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くるみの学校コミュの不登校経験者 美空さんの講演内容です。

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5月27日に東京で行われた不登校イベントの美空さんの講演内容です。

http://ameblo.jp/ibakura/entry-11264654583.html

はじめまして経験者としてお話させて頂きます美空と申します。
個人の経験談なので、なんの役にも立たないかもしれませんが、最後まで聞いていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

私は現在28歳になります。
地元は九州で、今は東京で働いています。


不登校のきっかけ


不登校は小学3年生から中学3年生までしていました。
きっかけは担任の先生の体罰でした。
テストで悪い点数を取ったら黒板の前に立たされて気の棒でおしりを叩かれました。
もちろん私だけが叩かれたわけではなく、クラスのみんなも同じでした。

他の子はみんなそれでもちゃんと学校にいっていました。
私だけ叩かれるのが怖くて学校にいけなくなりました。

今思えば体罰は本当に必要だったのかな?と思えて仕方がありません。

怒られることは必要です。
悪いことをすれば怒られる。それは当然です。
もちろん良い点数をとることにこしたことはありません。

みんなと同じ点数を取れないと叩かれるので、勉強自体が怖くなりました。
授業の進み方が早く、勉強のやり方がよくわかってなかったので、ますます勉強をしなくなり、ますます叩かれました。
先生を見るのも怖くて、そのうち学校自体が怖くなりました。
いつしか『学校に行くと叩かれる』と思うようになったんです。

今大人になって冷静に考えると、あんなに叩く必要があったのかな?と思います。
先生としてはちゃんと勉強してほしい、とか、いい点数をとってほしい、とかあったと思いますが
叩けばいい点数がとれたのか?と疑問に思って仕方ないんです。

勉強が苦手な子にはより丁寧に教えてあげることが必要なんじゃないでしょうか?
勉強が嫌いになることで将来の道がふさがれてしまうこともあります。
勉強や学校が嫌いにならないように優しく丁寧に導いてあげることが必要だったんじゃないかな?と今は思うんです。

勉強のコト

体罰がきっかけで不登校になりましたが、その体罰のきっかけは勉強でした。
私は勉強が苦手でした。先程も話しましたが学校での授業のスピードが早くてついていけなかったんです。
それに家ではまったくといっていいほど勉強はしませんでした。
ついていけてない上に復習をしないので、テストはいつも悪かったです。

テストで悪い点を取ると叩かれるので一応勉強をしなければとわかっていたのですが
そもそもついて行けてないのでどうやって勉強すればいいのかわからず、結局悪いままで、いつも叩かれるという悪循環でした。
勉強が出来ないのは恥ずかしいとよく言われてたので、友達にも聞けませんでした。

それを続けていくにつれ、テストがある日は叩かれる日と思うようになりました。
テストがある日はお腹が痛くなり熱が出て学校を休みました。
体の不調が出てくれる日はいいんですが、もちろん健康な日もあるわけで、どうしても行きたくない時はよく布団にもぐり込んでなんとか休んでいました。
先生や家族に無理やり連れて行かれる日もありましたが、学校で泣き続けたり、先生が怖くて勝手に帰ったりしました。

力ずくで無理やり連れて行かれる度に、子供心に誰のことも信用できなくなりました。
誰に対しても警戒するようになって、よく布団に閉じこもって泣いていました。

先生との関係

不登校の原因となった先生ですが、口ではまっとうなことを行ってるのに結局暴力で押さえ込もうとする人だったので
幼いながら信用も信頼も出来ず、ただ怖くて大嫌いでした。
その後何年かしてから聞いた話ですが、同級生で少し知的障害を持った男の子がいたんですが
その子が体育の時間にふざけていて注意してもきかなかったので、先生はその子を蹴り飛ばし、その子が大怪我をしてしまったらしいです。
すぐに教育委員会で問題になり、私が四年生になる時に違う学校に転勤させられたそうです。

でもその先生がいなくなっても、すでに勉強は遅れに遅れ、人間不信はひどくなり、その後もずっと学校には行けませんでした。


小6の時の先生は私がゲームにハマっているから学校に来れないんだと思ったらしく、ゲームを渡すように言ってきたことがあります。
確かにゲームはすごくやっていましたが、ゲームにハマっているから学校に行かないっていうわけではなかったので猛反発しました。
とにかく自分から何かを奪ったり怒ったり否定されると、無言を貫いたり泣きわめいたり引きこもったり、そんなことをしていました。


