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消えた横浜娼婦たちコミュの横浜独自の文化シーン

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メイド喫茶の例に関連して横浜には独自の文化シーンが育ちにくい、と発言しましたが、こちらも反発が多いようです。

コメント(47)

>シニボウイ☆さん

返しの書き込みありがとうございます。

>そのクリエイティブシティですが、調べたところ2008年に産声を上げたようで、それからまだ一年。
クリエイティブシティ構想は、前市長のときに定められました。
ワールドカップ日韓大会の前の話です。
いつから広報しているのか、はっきりは知りませんが、およそ10年前から動いている計画です。

いままで三回トリエンナーレを開催しています(つまり9年間)が、ずっと「クリエイティブシティ構想の一環として開催している」と宣伝していましたと思います。
(少なくとも第二回目のトリエンナーレのときは、していたはず)
ストートすらしていない、とは思えません。

まだ途中経過だという点には異存はありませんが、やり方が手ぬるいと思います。
だから「クリエイティブシティ」の知名度が低いのではないでしょうか?
>横浜独自の文化
税関は国のシステムで、国際空港や国際港であれば全世界どこにでもあります。
これは独自の文化施設ではないのでは。
税関が文化だとしたら港も文化になるのでしょうか?
文化の源ではありますけど。

家系ラーメンは立派な土着文化だと思いますが、あとのものは昔のものばかり。
寂しくありませんか?
国家や憲法を除き、食べ物だけ。ほかにないのでしょうか?
(中村川の運河に浮かぶハシケのバーとか、アメ車カスタムの盛んな本牧とか、クラブでヒップホップが東京よりも盛んだったとか、昔の話であればいろいろ出てくると思いますが、現在進行形なのものはあまり思い浮かびません)
「いままで」よりも「これから」に興味があるのですが、将来に希望が持てないので注文をつけているのですが。

横浜出身の著名人が多くても、横浜の文化が盛んなことには繋がらないのでは。
話が噛み合っていないと感じます。
>日本自体が古来より、他国から渡来したものを加工して独自の文化にする体質であるという事もお忘れなく。
確かに日本は他国の文化をアレンジして、明らかに日本のものと分かるものをつくってきました。
比較的最近の事例で言うと、「たらこのスパゲッティ」は和洋折衷のすばらしい発明だと思います。
完全なオリジナルです。
横浜もかつて「スパゲッティ・ナポリタン」を発明しました。
(知られていませんが、ホテルニューグランドが発祥です)
でもこれは「横浜発」であっても「横浜の文化」とは言わないのでは?

それからシニボウイ☆さんの日記にあった寿町ですが、周囲の扇町や松影町を含むのが普通では。
ですから競艇場と松影町に囲まれている、というのはどうかと思います。
競艇場も1ブロックの大きさしかありません。

物流に関していえば海上はいまだに主流ですが、旅客運輸に関しては空が主役では。
船旅の経験、どの程度ありますか?
(一応、東京〜上海、東京〜名古屋、大洗〜函館、東京〜小笠原、NY〜ジャマイカ〜パナマ〜グアテマラの船旅経験があります。でも旅の手段として、主役は飛行機だと思います)
○競艇場外船券売場(ボートピア横浜)
×競艇場
>横浜市民で、横浜の音楽シーン=ゆずと思ってる人いるんですか?
僕は思っていませんが、役所の人間はそう思っているんじゃないでしょうか?

「アンダーグランウンド」というのは、たとえばマイティークラウンなどでしょうか?
たしかに力があると思います。
横浜レゲエ祭、すごいと思います。
でも「レゲエの本場=横浜」というほどではないのでは。
90年代初期まで「ブラックカルチャーにつよい横浜」という時代がありましたよね。
「サーカス」みたいな店があって、横須賀から黒人がいっぱい来て。
そういう頃ほど横浜のレゲエには影響力はないのでは。
ヒットチャートに載ってる横浜のレゲエミュージシャン、まだいなかったと思います。
(もしいたとしても横浜出身を押し出していない)

個人的には、レゲエではなくR & Bですが、クリスタル・ケイに期待していました(横浜出身です)。
でも彼女は「たまたま地元が横浜」だというだけで、「横浜」を前面に押し出していません。

