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呪縛から逃れてコミュの14万4千人?

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前回に続き、黙示録7章です。

**ヨハネ7:1〜3
<1この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
2わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 >


?「神の刻印を押す」とはどういう意味でしょうか。
エゼキエル9章が関係していて、その印は、保護の対象を特定するための印でした。災いはだれにたいして吹き付けるのでしょうか。義人のためではありません。

『義人が誰であるかが特定されるまでは、風が抑えられているのです。この点でエゼキエル9章はこの箇所の背景となっています。』(同)

エゼキエル9章は11節しかない短い章ですが、そこに書かれているメッセージは、
非常に強烈な破壊のメッセージです。


**エゼキエル9:1〜11
<1彼は大声でわたしの耳に語った。「この都を罰する者たちよ、おのおの破壊する道具を手にして近寄れ。」
2すると、北に面する上の門に通ずる道から、六人の男がそれぞれ突き崩す道具を手にしてやって来るではないか。そのうちの一人は亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けていた。彼らはやって来ると、青銅の祭壇の傍らに立った。
3すると、ケルビムの上にとどまっていたイスラエルの神の栄光はそこから昇って、神殿の敷居の方に向かい、亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けた者に呼びかけた。
4主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」
5また、他の者たちに言っておられるのが、わたしの耳に入った。「彼の後ろについて都の中を巡れ。打て。慈しみの目を注いではならない。憐れみをかけてはならない。
6老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から始めよ。」彼らは、神殿の前にいた長老たちから始めた。
7主はまた彼らに言われた。「神殿を汚し、その庭を、殺された者で満たせ。さあ、出て行くのだ。」彼らは出て行き、都の人々を打った。
8彼らが打っているとき、わたしはひとり残され、顔を伏せ、助けを求めて言った。「ああ、主なる神よ、エルサレムの上に憤りを注いで、イスラエルの残りの者をすべて滅ぼし尽くされるのですか。」
9主はわたしに言われた。「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。彼らは、『主はこの地を見捨てられた。主は顧みられない』と言っている。
10それゆえ、わたしも彼らに慈しみの目を注がず、憐れみをかけることもしない。彼らの行いの報いを、わたしは彼らの頭上に帰する。」
11そのとき、亜麻布をまとい腰に筆入れを着けている者が報告して言った。「わたしは、あなたが命じられたとおりにいたしました。」 >

まさに黙示録7章はこのような背景にあります。
キリストの再臨の時、それは実行されるのです。

神のご計画は必ず実行されます。

ここで黙示録6:17の聖句を振り返ってみましょう。
**黙示録6:17
「神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。 」

実は、7章は、この質問に対する解答として展開されています。
そして、エゼキエル9章の背景にあって、この「神と子羊の怒りの大いなる日」を耐えられるのは、「14万4千人」と「大群衆」なのです。
説明が後先になってしまいましたが、本題にはいりましょう。

★刻印を押すとは、何を意味しているか。
?新約聖書の通常の用法は、バプテスマに関連して用いられています。
バプテスマの時に聖霊が与えられることを示しています。その代表として、
**エフェソ1:13
<13あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 >

『この聖句によると、聖霊は、キリストを信じる者にキリストが押してくださる証印であると記されています。聖霊は、いわば天国の保証書であり、救いを確証してくれるものです。この出来事は明らかにパウロの時代にすでに起こった出来事でした。刻印を押すことは、終わりの時代にのみ限定される働きではありません。』

**エフェソ4:30
<神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。 >

刻印を押す概念はテモテ第二2:19に明確に記されています。
**テモテ第二2:19
<しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。 >

『この聖句の中に神の印が、「主は御自分の者たちを知っておられる」という言葉で要約されています。これは正真正銘のクリスチャンの目印です。本当のクリスチャンは自称クリスチャンではありません。本当のクリスチャンは、神がその人をクリスチャンだと確定してくださるようなクリスチャンのことです。本当のクリスチャンは、その人が神に属していることを神が認めていて下さる人です。これは明らかな現実なのです。そこで、黙示録7章に描かれている神の刻印を押す働きは、キリスト教の歴史を通じて行われてきた働きの過程であり、終末時代にその働きのクライマックスが訪れる出来事を描写するものです。』

この箇所では、印を押す働きに必要な条件は、以下の通りです。
1.バプテスマの体験 
2.聖霊を受けること
3.神に知られていること
4.正真正銘のクリスチャンであること