休んでいる間

ずっと押入れに引きこもって生活していました。
押入れに電気スタンドとラジカセを持って布団を敷いて、その中が私の部屋でした。外の音が聞こえにくく落ち着ける空間でした。
小4くらいから怒られ恐怖症になってしまい、家に先生が来ることが怖くて、先生の車の音がするだけで震えていました。
『今日も来るんじゃないか?』と思うだけで怖くて怖くて恐怖感から逃げるために昼間はできるだけ寝ていました。
それほど家に来ると怒って帰っていく先生ばかりでした。

他に当時を振り返るととても不潔でした。
お風呂に入るのがとにかく嫌いで、最長は一月ほど入らない時もありました。
お風呂はもちろんですが歯磨きも手洗いも洗顔も、何もかもしませんでした。
人間は疲れ果てると身なりに注意しなくなるとよく聞きますが、その通りでした。


学校を休んでいる日はだいたい昼過ぎくらいに起きて本を読んだりテレビを見たりゲームをしたり
幼馴染が学校から帰ってくると一緒に遊んだりしていました。

私はアニメやゲームが大好きだったので、皆でTVゲームをして遊んだりしました。
幼馴染は決して私を責めたりすることはありませんでした。

学校のことを考えなくてもいい時間は絶対に必要だと思います。

友達との関係

私の友達はみんな私が不登校経験者だということを知っています。
でも誰も私の経験を否定したりしません。
私が知っている不登校経験者の友達はみんな明るくて優しいです。
多分みんな心になにかしら悩みは抱えてると思います。
それでも勉強したり働いたり、みんなそれぞれに頑張っています。

親との関係

私の両親のことですが、父はアルコール依存症で母は軽度の知的障害者です。
母の障害は最近になってからわかりました。

両親は私が学校を休み始めた時は心配してよく怒っていました。
トイレに閉じこもった時も何時間も説得されたものです。

でも小4になるころはもう諦めたのか、なんにも言わなくなりました。

最初の頃はいつも父に叱られていた気がしますが
それ以降、現在に至るまで怒られたり注意されたことはまったくありません。
理由はわかりませんが、両親は私に何か言うと私が怒ったり泣いたりすることに疲れていたんだと思います。
特に母は精神状態が悪くなり、私が苛ついたり怒ったりするとよく体調を崩していました。

小5になるころには学校についての話は親とはまったくしなくなりました。
私はその頃反抗期まっただ中で母親のやることなす事全てが気に入らなくて、せっかく作ってくれた食事も一切手を付けず残すこともありました。
今思えば母が不器用なのは知的障害があったからだし、しょうがないと思えるんですが
その頃は障害のことなんてまったく知らず、こんな親ならいなくなってほしいなどと思っていました。

私には4つ下の妹がいるんですが、少しの間妹も不登校になったことがあります。
先生や友達から励まされ、妹は学校に復帰することが出来ました。

私も同じように励まされたことがあるんですが、誰かを信じたり前向きにやってみよう!という気持ちがまったく持てず
クラスメイト全員が手紙をくれた時も『どーせ先生から言われたから渋々書いたんでしょ』とか
先生が励ましてくれる時も『優しいのは今この瞬間だけでしょ』など誰のことも信用出来ない子になっていました。
周りに私自身を理解してくれる人は誰もいなくて、接してくれる人たち全てが『学校に行かない子は悪い子だ』という前提で動いているのが目に見えてわかっていました。
誰一人として私自身を見てくれる人はいなくて、結局『学校に行くか、行かないか』だけでした。

よく父に『学校に行って椅子に座っているだけでいいんだよ』と言われていましたが、学校に行って椅子に座ってるだけなんて果たして出来るんでしょうか?

