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悪いか?鉄道マニアで…コミュの鉄道の運賃・料金

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最近の鉄道は運賃・料金の値上げラッシュは、少子高齢化やコロナ禍での利用客が少なくなったことや、テレワーク普及による利用客の減少が相次いでいることから、値上げに踏み切る鉄道事業者が数多い。

コメント(57)

>>[17]
そういった車両運用の格差も国鉄末期には怪しくなってたね。臨時特急が20系だったり、急行に14系などが使われたりと、かなり乱れていたと思います。
>>[18] 寝台特急に関しては、昭和57年のダイヤ改正から、車両を三段式から二段式に変更したり、二段式に改造する特急が相次ぎました。
その中でも、車両運用の乱れは皮肉なことに、出世列車の伝統から、急行津軽のA寝台の需要の高さの絡みで急行十和田で余剰になった、20系を転用した所からだといえます。
これが大誤算となり、積み残しが相次ぎ、その結果として、季節急行おが(14系座席車)と編成を丸ごと交換しましたが、その結果として、客からのブーイングが起きて、特急紀伊の廃止で余剰になった寝台車を譲り受けましたが、多客期には、臨時特急あけぼのとの編成交換したりと、車両運用が完全に乱れていました。
もう1つは、20系客車をいくら臨時とはいっても、種別を特急にすることからして、間違っているといえます。
昼行列車で、特急と急行の料金差はやはり1車両当たりの座席定員が、特急は64人〜72人で回転クロスシートで、583系はボックスシートでありながら54人なのに対して、急行はボックスシートで88人ということや、移動効率に差があることも、やはり料金となって跳ね返って来たといえます。
>>[20]
583系のボックスシートは別格的な居住性でしたよね。それでも特急なら、やはり二人掛けシートでないと不評を囲ってしまいます。似たような例は初期の成田エクスプレスにもありました。
東武鉄道は、特急DRC(1720系)と急行りょうもう(1800系)の差は、回転式リクライニングシートと回転式非リクライニングシートだといえます。
>>[22]
この場合は、メイン需要が観光とビジネスの違いだと思います。今もリバティなど基本的に運行路線を問わない設計ですが、スペーシアXは日光鬼怒川方面専用ですからね。
>>[23] 復刻版時刻表で調べてみると、特急けごん・きぬと急行りょうもうでは、やはり¥300の料金差があります。
やはり車内設備的に、メインの需要が特急の場合は観光なのに対して、急行はビジネスという違いの他に、停車駅が特急は日光・鬼怒川がメインなのに対して、急行は群馬県内の主要駅といった点にも大きな違いがあるといえます。
鉄道の運賃は、基本的に対キロ制だといえます。
国鉄に関してはいえば、一律運賃から地域格差制運賃(山手線・大阪環状線内、東京・大阪国電区間、幹線、地方交通線)が導入されたのは、昭和60年の辺りからです。
東京駅を基準にして、似たり寄ったりの営業キロをあげると以下の通り。
国鉄(JR)は横浜(神奈川県)、武蔵小金井(東京都三多摩地区)、大宮(埼玉県)、柏(千葉県)、津田沼(千葉県)である。
初めまして。
料金に関しては、新幹線と北海道の乗り継ぎ割引の取り止めが大きな改定です。
サンライズと新幹線で、九州への利用は痛手です。
>>[28]
今回の料金改定で、かなり料金が跳ね上がることは相当のものだと思います。 
又、これで昭和が又1つ遠のくなと思いました。
大手私鉄で料金のいる指定席の特急と料金不要の特急の2種類走らせているのは、関西では南海、中京の名鉄、関東では京成の3社の名前が上がります。
この3社はやり方そのものからしてやはり違いがありました。
南海は本線で、特急サザンを指定席(専用車両)と自由席(通勤車両)を併結するやり方。

名鉄は名古屋本線で、指定席(特急で白帯車)と自由席(高速でSR車)を交互に走らせるやり方。

京成は京成本線で、スカイライナー(特別急行A)と特急(特別急行B)をほぼ交互に走らせるやり方。
これで解る位です。
>>[30]
似たような意味では、京急のウィング号も仲間に入れていいかな。料金不要列車でも同じ2100形を使っているようですが・・。
>>[31] 京急ウイング号は通勤時間帯における座席定員制列車といえます。
基本的に、京急はどちらかといえば阪急6300形、京阪3000系を使用した特急列車に近いといえます。
京急は快速特急には、600形、2000形といったクロスシートを優先的に投入されているイメージでした。
これは湘南電車、横須賀線に対抗する為だといえます。
>>[32]
JRより割安で転換クロスシート装備ですから、定期利用などの事情がなければそちらを選びたくなるよね。三浦半島方面なら尚更ですか。
>>[33] 京急は転換クロスシートではなく、どちらかといえば、東武の快速電車で使用していた6000系に近いイメージです。
>>[34]
それでも京急の快速特急といえば、モーターがドレミファを奏でる転換クロスの車両を思い浮かべますね。2000形でしたっけ。
南海電鉄は高野線はこうや号(全車指定席)なのに対して、本線は四国号(一部指定席)で、メインの客層からすると、特急こうや号は高野山への参拝客なのに対して、特急四国号は四国へのフェリーへの連絡客だといえます。
京成電鉄と名古屋鉄道は、東西の管理教育で有名な千葉県と愛知県の交通界を支配している会社でも有名ですが、交通環境からしても酷似しているといえます。
京成電鉄は、スカイライナーは成田空港へのリムジンバス(東関東自動車道がライバル)なら、特急は総武本線快速(113系でサロ付きがライバル)。
名古屋鉄道は、特急はトヨタ自動車なら、高速は東海道本線辺りだといえます。
京成電鉄はスカイライナーがAE形なのに対して、特急は一般の通勤車両なら、名古屋鉄道は特急が7000系白帯車(車内改装車両)なら、高速がSR車である。
国鉄の首都圏である1都3県(東京・神奈川・埼玉・千葉県)で地方交通線運賃が導入されたのは、埼玉県は八高線(八王子〜高崎)なのに対して、千葉県は鹿島線(佐原〜鹿島神宮)、東金線(大網〜成東)、木原線(大原〜上総中野)、久留里線(木更津〜上総亀山)で導入されました。
>>[37]
四国号といえば紀淡海峡が四国へのメインルートだった時代の列車で、サザンの前身ですが懐かしいね。
あと、高野線特急は今でもズームカーと呼ばれているのでしょうか。
>>[40] 高野線の特急は30000形というデラックスズームカーが使用されていますが、製造年数の関係から動向が気になる所です。
>>[41]
30000形も40年選手ですから新型が欲しいけど、今のところアナウンスは無いよね。路線環境からしてサザンベースとはいかないでしょうけど。
>>[42] サザンベースで作られた高野線の特急車両はりんかん号で、難波〜橋本は20メートルクラスの大型車が入線できます。
ところが、橋本〜極楽橋は急勾配の関係からズームカーしか入線出来ないです。
国鉄分割民営化でJRになってから、攻勢を強めた結果として、名鉄・京成では営業政策の方針を変えました。
名鉄は名古屋本線では、旧特急と旧高速をドッキングして、一部指定席特急を登場させて、毎時4本の特急を走らせました。
京成は本線の急行を特急格上げして、特急を倍増(日中20分間隔)させました。
参考迄に昭和57年の時刻表で、ひかり&ホテルのホテル一泊の料金は、¥4500〜¥10500です。
>>[45]
それでも40年以上前としては、必ずしも安くはないよね。JRで言うメトロポリタンやグランヴィアなどの系列ターミナルホテルのことでしょうか。
>>[46] 国鉄は、副業禁止の関係から、ホテルの経営は出来ないので、宿泊施設と提携してひかり&ホテルを売り出しました。
当時のホテル・旅館は宿泊費用が高い上に、安い宿が会員制のユースホステル位しかなかったことから、寝台列車の需要があったともいえます。
しかも当時のユースホステルは、ドイツ生まれだけあって、規律が厳しいことで有名でした。
昭和51年の国鉄史上最悪の運賃・料金の50%値上げの結果として、ビジネス旅客を中心に航空機が普及してしまい、特に東京(羽田)〜札幌、東京(羽田)〜福岡はL特急並の便数がフライトしていました。
北海道や九州ともなると極めて時間が掛かるから、寝台特急で効率が良いのは、北海道だと良いところ、青函連絡船と接続して函館、九州だと良いところ、新幹線で名古屋・新大阪辺りの接続する寝台特急(金星・博多明星)で北九州の辺りまでだといえます。
>>[48]
数年間で倍以上的な有り様だったからね。私事ながら父が国鉄職員だった関係で、運賃・料金が半額になる割引制度が利用できましたが、それでも他の交通機関に乗り替えたくなるような出費でした。
>>[49] 私の出身中学校で国鉄職員による家族割引があるのを聞いたことがあります。
中学生となると、学校に旅行届を提出して学割証をもらうという校則がありましたが、これ非常に面倒でした。
国鉄時代の学割は、有効日数の関係から国鉄線101キロ以上で、大人普通運賃から20%引きです。
それと周遊券関係は大人運賃が10%、学割が大人運賃から30%引き(国鉄線に限り)でした。
周遊券関係は、普通周遊券は国鉄線201キロ以上の利用を条件に周遊指定地を2ヶ所回るというのが条件で自由に経路を組めるのに対して、ワイド・ミニ周遊券は、出発地があらかじめ決められていて、周遊券エリアまでは経路が国鉄から指定されていたのと、往復と自由周遊区間は急行自由席乗り放題でした。
国鉄の運転計画・接客設備・車両性能に問題が多い急行列車解体が始まったのは、1981年辺りからで幹線では特急列車格上げ統合(優等列車の種別・車種の単純化に伴うダイヤ乱れの最小化)、地方交通線では普通列車格下げ(車両の更新に伴う陳腐化に対する対策と運行本数の確保)が行われました。
夜行列車では、夜行座席列車の撤退(寝台特急に追い越されるようなダイヤでは走らせる方が難しい)、寝台特急への格上げ(他の列車とのバランスの問題)が行われました。
80年秋のダイヤ改正で、四国の急行列車のグリーン車の普通車指定席格下げという利用客にとって嬉しいプレゼントがあった背景には、四国は元々からして京阪神・山陽・九州方面からの連絡船などのフェリーが発達した土地柄であることから、宇高連絡船(岡山・宇野・高松での3回乗り換え)を使うよりは、近くの港からフェリーを利用した方が楽であるといえます。
>>[56]
私も元グリーン車の指定席に乗りましたが、当然のごとく人気がありました。
四国の需要なら半室タイプで充分で、今の特急はそうなっていますね。

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