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韓国は“なぜ”反日なのか?コミュの【3】誤解は“なぜ”なくならない?その15

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……中国にとって「それ」がちなみに名乗り出て被害者ぶって賠償金を請求している婆さんのほとんどは
戦争の時期と「年齢が合致しないこと」など簡単な証明だけで嘘がバレている。
つまり騒ぎに便乗して“金持ち日本政府”から金を巻き上げようとした
犯罪者が年寄りを利用しただけの『成りすまし元慰安婦』である。

いくつか例を挙げてみることにしよう。
 

 ■「挺身隊おばあさん」チョン・ソウン氏、80歳で死去。

 チョン・ソウンさんは13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、
 7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として生きなければならなかった。
 2004年2月26日未明、慶尚南道鎮海の自宅で老患で亡くなった。
 ttp://japanese.joins.com/html/2004/0226/20040226185642400.html

   ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑

このような人がいると聞くと日本人は事実確認をする前に
すぐ申し訳ない気持ちになってしまう。

だが、よく考えてみよう。

1.2004年に80歳で死亡した。
  →つまり『1924年生まれ』である。

2.13歳から7年間インドネシアで慰安婦をしていた。
  →慰安活動をしていたのは『1937年から1944年まで』である。

もうここで話が破綻している。

日本軍がインドネシアを占領していたのは、
『1942年〜1945年までの3年間』である。

そして1942年以前のインドネシアはオランダの植民地だったのである。

彼女が慰安婦になった1937年から数えても1942年までの5年間は
オランダの植民地なのだから「日本軍の慰安婦」というのはありえない。

連行された13歳当時(1937年)、インドネシアと日本軍は無関係なのである。

これは「高齢により記憶が曖昧になった」という誤魔化しも厳しい。

慰安婦になったという衝撃的な記憶を受けた時に
自分が“子供だった”のか“成人していた”のか、という大差である。

この場合の7年間とは「13歳か20歳か」という人生最大の成長期であり、
「70歳か77歳か」というのとはわけが違う。若いころの7年間という差を
仮に“痴呆”とするなら、今度はそもそもの証言能力すら認められなくなってしまうだろう。

いずれにせよ彼女が13歳当時のインドネシアと日本軍は無関係なのだから、
真相は『5年間だけオランダ軍かインドネシア軍の慰安婦をしていた』か、
せいぜい『インドネシアで普通の売春婦をしていた』ということかもしれない。

このような朝鮮人の“自称慰安婦の婆さん”はほぼ例外なく嘘をついている。

他にも有名なところで李容珠(イ・ヨンス)という自称慰安婦がいる。

慰安婦の全国証言集会のホームページにあるプロフィールは以下のようになっている。

李容珠(イ・ヨンス)プロフィール

1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな
服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに
繰り返し強かんされる。

その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を
3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、
抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの
暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。

ttp://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm

これも言うまでも無く嘘である。

彼女に「日本の中学生程度の知識」があればこんなすぐバレる嘘はつかなかっただろうが、1944年から3年間だと、戦争が終わってしまっているのである。

日本は1945年の敗戦で撤退し、台湾は同年10月にはもう国民党政権のものになっている。

国民党政権下で敗戦した日本軍が台湾に慰安所などを存続できるわけがないのである。

しかも日本の慰安婦制度は軍人が直接スカウトするのではなく、軍が現地の売春婦の
元締め(女衒)と契約して慰安婦を働かせるシステムである。わざわざ「軍服みたいな
服を着た男(軍人?)」が韓国から台湾に娼婦を強制連行するわけがないし、むしろ
そのような行為を日本政府は固く禁じていた。
そもそもそんなことをしなくても売春婦は現地台湾にもいるのである。

要するにこの婆さんは韓国政府の宣伝した「悪逆非道の日帝イメージ」を
そのまま自分の記憶のようなフリをして流用しているのである。

ちなみに日本共産党ホームページによると、この婆さんが岡崎トミ子、吉川春子らに
連れられて日本政府に謝罪要求しに来た時には、

「十四歳で銃剣をつき付けられて連行された」

と、なぜかそれまでの証言から年齢を変更している。
(それでも当時の官房長官・細田はあっさり謝罪してしまったが…)
ttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html

このように年齢や証言を曖昧に変化させる自称慰安婦はこれだけではない。

「精液を連想するから牛乳が飲めません」との発言で一躍有名になった
黄錦周(ファン・クムジュ)のいい加減な証言には誰もが唖然とするだろう。

ただでさえ証拠も存在しないのに、証言が頻繁に変更されるだけでなく、
それぞれが変に具体的な“物語性”が加味されているところに注目したい。

以下、すべて黄錦周という同一人物の回想証言である。

A.『従軍慰安婦と戦後補償(1992年7月 高木健一著)』
「生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
 1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりと
 なって満州に連行され慰安婦となった」

・ポイント
「1938年に慰安婦になった」「当時は女中をしていた」

→そもそも朝鮮人(当時は日本人)女性に国民徴用令が出たのは1944年。
 つまり慰安婦に関わらず1939年に徴用されること自体がありえない。
 また、そもそも満州(現在の吉林省)には朝鮮人経営の妓桜(女郎屋)が
 5件も営業していたため、満州には慰安所そのものが置かれていなかった。

B.『朝日新聞インタビュー(1995年7月24日夕刊)』
「威興の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され
 軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」

・ポイント
「17歳で慰安婦になった」「1939年に国民徴用令で動員」「当時は女学校在学中」

→Aと同様に時期が徴用令の1944年より早いし、先ほどの連行された当時は
 女中だったという証言とも食い違う。1939年に17歳=1922年生まれ。

C.『国連・経済社会理事会クマラスワミ報告(1996年1月4日)』
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、
 日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として
 徴用されたのだと思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が
 自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。
 たいへん怖かったので抵抗しました。私はまだ処女でした。」
 ttp://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/cwara.HTM#testify

・ポイント
「17歳で労働者に」「村の指導者の妻の命令」「(3年働いて)20歳まで処女」

→20歳まで処女なら、慰安婦になったのはそれ以降。他の証言と食い違う。
 工場労働者だったという証言は、女中または学生だったという証言と食い違う。
 しかも慰安婦として強制連行された話ではなくなっている。

D.TBS番組『ここが変だよ日本人(2001年5月16日)』
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、
 仕方なく慰安所に行ったんだ!」

・ポイント
「番組当時82歳」「19歳で強制連行されて慰安婦に」

→この時82歳だとすれば1919年生まれ。つまり19歳の時=1938年。
 当然徴用令も出ていない。真珠湾攻撃の3年前ではさすがに気が早すぎるだろう。
 生まれた年を度々変更するのはどんな都合だろうか。

E.『日韓社会科教育交流団韓国を訪問(1997夏期)』
「満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
 ttp://www2.nkansai.ne.jp/users/peace/heiwanews%EF%BC%95.htm#1

・ポイント
「18歳で」「男が村から娘を提供させた」

→また年齢が変わった。どのように慰安婦になったのか、証言内容がまた違う。
 当時は村にいたのか他所で働いてたのかも変化している。とにかくいい加減。

F.『元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会(1997年12月5日)』
「村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、
 1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。」
 ttp://www1.jca.apc.org/aml/9711/6904.html

・ポイント
「1941年」

→男に連行されたという証言と食い違う。1941年では徴用令すらまだ出ていない。

G.『黄錦周さんの証言を聞く会(2001年7月17日 東京大学にて)』
「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、
 皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
 http://www1.jca.apc.org/aml/200108/23174.html

・ポイント
「14歳で慰安婦」

→とうとう14歳に。20歳まで処女だったという話はどこへいったのだろう。
 生まれたのが1919年なら14歳当時で1933年で、
 生まれたのが1922年なら14歳当時で1936年である。
 ちなみに太平洋戦争の開戦は1941年。日中戦争でも1937年である。
 

ちなみに伊藤孝司著の『証言 従軍慰安婦女子勤労挺身隊(風媒社 1992年8月)』では
1927年生まれと書かれている。同書では慰安婦にされた年も17歳ではなく、
「シンガポール陥落の年(1942年)」と具体的に証言している。その証言だと
慰安婦になったのは15歳当時だったことになる。結局いずれにせよ嘘である。

ここまで見てくればもうピンときている方もいると思うが、韓国側の主張する
「従軍慰安婦の強制連行説」には何の証拠もなく、『証言のみ』で押し通しているのである。

従軍慰安婦の強制連行説を主張していた吉見義明中央大学教授が1992年11月に
『従軍慰安婦資料集』を刊行したが、その本の中で「強制連行」を示す資料が一つも
みつからなかったことを認め、1997年1月31日のテレビ朝日系列の『朝まで生テレビ』でも
「日本の植民地(朝鮮、台湾)については強制連行を示す資料はない」と言い切った。

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