かつて矢沢永吉が若かった頃、「横浜」を押し出していましたが、ああいうものを求めています。
いま、ああいう風に「横浜」を推しだしている人はいませんし、街の個性が薄れてきたので押そうにも押せないと思います。

ロックやブルースに関しては、よその都市と変わらないレベルだと感じています。
(現役続行中の本牧系ミュージシャンを除く)

横浜のブラジル音楽やラテン音楽は力があると思いますが(とくにサンバのエスコーラ「サウージ」)、そもそも日本ではマイナーです。一般の人は興味ありませんよね。影響力も限られています。

以上、長々とつづけて失礼しました。
>9
本牧のアメ車カスタム文化を過去の話のように書いてしまいましたが、いまもつづいていますね。
失礼しました。
いま散歩をしていて思い出しましたが、横浜らしいミュージシャンといえば、横山剣がいましたね。
剣さんの存在は貴重です。
数少ない希望かも知れません。
>13補足

「リンディ」
 ↓
「サーカス」
の系譜のような、ブラック・カルチャーに強い街、というのが横浜の特長の一つだったと思います。
(この点について詳しい方がいらしたら、情報ください)

日本のブルース黎明期、国内のブルースの聖地といえば京都だった、と聞いたことがあります。
(たぶんこれにはバイアスが掛かっていて、「BMR(ブラック・ミュージックレビュー)」「ブルース&ソウル・レコーズ 」などを出版しているブルースインターアクションズの社長が京都出身なので、多少身びいきがあるのではないかと思っているのですが……)
しかし横浜、正確に言えば本牧もブルースやR & Bの盛んな地域でした。

60年代以降、90年代初頭までこうした「ブラックに強い伝統」はつづいていたと思います。
異論があるかも知れませんが、これは横浜の音楽文化の一部だと思います。
(ただし現在もつづいているかどうか、あやふやです)

もちろん地区によって似合う音楽や集まる人種がまったく違うのも横浜の特長なので、市内全域に当てはまるわけではありませんけれど。
>文化

・衣、食、住などの日常生活に関わる慣習や風習
・上記をそれを支える芸能、道徳、宗教、政治、経済といったもの

(ソースはwikipedia)

上記のうち、「横浜らしいカラーが出ているもの」をひとまず「横浜の文化」だと考えます。
「横浜で生まれたもの」ではなく、「横浜らしさの発露」。
(もちろん「横浜で生まれた、横浜らしいもの」も存在すると思います)

これは逆説的に言えば、「横浜らしさ」がはっきりしていなければ、今後あたらしい「横浜の文化」は生まれないかも知れない、ということだと思います。

「横浜らしさ」ってなんでしょうか?
>> そのクリエイティブシティですが、調べたところ2008年に産声を上げたようで、それからまだ一年。
> クリエイティブシティ構想は、前市長のときに定められました。
> ワールドカップ日韓大会の前の話です。
> いつから広報しているのか、はっきりは知りませんが、およそ10年前から動いている計画です。

そうなの? クリエイティブシティ戦略って正面から銘打ったのは,第2回トリエンナーレ(2005)の準備段階だった記憶だけど…。これに基づいて,BankArtとかArtist In Residence事業とかが展開されたんだよな…。んで,その中核になったコンセプトが,2004年1月に出された,「文化芸術都市 - クリエイティブシティ・ヨコハマの形成に向けた提言」(by 文化芸術・観光振興による都心部活性化検討委員会=中田市長の諮問機関)。これは当時,文化事業としては,中田市政(2002年就任)の目玉政策。2004年8月には,「第1回横浜市文化芸術都市創造会議」なんてのも開かれてる。これを知名度低いとかって,いったい何の冗談だ…と言いたいところだけど,要は,ほとんど知名度上がらないまま収束したってことなのかね…。少なくとも,現時点では,何も花開いてないって言っていいでしょ。つーか,それに基づいて運営されたBankArt桜荘の実績とか見て,「成功」とか「まだ将来はわからない」とか言う余地なんてあるのかね…

とりあえず,このあたりの参考資料。
http://www.wagamachigenki.jp/saisei/02_08.htm
http://www.jpf.go.jp/air/interview/yokohama_j.html
http://www.city.yokohama.jp/me/shimin/geijyutsu/iinkai/sozou/

