ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

アンチ・ファンタシーコミュの2016総合芸術

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【テーマ】
 映画『闇のバイブル』(Valerie’s Week of Wonders)の鑑賞と表現戦略に関する考察を通して、ユング心理学において導入された原型概念との関連から仮構世界の形而上的特質を考察する。
【授業概要】
 あらゆる世界構成単位が不可分の未確定状態で併置された原型的属質を持つ可能世界を想定し、この原型世界を参照する表現戦略を用いたと思われる映像作品を対象にして、量子力学における並行世界の理論を応用して選択肢の組み合わせから双方向的に構 築されていくゲーム的仮構の特質と比較しつつ、仮構世界存在論を宇宙論の一つの形として理解する試論を企てていく。
【到達目標】
 仮構世界を構築している意味的次元軸を的確に抽出するための物理学的、哲学的概念の内実と関連を理解し、これらが思想的発想や宗教的発想といかに結びつくものであるかを検証する。
【授業計画】
1 回
 ゲーム的仮構におけるシーンと背景設定要素の網羅的配列
 世界線の分岐とループと並行世界間干渉の表象芸術作品的意義性
2 回
 原型、プレローマという概念と仮構世界存在解釈と構築理念
 量子力学の芸術表現に与えた影響と心理学における “心霊” 概念
3 回
 willing suspension of disbelief と life imitates art
 ジャンルとパースペクティブとメタパースペクティブの操作
4 回
 夢と予兆と託宣とシンクロニシティ、科学思想的前提の超出
 集合的無意識と観測効果時間次元を折り畳んで変換記述した世界像
5 回
 仮構世界の記述と現実世界の描写についての原理的解釈
 現実世界の模倣とは根本的に異なる可能世界記述としての仮構
6 回
 可能世界と並行宇宙とこれらを創出し、知覚する意識存在
 全ての可能世界を選択的に具現化することのできる私という意識
7 回
 “共変的”関係と“相補性”概念から神と人の位相を考える
 錬金術の理念と魔法の原理、人の中の神性と偏在する精神
8 回
 マクロコスモスとミクロコスモスの合一と “Unus Mundus”
 Elixir(賢者の石)と Metamorphosis(物質変成)と量子論理
9 回
 精神の修復作業と存在の補償作用と夢の機能
 神概念を病概念で記述する、概念の相互依属性と位相変換
10 回
 エロティシズムとグロテスクとナンセンス、哲学とエロゲー
 理性と想像力とアーキタイプ、イドとリビドーとシンクロニシティ
11 回
 リアリズムとアクチュアリズムとファンタシー
 ハイパーナチュラルとスーパーナチュラル、自然と科学法則
12 回
 ループ構造と、その変異体あるいは同形体
 アニメ、ゲーム作品における類似主題を探る
13 回
 Chaos Head, Muvluv Alternative, Cross Channel
魔法少女まどかマギカ、新世紀エヴァンゲリオン
14 回
 仮構ー現実連続体と現象を具現化する意識
 論理矛盾と論理破壊とメタ論理
15 回
 存在と現象と人格と物語的同一性
 認知試行と現象生成の関連から心象的同一性を考える
【教科書名】黒田誠著、『存在・現象・人格ーアニメ、ゲーム、フィ ギュアと人格同一性』(牧歌舎)
【参考図書】おって指示する
【評価方法】レポート。manaba folio を用いて提出を行うものとする。
manaba folio のコミュニティへの書き込みによる討論/考察への参加貢献度も評価に加味することとする。
【履修について】コンピュータの基本操作を理解しておくこと。
【事前・事後学習等】ネット上の Fantasy as Antifantasy、Fantasy as Antifantasy Daily Lecture を随時参照し参考資料を確認する
【備考】manaba folio のコミュニティ「2016総合芸術」を活用して講義内容の補完、参考資料の提示及び質疑応答を行う。

コメント(35)

1回目 「原型」の世界

 映画『闇のバイブル』(Valerie's Week of Wonder)では、主人公が作品世界において担う筈の固有の役割も、またそれぞれの登場人物相互の関係も、さらにこれらの複合体として展開するストーリーの流れも、定まった一つのものに収束することがない。様々の矛盾を含む平行した複数の出来事の束として、この映画は一個の作品世界を確固としたものとして形成するにはあまりにも不定なばかりの意味を、映像と映像から抽出される限りの制約ある観念で記述したものとなっている。
 そこに現出するのは、実は夢やとりとめのない夢想と同様の、個人の主観の中に脈絡なく浮かんだ、いわば現実の事象として発現する以前の可能性の世界なのである。このようなメイク・ビリーブの操作にもとづく多義性の豊饒の海で遊ぶ感覚は、実は『ピーターとウェンディ』の中に描かれていた“ネバーランド”という世界と等質のものである。
 登場人物それぞれの保持すると思われる作品世界内の位相と、各々の間の折々の関係性の全てを抽出し、暫定的に特定してみることにより、この映像作品において試みられた不定性と流動性の世界の提示という新機軸の映像表現の内実を再検証してみることにしよう。
「闇のバイブル」内容確認の要点


 以下の人物が各シーンにおいて、その都度どのような関係のもとに関与していたかを整理する。
 ヴァレリエ エルザ リヒャルド オルリーク グラツィアン ヘドビカ


  以下の細目について、多義性の主題に対する考察として掘り下げる。
 “真珠の耳飾り”は、いかなる場面でいかなる力を発揮して用いられたか?
 ヴァレリエはオルリークをどうしたのか、あるいはどうされたのか?その都度のそれぞれの立場と関係はどのように変化しているか。


  以下の細目について、多義性の主題に対する考察として掘り下げる。
 お父様、あるいはお祖父様はそれぞれのシーンにおいてどのような人物がその位置を占めていたか?その人物像の変化はいかなるものであったか?同様のペルソナ変化が、お祖母様の場合はいかなるものであったか? またオルリークについてはどうであったか?

