ズラがズラであること、そこで学際的探求の手を緩めてはならない。即ち、「ALL OR NOTHING」式に「自毛 OR ナッシング」なゼロ・イチ思考でズラか否かを確かめる、そんな愚かしいレヴェルでズラを語らないで欲しい。それは他ならぬズラへの冒涜であり、そして形骸化したズラはズラとしての機能を失って一つの「記号」というレヴェルに迄退行して行くであろう。 即ち、筆者が最大に憂慮するのは、今日のズラ批評界の衰退が、結果としてズラ界そのものの衰退を招くのではないか、という危惧である。そうでなくても事実、これは後述するが、「プロピア」なるズラ反動反革命勢力が着々と勢力を伸ばしつつある昨今なのである、我々は決してズラの、あの輝かしき伝統と文化を失ってはならないのである。