ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

手帳活用術研究会コミュの「ノート/手帳」遍歴〜ファイロファックス、モレスキンなどなど

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ある種の男たちの文房具に対するフェチぶりってなんだろうと思う。こんな時代なのに、高級万年筆の書き味が堪らないなどと仰っている。そうそう、ボールペンはやはりクロスだね、とか。原稿用紙も「伊東屋」のものじゃないとダメと駄々をこねる。それだけではなく、「手帳」(英語では「ノートブック」という言葉しかないが)の類、ブリーフケースなどなども。
年に何冊かの「男の道具」、「男の書斎」や「男の文房具」のようなムック本が出版され、きっちり売れていくのは、フェチの男たちがしっかりといるってことだと思う。

もとから「手帳」というのは、“仕事師たち”にとっては必需品で、嗜好性よりも実用性とか機能性に比重が高いものだった。
それが、filofax http://www.nshcgj.jp/brands/filofax/main.htmの登場で相当に「手帳」の流れを変えたと思う。その頃は十分にファッショナブルだった。“文房具フェチたち”を大いに刺激したもんだ。

もともと「ファイロファックス」はイギリス陸軍の野戦将校が戦場で作戦メモなどを書き込んだり、保存したりのために考案されたものらしい。(これを迷彩色の戦闘服の腿の外側のポケットに入れるとサマになるわけだヨ。)それを退役した市民も“まちば”で使い始めたもの。

このfilofaxというのはイギリス本国よりも日本での方がはるかに売れていると睨んでいる。当初たったひとつの商品しかなかったのに、最近はどうだ、サイズといい、デザインといい、バリエーションがすごい。ビジネスの成功が商品開発に拍車をかけた結果だと思う。

かく言うボクちゃんも、もう3冊目のファイロファックスである。(“文房具フェチ”という自己認識はないのだが、ちょっぴりそのケがあるのかもしらん。)
ファイロファックスを使い始めの頃は、やはりスケジュール(ダイアリー)とメモ帳そして電話番号帳の3 in 1 が魅力ではあった。それと、いろんなリフィールが出ているので、それで“編集”すれば自分用にカスタマイズできるというのが“ウリ”だし魅力ではあった。

しかし、このメモ帳機能に関しては、6穴のバインダーのメモは書くときに、右手がバインダーに邪魔されて書きにくい。・・・このことは後ほど、バインダーを左にみながら、片面にのみにメモをしていくことで、書きにくさは解消され、後ほどのファイリングに好都合であることが判った。しかしながら、である。書き散らしたメモを、バインダーからはずしてソートしなおすという事は、ほとんどやらないことにも気がついた。

で、アメリカ時代は「ステイプルズ」(安売りの文房具屋)で売っていた10冊3ドル99セントのようなノートを使っていた。ほら、スパイラルの針金で留めてある、いわゆるノート的ノート。それにザクザクサクサク時系列でなんでもかんでも書き込んでいく。公的も私的も取り混ぜて全部書いていく。電話の受け答えまでもコレに。ただし、頭には日付を必ず書く。後ほどの検索はこれが頼りだが、何冊になってもほとんど瞬時に検索できる。というか、必要で重要な情報というのは精々2〜3週間のなかにあるという“法則”を発見した。逆にいえば、ほとんどゴミ・・・99.9%はゴミ・・・を営々とメモしているってことになるんだね。まあ、0.1%をピックアップするためにメモるんだってことはあるのだけどさ。
その頃は、スケジュール・ダイアリーを野口悠紀雄氏考案の「超整理ノート」http://www.noguchi.co.jp/datebook2006/のほうへにじりよって浮気していた。

日本に帰ってきてからは、再びファイロファックスにカムバックしたことと、メモ・ノートはより大型のA4の大学ノート(「Campus」)を常時使っていた。これはA4の資料がそのまま挟みこめるのがいい。

しかし、携帯電話の時代に入り、ファイロファックスから電話帳機能をすっかり吸い上げてしまった。残りの機能はダイアリーだけになってしまった。そうだとすると、分厚過ぎる。大袈裟に過ぎるのである。しかし、これを手放すのも、なんだか落ち着かない気分。もう何年もつかずはなれずながら、親友。ソイツと絶交してしまう感じとでもいうのかな。

時代はデジタルの時代に相当に深く足を踏み込んでしまっている。加速度のつき方も凄まじい。そんなときに、このfilofaxはどうアジャストしていこうというのかしら。
このクラシックで時代がかった重厚長大さは、巨砲主義の戦艦「ヤマト」のような気がする。一発の大砲も撃たずに、太平洋の底に横たわるみたいな。

