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和歌と詩の世界:紫不美男コミュの三、總ては五十音圖から 『愛ニ飢タル男』 表記法としての歴史的假名遣の價値

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愛ニ飢タル男
表記法としての歴史的假名遣の價値
 
   三、總ては五十音圖から

 それでは、一體、五十音圖はいつ頃からあつたのかと言ひますと、その成立は十世紀から十一世紀の間と考へられてゐて、文獻(ぶんけん)の最古のものは醍醐寺の、

 「孔雀經音義(くじやくきやうおんぎ)」

 に付記されたもので、寛弘(くわんこう)〜萬壽(ばんじゆ)年間(1004−1028)頃とされてゐます。


 五十音圖とは、五十字の假名を縱(たて)に五字、横に十字づつを竝べた表の事で、

 一、縱の竝びを「行」
 一、横の竝びを「段」

 と言ひます。

 「行」には、ほぼ同じ子音のもので竝び、
 「段」には、同じ母音が竝んでゐます。

 古くは、

 「五音・五音圖(ごいんづ)・假名返(かながへ)しの圖」

 などとも呼ばれ、漢字音の反切(はんせつ)の爲に作られたとも、また漢詩の爲の、

 「韻紐圖(ゐんちうづ)」

 から日本語にも、

 「同子音・同母音」

 の考へが生れ、それを悉曇(しつたん・梵語即ちサンスクリツト)の智識によつて、整理したものであると言はれてゐます。
 因みに、かつて歐羅巴(ヨウロツパ)の多くの言語が、羅甸(ラテン)語を基礎としてゐると思はれてゐましたが、比較言語學では、印度(インド)歐羅巴語といふのが現在の主流で、奇しくも印度が洋の東西を問はず、言語の中心的存在だつたのは不思議な感じがします。


 さうして、五十音圖といふからのは、發音の違ふ音が五十音あるといふ事でありますから、

 「あ行」の「い・え」
 「や行」の「い・え」
 「わ行」の「ゐ・ゑ」

 は全部が違ふ音であつたといふ事であり、現在の教育で行(おこ)なつてゐるやうに、

 「や行」が「やゆよ」で三文字しかなく、
 「わ行」が「わ・を」で二文字しかなければ、合計四十五音しかなく、假(かり)に、

 「ん」

 を入れても四十六音しかなく、五十音とはなりません。
 それに本來、「ん」といふ文字はなかつたと見ても構はないと思ひます。
 何故なら、「ん」は一部の音が變化しただけの事で、

 『花の散るらん』

 の「らん」は「らむ」の變化で、「らめ」の活用がありますから、「む」が「ん」になつたのだと解ります。

 
 『なんといふ』

 の「なん」は、「何(なに)」の「に」が「ん」に變化したものである事が解るからであります。
 さういふ意味で、「ん」を省き、

 「や行」を「やいゆえよ」
 「わ行」を「わゐうゑを」

 とする事によつて、五十音となる事が分ると思ひます。


 しかし、五十音圖よる同じ音が互ひに相通(さうつう)するといふ考へは、こんにちでは一般的には採用されてゐないのだ、とものの本に記されてゐます。
 その理由は、上代特殊假名遣の頃に、母音は、

 「aiueo」

 の五つではなく、この外に發音の違ふ、

 「ieo」

 のそれぞれの「ieo」に「¨(ウムラウト)」を冠した三つが追加された、全部で八つが母音であつたといふ事が解つたからで、例へば、

 「上(かみ)」の「み」
 「神(かみ)」の「み」

 この二つの「み」は、どちらも文字は同じですが、羅馬字表記にしますと、

 「上(かみ)」の「み」は「Mi」で
 「神(かみ)」の「み」は「Mi」の「i」に「¨(ウムラウト)」が追加されます。

 このやうに、語源が一緒ではなかつたと解つた事によります。
 それは、

 「小(こ)」の「こ」が「ko」
 「木(こ)」の「こ」が「ko」で「o」に、矢張り「¨(ウムラウト)」が追加され、同じ「か行」の「こ」でも、語源は一つではなかつたと知れたのです。


 では、解つてゐるだけで、一體、どれぐらゐあつたのかと言ふますと、

 一、甲類 「ki・Gi・Fi・Bi・Mi・ke・Ge・Fe・Be・Me・ko・Go・So・Zo・To・Do・No・Mo・Yo・Ro」
 一、乙類は上記の總(すべ)てに「¨(ウムラウト)」を追加する形となります。

