻の伊藤若冲」
総合テレビ 2011年1月4日 午後10時放送
BSハイビジョンでは金曜午後6時から放送します。
 江戸時代、18世紀の京都で活躍した画家・伊藤若冲の幻の名画「松樹番鶏図」を100年ぶりに発見し、若冲展を企画していた向井美術館に盗難予告の葉書が来た。
 内覧会当日、京都府警三条署の刑事・白石亜子(南野陽子)たちが警戒を強めているところに、「贋作が飾られています」とのメモが寄せられる。
 メモの送り主は浦沢右(財前直見)。大学の非常勤講師で、美術品を扱う事件で警察に協力する須藤教授(寺田農)の代わりとしてやってきた。右は、老舗の浦沢骨董店の一人娘で、幼いころから美術品に親しみ、店主で母親の曜子(藤村志保)に勝るとも劣らない目利きだった。贋作は精緻を極めたものだったが、右の指摘で、美術館の向井館長(宅麻伸)は、学芸員の小和田(松本明子)に展覧会中止の指示をする。そんな折、アパートで男の死体が見つかり、向井美術館の防犯カメラが捉えた男と同一人物だと判明するが、男の部屋からは「松樹番鶏図」は見つからない・・・。


こぴぺ

テレビで再現されているみたいです。

コメント(1)

「フェイク 京都美術事件絵巻」
http://www.nhk.or.jp/drama/fake/html_fake_story.html

本日放送ですね。
どんな彩色がされているのか楽しみです^^

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