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映画で元気コミュのNO.144「ぬ」のつく元気になった洋画2

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「抜き射ち二挺拳銃」(ヌキウチニチョウケンジュウ)

<元気コメント>
 「抜き射ち」、「二挺拳銃」
 西部劇を見て子供の頃にあこがれた言葉、そのままの活躍に今でも胸が躍ります。 

<あらすじ>
 ゴールド・ラッシュに沸き立つカリフォルニアー。
 シルバー・シティ附近の砂金採掘場は、つぎつぎに採掘権強奪ギャングに襲われた。
 父を殺されたリューク(オーディ・マーフィ)は仇を討つために町へ行った。
 彼はシルバー・キッドの異名をとる拳銃の名手で、賭博の名人だった・・・

<データ>
「抜き射ち二挺拳銃」(The Duel at Silver Creek)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0002XVSPG?ie=UTF8&tag=eigadegenki-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B0002XVSPG
製作:1952年 アメリカ ユニヴァーサル配給
監督:Don Siegel ドン・シーゲル
出演:Audie Murphy オーディ・マーフィ (Silber Kid)
   Faith Domergue フェイス・ドマーグ (Opal Lacey)
   Stephen McNally スティーブン・マクナリー (Lightning Tyeron)
   Susan Cabot スーザン・キャボット (Dusty Fargo)
   Gerald Mohr ジェラルド・モア (Rod Lacy)

解説:ジェラルド・ドレイソン・アダムスのオリジナル・ストーリーをジョセフ・ホフマンとアダムズが共同脚色した西部劇。
 監督は「ダーティハリー」
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_616dlr21516/searchstr=wKiVyseQxIWZ2ZSKlt0_/mdream-008
のドン・シーゲル、撮影は「決斗!一対三」のアーヴィング・グラスバーグ、音楽はジョセフ・ガーシェンソンが担当。
 出演は「テキサス群盗団」
http://www.dmm.com/rental/-/detail/=/cid=n_606rdd23145/mdream-008
のオーディ・マーフィ、「水爆と深海の怪物」
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_606tsdd11731/mdream-008
のフェイス・ドマーグ、他にスティーブン・マクナリー、スーザン・キャボットら。
 製作レオナード・ゴールドスティン

<「抜き射ち二挺拳銃」と言えば>
★主演 オーディ・マーフィ
 1924年生まれ。第2次世界大戦で数々の武勲を挙げた英雄。
 戦後はB級ウェスタン映画のスターとなり、ユニバーサル等で何本もの西部劇に主演する。
 自伝を映画化した「地獄の戦場」(1955)にも主演。
 ビリー・ザ・キッドを演じた"The Kid from Texas"(写真右)で注目を浴び、ポール・ニューマンやクリス・クリストファーソンがキッドを演じるまでキッド役の代表となる。
 ジョン・ヒューストンの「許されざる者」(1959)にも出演。
 惜しくも1971年飛行機事故で死亡。
 遺作はジェシー・ジェームズを演じた"A Time for Dying"(1969)。
 (<a href="http://homepage1.nifty.com/widewestweb/ActAudieMurphy.htm"><img src="http://homepage1.nifty.com/widewestweb/ActAudieMurphy.jpg">西部劇俳優リスト</a>より)

★監督 ドン・シーゲル
 ドナルド・シーゲル(Donald Siegel 愛称:ドン(Don)
 1912年10月26日 - 1991年4月20日)はアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の映画監督。

(叔父がワーナー・ブラザーズで働いていた)
 マンドリン奏者である父の巡業のため、幼い頃からアメリカ各地を転々とし、高校卒業後に家族で渡英。
 ケンブリッジ大学や英国王立演劇アカデミーで学び、その後再び家族で渡仏。
 1931年に帰国し、叔父がワーナー・ブラザーズで働いていたため、34年、同社で働くようになる。
 編集助手や助監督などでラオール・ウォルシュ、ハワード・ホークス、マイケル・カーティスを始めとする数多くの映画監督の下に付く。

(監督デビューでアカデミー短篇賞を受賞)
 1944年にはワーナーとの契約が揉めて、数ヶ月間仕事を干されるなど屈辱を味わう。
 その後ハワード・ホークス監督の『脱出』の助監督に付いた時は、ワーナーへの仕返しとしてエキストラにより多くの賃金を払っていたことがバレて現場立ち入りを禁じられたというエピソードを持つ。
 1945年に短編映画『Star In The Night』で監督デビューし、アカデミー短篇賞を受賞した。
 その後ナチスを扱ったドキュメンタリー映画『Hitler Lives?』でアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞する。
 1946年に『The Verdict』で長編映画デビュー。

(ハワード・ヒューズに招かれて)
 長編第2作『Night Unto Night』では、主演女優ヴィヴェカ・リンドフォースと恋に落ち、結婚する(53年に離婚)が、既に映画界は斜陽の兆しを見せており、1948年にはワーナーも業務改善のためにシーゲルを始め多くの社員を解雇した。
 9ヶ月の失業生活の後、友人であったロバート・ロッセン監督によるアカデミー賞作品『オール・ザ・キングスメン』の第2班監督をノンクレジットで引き受けた。
 その後、ハワード・ヒューズに招かれてRKOにて映画を撮りつつ、様々な会社を渡り歩き、乏しい予算と日数の中でB級映画を撮り続ける。