しかしながら、それでも疑問点はありますが、ここでは割愛させていただきます。

刻印を押された人々は、エフェソや、テモテの聖句よりも、エゼキエル9章を特に顕著に背景としている人々であって、黙示録7:14の「彼らは大きな苦難を通って来た者」たちなのです。
『彼らは神の最後のメッセージを宣布したきた人々です。
彼らは歴史の最後の出来事を通過するに当たり、聖霊の特別な保護を必要としてきました。そこで私が提言したいことは、封印を押すことの元来の基本的意味を理解した上で、歴史の最終時代における神の刻印を押す働きには、特別な付加的要素―神の保護の印―があることを認めることです。
聖霊は、歴史の終わりを画す恐るべき出来事に直面する神の民に対して、彼らを守るために保護の武具やオーラを与えるのです。』

?14万4千人とは?
**黙示録7:4
<わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。 >

ヨハネは、「人々の数を聞いた」と記しています。

**黙示録9:16
<騎兵隊の数は二億であった。わたしはその数を聞いた。 >

『黙示録には、「数を聞いた」という句はこの2箇所だけです。
もしこの二つの聖句をそれぞれの文脈の中で注意深く読むと、そこに二つの集団があることがわかります。』

その集団とは、歴史の最後の危機の時の
神の民の集団、および、神に反逆する集団の二つです。

黙示録の記述の特徴として、並列がありますが、
『14万4千人と2億人は並列している集団です。一方は神の民、もう一方は悪魔に属する人々です。これらの数は字義通りの数であるとは思いません。
これらは象徴的な数です。世の終わりの時には、世界に2種類の人々が存在することが明確になるのです。』

★14万4000人の数の意味について。

『12x12x100=144,000となります。
イスラエルの12部族の中からそれぞれ1万2000人ずつ集合すると14万4000人となります。
 1000という数字は、旧約聖書においてはいろいろな意味があります。黙示録7章における意味を決める前に他にどのような選択肢があるか見てみましょう。』

?旧約聖書における1000・・・・
一つは1000が字義通りの数出会うという見解です。また1000は軍隊の一部隊の人数です。
この解釈に従うと全軍の数が144部隊となります。
また1000は地区を表す数字でもあります。イスラエルの12部族はそれぞれが細分がされていました。10、100、1000という具合に分けられ、そしてそれぞれの組に指導者がいました。
1000人の地域はアメリカではカウンティ(州の下部の郡)に相当すると思います。イスラエルの系図を見ると、12の部族の下部組織として氏族があり、氏族は家族の集まりで成り立っていました。
イスラエルの系図は、従って複雑に入り組んでいました。

ここにおける14万4000人とはどういう意味でしょうか。
『字義通りの人数だという解釈もあります。
144の軍隊の部隊であるとも言えますし、各氏族の長によって統治されている144の郡民であるかもしれません。・・・・14万4000という数はイスラエル全体を象徴するものだと思われます。12部族、その下部組織に更に12氏族があり、イスラエルの民全体が14万4000という数字によって象徴的に表されているのです。』

?新約聖書の観点から
『新約聖書の観点から言えば、12x12は新しいエルサレムを想起させます。黙示録21章によると、そこには12の門があり、それぞれの門はイスラエルの12部族を現しています。更に12の土台があり、それぞれの土台は12使徒を表しています。従って12x12は、旧約聖書のイスラエルと新約聖書のイスラエルによって構成されるイスラエルの全家を象徴しているのです。部族と使徒の両者を包含していうのです。』

更に、新約聖書では、教会が新しいイスラエルとして描かれています。
**ヤコブ1:1
<神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。 >

**マタイ19:28
<イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。 >

『イエス・キリストの兄弟であるヤコブが、キリストの教会を「離散している十二部族の人たち」と呼んでいるのです。・・・・・
マタイ19:28・・・この聖句を見ると、12使徒がいかに古代イスラエルの12部族の長に入れ替わっていることがわかります。そこで、教会は新しいイスラエルと呼ばれていると言えるのです。』

★結論として・・・・14万4000人は何を表しているのでしょうか。
『基本的な象徴として、旧約と新約の両者を包含する全イスラエルの民を表しているのです。14万4千人は歴史のあらゆる時代の神の民の象徴なのです。』

私は14万4000人をキリストの再臨時に生きて通過するクリスチャンであると認識しておりましたが、そうではなく、「あらゆる時代の神の民の象徴である」に訂正します。生きて通過する神の民もこの中に包含されています。

次回は、黙示録7:9の「大群衆」と14万4千人が同じ民であるのか、別の民であるのかについて書きたいと思います。

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