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映画で元気コミュのNO.165「む」のつく元気になった邦画2

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「無法松の一生」(ムホウマツノイッショウ)

<元気コメント>
 竹を割ったような性格。
 しかし女人への思慕は言い現せない純情さ。
 古きよき時代の日本人男性の理想像ではないでしょうか。

<あらすじ>
 明治三十年の初秋--九州小倉の古船場に博奕で故郷を追われていた人力車夫の富島松五郎が、昔ながらの“無法松"で舞戻ってきた。
 芝居小屋の木戸を突かれた腹いせに、同僚の熊吉とマス席でニンニクを炊いたりする暴れん坊も、仲裁の結城親分にはさっぱりわびるという、竹を割ったような意気と侠気をもっていた。
 日露戦争の勝利に沸きかえっている頃、松五郎は木から落ちて足を痛めた少年を救った。
 それが縁で、少年の父吉岡大尉の家に出入りするようになった・・・

<データ>
「無法松の一生」
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_620tdv2918d/mdream-008
製作:1958年 東宝
監督:稲垣浩 イナガキヒロシ
原作:岩下俊作 イワシタシュンサク 「無法松の一生」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000JAV8VG?ie=UTF8&tag=eigadegenki-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000JAV8VG
出演:三船敏郎 ミフネトシロウ (富島松五郎)
   芥川比呂志 アクタガワヒロシ (吉岡小太郎)
   高峰秀子 タカミネヒデコ (吉岡良子)
   笠原健司 カサハラケンジ (吉岡敏雄)
   松本薫 マツモトカオル (吉岡少年時代)

解説:岩下俊作の原作から故伊丹万作と稲垣浩が脚色、1943年に阪東妻三郎主演の「無法松の一生」http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_623daba0406/mdream-008
を監督した稲垣浩が、再び監督する往年の名作の再映画化。
 撮影は「遥かなる男」の山田一夫が担当した。
 「日本誕生」
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_620tdv17014/mdream-008
の三船敏郎、「二十四の瞳」
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_617db4097/mdream-008
の高峰秀子という顔合せに、芥川比呂志、笠智衆、宮口精二、多々良純、有島一郎などが出演。
 色彩はアグファカラー。
 1958年第19回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞

<「無法松の一生」と言えば>
★映画は4度製作
 無法松の一生(むほうまつのいっしょう)は小説家・岩下俊作の同名小説、およびこれを原作とした映画・演劇である。
 小説は当初『富島松五郎伝』の題で「九州文学」1939年10月号、「オール読物」1940年6月号に掲載され、第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。
 また舞台は昭和17年5月、文学座で原題のまま初演、これがヒットしたため映画が「無法松の一生」の題で製作され、舞台もこの題に変え、以来幾度となく演じられ、新国劇では辰巳柳太郎の当たり役となった他、宝塚歌劇団、歌手の座長公演など多岐の団体で演じられている。
 映画は4度製作されたが、特に名高いのは伊丹万作が脚本、稲垣浩が監督した戦前、戦後の2作品である。

(今回ご紹介以外の2作品)
 1963年製作「無法松の一生」
  製作:東映
  監督:村山新治
  出演:三國連太郎(富島松五郎)
     淡島千景(吉岡良子)
     中山昭二(吉岡直樹)
     島村徹(吉岡敏雄)
     沢村貞子(豊)
     西村晃(由松)
     左卜全(佐分)

 1965年製作「無法松の一生」
  製作:大映
  監督:三隅研次
  出演:勝新太郎(富島松五郎)
     有馬稲子(吉岡よし子)
     宇津井健(吉岡小太郎)
     東野英治郎(結城重蔵)
     頭師佳孝(松五郎の少年時代)
(参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

★2度の監督 稲垣浩
 稲垣 浩(いながき ひろし、1905年12月30日 - 1980年5月21日)は、日本の映画監督。日本映画の基礎を作った名監督の一人である。
 東京本郷区駒込千駄木町(現・文京区千駄木1丁目)に、小芝居小屋の俳優の息子として生まれる。
 生活を助けるため、小学校をやめ、新派劇の名優だった高田実に弟子入りし、「東明浩」の芸名で子役を務める。
 一時期、関西に移り「天活」の連鎖劇に出演し、映画に興味を持つ。
 その後、東京に戻り、父と一緒に舞台に立っていたが、1922年、父の旧友で日活向島撮影所の幹部俳優だった山本嘉一に招かれて、俳優として日活に入社する。
 村田実監督の教えを受け、伊藤大輔と知り合う。
 俳優として行き詰まり、監督を目指して衣笠貞之助の「衣笠映画連盟」に参加し、1928年衣笠監督の『十字路』のチーフ助監督を務める。
 その後、伊藤大輔の紹介で、片岡千恵蔵プロダクションに入り、同年、『天下太平記』をはじめ、片岡千恵蔵の個性に合った「明るく楽しい時代劇」を次々と発表し、好評を博した。
 1934年、山中貞雄、滝沢英輔、三村伸太郎、八尋不二らと会社の枠を超えたシナリオ執筆集団「鳴滝組」を結成し、片岡千恵蔵や阪東妻三郎らの作品を精力的に発表した。
 戦後は、東京に移り、主に東宝で三船敏郎などの大作を主に撮った。
 1955年、『宮本武蔵』
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_620tdv15347d/mdream-008
で「アカデミー賞外国語映画賞」受賞し、1958年、自身が阪東妻三郎主演でとった作品のリメイク作、三船敏郎主演の『無法松の一生』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、海外でも評価が高い。
(参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

<映画クイズ>
▲今回「無法松の一生」の中で

 大正六年、敏雄が夏休みに聞きたいと言ったのは?
(正解は次回)

▼前回「無宿者」の中で
 メロディ(ゲイリー・クーパー)に決闘を申し込んだ男は?

 正解 ジェラッド

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