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FC TOUGHコミュの歴史

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FC TOUGHの歴史

1.野球部時代
2.設立期
3.成長期

コメント(3)

[1]野球部時代

浦和南高校ベースボールクラブ(以下、U.M.B.B.C)は、サイタマドリードでは敵なしで数多くのトロフィーを獲得し、関東大会の常連校であった。
しかし、それはあくまでも“野球”であったことは言うまでもない。それが、どのようにサッカーの舞台へと戦いの場を移すことになったのか。
それは当時のU.M.B.B.C監督であったフジモウリーニョ、ヘッドコーチのイビチャ・ホシムとあるチームメイトとの対立が原因であった。冬季キャンプの練習メニューをめぐって、ある事件が起きる。体力強化のためのランニング中、ヤマモトッティ・タクに対して、ホシムコーチは「ヤマモトッティ、しっかりやれ!!」と叱責する。ヤマモトッティはこの言葉に対し、激しく怒りを覚え、近くにあったカラーコーンを蹴飛ばす。
「あの時、僕は野球よりもやりたいことがあったと気づいたよ。何よりも蹴らなければならないものがあると思ったんだ。」(後日、本人談)
その場は、ヤマモトッティが蹴飛ばしたカラーコーンを自ら直して、いがみ合いは収まったが、彼の「ボールを蹴りたい」という気持ちは収まることはなかった。
[2]設立期

いわゆる“カラーコーン”事件より、U.M.B.B.Cはフジモウリーニョ・ホシム派とヤマモトッティ派に別れることになり、その亀裂は修復不可能であった。
引き続き野球クラブとしてフジモウリーニョは指導を続けたが、ヤマモトッティは野球で才能が伸びずくすぶっていたカワムランパード・ユースケと、グランドの隅でリフティングをしていたカンノバーロ=シショー・ナオトを誘い、サッカーチームを結成する(※結成年は定かではないが、おそらく2004〜2005年ぐらいである)。
「僕は苦しい時代だったね。練習をやっても(野球では)結果が出ない。僕はどうしたらいいかわからなかった。そんな時、タクが誘ってくれた。もちろん、彼の誘いには一発で乗ったよ。新しいことには常にチャレンジしたいと思っていたんだ。」(カワムランパード談)

しかし、世間の評価は厳しいものだった。活動場所や時間は限られ、さらにはACウラワミランコウコウのエース・オオツカカには「ふん、所詮野球部のくせに」と軽くあしらわれたり、まだまだチームとしての存在は認められていなかった。
だが、2005年8月、チーム名を『FC TOUGH』として本格的に活動を開始することで、大きな転機が訪れることになる。


※『FC TOUGH』のチーム名の由来は、[概要]のチーム名由来を参照のこと。
[3]成長期

チーム名をFC TOUGHに変更して、サッカーやフットサルに本格的に取り組むようになる。初代キャプテンにカワムランパードが就任し、チームを一つにまとめていく。しかし、簡単に試合に勝てるといった訳ではなかった。何よりもチームとしての厚み、経験が足りなかった若いチームは、2008年シーズンより、ライバルチームであったACウラワミランコウコウより、タカヤマルディーニを獲得。ディフェンスラインのテコ入れに成功したFC TOUGHは、徐々にいいゲームができるようになる。また、2010年シーズンには、メイジェノアよりDFリオオオニシ・トモフミィーディナンドも獲得し、更なる活躍が期待される。

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