ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

農援隊コミュの食のルネッサンスを

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ルネサンス(仏: Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語。一義的には、ギリシア・ローマの古典文化を復興しようとする文化運動で、14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある。

「医療費がただになる」とか「金槌で癌を治した」とか「運動で生活習慣病が予防できる」と書いた仙人の原稿は、製薬会社や食品業界、農業団体や医師連盟などがスポンサーの雑誌や新聞で没になる。

いつか「ディスカバー・ジャパン」(食事を薬に、薬は食事で)というテレビ番組を創りたいと思って準備をしているが、スポンサーがみつからない。

しかし、池田隼人(享年65歳:1965年没)の「所得倍増」計画(1960年代)に対抗してではあるまいに、阿部内閣が「農業の6次産業化をはかり、むこう10年で農業所得の倍増」という経済政策を打ち出したから、「農業所得の倍増に医療費の半減」をからませて「食のルネッサンス」と訴えるとチャンスがあるかもしれない。

第二次世界大戦で負けた(1945年)日本人は、いろいろな弊害を受けているが、重大な被害を受けた一つの問題が「食文化の欧米化」である。

例えば、統計に表れている、昭和29年(1952年)の国民医療費は2152億円だった。ところが、平成22年(2010年)には37兆4202億円と、実に173.88倍になっているのである。(2012年は約38兆4千億円で178,43倍ほど)

参考:「国民医療費・対国内総生産及び対国民所得比率の年次推移」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/10/dl/toukei.pdf

この問題に関連して、数字には表せない(エビデンスはない)が、その逆をいった記録が日系アメリカ人の歴史にある。

カリフォルニア州への移民が始まったのは1890年だが、当時の日本人は、識字率は高かったが、(仙人のように)英語が苦手で、病院や薬局で、シクシク痛い・ガンガン痛い・錐で穴をあけたように痛いなど言えなかった。それで、医者にいかず、薬を飲まず、日本から取り寄せた味噌や醤油を使った料理を食べながら、家庭医学全書や雑誌の記事を読んだり、相互に情報を交換しながら予防に努めていた。

ところが、日清戦争(1894年〜1895年)や日露戦争(1904年〜1905年)に勝つと、他の民族と比べると乳幼児の死亡率が極端に少なく、健康長寿(1900年のアメリカ人の平均寿命は47歳⇒1920年で53.6歳)であったことから、「日本人は、兎のように沢山生んで、兎のように簡単に育て、兎のように健康で長生きする。これは平和的な侵略ではないか?」と人種差別の対象になり、家や土地の所有を認めない州法ができた(カリフォルニア州議会の記録に残っている。カリフォルニア州の日本人は「排日土地法」とよぶ:1913年に成立⇒日本人移民の少なかった東部諸州にはない。⇒1957年に廃止)

日本人は、カリフォルニア州への移民を始て、たった23年で法的な規制を受けたのである。

ところが、日米戦争に負けると、日本人だけでなく、日系アメリカ人たちも自信をうしない(言葉や食のアメリカ化がすすみ)、二世以下は言葉に不自由しなかっただけに、アメリカ人並みの病気(肥満や死亡)をするようになった。

敗戦後68年が経過した、昨年(2013年)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、日本政府が推薦した「和食、日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産に登録することを決めた。

日本の食文化が国際的な評価を得たことで、単なる外国人観光客の増加や農水産物の輸出拡大につながるだけでなく、肥満がらみの生活習慣病は国際的な問題だから、食や健康に関する文化そのものの世界的な輸出を図る必要がある。

そのためにも、日本で生活改善運動が起動した昭和23年〜昭和25年(1948年~1950年)以前の食文化を復興させようではないか。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

農援隊 更新情報

農援隊のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。