 以上の四十音が掲げられますが、筆者個人の発想が正しいとすれば、まだ外にもあるものと思はれます。
 これは素人考へかも知れませんが、

 「ieo」

 と、「¨(ウムラウト)」が冠された「ieo」の、この二つの音の違ひは、どちかが拗音ではなかつたと思はれ、それは例へば、

 「梶」は「かぢ(kadi)」
 「火事」は「くわじ(kuwazi)」

 通常の歴史的假名遣では、このやうになりますが、上代特殊假名遣の甲類と乙類の書分けでは、

 「kadi」が「梶(かぢ)」
 「kazi」が「火事(くわじ)」で、「a」に「¨(ウムラウト)」が冠されたのではないかと思はれます。


 その根據(こんきよ)は、

 「は行」の「はひふへほ」が、嘗(かつ)てはこんにちで言はれてゐる所の、
 「Ha・Hi・Hu・He・Ho(はひふへほ)」ではなく、寧(むし)ろ、
 「Fa・Fi・Fu・Fe・Fo(ふあ・ふい・ふう・ふえ・ふお)」

 ではなかつたかといふのが、通説になつてゐますが、實(じつ)は、

 「Ha・Hi・Hu・He・Ho」

 と、「¨(ウムラウト)」が冠された「Ha・Hi・Hu・He・Ho」の、この二つの事を示すのが、本當ではなかつたかと思はれます。
 この外にも、「さ行」が、

 「Sa・Si・Su・Se・So(さしすせそ)」
 「aiueo」に「¨(ウムラウト)」が冠された次の、
 「Sa・Si・Su・Se・So(しや・しい・しゆ・しえ・しよ)」

 とこの二つが、同時に有り得たといふ事はなかつたでせうか。


 といふのは、現在の、

 「が」

 といふ言葉にも、

 「樂(がく)」の「が」
 「僕が」の「が」

 とは發音が違ふのだといふ事は、少し言葉を理解してゐる人ならば誰でも、軟口蓋破裂音の有聲子音と後舌の廣母音による音節の「が」が語頭に用ゐられ、語中及び語尾の「が」では、頭子音が軟口蓋鼻音となり、所謂(いはゆる)鼻濁音であると知つてゐると思ひます。

 語頭は「が」
 語中は「か°」

 と表記することがあります。


 さうして、

 「aiueo」と、
 「¨(ウムラウト)」が冠された、
 「ieo」

 を合せた八つの母音も、本來は、

 「aiueo」と
 「aiueo」の、

 總てに「¨(ウムラウト)」が冠された、合せて十音ではなかつたかと思はれます。
 といふのも、

 「ka・ki・ku・ke・ko」は「かきくけこ」
 「aiueo」に「¨(ウムラウト)」が冠された、
 「ka・ki・ku・ke・ko」は「きや・きい・きゆ・きえ・きよ」