一方,第1回のトリエンナーレは,開催時に高秀市長だったってこともあるけど,組織運営的には,飛鳥田市長時代より続くみなとみらい開発計画の中核〜仕上げ部分…YES'89〜国際都市創造会議〜第1回ヨコハマ都市デザインフォーラム〜ランドマーク・クイーンズスクエア開業…という流れへのオマージュっつーかリスペクト色が非常に強かった(そもそも赤レンガ倉庫開業のプレイベントでもあった)ので,文化芸術(畑)主体で建築ラインの扱いが酷い「クリエイティブシティ構想」とはかなり違った文脈よ。もしかしたら「クリエイティブシティ」という言葉自体は当時からあったのかもしれないけど,コンセプト的には後のそれとは全く別モノ。

まぁ,「クリエイティブシティ(文化芸術創造都市)/文化芸術都市創造会議」ってのが,高秀市長時代の「国際都市創造会議・横浜」(1991)で出された「デザイン都市宣言」あたりと,ネーミング的にやたら混同し易い(…から,知ってるヒトにはパクリ企画にしか見えなかった)ことは,ここだけの秘密だけどな。

なお,私としては,このフィールドでの「横浜独自の文化シーン」は,第2回トリエンナーレの総合ディレクターからの磯崎新氏の辞任(2004年)あたりで終了していると考えてます。一方で,実現した第2回トリエンナーレがコケ,その残党が第3回ではやたら冷遇されて黄金町に…という流れの説明は省略。笑。
あと,かつての「サーカス」の現在版とも言えるクラブは,ちゃんと横浜某観光地にありますよ。横須賀に大きなおふねが入港した日などは,かつてと似たようなシーンを見ることもできます…



…が,賑わい度とかは段違いですな。“ブラック・カルチャーへの強み”などとは到底言えないレベル(っつーか横浜以外にも余裕でありそうなレベル)です。「伝統」は感じられると言えば感じられますが…
>クリエイティブシティ戦略って正面から銘打ったのは,第2回トリエンナーレ(2005)の準備段階だった記憶だけど…。

どこで仕入れた情報だったかあやふやだけど、前市長の時代にコンセプトが出来たと聞いてますよ。
(まだ「クリエイティブシティ」という言葉はなかったかも知れません)
W杯誘致に先立って、というかせっかくW杯が行われるんだから、横浜を世界にアピールするためになにか打ちだそう、ということで立ちあげた一大プロジェクトだと聞きました。

正面きって「クリエイティブシティ戦略」を打ち出したのは二回目の横トリのときからだったかもしれませんが、コンセプトはその数年前からあったはず。

実際みなとみらいの構想も、たしか昭和30年代にできていたわけで。
(情報源は田村明先生の書籍)
まぁ、僕に話をしてくれた人が、高秀市長時代の「デザイン都市宣言」との関係を勘違いしていた可能性も否定できませんけどね。
しかし「デザイン都市宣言」……内容はよく知りません。アーバンデザインを標榜する街ですか? 箱物行政の一環?……と「クリエイティブシティ」……ソフト重視……とで連続性を持たせた方が有機的かつ前向きかと。
横トリはいいとして、黄金町バザールや桜荘関連の話題は避けませんか?
(自戒の意味も込めて)

炎上しそうな気がするので。
> 「デザイン都市宣言」

第1回ヨコハマ都市デザインフォーラムのプレイベント,「国際都市創造会議・横浜」の,中心テーマであり,後日出た会議録のタイトルです。旗振ってたのは蓑原敬氏。事実上,飛鳥田〜細郷〜高秀と受け継がれた横浜の再開発プラン(田村先生がかかわられたアレです)の仕上げ/ブラッシュアップであり,このあたりで確認・宣言された基本コンセプトが,極論すれば,今,横浜のあちこちが無駄にオシャレである理由かと。つか,ちゃんと書こうと思うと物凄く長くなるので,このくらいで勘弁して〜あせあせ(飛び散る汗)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%83%BB%E6%A8%AA%E6%B5%9C/dp/4810409376