物事はかならずサイクルがある。爛熟期の次には衰弱期が来る。それは絶対的にやって来る。その爛熟期を急激に衰弱期にしないため、もしくはもう一度サイクルを成長期のあたりに振り戻してやることを、業界では「ブランディング」という。
Filofaxもこのままでは、今までのような栄耀栄華は望めないと思う。


仕事の内容も少しく変化してきて、大学ノートを何冊も潰していくほどでもなくなった。もっぱらに、「100円ショップ」のノートで事は足りている。
・・・それにしてもfilofaxのリフィールの“散漫さ”(散逸さ、かな)にますます飽き足らなくなってきていた。

友人のコピーライターーが愛用していた手帳があった。分厚い文庫本くらいのサイズとカタチで、表紙はカラフルなオレンジ(だったと思う)でビニールのような素材で出来ていた。中味はただの白紙。確かドイツ製の「LIDO」とかいう名前であった。これを想いだし、「伊東屋」に立ち寄った。すでに取り扱ってないという冷たいお言葉。

“なんだかな〜”と軽い落胆を覚えながら、売り場をブラついていたら、“黒皮の手帳”が目に付いた。挟めたものを落とさないためか、縦にゴムバンドがついている。いまじゃパンツにも使わないゴムバンド。これと手帳の奇妙な取り合わせ。一種の“バッド・チューニング”でありアナクロニズムの臭いもする。
ブランド名は「もれスキン」・・・ちょいとヤバクない?

ついつい能書きを読んでしまった。マティス、ゴッホ、ピカソ、ヘミングウエイが愛用していたノートであると書いてある。チャトウインという旅行作家はパタゴニアに行くときに、パリ中からこれを100冊掻き集めて携行したとも書いてある。その後、この手帳を作っていたフランスの小さな企業は倒産してしまった。しかし復刻の要望が強く、遂にイタリアはミラノの会社がこのMOLESKINE(モレスキン)を復活させたのだと。やはり、ヤバイ。

薄めの文庫本の一回り小さな手帳が、ナント1600円。高い!かなりヤバイじゃん。でも、
気がついたら、罫線さえない白紙のソレ(クラシックと呼んでいる)を3冊も買っていた。

相当にパブリシティとか広告には“すれっからし” になっているはずなのに、この情けなさ、腰砕けはなんとしたことか。餅屋が餅食ってどうする?巨匠たちが愛用していたからって、どうなの?自分に何かが起きるとでもいうのかい?

もともとはザカザカ書く雑記帳なんだと思うが、関税のセイか利潤確保のセイか、結構なオネダン。だからなんとなく“改まって”で書いてしまうのが、難である。・・・まあ貧乏性なんだろうね。

世の中いよいよデジタルの時代になってきているなか、それに背中を向けて、完全に逆方向を目指していないかな〜。

最近では「ザウルス」のようなPDAでスケジュール管理とか会議のメモをサカサカやっている人もいるし、ノートパソコンをミーティングルームに持ち込んで来て、流れるようなテンフィンガーのブラインドタッチで、メモを取っていることも最早珍しい風景ではなくなった。さまざまなメモ帳ソフトが開発され、そのうちの「紙copi」というのを、使ってみたが、“スクラップブックソフト”といわれるくらいに、本当にはさみでサクサク切り取っている感じさえする。MSのOne NoteはPC上の全ての情報のコントロールセンターばかりでなく、そのようなメモ帳機能も充実しているらしい。

それはそうなんだけどさ、紙にチマチマちょこちょこと書き記していく楽しみってあるんだなって、久し振りに感じていることも確かなワケで。

願わくば、この手書きのものをアッという間にスキャンして、デジタルで取り込んでくれる安価な“スグレもの”が早く現れてほしいかな。

難儀なのは、永年連れ添わせてきたfilofaxをティシュのようにポイ捨てするわけにもいかず、結局、それにMOLESKINEをサンドイッチにして持ち歩くことになってしまったことだ。

折角新車を買ったのに、その新車を車両運搬車に載せて、運搬車を運転している具合なのだ。“なんだかな〜”である。

(以上)

※自分の日記からの転載です。

コメント(7)

ホッシィさん、新トピックありがとうございます。m(__)m

昔勤めてた職場にファイロファックス愛用している人がいました。「俺のファイロファックス知らない〜?」を口癖のように連発する人でした。
当時新人OLだった私はしょっちゅう探しに行かされるので、内心「そんなに大事なら、肌身離さず持っててよー」とつぶやいていました。^_^;
・・・しかし、薀蓄を聞かされるうちに次第に興味を持ち、その方がとても仕事がデキル人だったこともあって何度も売り場に足を運びました。
すごく好きな色のものを見つけたのですが、重さに断念しました。
最近では小さいサイズも出てるのですが、あまり小さいサイズのファイロファクスもなんだかな〜、と思いまして。
名前忘れたけど、まあそこそこのシステム手帳を購入して、4〜5年使いました。
素敵な人、尊敬できる人、デキル人が使っている手帳っていうのも何かあるのではないか、と思ってしまいますねー。