 この二つは入れ違ひであつたのかも知れませんが、いづれにしましても、この二つの音の違ひは、どちかが拗音で、假(かり)に、

 「ieo」

 の方が拗音だとすれば、その違ひは先づ第一に、歴史的假名遣と現代假名遣の、

 「あ行・や行・わ行」

 を調べれば解るのではないか、と思ひます。


 何故なら、それらの「行」がこれまでの語音の變化を、最も極端に表してゐると思はれるからです。
 例へば、「¨(ウムラウト)」が冠された、

 「ieo」の場合、
 「au」の音はなく、

 「あいうえお」の場合の、
 「やゆよ」との比較を照らし合せると、現代語音の、

 「や行」に「i音・e音」の音がなく、僅かに、
 「o」音にのみ互ひに共通する音を殘してゐて、更に、

 「あいうえお」
 「わを」の場合も、

 「i音・u音・e音」に語音がなく、歴史的假名遣にした所で、
 「ゐゑ」といふ文字があつても、
 「u音」に於ける問題が生じて來ます。


 ですから、

 「あ行・や行・わ行」の内で、
 「i音・e音・o音」

 といふ「¨(ウムラウト)」が冠された、この三つの音を解決させなければなりませんし、拗音の、

 「きや・きゆ・きよ」の場合でも、
 「か行・や行」の複合音で、その活用は、
 「や行」を使用してゐて、
 「auo」の音があります。

 「ieo」といふ「¨(ウムラウト)」が冠された音と、
 「auo」の二つの中で、
 「o音」にのみ共通點を見出せるのです。


 さうして、「¨(ウムラウト)」が冠された、

 「ieo」が實(じつ)は、同じく「¨(ウムラウト)」が冠された、
 「aiueo」ではなかつたかといふ理由は、

 「あ行」の「あいうえお」
 「や行」の「やいゆえよ」といふやうに、
 「i音・e音」だけが同じ表記であつたとしても、この前の、

 「ま行」が、
 「Ma・Mi・Mu・Me・Mo(まみむめも)」

 となつてゐるのを考へた時、誰しも、

 「あ行・や行」の「i音・e音」

 が同じ音だとは見ないのと同じやうに、またそれにも拘はらず、

 「や行」の「a音(や)・u音(ゆ)・o音(よ)」にだけ、

 「あ行・や行」の區別が歴然とあり、

 「う」を同じ表記で書く、
 「あ行・わ行」に於いても、同じ事が
 言へるのではないかと思ひます。


 「きや・きゆ・きよ」といふ拗音の場合でも、
 「i音・e音」にだけ音がなく、
 「o音」には、「きよ」といふ音があり、

 「ieo」といふ「¨(ウムラウト)」が冠された場合と、変形されてはゐますが、語源的には相似性があるやうに思はれます。
 ですから、

 「きや・きゆ・きよ」
 「しや・しゆ・しよ」
 「ちや・ちゆ・ちよ」
 「ひや・にゆ・によ」
 「みや・みゆ・みよ」
 「りや・りゆ・りよ」

 その他、濁點と半濁点の、

 「ぎや・ぎゆ・ぎよ」
 「じや・じゆ・じよ」
 「ぢや・ぢゆ・ぢよ」
 「びや・びゆ・びよ」
 「ぴや・ぴゆ・ぴよ」

 などの「い音便」による、
 「や行」の活用に似たものがあると思はれるのです。


 さうして、何よりもその證據(しようこ)に、子音は總て母音に歸する所から、一種の拗音だと言つても過言ではないと思はれるからです。

 「あいうえお」

 この五つを母音として、他の四十五音を子音と呼ぶ事は誰でも知つてゐる事ですし、

 「かさたなはまやらわ」の子音は總(すべ)て母音の、
 「あ」に歸する事も御存知かと思ひます。

 その意味では、

 「かあ・さあ・たあ・なあ・はあ・まあ・やあ・らあ・わあ」

 とかう書いても良ささうなものですが、さうしなかつたのは不便だといふ事もあつたでせうが、それ以外に、では本當により拗音的な發音を強(し)ひる言葉を、どのやうに表記すれば良いのか、といふ問題があつたのではないかと思はれます。
 さうしますと、拗音的な言葉と、より拗音に近い言葉とを表記し分ける爲に、こんにちのやうな形を想像するのはそれほど難しい事ではないでせう。


 しかし、以前にも書いた、

 「五音相通」

 の考へが否定されてゐる理由がここに根ざしてゐるとすれば、それは如何なものかと思はれます。
 その理由の前に、なぜ否定され出したかといふと、動詞の活用で、
 「書く」といふ言葉を例に示すと、

 「書か・書き・書く・書け・書け」

 で、これは四段活用ですが、
 「書け」の場合、
 「已然(いぜん)形」と、
 「命令形」とがあり、
 この二つの「け」は、

 「已然形」の「ke(け)」は「e」に「¨(ウムラウト)」が冠された「ke」で、
 「命令形」の「ke(け)」は普通の母音で、ここに先ほどの問題が出て來て、同じ、
 「か行」にも二種類あり、
 「か行」に於ける相通の考へが否定され、延(ひ)いては總ての「行」をも否定されるに到つたのです。


 しかしながら、これを拗音と直音とに分ける事により、かなり解決出來るのではないかと思ひます。
 例へば、

 「已然形」の「書け」は、「書けば」となり、「書きえば」やあるいは「書くえば」などと發音してゐ、
 「命令形」の「書け」は、その下の言葉が「よ」ぐらゐしかなく、そこで言ひ切つた事になり、直音の言葉となり易かつたのではないかと思はれます。
 詰り、さういふ書分けに於いて、

 「aiueo」

 と、

 「ieo」

 の「¨(ウムラウト)」が冠された言葉があつたのではないかと考へたのですが、これは早急には答への出ない問題ですし、この考へ自身が間違つてゐるかも知れません。
 しかし、五十音圖が最初にあつたのではないかといふ考へは、以前として筆者の腦裡から離れません。