 実は作品の設定としては「ループ」の問題にはなっていなくて、「多義性」と「曖昧性」が中心軸になっています。

「原型」とは、キャラクターのタイプを分類した特徴的な人物/神格像のことではなく、これらの様々な姿を生み出す元にある、曖昧で多義的な概念化して語ることのできない「何か」のことを指すものです。
2回目 多様性と曖昧性

『闇のバイブル』の後半を観ました。
文章記述とは異なる、映像表現特有の具体的ではありながら決して完結した概念に収まりきることのない、不定形の特質を把握して頂きます。さらに敢えてこれを概念化する操作を行ったならば、そこに得られる描像は複数の矛盾した結果の束として表されることを理解して下さい。これらの多義性と曖昧性をなるべく詳細に指摘する試みを行っていく予定です。

キーワードは「原型」でした。
テキストに収められたアニメ、ゲーム、フィギュアのそれぞれについて考察した論文を通して、「原型」という発想を把握してもらう予定です。


原型が作品世界に反映されていることを指摘して別のアニメ作品を論じた論文と、そのドラフトを公開して論議を行っているセッションのリンクを下に設けます。

マドラックス論
https://www.academia.edu/23192477/The_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1

マドラックス論ドラフトを公開したセッション
https://www.academia.edu/s/f5ca139f3f
3回目 認知と知覚

 耳飾りや、蜜蜂の巣箱や、鶏を襲うフェレットやら、最初に映画を観た時には気づかなかった詳細項目がいくつもありました。このような事態を概念記述した例が今日紹介した「マドラックス論」の中にあります。下に引用してみましょう。

脳は概念的に認知した対象以外のものは存在物として認識しようとしないので、視覚的には明示的に示されてはいても名前や属質等の概念情報を省かれた単なる映像単位としての外形は、特定の人物像としては容易に知覚されないのである。


 目では確かに見ていても、概念として対象をそのようなものとして認知していないと、その存在は意識にとっては「見えていない」のです。概念化される以前の映像情報は、多義的で曖昧なために実は膨大な量を隠し持つものです。これが「原型」世界の特質です。概念でくくれる対象なんて、実は実体のごく一部に過ぎないのです。
 逆に主観的印象においては「同一」と思われていた事物も、改めて詳細項目を検証してみれば客観的には「別存在」として理解すべきと考えられてくる場合があります。このような「超越的同一性」がさりげなく中心主題として映像化されているのが、この「闇のバイブル」と訳された映画作品です。実は異なった場所の別物であった、と再認識されるものに注意してみてください。


4回目 夢と原型

 夢の中の体験を、常識で変換する前にあるがままの姿で思い起こしてみて下さい。時間順序的な因果関係や存在や現象の同一性が、理性で把握されるものとはかなり異なったものであることが理解されると思います。「多義性」や「曖昧性」に該当する事例の具体的なイメージを再構築する作業は、とても興味深いものになります。
5回目 『Pandora Hearts』と原型

『Pandora Hearts』:
 原型世界を作品の題材として導入している

Valerie and Her Week of Wonders (『闇のバイブル』):
 映像作品の内容を原型世界の特質を活かして表現している

「アビス」と呼ばれていたものが原型世界に相当するものでした。
それは以下のような特質を持つものです。
 主体と客体の区別のない世界
 精神と物質の区別のない世界
 時間的制約を持たない過去と未来の融合した精神世界

 意識の中では同じようなパターンの行動や器物の機能における同等性は、存在そのものの同一性と区別を持たない感覚で認知されている。


 夢の中の知覚や経験は現実世界の物理的因果関係の束縛を受けていない

 夢から覚めた直後に夢の中の感覚を思い起こしてみる



類似した感覚、同様の主題構築を果たしたと思われる作品を挙げてみてください。今後の講義資料として活用したいと思います。一つ一つの場面や雰囲気の類似でも構いません。
6回目 原型と宇宙論

 「ターン」という概念を導入して、全てを含む宇宙そのもののあり方を反映した映像表現を検証しました。意識は原型世界を通じて時間と空間の断絶のない全てを感知することができるという仮説にも繋がりそうです。ターンが選択された結果、これまでの流れとは異なる逆行現象などの形で「モメント」という慣性力が現れます。

********************************************************************************************
 物語の物理的・意味論的構造性に対する際立って自省的な感覚は、この映像作品の特徴的な要素を形成することになる。ループ構造のターンの一つを完結させたかのごとく、仮構世界のシーンは再びヴァレリエの館に戻る。そこには以前と同様に、冒頭のシーンにあった温室の男女の木像にあつらえられた蜜蜂の巣箱の映像が映し出されている。その後には殊勝に祈りを捧げているヴァレリエの姿があらわされる。
 〜〜
 ヴァレリエは何事も無かったかのように、ほがらかにこの映画の冒頭にあった居間の食事のシーンを再現している。そこに以前と同様に、一見変わらぬ姿でお祖母様が食事の席に姿を現す。しかし両者の身に付けている衣服の色は冒頭の場面とは異なっており、ヴァレリエの衣服は黒から白へ、お婆様の衣服は白から黒へと入れ替わっているのである。御簾から花を投げる行為で暗示されていた時間性モメントの転換が、ここでは色彩に変換記述して反映されているのである。
*******************************************************************************************

 量子力学の基本理念と存在の「重ね合わせ」という発想は、芸術表現に新しい可能性を導入すると同時に、魔法や錬金術等に代表される古代思想の復活にも大きな役割を果たしています。
 
 ヴァレリエとお祖母様の身につけている衣服の色や花を手渡す/拾い上げる花売り娘の動作に宇宙の根本原理を暗示させる発想が見事です。科学思想の前提を跳躍した「存在」、「現象」理解がそれを可能にしています。


7回目 モメントの逆転

 時間が過去から未来に流れるのもモメントの向き、
太陽や月や星々が時計回りに空を移動するのもモメントの向き、
世界を支配する根本原理の存在を感じさせるのがモメントです。
他にどのような概念がモメントを表すものとして理解可能であるか、いろいろと考えてみてください。

 最後は祝祭的に全てが勢ぞろいしてエンドとなりました。現実世界の出来事の経過とは異なる心の中の印象の世界を描いたのが『闇のバイブル』という映画でたった訳です。類似した主題を持つ他の作品を指摘してみてください。

『闇のバイブル』における原型世界の映像表現について論じた論文のリンクです。
https://www.academia.edu/7911015/Meanings_and_Ambiguity_in_Visual_Art_Pleroma_Motive_in_Valerie_and_Her_Week_of_Wonders
8回目 量子力学

曖昧性と多義性がいかに問題とされることになったか

存在、現象に対する理解を根本的に改める必要に迫られた

「観測効果」と「重ね合わせ」
事例:ひたぎのパンツと観測効果
 瀕死の状態の暦の顔の真上に立ってパンツを見せてくれるひたぎ。
 しかし観客にはパンツの詳細は分からない。
 記述のない項目については、観測作業を行ってみなければ詳細の確認はできない。つまり現象的に確定する以前の無数の可能性の重ね合わせ状態にある。

斧乃木余弦の後について暦が山道を登る際も同様
観測して確定される以前はパンツの形状、色模様は無限の可能性を秘めている
余弦のフィギュアが発売されることによって一つの可能性が確定した

関連事項
「2013アニメ芸術論」における「とある科学のパーソナルリアリティ」
「2010時間芸術」における「マブラヴオルタネイティブ、箱の中のリンゴ」

「ダブルスリット実験」から得られた素粒子(量子)の多義的特性です。
「平行宇宙理論」を導くきっかけになった発見でした。

「シュレーディンガーの猫」の名前で呼ばれているパラドクス
これまでの科学における存在/現象解釈の通用しない特性を素粒子は示していた。
「観測効果」が示唆する存在物と意識の関連を考察してみて下さい。