その都市デザインの中では,ソフト面における,都市の魅力的なコンテンツとしての“芸術”も,確かに,探求すべき方向性として認識されていました。でも,同時に…暗黙の了解として…一部“芸術家”に対する(建築家視点からの)不信/ダメ出しムードも強かったのです。笑。んで,そのあたりも意識しつつ各ディレクターがそれぞれ(文句言われないような)“プロの仕事”を見せるべく気合入れたのが,第1回トリエンナーレ。なんで第1回は「総合ディレクター」を置かなかったのか…という説明あたりで,彼らがあの不信/ダメ出し(と同種の問題意識)を認識していたことがはっきりわかります。まぁ,上でも書いたとおり,第1回は,赤レンガ倉庫のお披露目ですしな。

んで,このあたりの経緯は意に介さず,「独自性」重視の試行錯誤状態でブチあげられたのが,中田市長の「クリエイティブシティ戦略」。法改正に伴うNPOの本格的始動という事情もあったにせよ,「市として芸術に金使っていくよ」という以上の具体性に乏しく,連続性とか以前に,判断に困る…。ともかく,これに則って,“建築家”から主導権を“取り戻し”“芸術家”の手により行われたのが,第2回トリエンナーレ。そこから第1回側に“芸術界的に”回帰を狙ったのが第3回トリエンナーレ。その評価は…全力で自粛。笑。独自文化? 何それ…

> 横トリはいいとして、黄金町バザールや桜荘関連の話題は避けませんか?
> 炎上しそうな気がするので。

ナイス提案。それは私も投稿した後に感じた。笑。
> 檀葉さん
矢沢永吉は横浜と縁の薄い人なのに、横浜を意識して売りにしてましたね。それだけ当時は横浜にブランド力があった、って事でしょうか?
>メーテルさん

松田優作『ヨコハマBJブルース』 1981年公開
矢沢永吉『ヨコハマ二十才まえ』 1985年発売

の頃は「ヨコハマ」に特別な地位と力があったんじゃないでしょうか。
(なぜかこの頃の作品は「ヨコハマ」とカタカナで書かれたものが多いですね)

「ハマトラ」ブームもこの頃ですよね。
横浜から流行が生まれた時代。

もちろん、それ以前の時代にもブランド力はあったはずですよ。

そして同じ時期、原宿のホコ天に「竹の子族」が出現して、若者文化や流行の中心は東京にシフトし始めたのではないかと思います。
(本牧基地が返還されたのも大きいかも知れません)

当時「ハマッ子」という伝説のタウン誌があり、ロケンロールでイケイケな、とてもタウン誌とは思えないノリの記事が載っていました。
いまみても十分楽しめます。

同時にその当時の若者文化やストリート文化の資料が非常に少なくて、困っています。
情報があったらお寄せ下さい。
>なんで第1回は「総合ディレクター」を置かなかったのか

いや、そもそも現代美術は「新しい美の提案」や「既成の価値観に疑問を呈する」ものでしょう?
作品に力があれば、揉めるのは必至。
世間の常識に意見してるんだから。

政治にアートを取り込むのは、自ら爆弾を抱え込むようなもの。
よほど度量が大きいか、洒落が分かる文化性がないと、「クリエイティブシティ」なんて出来ません。
だから横浜には向いていないと思いますよ。
「デザインフェスタ」ならばっちりだったと思いますけどね。

もっとも第二回横トリからと考えても、約5年の歳月と莫大な予算を投じているので、いまさらやめられません。
ここまで来たら前進するしかない。

よその土地から将来性のあるアーティストを集団で移住させるとか、生え抜きを育てるために高校生の美術教育を抜本から改革するとか、市民のための現代美術ワークショップを定期的かつ大々的に打って市民の美術リテラシ−を高めるとか、思い切った手を打たないといけないと思います。

中区の一等地でギャラリーを経営している知人は「横トリの期間中、アートフェア(アートの売買フェスタ)をやるべきだ。他国のトリエンナーレではかならず同時開催してるのに、横トリの運営の仕方は片手落ちだ」と申しておりました。
>6
>ゆずに関して

ゆず自体はいいバンドだと思いますよ。
音楽性に関してどうこう言うつもりもありません。

しかしあくまでイメージの問題ですが、ゆずの楽曲、横浜らしくないと思います。
どこか郊外のニュータウンの匂いがします。
(歌詞の中に「桜木町」が登場するものもありますが、楽曲そのものはニュータウンっぽい雰囲気が醸し出されていると感じます)