 それでは、一體、五十音圖とは他の文獻と比較して、どれ程の價値があるものかと言ひますと、それ以外の有名なものに「いろは歌」があります。

 いろはにほへと   色は匂へど
 ちりぬるを     散りぬるを
 わかよたれそ    吾が世誰ぞ
 つねならむ     常ならむ
 うゐのおくやま   有爲の奧山
 けふこえて     今日越えて
 あさきゆめみし   淺き夢見し
 ゑひもせす     醉ひもせず

 これは發音の違ふ四十七文字の假名を一度づつ全部使つて、七五調の歌にしたものであり、古来より弘法大師(774-835)の作とされてゐますが、眞僞の程は解りませんが、この歌の一番古い文獻は、

 「金光明最勝王音義(こんくわうみやうさいしょうわうおんぎ)」

 で、承歴三年(1079)とされてゐます。


 また、「たゐにの歌」といふものもあります。

 たゐにいて     田居に出で
 なつむわれをそ   菜摘む我をぞ
 きみめすと     君召すと
 あさりおひゆく   求食り追ひ行く
 やましろの     山城の
 うちゑへるこら   打ち醉へる子等
 もはほせよ     藻葉干せよ
 えふねかけぬ    え舟繋けぬ

 これも發音の違ふ假名を、總て一度づつしか使つてゐません。
 作者は不明らしく、天祿元年(970)頃の源爲憲(みなもとのためのり・?-1011)の著(あら)はした、

 「口遊(くちずさみ)」

 に出てゐるとの事です。


 これ以外にも、「天地(あめつち)の歌」といふものがあります。

 あめつちほしそら  天地星空
 やまかはみねたに  山河峰谷
 くもきりむろこけ  雲霧室苔
 ひといぬうへすゑ  人犬上末
 ゆわさるおふせよ  硫黄猿生ふ爲よ
 えのえをなれゐて  榎の枝を馴れ居て

 これは發音の違ふ四十八文字の假名を、一度づつ全部使つて作られた歌ですが、この歌には「いろは歌」や「たゐにの歌」と違つて、
 「え」が二度出て來ます。

 「榎」は「あ行」の「え」
 「枝」は「や行」の「え」

 で、當時は、

 「あ行」の「え(e)」
 「や行」の「え(Ye)」

 と、これらの區別があつた事を示してゐる所から、先の二つの歌よりも古いといふ事で、平安時代初期の頃に、

 「宇津保物語」

 といふ文獻があるだけで、詳しい事は解つてゐません。


 しかし、「天地の歌」が一番古いといふのが、

 「あ行」の「え」
 「や行」の「え」

 の違ひがあるのが根據だとすれば、

 「あ行」の「い」
 「や行」の「い」

 の違ひもあつたでせうし、第一、
 「あ行・や行」の違ひがどうして解り得たのでせうか。


 その理由は、五十音圖が先にあつたからに外ならないと思ひます。
 恐らく、五十音圖こそは、書き言葉の最初であつたと思はれてなりません。

 「あ行」の「い」
 「や行」の「い」

 この二つは文字を輸入した時、既に、

 「や行」の「い」は、
 「あ行」の「い」に同化させられてゐたのではないでせうか。

 さうして、また、

 「や行」の「え」も、
 「あ行」の「え」に同化させられようとする間際になつて文字が輸入されたものの、結局、同じ末路を辿つたのではないか、と思はれてなりません。


 更に、何故それがこんにち文獻として殘つてゐないのかといふに、勿論、人災や天災といふ原因もあつたでせうが、それよりもむしろ、それは幼兒に教へるのに、その事を態々(わざわざ)書き殘しておく必要があつたとは思はれないやうに、誰でも箸(はし)の正しい持ち方の手引書のやうなものは殘さなかつた筈です。
 實際(じつさい)に行爲(かうゐ)で示した方が早いので、解り切つた事として、さう言つたものは殘さなかつたのではないでせうか。
 もし、

 「あ行・や行」の「い」
 「あ行・わ行」の「う」

 これらの違ひが文獻で見つけられないとすれば、さう言つた理由があつたからに違ひない、と空想したりしてゐます。



註) 「¨(ウムラウト)」を冠した文字は、あるにはあるのですが、環境依存文字ですので、「文字化け」の可能性を考慮して、敢(あへ)て表記しませんでした。




四、願はくは(表記法としての歴史的假名遣の價値)愛ニ飢タル男
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52250076&comm_id=4657977

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