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和歌と詩の世界:紫不美男コミュの18、七草考・『日本語で一番大事なもの』大野晋 丸谷才一 中央文庫 摂取本(セツシボン)

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この作品は自作の詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、BGMとして流さうと思ひつき、樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、

『YAMAHA QY100 Motion1(Mirror) &(Substance) 柿衞文庫(KAKIMORI BUNNKO)
Takaaki Mikihiko(高秋 美樹彦)』

で作つて見ました。






18、七草考・『日本語で一番大事なもの』大野晋 丸谷才一 中央文庫 摂取本(セツシボン)

 早いもので、私淑する大野晋(1919-2008)氏が亡くなられてから三年に垂(なんな)んとする。
 淺學(せんがく)の徒ではあるものの、語學に對(たい)する興味は盡(つ)きない。
 とは言つても專(もつぱ)ら日本語に限つてゐて、これは廣い意味で一般に「國學」と言つてゐるのだが、主(おも)に、

 「古事記・萬葉集(まんえふしふ)などの日本の古典を研究し、日本固有の思想・精神を究めようとする學問(大辞林より)」

 とあり、

 「契沖(けいちゆう・1640-1701)を先驅として江戸前期に興り、荷田春満(かだのあづままろ・1669-1736)・賀茂真淵(かものまぶち・1697-1769)・本居宣長(もとをりのりなが・1730-1801)・平田篤胤(ひらたあつたね・1776-1843)らによつて確立、發展した(大辞林)」

 といふからその歴史はそれ程古くはない。


 けれども、「國學」といふと日本を禮讃(らいさん)するばかりの國家民族主義(ナシヨナリズム)といふ印象が強く、國粹主義者の烙印を押されてしまひがちだが、福田恆存(ふくだつねあり・1912-1994)氏や三島由紀夫(みしまゆきを・1925-1970)氏のやうな人なら兔も角、筆者などは人と人とが論理的に讀書きする手段として言語を考へたいと思つてゐるだけだから、さういふ目で見られると面映ゆい事この上ない。


 言語を純粹に考へるといふと大袈裟かも知れないが、抑々(そもそも)純粹とは何かといふ問題もあつて、その發生から考へれば、人間が聲帶(せいたい)から發する事の出來る樣々な音聲を分類して、意味のある言語として系統立てて行く。
 その行爲(かうゐ)には、人と人が理解し合はうとする願ひがあるばかりで、その對極にある人種偏見や國家の影の入り込む餘地は微塵もない。
 これを言語を純粹に考へる、と筆者は思つてゐる。


 その意味からも、言語學者である大野晋氏と歴史的假名遣で表記される小説家の丸谷才一(1925-)氏との二人の對談形式による、

 『日本語で一番大事なもの』

 といふこの書物は、筆者などには垂涎(すいぜん)の的であると言へる。


 内容は「けり・かも」に始まつて、「らむ」に到る助動詞や係助詞などの和歌における文法の解明といふ、嘗(かつ)てない面白いもので、この中に、

 「なむ」

 についての章があり、

 「係助詞「なむ」は口語的なもので、和歌では使われないんですね」

 といふ丸谷氏の言葉があり、

 「歌を読むときに、「言葉」という言葉と、「言の葉」という言葉の区別を覚えておく必要がある」

 と大野氏が答へ、更に、

 「よく調べると「言葉」という表現は、散文とか、口先の言葉とか、嘘とかいう意味だったんで、歌の中には出てきません。歌を指す場合は(中略)「言の葉」というんですね」

 と解説は續き、

 「「なむ」の古い形は「なも」で(略)、散文でというのは、普通の会話で使う表現ということで(略)、『万葉集』に一つ、それも分りにくい表現で、平安朝の歌のなかにはほとんど例がないんです。「なむ」が出てくるのは『古今集』の、

   たもとよりはなれて玉を包まめやこれなむそれとうつせみむかし

 ですが、実はこれは「これなむそれ」というところが、「 」になるんです。つまり会話の言葉を歌のなかに引用しているんです」

 と大野氏は明快に解きほぐす。


 その結果、

 「「なむ」は「内心でそう思う」という意味」

 であると言はれて、さうすると、

   幾山川こえさりゆかば寂しさの
   はてなむ國ぞけふも旅ゆく

 といふ若山牧水(1885-1928)の有名な歌の「はてなむ」はどういふ事になるのか、などとぼんやり考へてしまつたのである。


 ところで、第一句の「幾山川」を、

 「いくさんが」

 と漢語で讀み、五音に調べは整ふものの俳諧歌のやうにするか、それとも、

 「いくやまかは」

 と字餘りになるが「やまと言葉」で讀むか判斷に迷つてしまふが、「やまと言葉」だと音が柔らか過ぎるから、

 「いくさんが」

 と漢音の方が鋭く、人生の艱難辛苦が表現されてゐるやうで筆者にはしつくり來るのである。


 話は變つて、時期は過ぎてしまつたが、題名にある通り一月七日は「七草粥」で、丁度その時、筆者は妻の田舎の美作へ歸つてゐたのだが、

 「春の七草」

 を覺えるのに和歌にすれば覺え易いだらうと、三十年ほど前に作つて、

   芹(せり)薺(なづな) 御形(ごぎやう)繁縷(はこべら) 佛(ほとけ)の座
   鈴菜(すずな)清白(すずしろ) 春の七草               不美男

 と大きな顏をして人樣に披露してゐたのだが、これがとんでもない事で、話を元に戻して、

 『日本語で一番大事なもの』

 を紐解けば、

 「物覚え歌というのは「せりなずな御形はこべら仏の座すずなすずしろ春の七草」というたぐいのもので」

 といふ一文にぶつかつて、冷汗をかいてしまつた。


 話が鳥の枝移りのやうにくるくる變つてしまつたが、人間の考へる事は大差がないやうで、殊に筆者などの思考に大した閃きなど宿らう筈もなく、がつかりするのが烏滸(おこ)がましいぐらゐのものである。
 しかし、このままでは目覺めも惡いので、「春の七草」と同じやうにもう既にあるかも知れないが、「秋の七草」も披露しておかう。

   萩(はぎ)桔梗(ききやう) 葛(くづ)藤袴(ふぢばかま) 女郎花(をみなへし)
   尾花(をばな)撫子(なでしこ) 秋の七草                 不美男

 こんな自慢のやうな事は、却つて迷惑だつたかも知れないのだが……。





十九、『羅生門』に就いて 摂取本(セツシボン)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=62472207&comm_id=4699373




  宜しければ初めからどうぞ。

一、戸川幸雄著『ヒトはなぜ助平になったか』『摂取本(セツシボン)』 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50785782&comm_id=4699373


     音樂に關聯した記事

柿衞文庫を訪ねて 『殘し柿』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1658956589&owner_id=25109385

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