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【★Ka★o★ri★】コミュのKAORI JAPAN

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―――――1993年10月28日、ドーハの悲劇。



それは異国の地、カタールのドーハで待ちかまえていた悪魔でした。



試合終了間際のロスタイムに敵チームイラクの同点ゴールが決まり、日本は惜しくも決勝Tへの道を閉ざされました。



人々は涙し、嘆き、日本は悲しみの渦にありました。




その時2歳だったKaori様は、その海よりも深いお慈悲で人々の悲しみを癒やす日々でした。


Kaori様のお言葉に人々は耳を傾け、その時に流れた人々の涙は琵琶湖に通ずる淀川のように美しかったと言われております。



或る午後、おやつを食されぐっすりと眠りについているKaori様は、夢の中でお告げをお聞きになりました。








『2010年、岡田武史率いる日本代表はドーハの悲劇を繰り返すだろう。しかし日本はそこで新たな歴史を生む。監督は・・・Kaori、解っているな』









Kaori様は、決起いたしました。








弱冠2歳にしてKaori様のドリブルを止められる者はおらず、脅威の相手チームのゴールキーパーを含めた全員抜きを達成されました。

一度「Kaori様はサッカーボールが足にくっつくようにご飯粒のような粘着質のものを塗っているのではないか」とFIFAに審査にかけられたこともございました。

その疑いもKaori様は「ご飯粒には神様が宿っています。」と一蹴されています。

かの有名な「ボールは友達」という言葉もKaori様が最初に発したとされております。










しかしそのカリスマ性と技術のためにKaori様は周りとの愕然とした差を感じておられました。



このままでは私が日本サッカー界の成長を止めてしまう。

私は、私のやるべきことをしつくした―――――――




そしてKaori様は仰られました。







「私はもう待つのみです。あとは、あなたたちに任せます」







それ以来Kaori様がユニフォームを着られることはありませんでした。











そして2010年。

あのドーハの悲劇から17年の月日が流れました。




岡田武史監督率いるチームJAPANは快進撃を続け、遂に決勝T。




PK戦にまで縺れ込んだパラグアイ戦で日本は敗れ、まさに17年前のお告げが現実になりました。




マスコミはただ、Kaori様の発言に注目していました。





試合終了後、今まで沈黙を通していたKaori様は、立ち上がるやいなや声を大にして叫ばれました。









「歴史は今、動きました」



「『KAORI JAPAN』、始動いたします」













2010年7月1日。









KAORI JAPANの誕生でございます。

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