現在の物理学、宇宙論では「意識」に焦点を当てた「consciousness study」、「fundamental awareness」の話題が関心を集めている。


芸術創作に与えた影響

ダブルスリット実験で確かめられた電子の存在属性の「多義性」という特質は、客観的物理存在の実質あるいは様態である「存在」・「現象」のみならず、意識存在の単位である「人格」という概念をも再検証する必要を迫ることとなった。

 20世紀初頭にアインシュタインによって相次いで発表された特殊相対性理論(1905年)と一般相対性理論(1916年)は、従来の科学の基幹的枠組みを形成していたニュートン力学において宇宙の全ての領域で均一に作用する普遍的な物理的要因として理解されて来た“時間”という概念の、実は空間との連続性を無視することができない相互委属的な特質を主張することとなった。その結果、かつて経験則として当然のごとく受け入れられてきた瞬間の出来事の“同時性”という概念もまた、あえなく瓦解してしまう結果となったのである。
 さらにその後急速に発展した量子力学の拓いた知見においては、電子に代表される量子存在が特定の時間に特定の位置を占めるという物理的制約そのものを持たないことが認められるに至った。物質の最小構成粒子としてある原子の構成単位であるはずの素粒子が、存在物として空間上に占めるべきである固有の座標性から根本的に遊離した“不確定性”という基本特質を持つ、未知のなにものかであることが前提として受け入れられたのである。こうして科学的思考の基本単位を構築する筈の“客観的物理存在”という概念もまた、全面的に放棄を迫られることとなった。その結果、経験則的事象理解の基本前提にあった“個物の実体としての延長性”や“空間的座標性の時間的連続性において確証される存在物の同一性”という認識そのものに対して、日常経験の空間的・時間的制約を越えた高次元界面から総括的にこれらの概念の形而上的意義性を再確認することを可能にする、同一性と相当性に対する統合的理念把握が要求されることとなったのである。
 こうして知覚対象となる存在・現象・人格等の全てが、独立した個物としての同一性あるいは空間的には不連続な“他者”との相当性に関して、新たな観点からそれらの概念的特質の再検証を迫られることとなった。人格を一つの存在単位の持つ意味の複合体とする論理と、人間存在と目されていたものを時空の現象生成を局所的になぞった経験作用の過程として理解する描像が、連続的に記述されるべき統合観念場の展開が要求されているのである。当然のことながら、仮構作物の名称として受け入れられてきた純観念的存在物もまた、特にその“個別性”という実質ばかりでなく種々の二次創作作品や属性と主題性における類縁的存在に対する同一性概念適用の拡張範囲の延長可能性について、改めて考察を新たにする必要が生起することとなったのである。

「2次創作作品Peter Panと仮構的原型」
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=http%3A%2F%2Fwww.linkclub.or.jp%2F%7Emac-kuro%2Fanti%2Falternative.htm

哲学と科学とピーター・パン

ピーター・パンのお話『ピーターとウェンディ』は、量子力学誕生前夜の科学的・哲学的関心を反映している。

 19世紀末から20世紀初めにかけては、アインシュタインの相対性理論の発表とミンコフスキーの4次元時空の定式化に先立って、デカルト・ベーコン的事象理解の限界点の超出を意識した様々な実在論や本体論が提示されようとしていたのであった。ジェイムズ・クラーク・マクスウェルは、ニュートンが仮定した真空の3次元空間というモデルとは異なる場の概念を導入して、電磁気現象を解明する新規の物理理論を構築しようと企てていた。エルンスト・マッハは、局所的な作用の連鎖という事象の標準モデルに基づいて存在と現象のあり方を記述するニュートンの力学的描像を俯瞰するする視点から、全体性の世界との関連として熱的・電磁的・磁気的・化学的過程として物理現象を把握しようと試みていた。このようなマッハの思想と研究は、アインシュタインに多大な影響を及ぼしたことが分かっている。[i]さらにウィリアム・ジェイムズは、従来の局所的作用の機械的連鎖を行う力学的単位としての“物質”という概念に拘束されることのない観点から、心理的経験そのものを事象の本質として捉えることにより、ある種の“心霊的”原形質存在を仮定して事象発現に対する主観意識の関与を重視した現象把握を達成しようと目論んでいた。またアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、力学的作用を行う基礎単位である物質粒子に代替して、生起するできごとそのものを世界の基本的実在として考えようとする、現象学的本体論の構築を模索したのである。これらの科学者と哲学者達の関心に通底すると思われる心理学的な宇宙解式が、Peter and Wendyの様々の場面と記述に投影されていることを指摘することができたのである。[ii]

[i] アインシュタインの相対性理論に及ぼした先行する科学者/哲学者達の影響とファンタシーに代表される仮構記述の思弁的問題性については、筆者の『アンチファンタシーというファンタシー2 最後のユニコーン論』(牧歌舎、2009年)に所収の「量子論理とパラドクスと不可能世界─アクチュアリズムとアンチ・ファンタシー」を参照されたい。
[ii] Peter and Wendyに関する量子論理的世界解式と心霊的存在記述についての考察は、筆者の『アンチファンタシーというファンタシー』(近代文藝社、2005年)において様々の角度から行われている。
宮澤賢治と量子力学

 本書において仮構と科学、魔法と現実のそれぞれを統括して理解すべくこれまでに論じてきたような存在論的仮説に実際に従って、見事にその生を全うした実存と芸術の実践者が、既に日本には存在していたのであった。本書におけるファンタシーと量子力学との相関に関する論考と最も深い関連を持った人物として、第一に挙げるべきだと思われるのは宮澤賢治の名前であろう。“詩と科学と宗教を一つのものにする”という霊的スローガンを掲げて“心象スケッチ”という生の芸術活動を実践した賢治の理論的拠り所が、アインシュタインの提示した相対性理論にあったことは既に良く知られた事実である。例えば賢治の代表作と言えるであろう、精神と霊的知覚の極限を模索した『銀河鉄道の夜』の舞台を提供する進行中の鉄道車両という印象的なシチュエーションが、等速直進運動を行いつつある慣性系における時間・空間の位相を再考察するためにアインシュタインの採用した思考実験の機構に触発されたものであることに間違いはないと思われる。そればかりでなく、相対性理論の提示した素粒子の存在論的解釈とその哲学的影響を巡って1920年代に切実な関心を持って論議されつつあった、量子理論の開拓した実在の波動論あるいは確率論的解釈法についても、賢治が“心象スケッチ”において敏感に同時代的反映を示していたことが分かっている。1924年9月17日の作である『春と修羅』第2集に所収の作品番号304、「半蔭地撰定」などに、その顕著な実例を見ることができる。

『アンチファンタシーというファンタシー2 最後のユニコーン論』

https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=http%3A%2F%2Fwww.linkclub.or.jp%2F%7Emac-kuro%2Fanti%2Fpersona.htm
戦場ヶ原ひたぎの本棚にあった夢野久作の『ドグラマグラ』

宮澤賢治とは別な角度から量子力学の世界観を作品に反映した作家が夢野久作でした。

 『エルゴ・プラクシー』に導入されていた“人―神”概念変革に対する形而上的理解を探る糸口として、“ATフィールド”という興味深い概念が採用されていたアニメーション映画『新世紀エヴァンゲリオン』と、厚生局長デダルスの姓として暗示されていた夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』を参照することができる。『新世紀エヴァンゲリオン』が中心主題として採用していた、“絶対恐怖領域”として自と他を分つ精神的機能あるいは自閉的病理である“ATフィールド”は、『エルゴ・プラクシー』の「分かれたものは一つにならなければならない」という発想において示されている“分離と統合”という概念と深く関わっている。さらに『ドグラ・マグラ』において“神を追放した脳髄”について語られていたものをそのまま反転させて“自我を滅却した神性”と呼び換えることにより、これらの概念の裏面に通底するシステム原理の把握を試みることができる。ATフィールドの発動によって全ての他者のATフィールドを侵蝕し宇宙の全ての分別機能が失われた場合を考えてみると、以下に挙げるような諸概念の混淆あるいは統合が導かれることとなる。
 〔自分と他人/世界と自分/仮構と現実/妄想と事実/狂気と正気/原因と結果/記憶と予知/行為者と被行為者/意味と実質/可能性と現存性/同一性と類似・相似性〕
 これらの区別がおしなべて失われる時、時間という次元のみを特定的に解放していた際に観測されていた“ループ”という構造体は、時間次元を内部に含む統合連続体においては相似的な同位体が無数に散乱する多義的な不定形の概念/実質/属性の混淆体として等価的な記述を施すことが可能であることが推測される。『ドグラ・マグラ』においては、律儀にこれらのそれぞれの条件の順列組み合わせ的展開記述がなされていたのであった。人が主観において経験する“夢”の場合のように、あるいは人が時として陥ることができる“狂気”という状態において可能なように、個々の要因を連結する意味的相関が解けてしまった時空を超越する開放的直覚において世界の全体像が捉えられた状態、すなわち“理性”による描像に従えば“ゲシュタルト崩壊”が来されたフィールドの投影像とされるものにおいては、相似形のループからループへの跳躍とも全方位的反転原理を秘める捻れ構造とも両様の形で受け止めることが可能な種々の矛盾の併置から成り立つ“多義性”のメタ世界像が直覚されるのである。『新世紀エヴァンゲリオン』と『ドグラ・マグラ』において具現されている諸場面から、これらの要素の反映と思われるものの検証を試みることができた。
 “ドグラ・マグラ”が連想させる“ゴグマゴグ”は、古代世界の伝説の巨人もしくは神の名として語り伝えられているものである。しかしこの名で呼ばれていたものは、“ゴグ”と“マゴグ”という双子の存在であったとの異説もある。“ゴグマゴグ”として顕現することもあれば“ゴグとマゴグ”として具現することもあるという存在物を具現する根本原理のドグマを特定することにより、『新世紀エヴァンゲリオン』と『ドグラ・マグラ』に照合される“同位体的記述”を洗い出して、『エルゴ・プラクシー』において展開していた全体性を補完することになる様々の存在様相を語る概念の内実と相関を語り返すことができるのである。

「 科学とSFと哲学的省察 ―『エルゴ・プラクシー』における神と人と“自分”」
フィギュアと人格概念

人格同一性と関わるこれらの考察を導く導入部としてあったのが、「こんにちの文化」で行った初音ミクとフィギュアについての人格概念再検証だったのでした。以下の記述はフィギュア人格論にとどまらず、テキストに収録された全ての章に関連する問題点を指摘したものです。

 “初音ミク”は仮構世界と現実世界にまたがって存在する一人の少女である。彼女はマンガのキャラクターと同様に髪型や衣服などに固有の特徴的な姿形を有している。そしてまたアニメの登場人物のように独特の声音を備えてもいる。しかしこの少女は、小説や映画のヒロインの場合のような物語世界的枠組みとして人格特性を決定するストーリーや場面等の具体的情報を提供する細目要素は持っていない。初音ミクは、音楽作成ゲーム・ソフトの中で導入されている、プレイヤーが作曲した楽曲を歌い上げる機能を果たすために考案された擬似人格なのである。その独特の印象的な機械音声は、“ヴォーカロイド”(vocaloid) という名のコンピュータ・プログラムあるいはヴァーチャルなアンドロイドとしての選別的な属性を彼女に与えることとなっているが、本質的には一人の人格性を構築し特定する条件として、むしろ他の多くの仮構世界内のキャラクター達に比べて空隙の部分が多い筈である。しかしこの少女がネット上の動画投稿作品の題材となって独特のキャラクター・イメージを増幅していき、その影響の許に種々のフィギュア製品が製作される過程を経るにつれて、既存の映画や小説等の中の仮構的存在物達とは明らかに異なる様々な背景的特性と、さらに現実存在としてのある種のキャラクター性向をも獲得してきた事実は、人格同一性概念そのものを全方位的に再考する上で取り分け興味深い現象なのである。
 一個のキャラクター像を形成する要素や条件について、実在の人間存在と伝説上の人物あるいは仮構世界内の擬似人格は、その存在論的本質は次元界面を全く別にする根本的に異なったものの筈である。しかしながら一方、仮構と現実の区別を超えた“人間存在”としてある通貫した概念的特質においては、むしろ現実と仮構を隔てる境界線は限りなく曖昧になってくるのが実情である。アーサー王やヘラクレス等の英雄達は、伝説上の人物として各々が一つの名のもとに矛盾する様々の属性や特質を重畳して備えている。またシーザーやクレオパトラ等の歴史上の人物も、数々のエピソードや記述の中で相反する複数の様相において語られて、その人物像は現実と仮構の境界線上に多面的にその人格特性を投射することとなっているのである。この事実は固有名詞に集約される人格概念に止まらず、国家や文化等についても全く同様にあてはまるだろう。チョーチンの下をゲイシャが行き交うエキゾチックな夢の国ニッポンや、荒唐無稽な戦闘技を操るニンジャや神秘的な決め技を隠し持つジュードーやカラテ等の、現実の相応物から遊離した仮構的イメージがその代表的なものである。おそらく“悪の帝国共産主義”や“堕落社会の極みの資本主義国家”、さらには“恐怖政治の狂信者集団タリバーン”等の国家集団的イメージも、偏見に満ちた主観によって賦与された、ある種の仮構的キャラクター概念なのであろう。
続き

 現代に生きる実在する同世代人達にしても、その人格的内実は各観測者個々の心情や対象との関係性を反映して印象と表象を様々に変化させている。意識にとっての外的存在である他者のみならず、現実存在として人格を保有する筈の我々は、分割され得ない“個人”(individual)として特定の時間に固有の座標を占めて存在する唯一無二のものとして自身を捉え、“自我”という単独の意識を備えていることにより他と分別される独個の自己同一性を確証し得ている“自分”として通常“私性”を認識している。しかし、“セルフ”の存在論的確証性は、必ずしも客観的に定かなものであるとは言い難い。意識存在としての我々は単なる空間上の座標点ではないし、有機物の集塊として判断されるものでもないからである。さらに我々意識存在を人格として個別的に特徴づける筈の記憶や属性情報も、通常これらをデータとして保存あるいは複写して時間的・空間的断絶を経て再現することが不可能な選別された特殊要因であるかのように理解されているが、これもまた実は直感に支配された恣意的な憶測でしかない。我々の“人格性”は、固有名詞として命名を施して他と分別されることによって自分の自分性を確証し得ていると錯覚されているものの、実際に思考を行いつつある“我”を規定する要因は、必ずしも科学という仮説においてなされたような厳密な概念化作業によって明確に定められたものではないのである。だから個人としての命名を通して社会の一員として認識されていた関係性を剥奪されて世界との概念的連繋を見失った時、我々は名前のみならずその存在性自体を喪失して何物でもないものとなってしまうのである。改めて無名のものに還帰した意識の主体にとって“自分”を形成する諸要素の細目については未だ未知の部分が多いし、逆に“自分”が実は広範な包括的な何物かに帰属する一部であるのか否かについてすらも、実は原理的には知る由もないのである。結局のところ“自分”として意識されているものが何らかの物質を指示するものであったのか、あるいは特定の概念を指示するものであったのかすらもおぼつかないのが実情なのである。このように実ははなはだ不可解なものである“私性”あるいは“人格性”を再検証するにあたり、初音ミクという擬似人格の保持する種々の表象とイメージについて、フィギュア作品として具現化したキャラクター像を対象にしてその存在論的実質を検証することにより、意識存在としての我々の人格を形成するかもしれぬ未知の諸要素に対する推察の糸口を探ってみることができそうにも思われるのである。
9回目 魔物と科学

ラプラスの魔

マクスウェルの魔

この場合の「魔物」はキリスト教のサタンではなくてギリシア神話のデーモンです。

観測と予知に関する科学的パラドクス

ニーチェの「永劫回帰」にも関連しています。

世界は機械的な質量単位の運動のみで理解/予測可能なものか?
意思/想念は世界の発展/進行に関わりを持つことがないのか?
科学思想における存在解釈に対する疑問の生成

 20世紀初頭にアインシュタインによって相次いで発表された特殊相対性理論(1905年)と一般相対性理論(1916年)は、従来の科学の基幹的枠組みを形成していたニュートン力学において宇宙の全ての領域で均一に作用する普遍的な物理的要因として理解されて来た“時間”という概念の、実は空間との連続性を無視することができない相互委属的な特質を主張することとなった。その結果、かつて経験則として当然のごとく受け入れられてきた瞬間の出来事の“同時性”という概念もまた、あえなく瓦解してしまう結果となったのである。
 さらにその後急速に発展した量子力学の拓いた知見においては、電子に代表される量子存在が特定の時間に特定の位置を占めるという物理的制約そのものを持たないことが認められるに至った。物質の最小構成粒子としてある原子の構成単位であるはずの素粒子が、存在物として空間上に占めるべきである固有の座標性から根本的に遊離した“不確定性”という基本特質を持つ、未知のなにものかであることが前提として受け入れられたのである。こうして科学的思考の基本単位を構築する筈の“客観的物理存在”という概念もまた、全面的に放棄を迫られることとなった。その結果、経験則的事象理解の基本前提にあった“個物の実体としての延長性”や“空間的座標性の時間的連続性において確証される存在物の同一性”という認識そのものに対して、日常経験の空間的・時間的制約を越えた高次元界面から総括的にこれらの概念の形而上的意義性を再確認することを可能にする、同一性と相当性に対する統合的理念把握が要求されることとなったのである。

Identity and Individuality of Alternative Fictions
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7786902%2FIdentity_and_Individuality_of_Alternative_Fictions
「原型」概念応用例

様々なピーターパンの変化形を原型概念から理解する

......ピーター・パン存在とは、バリの手になる複数の作品に通貫して登場する、いくつかの矛盾と偏差を含む複合的キャラクターなのである。
 これらの“ピーター・パン物”の全てを、連続的・多義的存在としてポテンシャル次元に潜在すると仮定される原型的作品基体 “メタ『ピーター・パン』”から、一意的な意味の組み合わせに限定された波束の収縮過程を経てコヒーレンスの結果として抽出された、個別性作品表象を具現した変化形の各々として理解することもできるだろう。当然のことながら未だ波束の収斂を得て現実の存在物として発現する機会を恵まれていない無数の可能的発現形として、属性要素の順列組み合わせに基づく種々の同位体あるいは変異形の存在も予測されることとなる。現実世界の中で人の手によって捏造された仮構存在は、現実内仮構として明らかにリアリティ世界の具象物の一部分集合を具現していると同時に、純理論的には現実世界に並列する無数の可能世界の一つを一平行宇宙内から参照する間世界的言及行為の具体例としても理解することが可能なものなのである。そこでは微小な属性決定要素の個々の取捨選択から導かれる無数の変化形のみならず、宇宙定数の改変や世界構成軸の根本的な置換に基づいた別次元界面の発現形もまた、連続的変換過程における等位段階に平列して展開される変異体として理解されることになる。[i]このような概念軸自身の相互委属的な存在特性と多世界に通貫して存在すると仮定されるメタ原型概念存在の関連を考察する視点から、様々の二次創作作品を通して推測される原形質的な次元の情報的意義性を、量子論理的仮構世界論として考察することができるに違いない。

[i] 存在物あるいは現象の裡に認められるこのような意味的相関機構を、“初音ミク”という疑似人格の表象としてフィギュア造形を対象にマトリクス記述における概念軸変換と変数の設定という操作を通して理解する試行は、筆者の『仮構世界とフィギュアと自己同一性―初音ミク、惣流/式波・アスカ・ラングレー、戦場ヶ原ひたぎ、ブラック★ロックシューターの人格特性』において遂行されたものである。

Identity and Individuality of Alternative Fictions
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7786902%2FIdentity_and_Individuality_of_Alternative_Fictions
10回目 永久機関と無限ループ

宇宙全体の運動原理はループ(サイクル)運動なのか?
あるいは往還運動なのか?
あるいは単一線的運動軸に基づくものなのか?

