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つねさブログコミュの師匠

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コメント(31)

師匠との出会いは

昭和59年…
安岐19歳の夏でした。

その年の春、当時三宮の料理界では知らぬ者のいなかったスゴ腕の板前が料理長を務める店に入ったものの…


2ヶ月半後、何が何だかわからぬままその店は廃業あせあせ(飛び散る汗)スゴ腕料理長もどっか行っちゃってうれしい顔
オーナーが安岐ボーイに
「キチッとした仕事が覚えられる店を」
ということで、師匠の店を紹介していただいたわけですわーい(嬉しい顔)
師匠は昭和10年広島県能美島の生まれ

生家は旧家&大地主

師匠の叔父さんが広島市内で料亭を営んでいたこともあって、三男坊の師匠は板前を志したんだとか…これは女将さんに聞いた話(師匠が旧家出身なので、結婚当初は女将さんもいろいろ苦労したそうですあせあせ(飛び散る汗)『しきたり』やら風習・因習etc冷や汗
地元の中学を卒業後

叔父さんの料亭で修行
25歳の時
鳴門市内の割烹へ『立板』として赴く途中
神戸須磨寺界隈の旅館に宿泊中(何があったか聞いたハズなのに忘れちゃいましたがあせあせ(飛び散る汗))鳴門行きが取り止めになり
そのまま神戸の料理界に


数年後、阪神春日野道駅前の料亭『おこしや』の花板にわーい(嬉しい顔)

当時(昭和30年代後半)の春日野道は
川崎製鉄・神戸製鋼・住友ゴムの本社&工場&関連会社城下町として超exclamation ×2賑いわーい(嬉しい顔)バブル以上のバブルで連日連夜満員御礼
満員のお客をさばき終えると、後片付けは若い衆に任せて


師匠は
自分で拵えた屋台道具を引っ張って歩き、屋台で鮨をにぎって売り始めます力こぶ

会社や役所の接待・商談などとは縁のない大衆の人達は、料亭の花板が自分の目の前で鮨を握ってくれると大喜び

師匠の名前はあっという間にオール春日野道(阪神の南側から阪急の北側まで)に知れ渡りました手(チョキ)

師匠36歳の時
『おこしや』店舗の一部(離れの一階部分)を借りて 独立開業
『八作寿司』をオープンわーい(嬉しい顔)
(奇しくも安岐が独立開業した歳と一緒目がハート

八作寿司開業当初
4時に開店して6時半にはネタが完売する毎日だったそうであせあせ(飛び散る汗)
ちょっと想像がつかない世界です冷や汗
女将さんはじめ師匠のお友達がみんな証言しておられたので事実だと思いますが…わーい(嬉しい顔)


昭和50年代半ばごろ
『おこしや』の女将さんが引退、師匠は『おこしや』本店の大部分を『八作寿司』として改装営業
客席総数は160席を越えわーい(嬉しい顔)
さすがの師匠も弟子をとりはじめましたバンザイ

すなわち安岐の兄弟子達が続々と弟子入りしてきますわーい(嬉しい顔)
(安岐入店当時、先輩板前は8人あせあせ(飛び散る汗)どれもこれもエラそうにふんぞり返ってましたあっかんべー

旧『おこしや』の常連さん達に加えて、師匠が屋台鮨で開拓した『八作』の常連さん
双方が納得できるように
寿司・天ぷら・ふぐ・鍋物・一品料理から、会席料理・懐石料理まで取り揃え
屋号も
『ふぐ道楽:八作寿し』
となりました

昭和58年
『おこしや』女将さんが亡くなり、それまで女将さんの居住スペースだった部分も『八作』になって
昭和59年1月には、客席総数200席を超える巨大な料理屋になっちゃいました冷や汗