開港博などで特に顕著ですが、なぜ彼らがフィーチャーされるのでしょう。
万人受けしそうだからでしょうか?
伊勢佐木町の路上ライブで見いだされたのかも知れませんが、青葉区や緑区など市の北部が似合いそうなイメージを、僕個人は抱いています。

「クリエイティブシティ」だのなんだのと言ったところで、今後も港は横浜の柱のひとつとして残るでしょう。
横浜の港はずっと男臭いところでした。
ゆずに港の無骨さは似合いません。
昨今の横浜ウォーターフロントはどんどん「お台場化」が進んで、妙に小綺麗で女性的になってきています。
でも横浜というのは、貧富や清濁併せ持った歴史のある「大人な感じ」が売りだったのではないでしょうか。
光だけでなく、憂いや陰影もふくめた楽曲こそ横浜らしいのでは、と個人的には思います。

もちろん地区によって似合う音楽がまったく違うのが横浜の特長の一つですから、市の北部を代表するグループ、という位置づけならありでしょう。
(実際に、ゆずのふたりが郊外のニュータウン出身なのかどうかは知りません。あくまでイメージの問題です)
> 檀葉さん
私の知り合いのバンドの話です。
かなり前(20年くらい?)にメジャーデビューを果たしたのですが、デビューの条件が
「ヨコハマ色を消す」
事だったそうです。理由は
「今時ウケないから」
だそうで。

地域色を出すのがタブーな時代なんですねえ。
>メーテルさん

地域性を出しても良いのは、バラエティやお笑いの世界だけになってしまったんでしょうか……。
> 檀葉さん
う〜ん、例に出してある矢沢永吉にせよ松田優作にせよ、横浜発じゃなくて、なんとなくヨコハマのイメージで、っていう東京の人の思惑でしょ?
メディアの人(東京から情報を発信する側)が作った、もしくは利用したイメージに過ぎないわけで。
じゃ、ヨコハマの文化って何?
東京の人が利用できるか否か、だけなんじゃないのかなあ。
“横浜出身だから”“横浜の学校を出たから”“横浜を活動拠点としている/していたから”“横浜を歌っているから”“‘ヨコハマ’イメージを強調・利用しているから”“横浜の(音楽)文化に根ざした楽曲だから”…「横浜の」音楽ってククリが大き過ぎるのかもね。全国区イメージと地元での評価とはまた違うと思うし,音楽業界の話と音楽文化の話を一緒にしていいのかって問題もあるし,各時代における“音楽”の位置付けってのもあるし,末梢的なところだと,横浜・横須賀・湘南のイメージ混同ってのもあるし…ムズいっす。

でも,個人的には,横浜銀蝿の評価だけは気になるのです。笑。ある意味結構マトモなR&Rだったとは思いますが,彼らを“横浜の地域文化に根差した…”と捉えると,ブラックジョークそのものに…w
> Deleteさん
銀蝿、話題に出そうか出すまいか迷っていたところですw
あれは全国共通の「ツッパリ」の象徴、しかもかなりカリカチュアライズされた感じでしたね。当時は「ヤンキー」って言葉もなかったし、「ツッパリ」「ロック」「不良」がなんとなく混在?混同されていた時代なのでは?
銀蝿よりは、ミッキー吉野さんの方が地域に貢献なさってるとは思います。
> メーテルさん

銀蝿のデビューって横浜で校内暴力激化が問題となる前なんですよね…その意味でも,「地元文化」と関係はなさそうです。笑。でも,その後,翔は…ミッキー御大も…

(;´ー`)y-~~ そのあたりが横浜文化…
> Deleteさん
去年だか一昨年だか、銀蝿の嵐さんかな?選挙に出ましたよね、民主党から。タクさんが応援演説してるの見ました。
相変わらずあのファッションで、涙ぐましかったっす。
横からスミマセン。
そういえば、「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ったいしだあゆみも、「よこはま・たそがれ」を歌った五木ひろしも横浜の人間ではないですね。

どちらも横浜を歌ってヒットした曲なのに、歌っているのは横浜の人ではないっていうのはちょっと妙な気分ですね…
え〜、軌道修正します。

>地域文化

要するに、イメージ云々よりも、よその地域の人間にはっきり提示できるような「型」があれば、文化として確立していると言えるってことでしょうか。
もっと言ってしまえば、よその地域の人間がまねできるかどうか。