学校に行けば教室に入って机を探して中に溜まっているプリントを整理して、教科書を準備して今日はどこからなのか友達に聞いて
まったくわからない授業を何時間と聴き続け、順番で発表なんて言われたらわからないのに立って『わかりません』って言わないといけなくて
午前が終われば給食で、私は嫌いなものが多かったから全然食べられなくて、でも全部食べないとランチルームから出られなくて結局五時間目まで一人で残って
必死な思いで食べ終わって教室に戻って、『遅かったね』と先生に注意され、授業が終わりやっと帰れると思いきや職員室に呼び出され
先生から『今日はどうだった?楽しかったでしょ、明日も来れる?』と言われ、『来ません』とはいえず
明日は来れないと思っていても言えず、複雑な心のまま家に帰っていました。

本当に椅子に座っているだけでいいなら簡単ですけど、そういうわけにはいかないんです。
大人になれば環境も人間関係も選ぶこと出来ますが、子供はそこにあるものが全てです。
必死になって学校に行っても続かなければ認めてもらえないんです。

子供社会は大人社会より厳しくて難しくて認められにくくて、本当に大変だと思います。
大人社会よりも『結果が全て』という風潮が強いんではないでしょうか。

周りの反応
不登校をし始めた頃はよく近所のおばさん達が心配して様子を見に来ていました。
私が閉じこもっているのは親のせいだと母を怒りつけていたことを思い出します。
家の家はいわゆる『ゴミ屋敷』でした。
母が片づけがまったく出来ない人だったんです。
おばさん達は家が汚れているせいで学校に行かないんだ、と言って掃除するように言ってきたり
私が狐に取り憑かれているからおかしいんだ、と霊媒師の所に連れて行かれたりしました。

私の出身町に当時、不登校生は私一人だったのですぐに噂は広まって、外で誰かに会うと叱られたり同情されたり大変だったのを覚えています。

小学生の時一番辛かったのは地区のクリスマス会に参加した時なんですが
私は学校には行けなかったんですが、友達と遊んだりケーキが食べられる行事が好きだったので参加しました。

友達とは仲良く遊んでいたんですが、友達のお母さん達がひそひそと話していた『ズル休みしてるのによく来れるね』という言葉が聞こえたのを覚えています。

学校に行かないとクリスマス会にに参加しちゃダメだったんだ・・・とその時は深く傷つきました。


高校進学

中3になると進学の話が出ます。
学校の先生からは高校だけは行っときなさい、と言われましたが少しも興味がなかったので検討もせず行かないと決めていました。
その時は高校に行く理由がまったくわからなかったんです。

当時フリースクールにも通っていて、そこの先生が何人も家に来て数人で説得されたんですが、断固拒否しました。

絶対にもう二度と『学校』という名前のつくところには行きたくありません!とはっきり伝えると、先生は渋々納得してくれました。


就職

私は15歳で就職しました。
職場は中学校が探してくれました。

仕事内容はレストランのウェイトレスです。

社長さんはもちろん私が学校に行ってないことを知っていたのですが、面接で『素直そうだから』という理由で採用してくださいました。

仕事が決まったとはいえ、昼夜逆転のうえ挨拶もまともに出来ない私にとって最初は本当に大変でした。

でも働く時間はきっちり決まっていて、働いたらその分お給料がもらえて、できる事が増えると仕事がスムーズに捗るようになって、いつしか仕事自体が楽しくなってきて
一緒に働くおばちゃん達も最初は厳しかったですが一緒の時間を過ごすにつれ娘のように可愛がってくれて、皆で慰安旅行に出かけたり、常連のお客さんと仲良くなる事も出来ました。

同い年の子がいなかったのも私にはちょうどよかったみたいです。同い年の子より何もかもがゆっくりな私はどうしても比べられてしまいますから。

挨拶が出来るのも料理が出来るのも全部あの場所で働いたおかげです。

まったく勉強は出来ませんでしたが、特に仕事に支障が出ることはありませんでした。
仕事にもよると思いますが、学校での勉強と仕事での勉強は別物なんだと思います。

人それぞれだと思いますが、私は少しでも休むと普通じゃないと言われる学校よりも
申請すれば有給休暇を取ることも出来る、頑張れば評価される制度がある、何より自分に合う仕事を探すことが出来る大人のほうが合っています。

ちなみに不登校であったことを隠したことは一度ありません。面接で聞かれれば必ず答えます。

子供時代によく大人に『社会は厳しい』と言われましたが、責任はもちろんありますが、厳しいだけではないです。
そんな時があったから今の私がいる、と応援してくれる人が沢山います。

社会に出てから困ったこと

学歴で困ったことはありませんが、コミニュケーション力で困ることは正直多々あります。
やはり何年も引きこもって人とほとんど関わらなかったことがネックになっているんだと思います。
28歳になった今でも自分のコミニュケーション力のなさに落ち込むことが多いです。

でもそれは教科書があったり誰かに教えてもらえるものではありません。少しずつ人との関係を学んで行こうと思います。


私の経験上、社会に出てから一番必要なものは学歴ではなく、コミニュケーション力だと感じています。

学校に行ってなくても外に出るのは大切なことだと本当に思います。
たとえ家から出れなくても、テレビやラジオ、インターネットで外の世界を知ることも大切だと思います。
でも友達と遊べるならきっとそれが一番です。

保護者に伝えたいこと


私が一番伝えたいことは、不登校であろうとなかろうと誰だって幸せになっていい、ということです。
幸せになるのに資格はいりません。

不登校になると自分や家族、親戚や近所の人達、みんなの目が今までとは変わってしまうと思います。。
『不登校になってよかったね』という人はまずいません。

みんなが同情してきたり怒ったり悲しんだり呆れたり、そのほとんどの感情がマイナスになってしまうと思います。
その中心にいる当事者は全部自分が悪いんだ、と数日、数週間、数ヶ月、数年、たとえ不登校から脱したとしてもずっと心に傷を抱えている子も沢山います。

学校に行かないのは悪い子だと言われ続けると、大人になっても何か起これば悪いのは自分なんだ、と思うようになってしまいます。

学校に行ければそれが一番いいのは本人がよくわかっています。

でも行けない時はどうやっても行けないんです。
そんな時は何にも考えず眠らせてあげてください。

学校に行けなくてずっと家にいても、外に出ても、遊びに行っても、24時間ずっと『悪い子』なんていないんです。

学校を休んでいても幸せは沢山あります。
勉強はいつでもどこからでも始めることが出来ます。
育て方が悪いわけでもないです。お母さんもお父さんも自分を責めないでください。

もし不登校を『人生の失敗』と思う時があるなら、どうか失敗させてあげてください。
失敗は生きる勉強です。

私は不登校になって良かったと思っています。
当時は本当に辛かったし、永遠にこのまま理解してくれる人もおらず孤独ならと自殺を考えたこともあります。
でも生きていて良かったです。失敗から大切なものを沢山見つけたからです。

周りに迷惑ばかりかけたけど、大人になって改めて当時を振り返り思うことは、不登校が必要な時もあるということです。

親に一つ感謝していることがあります。
それは決して勉強を押し付けなかったことです。
28歳になる私ですが、今、小学校の勉強を学びなおしています。
最初は当時の辛いことなど思い出しましたが、今は勉強ってこんなに楽しかったっけ?とびっくりしてます☆
多分、あの時押し付けられていたら楽しいなんて思えなかったでしょう。
知らないことを知ったり、知識が広がるって本当に楽しいです。

勉強出来ないと叩かれて怖いって思ってた自分に教えてあげたい。

私にふさわしい時が来るまで宝物を開けずに取っていてくれたような気分です。

実現出来るかどうかわかりませんが、まだまだ人生は長いのでどこかで高校と大学に通いたいと思っています。
やりたい時に勉強できるってある意味贅沢ですね。

不登校のきっかけになった先生には感謝さえしています。

辛い時は永遠には続きません。不登校でもお先真っ暗ではありません。

自分の力で歩ける日は必ず来ます。その時を楽しみに待ってあげてください。


最後になりますが

皆と同じペースで歩ければそれが一番いいけれど、それって実は結構難しいんです。
周りが焦るくらいゆっくりかもしれませんが、それだけ青春が長くて、それだけ人生を楽しむ才能があるんだと思います。
ゆっくりですが、絶対大丈夫です(^^)

最後まで聞いて頂きまして有難うございました。

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感動的な講演で参加者の皆さんから絶賛されました。

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