紙質や書き心地の良いツールっていうのは、ある程度大事だな、と私は思っています。
今年使っている手帳の紙質が良くなくて、裏写りするのです。
日付の割り方などは気に入っているので、ポストイットや別冊ノートを持つなど工夫して使い続けていますが・・・。
ノートは、極東ノートから出ているFOBCOOPのブランド名がついたものと、やはり国産メーカーの真っ赤な表紙の分厚いものの2種。
極東ノートの方は、罫線でも白紙でもなく「ドット」が配されているのが気に入りました。
どちらも今のところ、書き味は非常に良く気に入っています。
スラスラ・サラサラ書けると、いいアイデアが出てくるような気がします。

ホッシィさんのように、果敢にいろんなアイテムに挑戦していくとまた新しいものに出会えそうですね。
そうそう余談ですが、先日ソニープラザにおしゃれなノート&安カワイイボールペンが並んでいるのを見て、ワクワク致しました。(^^♪
>>NIKOさん:

仕事のデキル人が、しょっちゅう「オレのファイロファックスどこだ?」っていうかな?あれは肌身離さずということで成立しているものだと思う。

「果敢に挑戦」っていうのは、実感的には相当に距離感がありますね。ただ、「漂って」いるだけです。

どうなんでしょうね、NIKOさんも十分に「ノートフェチ」って感じがしますが、この“手書き系”って希少動物になっていく、もしくは絶滅危惧種になっていく感じは否めないかなと。

極端な例は、文庫版で日付以外は全くの白紙で「マイヒストリー」なんていうのがありますよね。1ページ1日で日記を書いていく。これは紛れもなく「私」に属するもの。
このコミュのテーマのノート・手帳も極めてコレに近いものかなと。

つまり、現在ある目的で「モレスキン」にさまざま言葉をピックアップ(引用してきて・・・)書き連ねています。勿論、書き込んでいけばいくほど、自分の選んだ言葉ですから、自分の思想が定着することになっていきます。このノート自体が「自分化」していっている感じはとてもあります。
でも考えてみれば、これを纏めていくためには、この紙に書かれたものから、モイチド何かのメディアに転写しなけりゃだめだよね、というところに行きます。
ならば、ハナっからワードにでも、テキストにでも記しておいた方が、アレンジしたり、編集したり、2次的3次的・・・・に使えるじゃないかというところに行き着いてしまう。

(もちろん、“手書きする”ということとデジタル系に収納することが、同質なことと考えているワケじゃないんですよ。その違いを解った上で言っているんですが)

トピにも書いた「紙copi」は極めて優れたソフトかなって思います。サカサカとスクラップできるリズム感はちょっとした快感であったりします。

まだ挑戦はしていないですが、MSのOne Noteにもグッグッと惹かれるものあります。コンピューター内のデータが効率よく統合的に連関的に使える・・・らしい。

(このあたりは、このmixiの「デジタル情報整理法」というコミュで学ばせてもらっている)

よく解らないんですが、そんな状況があればあるほど、「手書き」は益々私的なものの方に傾斜していくことを高めていくのかな、と思います。つまり、デジタル情報になっていないことが、メリットを持ってるというか、アドバンテージを有するというか、そんな極めて狭い私的な世界に。

そんなこんなで、3冊も買った「モレスキン」の一冊の半分も行かないうちに、「どうしたもんだろう」とたゆたい惑い、また漂う予感のある私です。

極めての私論です。
反論いただいた方が嬉しい。
なるほど、「漂って」おられるのですね。
漂うというのは、こだわりがなくて自由度が高い状態、或いは自分にぴったり来るものを探索中なのでしょうか?


さて、「手書き」に対する私の意見なのですが・・・。
以前は手書きの書き直しが面倒で、何でもすぐPCに入力しながら考えてたのですが、最近ではまず手書きをするようになりました。
手書きには特別の意味があると思うようになったのです。


まず手書きの自分の字というのは、世界で唯一のもの・自分だけのものであるということを強く意識できます。
デジタルツールがいくらフォントの種類を増やしても、手書きに勝るオリジナリティのある字体を用意することはできませんから。
ここはホッシィさんの言われる「手書きが私的なもの」というご意見と同じです。


私の場合は、ある程度アイデアを検討したり文章の推敲を経て、私的な世界を脱してパブリックなものにしてもいいかな、となってからPC入力をするようになりました。
内容の如何を問わず、手書き文字が「活字」「既存のフォント」になっただけで、その文字で書かれた文章は「正しい」と思わせる力があるように思うのです。
一人歩きを始めるというか・・・。
一人歩きに耐えうる内容になってから、デジタル化する。
※今この文章作りながら、つくづくネットやメールは怖いなー、気をつけようと思っています。(苦笑)