この年の7月に安岐が八作デビューします
師匠は仕事を教えない人でした冷や汗


…こう言うと、この業界どこの親方も同じだと思われるかもしれませんが
ウチの師匠は
「仕事はおぼえるな指でOK
と言い放つのです冷や汗

「仕事は職人にやらせておけ。お前達はその職人を使う為の勉強をしろ。仕事をおぼえるよりも、お客さんのハートをつかめ。」
と。


でも
師匠の言葉の真意を安岐が理解できるのは、三十歳を過ぎてからで…あせあせ(飛び散る汗)

それまでは…冷や汗

特に『八作』で修行してた頃は…うれしい顔

…であせあせ(飛び散る汗)
安岐は
調理師免許&ふぐ調理資格を取得すると
師匠の元を巣立ち
職人道を究めようと『昭和の流れ板』を気取って冷や汗……


師匠との再会は
5年後…
それまで、須磨・鷹取・京都山科・大和郡山と、高級あり大衆あり4軒の店を渡ってきましたが、
平成5年の暮れに神戸に舞い戻り
平成6年年初から三宮の店で料理長を務めることになったため
師匠のご自宅に挨拶に伺ったのですわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

『八作』を離れている間も、仲の良かった兄弟弟子や神戸中央市場の仲買人達とは情報交換してたので指でOK

子供のいない師匠は、春日野道の店の権利を売って
三宮楽天地にある、寿司専門の『八作三宮店』だけの経営で悠々自適だとは聞いてましたがわーい(嬉しい顔)

安岐が料理長を任された店を
「かつての八作のような店にしたい!」
と強く考えていたので、どあつかましいとは思いながらあせあせ(飛び散る汗)いろいろ相談したいことがあったのと
なにより
三宮で包丁にぎるなら、まずは師匠にご報告しないわけにはいきませんよねわーい(嬉しい顔)

師匠は(女将さんも)、安岐の訪問をたいそう喜んでくださって目がハート

それ以来頻繁に師匠とお会いするようになりました

師匠が安岐の仕事ぶりを見に来てくれたり目
安岐が仕事休みの日、『八作』に助っ人に入ったり指でOK
師匠に飲みに連れて行ってもらったり…わーい(嬉しい顔)


師匠の「おとも」は昔っから朝までコースですあせあせ(飛び散る汗) 朝まで飲んでそのまま中央市場へ魚を仕入れに行くパターンでした冷や汗
安岐がまだ八作にいた頃…八作の営業時間は16時〜25時まで手(チョキ)

安岐は中央市場へ仕入れに行く為に毎朝7時前に起きて、トラックで仕入れにわーい(嬉しい顔)
本店の魚と三宮店の魚を仕入れて
三宮店で荷物を降ろし、本店へ帰ってくるのが11時半頃
それから朝食兼昼飯を食べて
13時頃出勤

という日課でした


ある夜
師匠のお友達(女性)が、師匠をたずねて八作へ
師匠は喜んでお友達と二人で飲み始めましたわーい(嬉しい顔)

師匠達は盛り上がり
やがて閉店時間
後片付けを終えて
弟子達が師匠に挨拶して帰宅する時にも顔(願)盛り上がり中


晴れ

安岐がトラックのカギを取りに店へ来ると

師匠のお友達はテーブルにうつ伏せて寝てますが眠い(睡眠)眠い(睡眠)
師匠は絶好調に盛り上がって冷や汗
ひとりで演説中ですあせあせ(飛び散る汗)
「おやっさん仕入れ行って来ますexclamation ×2
とだけ言ってトラックに乗り込みましたわーい(嬉しい顔)


仕入れから帰って来ると晴れ

師匠に起こされたのかお友達は師匠の演説を聞かされてましたうれしい顔

その後 安岐が食事を終えて出勤した時にはさすがに師匠の姿はありませんでしたが手(チョキ)

そういう事は日常茶飯事でしたねわーい(嬉しい顔)


パワフルな師匠でした目がハート
他にも

『新開地おフロ屋事件』
とか
『大人の〇〇ちゃ事件』
とか
『師匠の仲人泥酔事件』
とか
『会社帰り無限地獄』
とか…

決して活字にはできないむちゃくちゃなエピソードばっかりです(^^;
師匠は『株』をやっておられたんですが

その (師匠が取引していた)証券会社が、阪神大震災の際ビル倒壊によりたまたま安岐の勤める店の真向かいに引っ越ししてきてからは
昼と言わず夜と言わず
ずーっと師匠が顔出してましたね(^o^ゞ
当時の親方が気を悪くするくらい(^^;


八作の板長も、安岐と師匠の付き合いが面白くなかったそうです。


なんせ『職人』は人間がちっちゃいですから\(^o^)/
師匠は 、その当時の八作の板長を更迭して、
代わりに安岐を板長に…そして5年後に八作を安岐に譲る♪
とまで言ってくれてました(((・・;)

身にあまる光栄ですo(^o^)o

当時の板長も安岐の兄弟子で、
このオッサンと安岐とはまたソリが悪くて^^;


結局
板長は更迭されましたが、新板長就任を安岐が固辞したので、別の兄弟子が新板長になりました♪
新板長は、兄弟子連中の中でも安岐と最も 仲の良かった兄さんでした♪(^-^)v


八作との間柄も親密になり、師匠もそのことをスゴく喜んでくれました(*^^*)

その頃(平成9年)から、気の合う兄弟弟子達四人でよく集まるようになって
それぞれ料理長や板長・花板になってたので
お互いの10年間の修行の成果をお披露目なんかしてみたり、魚や酒の仕入れ値の情報交換したり…

そういう集まりの時は、師匠が資金を出してくれてましたね(*^^*)
兄弟子の1人が『おこしや』女将の孫で、その兄さんは師匠とはほとんど親戚同然の付き合いでしたから、集まる前に師匠とこへ「軍資金」を調達しに行ってました(^^;
たまに師匠も同席されることがありましたが、師匠はあまりしゃべらず終始嬉しそうにニコニコしてみんなの話を聞いてらっしゃいましたね(^^)
平成11年元旦
毎年恒例になっていた、師匠への新年のごあいさつ
安岐結婚以来夫婦で伺っていたんですが
家内が二人目の子供を妊娠中だったこともあって安岐1人でごあいさつに伺いました♪

師匠は何やらお悩みのご様子で(・・;)


1週間後にお会いする約束をして早めに切り上げました(^^;



1週間後

師匠は
はじめて弱音を言いました
何度も繰り返し「助けてくれ」と

困り果てて言葉を失なった安岐に
「スマン、また来てくれよ」
と笑って見送ってくれましたが


それが師匠との最期でした。


3月はじめ
師匠は脳溢血で倒れそのまま帰らぬ人となってしまいました。
その夜
八作の兄さんから「師匠危篤!!」の知らせがあり、直ぐに中央市民病院に駆けつけました。

女将さんと兄さんと師匠の弟分の方(叔父貴)がいました。
ICUで人口呼吸器を付けた師匠は、いつもの顔で寝てました。
広島からの親族とご対面が済めば、人口呼吸器ははずされるとのこと。

女将さんは
気丈で、「朝から仕事のあるあんたらはもう帰りなさい。お通夜の会場が決まったら病院に伝えとくから。」と


『お通夜』と聞かされて、ハッとしました。


師匠が亡くなった!?


どう見てもスースー寝息をたてて寝てるだけなのに!?



師匠と最後にお会いした日の師匠の様子が思い出されました。
もちろん誰にも言ってませんが…




お通夜は大倉山で行われました。


いつもの四人組と、別に二人の兄弟子、六人で朝まで飲み明かしました。

よく
『三宮で20階建てのビルが建つほど酒を飲んだオッサン』
と言われた師匠に

弟子達からの供養とばかりに、全員べろんべろんになるまで飲みました。
8月

師匠の初盆法要があり、安岐は法要後の会食に出席しました。

場所は師匠の弟分(叔父貴)の店で
師匠のお友達や八作の昔の常連さん達が20人ほどいたでしょうか。
みなさん安岐のことを覚えていてくださって、嬉しかったです。



一周忌の法要には残念ながら出席できず、後日八作の兄さんと二人だけで師匠のご仏前に挨拶に伺いました。
一周忌を過ぎ、兄さんは正式に八作を引き継ぎました(^^)

二代目八作の誕生ですo(^o^)o


なかよし四人組の会は毎回八作で集まるようになりました♪

集まると必ず話題になるのが
師匠のお墓参り。

師匠のお骨は三回忌を待たずして故郷の能美島へ帰っちゃったのです^^;

さらに(;_;)
師匠のお墓がどこにあるか?
誰も知らなかったのです(ToT)

「四人で師匠のお墓参りに行こう!!」
とは言ってみても
女将さんすら知らない(いろいろ事情がありまして)師匠のお墓を探すとなると、みんな二の足を踏んでしまいます(- -;)
そうこうするうち
師匠が亡くなって12年…

今年は13回忌です。

今年5月の四人組定例会で安岐は
「今年中に師匠のお墓を見つける!!」
と宣言しました。

そうは言ってみても、

日祝日を少年野球に費やす安岐はなかなか身動きがとれず(;_;


それでも
お盆までには何とか師匠のお墓を知る人を探しだしました♪
師匠の幼なじみで、師匠のご実家の近くで酒屋を営んでいらっしゃる方です。

何度も電話でお話しさせてもらい
ようやく12月4日
弟子として初のお墓参りに行ってきました。
12月4日快晴♪
気温低いめ
新神戸から1時間
広島駅でレンタカー借りて一路能美島へo(^o^)o


子供のいなかった師匠は弟子達の子供を孫のように思っておられましたが、女の子はウチの娘だけだったので、ことのほか可愛がっていただいてたもんですから今回家内と娘も同行させました(^-^)


呉の大和ミュージアムを横目に
音戸大橋を渡って
倉橋島から能美島へ
江田島との境に近い大柿まで
1時間半の道のり

(師匠の幼なじみの)酒屋のご主人と師匠の兄嫁さんに連絡してましたので
御二人がお出迎えしてくださいました。

師匠のご実家は
門から玄関まで車で数十秒かかる、聞きしに勝る大豪邸^^;
その広大な敷地の中の、観光バスが3台ほど停められるガレージから徒歩20メートル
眼下に瀬戸内の穏やかな海を見渡せる場所に
先祖代々のご霊廟がありました(((((((・・;)
もちろんご霊廟も敷地内(((((((・・;)


やっと来れたぁ〜〜〜!\(^o^)/♪
(このブログも年内に書き終えるメドがついた^_^;ホッ)
これでも12年間忘れたことのなかった師匠のご戒名
『宝樹院釈浄国』
の文字を見つけ
やっと師匠に会えたような安堵感と
今まで会いにこれなかった罪悪感と
なんせ複雑な心境でしたが(^^;

何はともあれ
つねさの話と(師匠はつねさをご存知ないので)
兄弟子達の話と
家族の無事をご報告して
次回兄弟子達を連れて来ることをお約束しました
(〃^ー^〃)
師匠のお墓参りに行けることが決まってから書き始めたこのブログですが
こうして年の瀬も押し迫り
一年を振り返ってみると、それぞれの立場でいろんな出来事があった中(別途総括します(^^;)
『師匠のお墓参り』は別格中の別格というか…
あらためて師匠の存在感を思い知らされました(^^)
13回忌という節目の年に
安岐をお墓に招いて(?)くれた(?)師匠は、いったい安岐に何が言いたかったのか??

あれだけ弟子達が動けなかった(安岐も含めて)お墓探しが、実際いとも簡単に見つけられた事実を考えると
やはり『ご縁』と言わざるをえないですな♪

「料理」と「酒」と「おネエチャン」をこよなく愛した、男:寺岡国夫の伝説は
安岐が責任をもって語り継いでいきます!!

生前、師匠からいただいた数冊の料理の専門書は安岐家の家宝ですo(^o^)o



長々と失礼致しました。

初代八作若衆
安岐嘉人
血よりも濃い男の縁…
感銘致しました。

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