時間軸は空間軸と遊離しているのか?
時間と空間が連続体をなしている時空モデルにおける存在原理
記憶と因果関係はいかなる変換記述を適用して再構築することができるか

エントロピー増大則を適用した場合の解釈

外的宇宙と内的宇宙

『新世界より』におけるエネルギー利用とテクノロジーと悪夢


科学的存在現象解釈と実際のありかた

事象モデルを考察する

試行と事象
力学的シミュレーションとアニメ表現

アニメ『精霊の守人』に描かれた場面の“試行”と“事象” ゲームCrysis の物理演算デモ・ムービーのCGシミュレーション
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F8020410%2F%25E3%2582%25A2%25E3%2583%258B%25E3%2583%25A1_%25E7%25B2%25BE%25E9%259C%258A%25E3%2581%25AE%25E5%25AE%2588%25E4%25BA%25BA_%25E3%2581%25AB%25E6%258F%258F%25E3%2581%258B%25E3%2582%258C%25E3%2581%259F%25E5%25A0%25B4%25E9%259D%25A2%25E3%2581%25AE_%25E8%25A9%25A6%25E8%25A1%258C_%25E3%2581%25A8_%25E4%25BA%258B%25E8%25B1%25A1_%25E3%2582%25B2%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A0Crysis_%25E3%2581%25AE%25E7%2589%25A9%25E7%2590%2586%25E6%25BC%2594%25E7%25AE%2597%25E3%2583%2587%25E3%2583%25A2_%25E3%2583%25A0%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2593%25E3%2583%25BC%25E3%2581%25AECG%25E3%2582%25B7%25E3%2583%259F%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25AC%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%25B3
11回目 出来事

出来事が出来事であるというのはどういうことか

事象の確認と事象の再現のための試行

ノーム(規範)とアノマリー(例外的逸脱)

現実世界の出来事を事象として認知する手順は

サイコロを振る

ルーレットにおける事象の帰結

夢の中の出来事あるいは意味はいかに理解されるものか


事象と概念

意味あるものとして概念化作業を行い事象を形成するのは意識の作用。
あるがままの現実世界には事象として枠に嵌められた意味ある「出来事」に相当するものは存在しない。
事象は意識内部の概念形成作用に他ならない。
事象と系

系の範囲を制約して判断してしまうと、事象の真の姿を見誤ることになります。事象をどのようなものとして理解するかは、様々なものの複雑な関係性を把握する想像力と、立体的に全体像を見て取る構想力によることになります。定まった「事象」が固定された形で存在するのではなく、心の中のイメージとして種々様々な「事象」が、不定形の集合体として存在しているのです。科学が認めた「事象の姿」は、ごく限られた制約された不完全な一つの形でしかありません。
12回目 概念と指示対象

 観念と指示対象となる実体の符合という同調原理が保障されていない限りは、あの山と言った場合の“山”という概念もこの山を指示した場合の“山”という概念も、主観の投影以上の確たる実質が確証されている訳ではない。唯名論的主張に従えば、あるがままの自然の裡には山どころか“リンゴ”や“木”や“植物”などの観念に対応するいかなる具象物さえも存在してはいない。同様に “事物”に限らず“試行”や“事象”についても何一つとして普遍的な同一性で括られる相等物がある訳ではなく、不可分の果てしない時間と空間の連続体と仮称されるものが、ただあるのみである。しかしながら、名辞の適用に関する解釈云々ではなく、肝腎の“実体”という概念がいきなり突っかい棒を外されて客観的相関物としての存在性を喪失してしまった場面に直面してしまったのが、20世紀以降の我々の思想状況なのであった。

Identity and Individuality of Alternative Fictions
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7786902%2FIdentity_and_Individuality_of_Alternative_Fictions
博打と原型世界認識と共感覚

 アニメ『マルドゥック=スクランブル』では、主人公のルーン=バロットが「共感覚」のような知覚を用いて観測者自身を含む事象の展望を全体として感知する様子が描かれていました。物理的刺激の一方向的な感受に留まらない、世界と自分の織りなす運命像を立体的に把握する能力は、「原型世界」に対して無意識領域において接点を得た場合の、擬似的「感覚」として意識されるのでしょう。
 このような共感覚が作品の中心主題として採用されていたアニメに『Canaan』がありました。主人公カナーンの発揮する特殊能力は、原型世界に接続する無意識の力の反映として理解すればうまく整理ができそうです。占いや予知等も同様の図式で理解することができるでしょう。他にも原型概念を利用して統括的把握を図ることが可能になる事例は沢山あると思われます。気になるものがありましたら指摘してみて下さい。
13回目 出来事と時間と記憶

 意識の中の「記憶」は、一連の事象を時間順序的配置の中に意識空間の断片として形成したものであると思われる。では、時間と出来事と意識の関係を分離し、再統合する操作を行えばそこにはいかなる描像が得られるだろうか?
****************************************************
意識の主体による観測/知覚/記述等の行為が、生成/創出/理解等の主体的関与を行うことによって始めて、存在/現象/属性等の従来客観的事象性とされてきたものを現出せしめるという一般公式を導入することにより、あらゆる概念要素を相補的な行列的重ね合わせとして再変換し、相異なる範疇に属する概念の全てを仮定された任意の基礎概念の相互作用的表象として理解/記述することさえもが可能とされることとなったのである。これに従って、オスカー・ワイルドが行った“芸術論”としての位相における「自然が芸術を模倣する」というあまりにも有名な言明が、実はこの観測効果の原理に対する心霊面的様相としての表現形であったものとして看做すことにより、世界の保持する意味性に対するより発展的な宇宙論的考究を推進していくことも可能になるのである。当然のことながらそこには、新たな統合的世界解釈を進めることを容易にするさらなる場の概念の拡張の模索の必要性が示唆されねばならないこととなる。だからこそ、例えばルソー以来のロマン主義の延長線上にあると思われるこの仮説の主張に従うことにより、しばしばファンタシー世界の欠かすことのできない構成要素となっている神霊や魔術等の及ぼす効果とされるいわゆる超常現象や、あるいは個別の意識体のうちに潜む予知や精神感応等のパラサイコロジーという言葉で理解されている諸現象も、意味構築を行う概念の基礎単位として機能する仮想粒子(ドーキンスの“meme”=模倣子に倣うならば、“seme”=意味素子とでも呼ぶことができよう)がゆらぎのなかで生成消滅を繰り返す相互作用という形で異次元の情報の海から引き出されてくる次元的捩れの位相の各々として、光や重力や時間の場合と同様に物理学的あるいは形而上学的に理解することが可能ともされることとなるのだ。かつて古代ギリシアで、意味の複合体として存在するコスモスとしての世界を構築する基幹的意味単位である各々の抽象概念が、それぞれ神格としての別の位相を保持していなければならなかったように、自然(Nature)の背後には全体性の意味の階梯と関係性を保障する超自然的(supernatural)作用因がシステム理論的に必要とされることになるのである。