たとえばレゲエはジャマイカのみならず、全世界で演奏されていますが、それは「型」として確立しているからで。
銀蠅しかり。あの突っ張ったスタイルは全国を席巻しましたもんね。

あるいは、パロディーという形で笑いのネタにできるか、という言い方もありかな。
型が確立していないとパロディーの題材にできませんから。

蛇足ですが、矢沢、かなり長い間横浜に住んでましたよね。
広島から出てきたばかりの頃は伊勢佐木界隈、デビュー後は洋光台。
現在はLAと東京が拠点ですが。
> 檀葉さん
型として確率しているかどうか

横浜銀蝿が横浜(ヨコハマ)の型ですか?
矢沢永吉も?

かなり疑問です。

それこそ東京のメディアがこれぞヨコハマ!と勝手に言ってた事だと思うんですが。
まあヨコハマのイメージはかなり作られたモノではありますね。
>メーテル様


矢沢は一代芸のひとだから「型」ではないと思います。
うまく説明できませんが、特長があるとか個性があるのとは違います。
ある集団で共有されている様式美みたいなものです。
(ファンがコスプレしてるという意味ではなくて、専門家の集団で共有されているスタイルという意味です)

銀蠅は「横浜らしい」かどうかはともかく、ある時代で一世を風靡した型を持っていたと思いますが。
そして多少なりとも横浜に関連していたのでは?

それから疑問が一つ。横浜のメディアはどんな自己イメージを発信していたのでしょうか?
> 檀葉さん
私見ですが。
横浜がイメージを発信した事ってないんじゃないですか?東京もしくはメディアが求める「ヨコハマ」に便乗して商売しただけで。

ああ、銀蝿の型って、そういけば「なめ猫」とかと同じですよね。

さて、ではこれから横浜はどうあるべきか?もしくはどうしたいか、どうなって欲しいか、そろそろ檀さんのご意見をお聞かせ下さいませんか?
そういけば
そういえば


ですね。度々すいませんです。
>横浜はどうあるべきか?

大上段に振りかぶって発言すると、また叩かれるネタが増えてしまうような…(苦笑

「日本全体をどうしたいのか」というトピックと絡んできそうな部分は、ひとまず置きます。

漠然としたことをいえば「柱を増やす」ことに尽きると思います。
それから港の重要性が低下しても、「海沿いの街」という地理的な条件は、これから先も変わりません。
だからもっと海と親しめるように手を打って欲しいですね。

個人的には、エコブームやスローライフの流れをくみとって、漁業や市場に光を当てて欲しいな、と。
(思いっきりピンポイントですいません)
サンフランシスコには「フィッシャーマンズワーフ」が、マルセイユには「港の朝市」がありますが、そういう類のものを横浜でもやって欲しい。
具体的には神奈川区にある「中央市場」をフィッシャーマンズワーフ化して欲しいです。

みなとみらいにシーカヤックのクラブがあったり(たしか市内には三つくらいクラブがあったはず)、新山下や根岸にヨットハーバーがありますが、そのあたりも良い資産だな、と。

結局現状は手詰まりの状態で、なにか新しいことを始めても、地に足がついていないのではないでしょうか。
だったら開港前の原点に戻って、「プレモダン横浜」の海洋民族的な部分に着目するところからはじめたら、と思います。
幸い「お馬流し」「蛇も蚊も」「祇園舟」など、海に由来する伝統的な祭りの文化も滅んいません。
原点回帰しているうちに、なにか見えてくるかも知れませんよ。
もちろん「野毛のど真ん中にイカしたライブハウスをつくれ」とか(「グッピー」があるのにすいません)、細かい要望はありますが、個人的な妄想の域を出ません。

あとは「サンフランシスコ並の世界的な知名度が欲しい」というところでしょうか。
欧米人の多くは、横浜のことを知りませんからね。
日曜日の夕方まで忙しくなるので、しばらく留守にします。
ご容赦下さい。
> 檀葉さん

お答えありがとうございます。
横浜の漁業はすたれちゃったけど、市場はまだありますもんね。
かつて子安のシャコは今は柴のシャコ、それすら危うい…。新山下辺りの漁民はみんな立ち退きしたし。

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