(サム・ペキンパーが監督助手として)
 1954年には、シーゲル自身も気に入っているとしている『第十一号監房の暴動』を手掛ける。
 ジョン・フォード監督の『駅馬車』などを生み出したプロデューサー・ウォルター・ウェンジャーによる製作であり、また、ウェンジャーの口利きで映画界入りしたサム・ペキンパーが監督助手としてシーゲルの下に付いた。
 ペキンパーはその後も『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』や、『暴力の季節』など4本の映画でシーゲルの監督助手を務めた。
 
(イーストウッドとの出会い)
 50年代から60年代にかけてテレビの台頭が進む中、シーゲルはテレビドラマの演出も数多く担当する(シーゲルの自伝によれば「金を稼ぐためだけ」だという)。
 1964年の『殺人者たち』は、もともとテレビドラマ用に作られたものだったが、暴力的な内容に加え、ケネディ大統領暗殺事件の煽りを受けて劇場公開されたものである。
 『殺人者たち』の製作会社であるユニヴァーサルが売り出そうとしていた俳優の中に、クリント・イーストウッドがいた。
 1968年、イーストウッド主演の『マンハッタン無宿』
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_615unfn25161/searchstr=wKiVyseQxIWZ2ZSKlt0_/dream-008
の企画は監督選びにおいて二転三転していた。
 イーストウッドがシーゲルの名を口にしたところ、監督候補の一人であり、『暴力の季節』に俳優として出演していたマーク・ライデルがシーゲルを絶賛したため、シーゲルに決定した。
 撮影を通じてシーゲルとイーストウッドは意気投合し、翌年の『真昼の死闘』で再びコンビを組んで、その絆を深めていった。
 1971年は2人にとって重要な年となった。
 これまでの2人の経歴とはかけ離れたサスペンス映画『白い肌の異常な夜』を発表する。
 興行的には失敗したが、シーゲルはこの作品を最高傑作と評している。
 そして大ヒット作である『ダーティハリー』が公開され、2人の名が世界に轟くこととなった。
 この年にはイーストウッドも初監督作品である『恐怖のメロディ』
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_615ujrd31187/mdream-008
を発表し、バーのマスター役としてシーゲルが出演している。

(遺作となった『ジンクス』)
 70年代には、銀行強盗とマフィアの対決を描いた『突破口!』や、ヒッチコック風スパイアクションの『ドラブル』、ジョン・ウェインの遺作となった西部劇『ラスト・シューティスト』、薬物催眠による東西対立を描いた『テレフォン』などの作品を撮り、同世代のロバート・アルドリッチやリチャード・フライシャーらと共に70年代のアクション映画を牽引した。
 1979年の『アルカトラズからの脱出』は、イーストウッドとの最後の作品となった。
 80年代にはプロデューサーとの軋轢により、思う様に製作が進まない状況になる。
 遺作となった『ジンクス』
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_612mgbcc15839/mdream-008
では、第2班監督として弟子であるペキンパーが付いて、シーゲルを励ます形となったが、この2年後にペキンパーは死去した。
 映画界から距離を置いたシーゲルは、自伝の執筆に力を注ぎ、1991年4月20日、癌により死去する。
 シーゲルのいま1人の弟子と呼べるイーストウッドは、『許されざる者』を、いま1人の師であるセルジオ・レオーネと共に、シーゲルに捧げている。
(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
<映画クイズ>
▲今回「抜き射ち二挺拳銃」の中で
 町の保安官タイロン(スティーブン・マクナリー)は早射ちの名手で、何と呼ばれていたでしょうか?
(正解は次回)
 
▼前回「日本一のホラ吹き男」の中で
 初等(植木等)が宣伝課の係長となり、自身出演のコマーシャルまで行い宣伝した製品は?

 正解:冷暖電球

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
↓NO.143「日本一のホラ吹き男」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【なんだか、いい時代を(磯村さん)】
 思い出しました。
 あの頃は、よく映画館に通っていました。
 植木等のリズムに乗ったような演技好きでした。
 映画館を出てくるとなんだかいい気分でした。(磯村)

 ☆☆磯村さん、お便りありがとうございました。
   ”映画館を出てくるとなんだかいい気分”・・・確かにいい時代でしたね。
   またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)

◇◇貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい
↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【無責任さんのオススメ「ホラ吹き太閤記」】
 植木等となると、オレはやっぱこれかな。(無責任)

 ☆☆無責任さん、お便りありがとうございました。
   植木等の出演の時代劇も結構ありますね。
   またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)

<データ>
「ホラ吹き太閤記」
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_620tdv16191d/searchstr=2sP846PP/mdream-008
 製作:1964年 東宝
 監督:古沢憲吾 フルサワケンゴ
 出演:植木等 ウエキヒトシ (木下藤吉郎)
    浜美枝 ハマミエ (寧子)
    ハナ肇 ハナハジメ (織田信長)
    藤木悠 フジキユウ (前田利家)
    東野英治郎 トウノエイジロウ (蜂須賀小六)

解説:「無責任遊侠伝」の笠原良三のオリジナルシナリオを「日本一のホラ吹き男」の古沢憲吾が監督したコメディー。
 撮影は「裸の重役」の西垣六郎。
 戦国無責任時代を舞台に、植木“藤吉郎”が持ち前の実行力とアイデアで難題をクリアし、天下を取る!

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