Supernatural System Theory and Antifantasy
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7892608%2FSupernatural_System_Theory_and_Antifantasy
脳神経学者と事象と認識ーー意識内部の世界

ダマシオは脳神経のメカニズムに関する研究の成果から個人の保有する知覚と現実認識の実質を改めて捉え直し、伝統的な科学思想の前提を明らかに転覆する“私”概念に関する超出的見解を披露している。ダマシオの唱えた“ソーマティック・マーカー”仮説は、知覚として得られた神経情報が脳に伝達される際には、単一の刺激の個々としてではなく身体感覚の全体像として過去の類似の体験記憶になぞらえて再構成した形でその受容がなされるというものである。確かに与えられた複雑な情報群を生体が意識的に状況判断を行う以前の段階で瞬時に対応可能な近似的環境変化として変換するこの機能は、脳の獲得した個体の生命維持に対して極めて効率的な神経情報伝達様式であるように思われる。ダマシオはこのように身体感覚が理性による判断に先立って形成されていることに注目し、身体感覚が知覚と判断の過程でループ機構を形成して組み込まれている事実を重視して、身体と精神を二分して「考える、故に我有り」の命題を唱えたデカルトを批判したのである。“考える”主体である精神と“考える故に有り”と確証される肉体を截然と分離しようとしたのがデカルトであったが、ダマシオによればデカルトの冒した誤謬は、延長性を持つ物質である身体と空間的制約を持たない非物質である精神を分別しようとしたことにあった。思考の主体である理性を意識存在の中枢に置こうとするのではなく、理性と身体感覚の総合である情動の二つの別人格の共存として一個の人間存在を規定する発想を提示した彼の著した科学的/哲学的啓蒙書である『デカルトの誤謬―脳と情動と理性』[i]のタイトルが、この思想家の保持するデカルト以降の伝統的な科学的世界観を脱却することを目指す見解を簡潔に示している。


[i] Descartes’ Error: Emotion, Reason, and The Human Brain,(1994)
「心霊」(psyche)ーー 意識と空間と物質の統合体

「原型」という概念をさらに精神と物質が不可分である集合体として拡張した時、「心霊」という後を用いて記述される例が多く見られます。


「心霊」という述語の裡には下のような感覚が意識されています。

 主体と客体の区別を設けることなく総合した全体像として把握した、時間/空間/精神連続体としての描像

 観測者と観測される事象の区別を抹消した全体性の世界像



「心霊」概念と適用例とその注釈としては以下の文献を参照して下さい。

Translation and Commentary on Sue Matheson's Study on The Last Unicorn: "Psychic Transformation and Regeneration of Language in Peter S. Beagle's The Last Unicorn"
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7911103%2FTranslation_and_Commentary_on_Sue_Mathesons_Study_on_The_Last_Unicorn_Psychic_Transformation_and_Regeneration_of_Language_in_Peter_S._Beagles_The_Last_Unicorn_
共感覚と原型

 「共感覚」という概念を単に異質の知覚への変換作業として理解すると、「Canaan 」で描かれているヒロインの能力は理解不能のものとなります。時間と空間と精神が一つになった「原型世界」に無意識を連接させ、何らかの情報を既存の知覚に類した何かになぞらえて感知することができる能力として「共感覚」の概念を拡張してみると、色々と納得できる部分が見えてくるはずです。占いや予知やその他の「超能力」も同様の原理に従う精神作用として認めることができるでしょう。このように精神と現象が一体となった状態のことを「心霊」という言葉で呼びます。


様々な共感覚の実例

共感覚 - Wikipedia
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Furl%3Fsa%3Dt%26rct%3Dj%26q%3D%26esrc%3Ds%26source%3Dweb%26cd%3D1%26cad%3Drja%26uact%3D8%26ved%3D0ahUKEwj45__H3uLNAhUEHpQKHezIAE4QFggeMAA%26url%3Dhttps%253A%252F%252Fja.wikipedia.org%252Fwiki%252F%2525E5%252585%2525B1%2525E6%252584%25259F%2525E8%2525A6%25259A%26usg%3DAFQjCNEFV95ylPgRRhLg62exGFwyyt9Ngg%26sig2%3DUikm_EDYSwieNNccgaB-LQ


意識は全てが渾然一体となった原型世界から、理解可能な知覚になぞらえた形で情報を掬い取ってくると考えることができます。
14回目 divination(託宣)と博打ーー「運」を感知する共感覚

占いや賭け事以外に同様の原理に基づく事象、あるいは世界を対象とした賭けとして有用な可能性を持つと思われるものを様々に挙げていってみて下さい。

これらを「原型世界」(プレローマ界)とこれに対する知覚あるいは認知手段という図式で理解する心霊的メカニズムを考えていきます。


ゲームは固有結界として具現する

無数の平行世界の束が精神との連続体という形で感知される時、運の操作は世界線の選択と同義のものとして考えられることとなり、精神内部の世界は固有結界として他の精神に対する干渉能力を示すことになる。「Fate 0」に示されたイスカンダルの固有結界を例として考察してみよう。


「魔眼」

奈須きのこの「月姫」や「空の境界」に導入された特殊能力です。「固有結界」と「共感覚」を成立させているものと同様の原理に基づくものとして理解することができます。「意識」と「世界」が断絶無く繋がっていることを仮定した時に得られる「知覚」/「記憶」/「想念」の融合体を考えてみましょう。

15回目 事象と試行と経験

事象は概念として意識の中にのみ存在する

サイコロを振るという試行
ブラックジャックをプレイするという試行
ルーレットというゲームを行うという試行

ゲームの結果という事象は、無限の順列組み合わせの過程を背後に秘めている
経験は、無限の組み合わせの事象の過程として記憶化される
意識は、仮想的な経験として無限の組み合わせの事象を潜在させている

時間は物理現象の生成を線的に辿るだけのものではない
意識は、自我と世界を全ての可能性の組み合わせの束として経験化した記憶の形で認識する

「原型世界」は時間の流れに制約されることなく、時間と空間の統合体としてある
『マルドゥックスクランブル』と「運」

運を呼ぶ
運に従う

右回りーdexter 時計回り
左回りーsinister 反時計回り

ウフコックは「匂い」で運そのものを感じ取っている
「嗅覚」という物理的刺激とは異なる「経験の総合」に対する共感覚
ベルウィングのスピナーとしての敗北は、「左回り」の運の展開ではなかった?

