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ここのえまちコミュの土産物店主、時松さん 始まりは半世紀前の冗談話 亡き仲間に「大行列見せてやりてー」

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 30日に開業1年の節目を迎える「九重“夢”大吊橋(おおつりはし)」(九重町田野)は、年間200万人を上回る観光客を集める人気スポットになった。それにしても、あの急峻(きゅうしゅん)な渓谷に大吊橋を架けるという、とんでもない構想をだれが言い始めたのだろう。地元の土産物店主、時松又夫さん(79)らが半世紀前、冗談話で盛り上がったのが始まりだったという。

 時松さんらは60年ほど前、渓谷を下る雌雄の大滝(高さ約80メートル)を売り出そうと、地域づくりグループ「筌ノ口商栄会」を結成。1956年からは毎年7月、滝開きのイベントを開くようになった。今は道が崩れ、谷底まで下れないが、当時は遊歩道があり、人々は川で遊び、谷底から滝を眺めることができた。

 その年、時松さんはまだ20代。イベント準備のため、谷底で作業を終え、仲間と一緒に息を切らして遊歩道を上っている時だった。「あそこに橋が架かったら、客も来るぞ」「紅葉を橋の上から見たら、もっときれいじゃろうなあ」。そんな言葉がふと口を突いて出た。

 「最初は『橋くらい簡単に架かるじゃろ』って、思っちょりましたよ」と時松さん。地元の寄り合いでも再三提案し、面白がられたが、最後には長老から「また、言いでーた(言い出した)」と一蹴(いつしゆう)された。

 構想が現実味を帯び始めたのは、それから30年後の1990年代。バブル経済が崩壊し、地域の観光戦略も見直しを迫られていた。そんなとき、地元の若手有志でつくる「九重飯田高原デザイン会議」が応援団となり、大吊橋建設を町や議会に強く要望。町の観光振興計画(マスタープラン)に93年、盛り込まれ、大きく動き始めた。

 半世紀前のあの日、一緒に汗をかき、夢を広げた20人のうち、多くは他界し、残っている仲間は時松さんを含め4人になった。「この橋の大行列を見せてやりてー。文字通り“夢”がかのうた(かなった)」

   ☆   ☆

 やがて満1歳の誕生日を迎えようとする「九重“夢”大吊橋」。さまざまな思いを寄せる地域の人々の思いや歩みをリポートしていく。

2007/10/11 西日本新聞

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