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武田二十四将コミュの武田彦次郎信次

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武田彦次郎信次について語り合いましょう。
武田彦次郎信次についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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武田彦次郎信次 1543〜*1600年

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武田信虎の十四男(十男の説あり)。伊達藩和淵武田氏の祖。
仙台伊達史料『伊達世臣家譜』巻の九の、召出の部(武田家譜)に記載されている和淵武田氏の家祖という。伊達藩の和淵武田氏は、伊達政宗の時代に伊達氏に召抱えられた召出衆の一氏で、和淵(宮城県桃生郡河南町和淵)に35貫文の知行地をたまわっていたという。伊達藩作成の家譜によれば、天正2年(1574年)、武田信虎の死後に奥州会津へ下向し、後に米沢へ移住。 伊達政宗に仕えることとなったという。
武田信虎が追放されて以降に生まれたようで、会津へ下向するまでどのような生涯だったかは分かっていない。当然のことながら『甲陽軍鑑』『甲斐国志』など武田史料には名前を見ることがなく、甲斐武田氏に仕えた形跡は見られない。父武田信虎が死去した頃には、すでに兄武田晴信も他界しており、甥武田勝頼が跡を継いでいた。 武田信虎死後に…という史料からすれば、おそらく甲斐武田氏に仕えていたのではなく、武田信虎とすごしてきたのではないかと予測される。
武田信次には、長男武田重次(佐々右衛門)、次男武田信方(武田新蔵人)、三男武田貞成(武田大学)がおり、いずれも伊達政宗に仕え子孫繁栄して現在にいたるという。
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コメント(1)

はじめまして。仙台藩士真田家について調べていたら、ここに流れ着きました。系譜的には謎(というかいささか怪しい)ところもありますが、仙台藩には武田、真田のほかに村上(義清の子孫を称する)や香宗我部、松前(蠣崎)、柴田(朝意が佐竹系)と、甲斐源氏や北信濃と関係がある家があって、これが偶然なのか、故意なのか興味深く思っている次第です。

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