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映画 『ハワイ日系二世の記憶』コミュのハワイ撮影初日&二日目

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※このトピは、ボクの日記とタイトルだけ変更された同内容です。


ハワイに来て2日目が終わりました。

昨日は、ホノルルに着いてすぐにJoe Takat Fieldを撮影するために、Fort Shafterに行きました。

Joe Takataとは、ハワイの日系人だけで最初に構成された部隊「第100大隊」で、一人目の犠牲者となった兵士です。
彼は背も高く、ハワイで人気の野球チーム「朝日野球軍」のスターでした。

Joe Takat Fieldが米陸軍の敷地内にある、というのは前日に判っていたのですが、現地に行ってみるとゲートがあり、3人の兵士がチェックしていました。

事前の申し込みも何もなく、門前払いを覚悟しつつ「Joe Takat Fieldに行きたんだけど…」と守衛の兵士に告げると、3人で少し話した後、「あそこにMPがいるから、IDを提示して許可を取ってくれ」とのこと。

直ぐ先にいたMPに同じように目的地を告げ、国際免許(とっくに期限が切れているけれど)とパスポートを見せ、「ボクはジョー・タカタのことを日本の雑誌に書くんだ」と言ったら快くOKを出してくれました。

ゲートからほどない場所に、休日の、しかも軍施設内と言うこともあり、誰も訪れることのないひっそりとした面持ちで、いかにもアメリカ的な草野球場然としたJoe Takata Fieldはありました。

米軍施設内での撮影のためのレギュレーションは、ボクは知りません。

しかし、バックスタンドの壁に書かれた「Joe Takata Field」の文字を見てしまうと、撮影せずにはいられませんでした。

コソコソと車からビデオカメラと三脚、一眼レフを出し、ゆっくりとサード側ベンチ横の階段を降りフィールドへ。

一礼をして芝を踏み込み、バックネット方面へ向かい、名前の書かれた壁の前に立ち、再び一礼。

撮影をさせていただくこと、そして日系人のために命を賭したことに対する畏敬の念から、そうせずには居られません。

ひとしきり撮影をした後、敷地を出たのですが、やはり米軍施設内で許可なく撮影をしていること自体、見つかったら逮捕・拘留などになってしまうのかもしれなかったと思いなおし、何もなかったことへの感謝が湧いてきました。

その後、タカタとキム・ヨンオクの墓標を撮影するため、パンチボウルへ。

インフォメーション・センターで、彼らの墓標がどこにあるか聞こうと、初老の男性と女性に、二人の名前を告げました。

男性が検索機を操りながら「どうしてヴェテランのことを知ったのだい?」と聞くので、「日本で本で知りました。そして現在ボクは彼らのことを本に書こうとしています。加えて、ヴェテランズのドキュメンタリー映画を制作しようとしています」と告げると、一緒にいた女性の方が「もしかしてミスター・マツモト?」と聞いてきました。

一応、ボクのプアー・イングリッシュでは心許ないので、コーディネーターを一人かませていて、彼が問合せしていたのが、彼女だったのです。

翌日(本日です)の再開を約し、ボクは墓標に向かったのですが、パンチボウルのオフィスは月曜から金曜までなので、土日はボランティーアが交代で来ているとのこと。たまたま27日は彼女の日だったようです。

その後、Kalihi St.にある行きつけの食堂『Ethel's Grill』で沖縄・コザ出身のRyokoさんに会い、ランチを採り、最初に100大隊の本を著した天台宗の僧侶・荒良寛さんに会い、初日は終了しました。

今日2日目は、442nd.RCTのパーティーでした。

午前10時から、ワイキキにあるパシフィック・ビーチ・ホテルのグランド・ボールルームで、家族も合わせ600名ほどが集まる中、一通り撮影しつつ(事前の申し込みでは撮影はNGだったけど、442VCのマネージャーの女性には昨年会っているので再度直接お願いした)昨年ホノルルの442VCでお会いした方、マウイでお会いした方、そして1月5日のボクの日記に書いた番組に出ていた方 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1381920746&owner_id=792459
がおられ、皆さんに挨拶し、インタビューをしたい旨を告げると、皆さん快く応じてくれ、明日からの撮影が首尾よく行きそうです。

中でも、「失われた大隊(Lost Batallion)」を救出するために駆り出された442連隊の中で、特に被害の多かったI中隊は、戦闘前に約200名いた隊員が、Lost Batallionにたどり着いた時には8人しか残っていなかったほどです。
その8人の一人、Sakumotoさんに直接インタビューのお願いが出来たことは、とても大きなトピックでした(沖縄好きな皆さん、この名前で判りますね?)。

パーティー終了後は、友人であるカリーンさんがDJをされている日本語放送ラジオ「Redio K-ZOO」の「かりゆしとともに」に出演し、映画のこと、沖縄・泡瀬干潟のこと、そしてふざけたうちなーぐち等をひとしきり話してきました。

ふさけたうちなーぐちとは「ざんぬいゆ、よーがりー・ひーがりー(ひんがりー)」といった言葉です。

もっとふざけたうちなーぐちを教えて、と問われたので、もちろん「ハヂチラーズCDを聞いてください」と、宣伝してきましたが。

ただし、今回の撮影のキーマンの一人であるバート・ニシムラ氏(日系人で最初に大佐になった方。熊本県系二世)は、昨年お会いした時でさえ90歳だったのですが、今日お会いしたらさらに老けられ、インタビューは無理だろうと家族に告げられてしまいました。

わずか10か月前にお会いし話を伺ったのですが、ヴェテランズにとっての10カ月は、決して安寧としていられない、一日一日が大切な時間なのだと、改めて思い知らされました。



※写真は、昨年のバート・ニシムラ氏です。

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