検討・推敲には手書き文字が良いと思う理由がもう1つあります。
キーボード入力も腕・指を使いますが、手で書くというのはキーボード入力以上に筋肉を使います。
人間の脳はただ頭で考えるよりも、ほんのわずかでも身体を動かしたものに対しては「実際の経験」としてより強く認識するそうです。
それを知ってから、「手で書く」ことは自分自身の思考・感覚・アイデアを体験しているのかなあ、と思っています。
ですから、自分の為にできるだけいい環境を整えてやりたい、
紙や筆記具の質を良くすることで少しでもいい感覚が得られるなら、多少の贅沢はいいかなー、という感じです。
勿論贅沢にも許容範囲がありますけどね。

自分の身体を使って表現した文章・・・それはまず「自分」というメディアがあっての代物ですね。
こうやって書いてて、「手書き」って自分で思ってる以上にいいなあ、と思うようになってきました。
う〜ん、何だかまとまりがない文章になってしまいました。^_^;

「表現」するということ・デジタル整理については、これはこれで思うところがあるのですが、またいずれ。
>>NIKOさん:

全くのところ反論の類はありません。おっしゃる通りです。

それで、<以前PCに入れて考えていた…で最近は・・・>というところが重要なところかもしれませんね。

ボクの経験でいえば、例の「モレスキン」の真っ白な紙に書き付けることをはじめてから、「手で書く」というカタルシスのようなものを再発見しているところがあるからです。

ただ、2番目のポイントはどうでしょうか?
現在40代以下の若手の作家はほとんどワープロなどのデジタル系で思考しています。欧米では相当以前からタイプライターで書くことが普通のことでしたし、もっと売れっ子であれば、声をデクタフォンに録音してタイピストがワープロでという作家もいます。(これには逆の意味で驚嘆しますが。日本では竹村健一がそうでした。)

手足を動かす・・・ことが脳にも影響を与えることはあると思います。しかし、ブラインドタッチでテンフィンガーズ打っているのを見ると、手書きよりどう見ても運動量は多いと思いますよ。

でもでも・・・もっと根源的なところで、貴方のいうことは当たっているのかもしれません・・・。

どこかに出ていた文章で、「人間の脳が大きいから手足を自由に動かせたのではない。手足を自由に活発に動かすことにより、人間は脳を大きくしたのだ」というのがあったのです。ちょいと怖い。

哲学者は思考にふけるときに歩きます。そう、「哲学の道」を。なんか関係あるんですよね。

などなどを考えながら、「漂流」しています。
はじめまして。tategamiと申します。
横から失礼します。

タイピングに関してですが、
アルファベットと漢字ではまた違うと思います。
漢字は直接タイプできません。
そして手書きする場合は、偏や旁などを逐一書かねばなりません(書き殴る場合は別ですが)。
これは、ローマ字をタイプすることとは違う意味があると
考えています。

なお、毛筆からタイプに至るヒエラルヒーを考察した本があります。
「究極の文房具カタログ」 高畑正幸 ロコモーションパブリッシング
著者は、もともと、テレビ東京「TVチャンピオン」
の文具王なのだそうです。

突然失礼しました。今後ともよろしくお願いします。
>tategamiさん

私も入力方法は「思考」を表現する際に何らかの影響を与えるのではないか、と思っています。

それから、もう一つ気になっているのは、メールやブログ
掲示板などになると「人格」が変わる人が結構いること。
匿名でなく、個人間のメールのやり取りなんかでもそういう人いませんか?
「いい」「悪い」ではなくて、媒体が変わると表現が変わるのは当然なのかも。

>ホッシィさん
どこかでちらっと見かけたのですが、モレスキン展というのが開かれるとか開かれた(?)とか。
モレスキン愛用の有名デザイナーの原画が展示されるというような案内でした。
未確認情報ですいません。m(__)m
対、相手がいる、場合は人格が変わるということでしょうか。
手帳や日記帳など、他人に見せることは前提にしていませんからね。

あと、ケータイメールだと簡単に書けるのに、パソコンメールは書けないという友人がいます。
パソコンメールの方は、紙面に向き合ってるようで、構えてしまうからだそうです。
この場合も、入力方法の違いといえるんでしょうか。
単に、文章書くのが苦手なのかなーと言ってますけどね。
私は逆で、オシャベリを敢えてメールで打つ、ケータイメールが苦手です。

コミュ違いかと思いましたが、オシャベリでした。。。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

手帳活用術研究会 更新情報

手帳活用術研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング