ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本の超古代文明コミュの青森キリストの墓とピラミッド

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
数十年前現地を訪れたことがあります。
調査すると
・1934(昭和9年)年10月、鳥谷幡山、青森県戸来村でピラミッド大石神を発見
・1935(昭和10年)年8月、竹内巨麿、青森県戸来村でキリストの墓発見

続けてこのような大発見は不自然です。
青森県戸来村出身の日本画家、鳥谷幡山は酒井勝軍の友人で故郷を観光名所にしたく、酒井の「葦嶽山=ピラミッド説」を知り「ピラミッドなら私の故郷にもあります。」といい戸来村に招待、「大石神ピラミッド」を認定させる。昭和9年「東奥日報」に「太古日本、第二のピラミッド発見〜三戸村戸来村に於いて」という鳥谷の手記が掲載され、十和田湖国立公園からもはずれ観光資源のない戸来村の佐々木村長も大喜びしたという。

翌年竹内巨麿を同地へ招き、沢口家の土まんじゅうを「キリストの墓」にでっちあげます。鳥谷幡山は日本画家でしたが、晩年は竹内文書の普及に全力を注ぎました。その努力が報われ、現在これらは村おこしで観光に貢献しています。

コメント(30)

4〜5年前に、十和田湖に行った時、道路公団の大きな看板に、

「キリストの墓矢印(右)

と表示してあるのを見てビックリしました。ふらふら


キリストの墓の存在は知ってましたが、公共の看板にまで表示して大丈夫?と、心配してしまいました。ウッシッシ
数年前に行きました。ピラミッドと思って行くと痛い目に合いますね。

純粋に古代文明と考えればいいんですけど。
日本は自然の山が多いからエジプトみたいに一からピラミッド造らなくてもいい
日本は自然の山の頂に施設を造ればいいだけだと思う
だからエジプトのようなピラミッドを想像してはだめだと思う
なんかの本(聖書の謎的なやつ)で著者が戸来村に行って村長さんに取材してたが、その中の一会話
村長;あなたは外国人だから言ってもいいと思うけど、実はキリストの墓ではないそうです。確かにユダヤなのかなんとか人(外国)の墓というのは本当です。がキリストの墓と言うのは嘘。てゆーか宣伝。他に産業が無いもんでこれで来てもらうしかない、、、

著者が日本向けに日本語で欠いてるとは思わなかったみたい。
まー本物でも偽者でも所詮は墓。生きてる自分たちの方が大切だよね
ユダヤのキリストの信者とかのお墓でしょうね
戸来もヘブライから来てるそうですし
ナニャドヤラもヘブライ語に直すと意味が通じるとか〜

まー、ロマンですな
よく考えれば、キリストは名前じゃないのに、

弟の名前が「イスキリ」ってのも笑えるね!あせあせ

ストイチコフさんが読んだ本、知りたいな〜!わーい(嬉しい顔)
竹内文書ではイエス・キリストを「イスキリス・クリスマス」。
弟をイスキリ(聖書ではヤコブ)にしています。
土まんじゅうをキリストの墓とした証拠は、「キリストの遺言状」があるということです。

写真は竹内文献の神宝?
1、キリストが板に彫刻したイスキリ文字。
右が表、左が裏。
右の立姿は本人の自画像
2、イスキリ文字(五十一字)
3、モーゼの御神骨石

キリストを人名だと思っている人、現代日本にも沢山いますね。

「イスキリ」、いかにもそんな日本人が考えそうな名前です。竹内文書の著者自身が自分で偽書だと言ってしまっているようです。皮肉ですね。
竹内文書は古文献のはずなのにサンフランシスコとか現在のアメリカの都市名が載ってたりするんでしたっけ…。

竹内巨麿の子孫の方が、竹内文書は明らかに後から手が加えられたものだけど、竹内文書の元になったものがあったはずと言ってた気がします。
バスターさん
法皇庁は既に内密に認めてるそうですよ!!!
まーこれもただの噂でしょうが、、、
>竹内文書は古文献のはずなのにサンフランシスコとか現在のアメリカの都市名が載ってたりするんでしたっけ…。

上古第二代の天皇の子供を全世界に派遣した

オストリオセアラント赤人民王 →オーストラリア
ヒウケエビロスボストン赤人民王 →ボストン

『神代秘史百話/酒井勝軍著』、『神代の萬国史/皇祖皇太神宮刊』によると
「アメリカ」とは元来日本語である。「アメノリ」即ち天降りの意である。
そして、南北アメリカ共に天皇の領土であったことを忘れてはならない。

記紀より古い神代文字の時代に、このような地名はなく、明らかに近世の知識で創作されています。

鳥谷のピラミッド発見の翌年、巨麿は鳥谷の案内でキリストの墓を発見。
戸来村の村長に、その塚に「統来訪神」、近くの二ツ塚に「十来塚」という目印を立てるよう話し、さらに鳥谷には、その塚について沈黙を保つよう命じました。
 その後巨麿は茨城県磯原の天津教本部に帰り、神宝の中から新たに見つかったと称して、漢字カタカナ交じりのイスキリスクリスマス遺言(キリストの遺言)を公開しました。
ケン・ジョセフは知りませんので検索しました。

【隠された】十字架の国・日本』の著者で、古代イスラエルの失われた十支族がかつて多く住んでいたアッシリアを祖先とする人。お父さんはキリスト教宣教のために日本を訪れましたが、自分たちの先祖が景教を日本にもたらしたという説を唱えています。

そのきっかけは太平洋戦争が終わったときに、マッカーサー元帥は、日本の復興を助けるために1万人のボランティアが必要だと呼びかけました。それに応じて来日した一人が、若干22歳のジョセフ氏でした。
日本へ向かう船中で、当時ジャパン・タイムズのオーナーだった東ヶ崎菊松氏と知り合いました。ジョセフ氏の両親がアッシリアから米国へ移住したことを知ると、東ヶ崎氏は、あることを教えてあげようと言って、次のように伝えました。
「じつは君の祖先が、今から一四〇〇年も前に、我が国に三つの宝物を持ってきてくれたんです。」「一つは『自由と民主主義』、二つ目は『福祉と医療』、そして三つ目は、君が今言った『基督教』です。」

数年たってそのことを毎日新聞の投書欄に書きました。すると、「その通りなんだよ!」という手紙が全国から届いたそうです。その中に、あの「景教博士」として世界的な権威とされた、佐伯好郎博士もいました。古代の日本に秦氏たちが景教を伝えたという説を初めて説いた人です。

以下「私論」です

「佐伯好郎秦氏のユダヤ人景教徒(ネストリウス派)説」は時代に矛盾があるので、まともな学者は話題にもだしません。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で異端とされ、東方に布教活動を移し、ペルシア人司祭「阿羅本」ら宣教師団が中国西安に到着したのが西暦635年です。秦氏が渡来したのは4〜5世紀ごろです。

日本にはじめてキリスト教を布教したイエズス会のフランシスコ・ザビエルは自分達が来日する以前に景教が日本に入っていた可能性はあるといってます。しかし秦氏とはまったく関係ありません。私は空海以降ネストリウス派が少々入ってきたのではと思っています。
上のlotus さんに聞きたいですが、何を持って、しかし秦氏とはまったく関係ありません。と言い切れるんですか?
資料などあれば教えて頂きたいです。
『隠された聖書の国・日本』には茶道のことも書かれているそうです。

・茶道は、キリシタン迫害時代のキリシタンたちの「聖餐式」だった。
・裏千家の家元は、上記のことを認めている。
・茶道におけるお茶菓子はパンと同様にキリストの体を、お茶はぶどう酒と同様にキリストの血を表していた。
・裏千家の15代家元・千宋室氏によると、16世紀に成立した茶道はキリスト教の影響も受けている。

以下「私論」です
イエズス会フランシスコ・ザビエルが渡来したのは、1549(天文18)年8月15日。織田信長はキリスト教の布教を許可し多くの大名にも受け入れられ、キリスト教会には茶室がありました。
千利休はクリスチャンだったという説もあります。妻や娘がキリシタンで弟子たちの中には高山右近、蒲生氏郷など多くのキリシタンがおりました。

カトリックのミサで1つのカリス(聖餐杯)からぶどう酒一人ずつ回し飲みする。一人飲んではその飲み口をきれいな布で拭き、次の人に手渡す。次の人も同様にぶどう酒を飲んでから、飲み口を同じ布で拭き、次の人に手渡す。こうやって、一巡して司祭のところに戻ってくる。茶の湯の濃茶の作法はこのミサ聖餐式を参考にしています。

景教とはまったく関係ありません。
迫害されて聖餐式の代わりに茶道が発展したのではなく、迫害以前キリスト教が戦国武将の間に迎えられた時代に成立した作法です。
スイトチコフさん

中国まで景教の宣教師が来ていたことを知ってて、ザビエルは自分以前に日本にも景教が来ていた可能性があるといったのです。秦氏景教徒説は佐伯好郎が1908年にとなえたのが始まりです。ザビエルの景教発言は秦氏とは何も関係ありませんという意味です。

ザビエルが秦氏を意識していたと思いますか。
バチカンに秦氏が景況徒である、との文書でもあったのなら別ですが。
何か資料はございますか。
はじめまして♪

ここ去年行って思い出したんですが、この村出身の青い目の一族の日本人に会った事があります(・∀・)
ご近所には緑の目の一族が居られるそうですよ〜

ナニャドヤ〜ラ〜♪は神の御名を称えんって意味だとか・・・?
北秋田の方にもこの歌の盆踊りをする地域があります。
きっとここ発祥なのでしょうね。
「ナニャドヤラ〜夜明けがらすの渡るま〜で〜♪」
lotusさん
ザビエルの景教発言は秦氏とは何も関係ありませんという意味です。

そういう事なんですね、それは確かにそうですね、同感です。
ただ、バチカンでもどこでもいいですが秦氏=景教徒の資料が無いように、秦氏が何者かを伝える資料も無い(あったらごめんなさい)
要はどちらかわからない。というのがホントだと思います。
まあ参考までに【隠された】十字架の国・日本』を一度読まれてみては?
それなりの説明はあったと思います(あまり良く憶えてないですが、、、)
スイトチコフさん
[ 秦氏=キリスト教のネストリウス 派説]は別トピにしました。
外泊が多く返信遅れることもありますが、関心ある方ご参加ください。

ヘブライは発音で戸来(ヘライ)に近くないかも。。。
ヘブライっていう読み方というか言い方は日本語読みじゃないかと、、、

去年そこに行って来ました^^
茶道がキリスト教の聖体拝領に
似ているのは聞いたことがあります。
また、東北の祭りの掛け声が日本の
言葉では理解しにくく古代ヘブライ語では
比較的意味が通ること。
失われたユダヤの十支族が
東に移動し、中国では景教として
東の外れ、我が国では秦氏として
一時期、国をなしたと言うことも
言われてる方もおられるそうです。

確かにキリストは旧約聖書では
救世主の意味を含んでおり
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では
イエスの扱いは違いますが
イエスをキリストとする人たちから
見れば、普通名詞となったことも
考えられますね。
古代史はよくわからない分、想像力が
発揮できて楽しいです。(●´ω`●)ゞ
>>[26]
神崎慎一郎です。話が終了してから長い時間がたっていますが
つい先ほどこのコミュニティを見つけてうれしくなりました。

すごく詳しいですね。感心しました。
私もこの地を5回ほど訪れています。
酒井勝軍が好きで彼の痕跡を求めて日本中の
ミステリーを巡っております。
今年の夏は東北青森を2年ぶりに巡ってきました。
もちろん「キリストの墓」もです。

私も実際にあの土盛りの墓がキリストのものではないのでは
と感じております。
ただ、十和田周辺には外国人の痕跡が多く、やはり青い目の
人たちの話は聞いております。

ヘブライ語となればユダヤ人。
消えた10部族のうち8部族の行方は分かっているそうです。
残りの1部族がエデンを探して東方を目指したのなら
一つはこの地、もう一つは長野県諏訪と私は思っております。
日本最古とも言われる諏訪神社も不思議なところですよ。

ログインすると、残り7件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本の超古代文明 更新情報

日本の超古代文明のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング