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法大第一社自コミュの第一社自と町田移転阻止闘争・略式年表

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1952.4.  法政大学、中央労働学園を吸収合併して社会学部を創設
1955.4.  社会学部、旧中央労働学園校地の麻布校舎から本校地区に移転
1964.   第一社自正常化(民青から学部生の手に自治会権力を奪取)
1964.12.  大学当局、町田市・八王子市にまたがる68万haの土地を買収−67年6月にかけて買収を続ける
1965.10.23 学生会館設立委員会が発足(委員長団体・第一社自)
1967.6.   当局、総合計画審議会を設置−町田市より農地転用の認可
1968.6.24  学生会館設立委員会の委員長団体である第一社自が「1970年(安保闘争)への学生自治の砦として学館の学生単独管理運営権、学館早期設立を克ち取ろう」の声明と、「受益者負担の『原則』粉砕」、「学館設立プランはすべて学生の手で」のスローガンを発表
1969.7.   総合計画審議会が町田校地への新学部設置と部分移転を答申
1969.    第一社自、自治会費を凍結される
1969.    町田校地の旧地主が「地主をだました法政大学土地問題総決起集会」を開催−当局、セミナーハウスの青写真で旧地主を説得、了解を取り付ける
1970.    大学当局「禁止六項目」を制定
1970.8.4   海老原事件(六角校舎内で中核派が革マル学生をリンチ殺人)−12月まで長期ロックアウト−学生会館設立委員会の活動が1年間停滞する。反ロック闘争→第一社自を主軸に第二次法大全共闘(黒ヘル=一社自、二教自、工自、一文連サ共闘、二文連C闘委、学闘連、任連闘争委、寮自)結成。
1970.9.28  当局、「禁止三原則」発表
1970.9.    ロックアウト下で、大学敷地周囲に鉄柵の設置、「禁止三原則」の制定−「三条件‐六項目」体制の確立、新館、六角校舎の解体が強行される
1970.12.   町田用地が市街化調整区域に編入される−開発期限が75年12月に定められる
1970.    第一社自、自治会費を凍結される(2年連続)
1971.    経営学部教授会「町田移転に関する要望書」提出
1971.    文部省・中教審が答申を発表
1972.7.   総合計画作成委員会(船橋議長)発足、工学部開発プロジェクトに町田開発計画を依頼1972.10.24  学生会館設立委員会総会−学生会館学生連盟定款を可決−学生会館設立委員会を「学生会館学生連盟」へと改組、大学から交渉団体の認定を受ける(30学生団体で構成=一社自、一経自、一文自、一法自、営自、二社自、二文自、二法自、二経自、二教自、社学会、経済学術、法学術、文学術、経営学術、一文連、二文連、一部体育会、二部体育会、応援団、工自、工文連、工体連、技術連盟、寮自、通信教育学生会、一任連(後の学団連)、二任連、全音協、生協 初代理事長:佐山雅致第一社自委員長)
1973.4.    町田用地が東京都条例「東京における自然回復に関する条例」の施行で開発に制限
1974.3.    総合計画作成委員会が総長に町田移転計画(船橋試案)を答申、総合計画作成委員会が解散
1974.4.1   第一社自、新歓パンフ『我々の主張』発行−法大全共闘の理念と指針を発表
1974.6.    当局、町田開発本部を設置する
1974.7.    町田開発本部に工学部プロジェクトチームを設置する
1974.8.    町田開発計画、当局・理事会の承認を得る
1974.8.    当局、東京都に町田校地開発概要書を提出
1975.6.    当局、一方的に「法政大学町田開発について」を学生に送付
1976.     東京都自然環境保全審議会、町田開発計画を認可
1976.4.3   中村哲総長が入学式で町田校地年度内着工を表明、また、船橋理事が図書館研究棟(80年館)の着工を宣言する
1976.     法大全共闘、町田市と会見−町田校地概要書などの資料を提供させる
1976.7.10   三溝学生部長団交−「学生との話し合い抜きに町田着工はありえない」を確約
1976.11.5   三溝学生部長団交−「学生との話し合いによっては移転中止もあり得る」を確約
1977.1.16   総合計画―町田移転をめぐり学館不当捜索
1977.1.17   再度、学館不当捜索を強行
1977.1.18   学館不当捜索に抗議する学生会館学生連盟理事ら9名が不当逮捕
1977.1.28   大学当局、八王子市、町田市と「町田開発に関する協定書」に調印
1977.3.    76年度自治会費が社会学部教授会により払い戻される
1977.7.28   東京都知事、町田校地開発を認可−いつでも着工可能な状態に
1977.7.    当局、「教学問題委員会」設置−以降、移転問題を協議する機関となる
1978.1.12   中村哲総長団交−77年1月、5月の学生弾圧を自己批判するも「移転はやる」「学館閉鎖もありうる」と放言
1978.3.    77年度自治会費が社会学部教授会により払い戻される
1978.3.21   町田校地第一期工事起工式強行
1978.4.    第一社自、法大全共闘メンバー以外が執行部に参加、全共闘自治会から学部生主体の自治会に転換−法大全共闘、2年連続自治会費凍結―払い戻しで社自を担いきれなくなる
1978.6.   「大学改革についての総長提案」を発表
1978.7.10    法大全共闘と中核派が集団ゲバルト戦−法大全共闘キャンパスから撤退、当時共闘関係にあった三崎町の日大へ退散
1978.7.11〜  中核派が正門と裏門を封鎖して本校を制圧、法大全共闘主要メンバーの入校を阻止−以降、法大全共闘キャンパスに登場し得ず
1978.7.〜   学生連盟本部棟事務局が解体し定例総会開催以外の学生連盟の機能がしばらく停滞−7.10後遺症で学館自主管理が危機に
1978.8.17   本校をロックアウトにして図書館研究棟(80年館)の起工式を強行、法大全共闘決起し得ず−法大全共闘解体
1978.11.   第二次「教学問題委員会」発足
1978.12.   当局、町田移転の財源確保のため、79年度、80年度の2年連続大幅学費値上げを発表
1978.12.―1. 学費値上げ粉砕闘争、法大学生運動の新陣形が整備−全自協=白ヘル&黒ヘル(第一社自、学団連C闘委、一文連有志、二文連有志、社学会、哲学会)の全学会議構造が発足−以降の移転阻止闘争はこの構造で戦われることになる
1979.1.11   第一社自、学生大会−学費値上げ阻止ストライキ決議
1979.1.16   第一社自、試験ストライキ決行
1979.1.17   黒ヘル、後期試験を粉砕
1979.3.    第一社自、78年度自治会費が社会学部教授会に払い戻される(3年連続)
1979.6.26   第二次教学問題委員会が「中間報告」を発表
1979.10.24  教学問題委員会、建築計画を非公開のうち作成
1979.10.25  中村哲総長「中間報告を受けて」を発表−3学部と新設学部の先行移転後10年をめどに全学部移転の実施を謳う
1979.11.15  第一社自、学生大会−200余名が結集
1979.12.   「3条件6項目問題」で学内学生団体が一斉に社自批判、第一社自執行委解散−暫定執行委体制へ
1980.3.17   第二次教学問題委員会「最終答申」を発表
1980.3.28   第一社自、4年ぶりに自治会費を戦取
1980.4.20   筑波大学の呼びかけによる全国学生共同行動(清水谷公園)に全国55大学1200名結集、法大から120名決起
1980.4.23   第一社自、社会学部新入生オリエンテーションに関し公開質問状
1980.4.30   社会教授会、質問状の回答拒否
1980.5.1、2  武田第一教養部長団交−「第一社自の質問に答えない限りオリエンテーションは行い得ない」確約、田沼社会学部長は団交から逃亡
1980.5.3〜5  社会学部新入生オリエンテーション強行−上野駅ホームで参加新入生約100名を説得する粉砕行動−参加者わずかで社会教授会の新入生洗脳合宿失敗
1980.6.30   当局、6.25の寮自による学部生部長団交で「カッターナイフをちらつかせた」を理由に一方的に「団交拒否」の回答−久山学生部長、府中寮自治会との再団交から逃亡
1980.7.11   久山学生部長、6.30回答を盾に第一社自、サークル4団体による団交から逃亡
1980.7.    総長、文系各教授会に町田移転計画を提案
1980.9.15   東京プリンスホテルで機動隊配備のもと法大百周年式典を強行−田中文相、所轄警察署長(牛込署、町田署)を招待−100名が芝公園で百周年式典粉砕総決起集会→プリンスホテルにデモ、現地粉砕闘争を展開
1980.10.中旬 大学当局「今後一切団交には応じない」旨を学生に通知
1980.11.18  町田移転阻止、6.30回答粉砕 全学1000名集会開催
1980.11.27  当局、短大廃止を一方的に決定
1981.1.13   6.30回答を粉砕して黒川学生部長団交を戦取(600名結集)−8つの確約書と1つの自己批判を克ち取る
1981.1.16   10年ぶりに後期試験が正常に行われる
1981.3.5   経営教授会「緊急提言」発表−「町田移転は法大の破壊になりかねない」
1981.3.6   増島理事(社会学部)「ご連絡」を配布−「町田移転は文部省との確約」
1981.3.21   戦後初の競争選による総長選が行われる−本投票で全面移転派の中村哲(法学部)168票、全面移転反対派の今井則義(経営学部)168票で当局内が二分されていることが判明、再投票で中村哲がかろうじて6票差で当選
1981.4.17   野田図書館長団交
1981.4.18   前日の野田図書館長との確約を反故にして新図書館(80年館)強行開館
1981.6.18   当局、新設学部の文部省申請に失敗
1981.7.8   第一社自学生大会後の民青追及行動をめぐり第一社自と学団連C闘委が対立、C闘委のポツダム自治会否定論で路線論争に発展−社会教授会は学生大会で暴力的事態があったと社自の成立確認を拒否
1981.9.    経済学部教授会、町田への学部移転に向けた討議を開始
1981.10.   総長、「大学改革と町田開発」発表
1981.11.17  学生会館学生連盟事務局を中心に、「全学シンポジウム−共同の闘いの発展へ−」開催−250名が参加
1981.12    第一社自第2回学生大会−ストライキ方針が確立
1981.12.17  第一社自、社会学部科目指定ストライキ決行−C闘委沈黙、路線論争終結
1982.3    社会教授会81年度自治会費凍結−払い戻し強行
1982.4.14   経済教授会、移転に向けた「素案」を発表
1982.5.    総長、「新学部設置について」を発表
1982.5.    当局、一方的に「法政大学の学園構想について」を学生に送付
1982.6.    新学部設立準備委員会「文化科学部について」を発表
1982.6.28   当局、町田市役所に建築概要確認書提出
1982.7.12   社会学部、各クラス・ゼミで拠点ストライキを展開
1982.7.13   当局、文部省に新学部設置申請を提出
1982.7.13   社会学部前期無期限スト決起集会(50数名)
1982.7.14   第一社自、社会学部前期無期限ストライキに突入、自治会、サークル、学術の学生13団体が四項目要求を総長に提出
1982.7.20   当局、四項目要求を無視−黒ヘル50名が前期試験粉砕−当局、ロックアウトを強行
1982.8.    第一社自、夏合宿で全学ストライキ方針を確認−全学に提起
1982.9.21   社会・経済学部教授会、84年町田移転「決定」を強行−第一社自、社会教授会開催を実力粉砕−社会教授会急きょ学外で秘密裏に教授会を開催して移転を「決定」
1982.10.1   当局、一方的に「法政大学の学園構想について?」を学生に送付
1982.10.25  全学ストライキ実行委員会結成
1982.11.15、16 社会学部クラス・ゼミで拠点ストライキ
1982.11.17  第一波全学ストライキ決行 町田校地では本工事起工式を強行
1982.12.17〜 第二派全学ストライキを波状的に決行
1983.1.24、2.1第三派全学試験ストライキ決行(スト決行日をめぐり黒ヘルと白ヘルが対立)
1983.3.8   三里塚反対同盟が分裂−文連メンバー2名を中核派が拉致監禁、自己批判を強要される(全学スト実機能低下−中核派移転阻止から経自防衛に路線修正)
1983.3.    当局、文部省に文化科学部の申請を却下される
1983.3.    中核派、社自主要メンバーに「もう大学に来るな」と執拗に恫喝(三里塚、移転阻止闘争がらみで)
1983.3    社会教授会82年度自治会費を凍結−払い戻しを強行
1983.6.25  第一社自学生大会、ストライキ、ハンガーストライキ方針確立
1983.6.28   第一社自、社会学部長団交を要請−団交要請書に基づき、第一社自執行委と社会教授会との間で予備折衝始まる
1983.6.30〜7.1社会学部生2名が54時間の第1期ハンガーストライキ
1983.7.4〜9  社会学部生2名が120時間の第2期ハンガーストライキ、うち1名は20日までの384時間のハンストを貫徹する。一文連、学団連、哲学会の学生もハンガーストライキに合流
1983.7.13   社会学部全専門科目ストライキ
1983.7.15   全学スト実、全学前期無期限ストライキ突入
1983.7.16   当局、前期試験を一方的に中止してロックアウトに
1983.9.30   当局、一方的に「法政大学の学園構想について?」を学生に送付
1983.10.6   学館全館を不当検索−私服公安警官60名、機動隊100名が学館に乱入、機動隊がエンジンカッター、巨大ハンマーを使って学館1階2階への物理的破壊行為が行われる
1983.10.   社会学部長団交予備折衝で決裂−団交実施不能に
1983.11.6  レーガン来日阻止闘争(日比谷)
1983.11.20、21全学スト実、全学バリケードストライキ
1983.11.   学生会館学生連盟、大学当局、警察庁を学館破壊で告訴、裁判闘争へ
1983.12.   学生会館学生連盟、学館設立10周年記念式典開催
1983.12.   第一社自、学生大会で再度の総長団交要請を決議
1984.1.16   全学スト実、試験スト決行−当局、ロックアウトを宣言、62年館体制で試験を再度強行(第一社自はスト権発動を見送る、執行委が「62年館体制を内側から解体せよ」を声明)
1984.3.28   第一社自、83年度自治会費を戦取する(3年ぶり)
1984.4.3   町田校地開校−社会学部、経済学部の1年次町田移転を強行
1984.5.18   第一社自、光州蜂起4周年日韓連帯決起集会(40名)−5月連続闘争
1984.6.17   反トマホーク全国集会(横須賀)に法大(80名)圧倒的な登場
1984.7.6   日韓連帯首都圏学生講演集会(明学大)−第一社自参加
1984.7.24   首都圏学生実結成集会(東大農学部)−東大、早大、明学、中大、法大第一社自、連帯参加=関西学連(京大、同大、関大、関学、阪大、神大、花園大、立命)
1982.8.25   首都圏、関西合同全斗煥来日抗議の外務省行動
1984.9.2   全斗煥来日阻止全国集会−法大実行委結成70名(第一社自、一文連反戦学習交流会、学団連C闘委、二文連有志、学術行動委)
1984.9.6   全斗煥来日阻止闘争(六郷土手)−首都圏、関西13大学参加(250名、法大は90名)
1984.10.19  反安保!日韓連帯!教育臨調粉砕!法大連絡会結成(第一社自、一文連反戦学習交流会−後にサ共闘、学団連C闘委、二文連有志、学術行動委)
1984.11.8   第一社自、町田・市ヶ谷の分裂キャンパス下での初の学生大会−『町田移転阻止闘争中間総括』を提起
1984.11.20  首都圏学生実合同学習会開催(東大、早大、明学、中大、法大)
1984.12.9〜10 カールビンソン横須賀寄港阻止連続闘争(横須賀)−法大連絡会
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1992.     92年度自治会費が払い戻される
1993.     93年度自治会費が払い戻される
1994.     社会教授会、第一社自を非公認化
1995.     社会教授会、自治会費代理徴収を一方的に打ち切り−以降、社自再建されず解体

コメント(2)

ミッドウェーの横須賀入港で横国の寮に泊まったのは81年の6月ごろだったんじゃないかな。
いずれ、各年度ごとの社自の活動の詳細もアップする予定ではいますよ。

法大の社会学部は、もともと日共系の労働運動家の養成学校だった中央労働学園を吸収合併したことが発端で、教授会メンバーのほとんどが日共の党員かそのシンパで占められていたことが特色だったのだと思う。

当局も学生も共産党の影響が強かった法大のなかで、最初に反日共系に転じた自治会が社会学部だったことは、一つのメルクマールであったように思う。
ちなみに一文連の執行委は、60年安保のときにはすでに反日共になっていたといわれているよね。

ただ、背景に60年安保で全学連主流派が日共の指導から離脱してブントを結成したことがあったわけだけど、第一次ブントが解体したのちである64年に法大の社会学部で何があったのかは、実は詳細不明なのです。

ここは、誰かを取材しないとわからないだろうな、と思っております。

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