生起した一つの事象のみでなく、あり得た全ての可能性の総合に対して意識が保持する「原知覚」
共時性(シンクロニシティ)

偶然的な過去の体験の全てが一つの意味に集約される一瞬の経験

意味として存在する世界の全てとその意味を決定する意識存在

「私」の心の中の世界としてある宇宙


現実世界に生起する出来事としては、力学的関連を持たない遠隔作用的現象等は全て、科学法則を逸脱する“スーパーナチュラル”(超自然)として、あってはならないこととされている。局所的な力学的作用の連鎖として出来事を線的な因果関係上に捉えて理解する科学的世界観においては、質量を持つ物体の運動として記述される物理的な現象生成という以上の“意味”を、世界に見出すことは認められていない。物理法則に従って必然的にもたらされる一連の力学的作用の系の外部に看取される相似は単なる偶然であり、その関連に内在的な意味を見出すことはあり得ないのである。意識の主体によって類い稀なる啓示として受け止められた事象も、神秘として人々の精神を揺さぶる衝撃的な出来事も、主観を投影した見かけ上の“類比”に過ぎないものである。あくまでも“ナチュラル”な合理的事象生成の相関に力学作用以外の秘匿された意味を読み取るのは、純然たる意識の作用である。しかし偶発的符丁として描き出される仮構内詳細記述の特質は、科学的世界観が“偶然の一致”として片付ける事象の中に、独特の“仮構的意味”が読み出されることを要請するところにある。
 それはユングが“共時性”(synchronicity)という概念の提示を通して読み取ってみせた、意味ある世界として意識の主体と繋がっている、宇宙の全体性を捉える発想と軌を一つにするところを持っている。直接的には因果関係を持たないことが明らかである系外の事象が、あたかも運命に導かれているとでも言えるような符号となる複合的な意味を兼ね備えたものとして、意識の主体によって実際に体験されるという啓示的現象が実際に存在することを認め、ユングはこの原理を“シンクロニシティ”という言葉で呼んだのであった。因果関係を持たない事象の間に主観的に意味ある何かを読み取ることができる現象とは、世界と個人の間にある見えざる関係性の顕現である。ユングは重力の法則が世界を支配するように、運命の法則として“シンクロニシティ”があると理解して、現象世界の背後にある本質世界の実体を理解するための仮説として提唱したのであった。

A Study of Madlax
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F23574076%2FA_Study_of_Madlax
悪運とヨブ

ルーン・バロットは自分の悪運といかに対処したか。

「ヨブ記」
「義人の不幸」という矛盾を人々はどのように解釈したか
神はヨブの疑問に答えたか

ユングの「ヨブへの答え」
神と人を統合的に解釈する心霊論

「マルドゥック・スクランブル」を「ヨブへの答え」として理解する
「現在」の心霊的解釈
過去の体験の全てを意味あるものとして統合するために今がある
意識はストーリーとして全てを意味あるものとして認識する
ストーリーの中心には「私」がある
アニメ「マルドゥック・スクランブル」における共感覚

エロ・グロ・ナンセンスに隠された教育的要因
汎用生物兵器ウフコックの感じる匂い、恐怖と殺意
ルーン・バロットの感じる「鳥の飛ぶ感じ」、「尖った感じ」、「丸い感じ」
骨董品の真贋を察知する直覚と本物の感触
悪意ある世界と被害者たる自分の間の関係の修復
錬金術の基本原理と科学思想の前提とする世界観
「運が悪いと思ってました」―カードを味方につける心構え

盲目的な神の如く振る舞う人間達
弁護士は依頼人の精神をズタズタにすることによってポイントを稼ごうとする
欲と暴力に精神を乗っ取られて生きる人間達
フェチシズムと殺人衝動と自傷のリビドー
敵対者シェルは、記憶を凍結させて消去する事によって現在を生き続ける
抗争の相手ボイルドは、休息を捨てて破壊行為の中に今を生きる

人に使われて有用性を示すことによってのみ存在を容認される高等知性
理性偏重と男性原理の支配に侵されない人工知性
ネズミとイルカを基体として造った平和な高等知性体
人の姿と人の活動を放棄して暴力の支配から脱して生きる人間達

運命を受け入れて世界と仲良くなる術
ギャンブラーの道は精神修養?不幸と理不尽への対処の仕方
ルーレットのスピナー、ベル・ウィングの見つけた答え
ブラックジャックのディーラー、アシュレイ・ハーヴェストの見つけた答え
主人公ルーン・バロットが学んだ答え
自分の過去を含めて世界を右回りの回転に調整する
ユング の「ヨブへの答え」、神と人の心霊的関係
「マルドゥック・スクランブル」の「答え」
15歳の少女の学んだ謙虚と自制と運命愛

2017 Public Seminar plan

The Principle of Quantum Physics and Depth Psychology


Derived out of Gambling Scenes in Anime:


Understand Divination, Synesthesia and Synchronicity through the Concept of Archetype




Is it possible to rearrange the disposition of playing cards and marjong tiles?

What is “the flow of game”?

Can some cards or tiles be friendly with the player?

Today, I am getting along with Hearts nice.

Does one’s own mind control lead to luck control?



Game playing is occurring present, but consciousness is aware of the past and the future

Undetermined pasts and Bergsonian time

As innumerable world lines are branched from now, there may be innumerable pasts that come to now

Consciousness perceives a world line as a meaningful story

Reason grasps the world as cause and effect chain, but the unconscious perceives the wholenesss not as a line
『闇のバイブル』の曖昧性と多義性の表現

視覚芸術における多義性と曖昧性―『闇のバイブル』の原形質反映記述

現象世界的リアリズムとは全く異なる構造原理に基づいた映像芸術作品 Valerie and Her Week of Wonders においては、生成する事象の位相を決定すべき観測者の視点を構築する位置情報が周到に撹乱され、さらに意識の裡における空間認識と肉体感覚の双方が個体あるいは現象として発現する以前の未分化の状態に還元された結果、経験された出来事の内実を記述すべき因果関係性の概念そのものもまた解体して、これらを反映すべき映像が相反する場面のそれぞれを平行に分岐させた多義的な描像として時間軸上に再配列されて、点描的に画面上に現出することになっていたのであった。
『闇のバイブル』まとめ

テキスト第2章「 視覚芸術における多義性と曖昧性 ―『闇のバイブル』の原形質反映記述」の結辞でした。「原型」の映像化表現としてこの映画の創作戦略を記述するとこうなりました。「意識」と「原型」の関連を掴んでレポート制作に役立ててください。
レポート課題

 本講座において映像表現の鑑賞と主題の考察を行った映画『闇のバイブル』(Valerie and her Week of Wonders)について、「原型」あるいは「心霊」という心理学上の概念と映像表現において具現化された内実との関連を指摘せよ。
 あるいは本講座で導入された発想と諸概念を他の仮構作品の主題理解に適用して、応用的論考を図ることも可とする。もしくは独特の映像表現を活用した『闇のバイブル』と比較対照することにより、任意の映像表現に関する論考を試みても構わない。さらにこれらの趣旨を総合して、原型概念と量子力学的世界観そのものについて、自らの理解と意見を述べる試みも認めるものとする。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

アンチ・ファンタシー 更新情報

アンチ・ファンタシーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング