ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

熊谷対世志コミュの追悼のご挨拶(掲載)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
挨拶

겁푸른 바다갓에 비가내리면
어디가 하늘이고 어디가 물이요
그 깊은바다속에 공요히 잠기면
무엇이 산것이고 무엇이 죽었소

눈 앞에 떠오는 친구의 모습
흩날리는 꽃잎 위에 어른거리오
저 멀리 들리는 친구의 음성
달리는 기차바퀴가 대답하려나


私たちの、かけがいのない友人、熊谷対世志君が私たちの前からいなくなって一ヶ月が過ぎようとしています。
今流れているのは、キム・ミンギという人のチング、友人という70年代から韓国で歌い継がれている名曲です。
伝え聞くところによると、丁度一ヶ月前、私が釜山のカラオケバーで酔っぱらいながらいい調子で、この歌を熱唱していた頃、彼はこの世を去ったとのことです。そんなこんなを思い合わせたりすると、何とも切なくなり、言葉にならなくなってしまいます。それでも私は今日はここで何かを話さなくてはならない立場なわけで、とにかく話を続けます。

私には、かねてより固く胸に秘めた決意がありました。それは彼、熊谷対世志君よりも少しでも長く生きるということでした。それにはそれなりの訳がありました。
ここにお集まりの方々のなかには、生前の彼のこんな言葉を記憶されている方、少なくないかと思います。
「青木って奴は俺(俺って言うのは熊谷君のことなんですけど・・・)この俺よりわがままで、ひどい性格の奴なんだよ」って・・・。
私がその場にいない席で、私のことに話題が及んだとき、彼はさんざんそのように言いふらしては、人をまるで悪魔か何かのように語っていたようです。
そういうことを他から聞いた私は、こりゃ迂闊に彼より先に死ねないなと。うっかり死んでしまった日には、その先何を彼に好き放題言われるかわからない。それで、先ほどの決意となる訳なのです。

でも、そんな決意もあっさり実現してしまいました。それもとっても早すぎるくらいに・・・。熊谷君とは十年先、そして二十年先、お互い不良老人になって、世間の顰蹙を買いつつも、世の中のことをあーでもない、こーでもないと語り合えるのではないかと思っていました。ああ、今、私は何か生きる目的をも失ったような、とっても寂しい喪失感でいっぱいです。

巡り会ったが運の尽き。どこのどなたの言葉かは覚えていないのですが、ここにいらっしゃる皆様、故熊谷対世志君との関係においては、各々に思い当たるフシがあるんじゃないかなと思います。
今を去ること昭和の御代。私は私自身の激しい思い込みと勘違いによって精神的にぼろぼろになって韓国から舞い戻り、とにかく普通の若者としてやり直したい。そんなふうに思い、過ごしていた頃、彼、熊谷対世志君と出会ったのでした。
当時の韓国、1980年代の初め頃なんですけど、今の韓流ブームから思うと隔世の感があるというか、想像もつかないかも知れませんが、とにかく世間一般の日本では蛇蝎の如く嫌われているというか、そんな感じで。あるいは、一番近くの国でありながら、全く興味の対象外と言うか、もお、首を無理矢理ひねりでもしない限り眼中に入ってこない、そんな感じの場所だったような気がします。
そんな頃、私の話を唯一、おもしろがって聞いてくれたのが熊谷対世志君だったのです。熊谷君は私の唯一、かつ最高のリスナーでした。それだけでなく、彼は私の持ってくるネタ、それは韓国のことに限りませんでしたが、彼の豊富な雑学というか、知識で二倍、三倍にもして打ち返してくれる。私には、それがおもしろくて、楽しくて仕方なく、いつの間にか普通の若者としてやり直すという野望すらすっかり忘れてしまいました。たとえれば将棋の大好きな二人が将棋盤も何もないところでお互いに「三四、銀。六七、桂馬」とか言い合って将棋が指せるような。そんな感じでした。覚えています。
大学二年目のゴールデンウィーク。どこにも行くところがなかった熊谷君と私はお互いの下宿を訪ねては泊まりっこをしましたね。柏餅を食いながら、いろんなことを話しましたね。「韓国の軍事政権の今後について」とか、「キム・ジハの詩のもつ可能性」とか、「北一輝や大川周明の目指していた大アジア主義は現代に通じるものはあるのか」などなどに始まって、「松本伊代と柏原芳恵のどちら方に騎馬民族の血が流れているだろうか」などいう、もー、ばかばかしい話まで、延々と魚雷戦ゲームをしながら語り合ったものでした。でも、本当に楽しかった。

熊谷君、君はいつも私の持ってくるネタを大喜びで三倍にも四倍にもして打ち返してくれた。

そう、ついこないだの話だよ。君が喜びそうな最も新鮮での最高のネタを手に入れたんだ。あの盧武鉉前大統領の自殺事件の際、私はたまたまその現場近くにまで行っていたし、葬儀の行われたソウルにいて、それなりにその一部始終を眺めることができた。韓国の知人たちのコメントもそれなりに集めた。日本に帰ったら、ちょっと不謹慎なことではありますが、それなりにおもしろおかしく彼に話してやろうなどと、そう考えていました。そして、あいつならば、私から聞いた話を自分なりに勝手に改竄し、青木はな、あの盧武鉉が転落する岩の下に偶然にも居合わせたらしい。それからソウルでの葬儀の場でも警官隊に絡まれて大変だったらしいなどと、あたかも自分が見ていたかのように語っていたという話を、後々、全く別な人から聞かされるんじゃないかなと、ま、そんなことも自分としては楽しみにしてたんです。
でも、その機会は永遠に失われてしまいました。
熊谷君という最高で最大のリスナーを永遠に失ってしまった私。もう、将棋盤なしで将棋の指せる相手はいなくなってしまった。永遠に。だから、そうだ、これから私は、もっとわかりやすい言葉でもっと多くのリスナーに向けて語り始めなくてはならないのでしょうか。

熊谷君、君は私のことを君より性格が悪く、わがままな人間だと言っていたそうですね。そして、唯一君の頭をひっぱたくことのできる人間、だと言っていたそうですね。
そして、唯一、クマ君を黙らせることのできる人間だと言っていたそうですね。

そして今、君は永遠に黙ってしまった・・・。
死んじゃった君の前で胸に手を当てて静かに考えてみる。
確かにその通りだ。私は君よりもひどい性格で、ずっとわがままな人間のようだ。
そして、困ったことにこうやって君より一日一日と長生きしてるじゃないか。
本当に困った話ですね。

もう一回繰り返します。巡り会ったのが運の尽き。
数日前、こんな風に考えたことがありました。
もし、熊谷君が私と出会ってなければ。
もし、熊谷君が私と出会ってなければ、彼は若くして韓国に行くこともなかったのではなかったか。新宿あたりで分不相応な店で飲み歩くこともなかったのではなかったか・・・。
すると、ちゃんと学校も卒業し、ひょっとすると、ちゃんとした仕事にも就き、それなりの生活をしつつ、そして更に言ってしまえば、今もどこかで生きていたんじゃないかと・・・。
そんな風に考えたことがありました。
そのことを、あるもう一人の熊谷君の友人に話したところ、彼は言ってくれました。
「いや、確かにそれはそうかもしれない。でも青木と出会ってなければ、きっとつまんない人生だったと思うよ。そして、少なくとも今日のこんなに人が集まってくれるような会はなかったと思うよ」

そうか、そうなのか、彼の言葉を信じるならばこう言っていいのかな。
どうだ、クマ、楽しかっただろ? これでいいんだよな。
そしていろんな人たちにも出会えて。本当に楽しかったよな!

そうだ。私からも礼を言うよ。
クマ、今まで遊んでくれてありがとう

そして、さいならだ。熊谷対世志君。


                         青木謙介

コメント(2)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

熊谷対世志 更新情報

熊谷対世志のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング