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アンチ・ファンタシーコミュの2016アニメ芸術論

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シラバス

【テーマ】
 表象芸術作品の中に導入された、仮構世界の基本設定となるべき概念軸が明示されないという創作理念について、“ハイパー ナチュラル” という概念を導入して表現手法を検証していく。
【授業概要】
 アニメ作品「true tears」と「グラスリップ」を鑑賞し、 これら2編の映像作品としての特有の表現戦略の内実について考察 する。仮構世界の基軸的背景情報が意図的に省かれており、鑑賞者が制約された情報のみを手掛かりにして作品世界の奥行きを推し量り、自らの想念の内に部分的欠落のある世界像を構築していかなけ ればならない機構の持つ創造戦略的内実について検証していく。
【到達目標】
 作品世界のプレゼンテーションの手法に注目し、仮構世界構築軸の抽出とその延長として提示されるパースペクティブを読み取りアニメ作品の鑑賞と評価を能動的に行う視点を身につける。
【授業計画】
1 回
 1話:私...涙、あげちゃったから
 2話:私...何がしたいの... この作品では “仮構的リアリティ” がいかに達成されているか
2 回
 3話:どうなった? こないだの話ー仮構世界の意味性決定軸
 4話:はい、ぱちぱちってしてー意味を創るパースペクティブ
3 回
 5話:おせっかいな男の子ってバカみたいー比呂美の本心は?
 6話:それ...なんの冗談?ー真実の涙は誰の? 比呂美は嘘つきか?
4 回
 7話:ちゃんと言って、ここに書いてー野絵は変な娘か?
 8話:雪が降っていない街ー加害者として振舞う比呂美は悪女か?
5 回
 9話:なかなか飛べないね...ー野絵は何を考えている?
 10話:全部ちゃんとするからー眞一郎の父親と比呂美の母親は?
6 回
 11話:あなたが好きなのは私じゃないー群像劇なのか?
 12話:何も見てない私の瞳から...ー本当の主人公は誰か?
7 回
 13話:君の涙をー「お話」は納得のいく形で完結したのか?
 仮構世界の意味を規定する概念軸を考える、結末はどうあるべきか
8 回
 1話:花火ーお祭りの夜旅してきた少年「やっと見つけた」
 2話:ベンチー「あなたの欠片は見つかった?」
9 回
 3話:ポリタンクー「私、未来が見たいの」
 4話:坂道ー「うち、透子に嘘ついた。雪に告白する気なかった」
10 回
 5話:日之出橋ー灼熱したガラスの向こうの駆の微笑む顔
 6話:パンチー「お前が来た時点で波風立ちまくりだよ」
11 回
 7話:自転車ー木立の中で会話する3人の駈たち
 8話:雪ー透子を不安にする未来の欠片と、自宅でのやなぎの奇行
12 回
 9話:月ー「夢十夜」、やなぎの日乃出浜レポート、地球照
 10話:ジョナサンー文学作品「月をあげる人」と「名人伝」
13 回
 11話:ピアノーガラス玉と花火と唐突の当たり前の孤独
 12話:花火(再び)ー別世界に来た透子とそこの駆と友人達
14 回
 13話:流星ー透子の欠片とダビデの声と茂みのトンボ玉
 展開が読めない群像劇の中心軸と仮構的意味を読み取る
15 回
 総合的考察、裏設定とパースペクティブ、演出上の類似点
 幸いなる大団円(eu-catastrophe)とデウスエクスマキナ

【教科書名】おって指示する
【参考図書】黒田誠著、『存在・現象・人格ーアニメ、ゲーム、フィギュアと人格同一性』(牧歌舎)
【評価方法】レポート。manaba folio を用いて提出を行うものとする。
manaba folio のコミュニティへの書き込みによる討論/考察への参加
貢献度も評価に加味することとする。
【履修について】コンピュータの基本操作を理解しておくこと。
【事前・事後学習等】ネット上の Fantasy as Antifantasy、Fantasy as Antifantasy Daily Lecture を随時参照し参考資料を確認する
【備考】manaba folio のコミュニティ「2016アニメ芸術論」を活用して講義内容の補完、参考資料の提示及び質疑応答を行う。

コメント(39)

1回目 群像劇?

このアニメの主人公は誰か?
ヤマカンで推測する、あるいは自分の主観で決めて、その根拠を語ってください。

誰のどのような特質に焦点を当てて、それをいかに描いたものとして理解するかが鍵となります。

登場人物 他 (漢字表記を確認して下さい)

仲上 眞一郎(なかがみ しんいちろう)
石動 乃絵(いするぎ のえ)
湯浅 比呂美(ゆあさ ひろみ)
安藤 愛子(あんどう あいこ)
野伏 三代吉(のぶせ みよきち)

石動 純(いするぎ じゅん)
雷轟丸(らいごうまる)
じべた

監督 - 西村純二
シリーズ構成 - 岡田麿里
歌 - eufonius

アニメを論じる

アニメ作品のどういうところに着目していかに論じるか

「Madlax」を対象に書いた論文の例を示します。
比呂美のおさげが時間をずらして垂れた動きの「リアリティ」を指摘しましたが、これと同様の映像表現が、Madlaxでは「仮構内リアリティ」として独立した重要テーマを構築しています。論文中の引用画像を確認して、論考記述のあり方を確認してみて下さい。10ページの上の方に画像はあります。主題的にも表現戦略の上で「true tears」と共通点のある興味深い作品です。

https://www.academia.edu/23192477/The_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1
2回目 仮構的リアリティ

 頭を下げたヒロミの髪が時間をおいて垂れ下がった動きのアニメ表現ばかりだけでなく、独特の内容を持った具体的な別世界であるアニメの世界が、じっくりと語りこまれているのが true tears の世界です。このような実質性を「仮構的リアリティ」と呼ぶことにします。要するに類型的な「よくあるジャンル」に収まることのない、緻密な人物たちの行動が描かれているのが特徴です。これからのストーリーを鑑賞していく途上で、この要素を一つ一つ数え上げていってみて下さい。原作のシナリオにはあったけれど放映した作品では未発表に終わった「オナシーン」などもこれに当たります。同様の創作戦略に基づいて作られたのが、別のアニメ作品 Madlax です。詳しくは以下の Madlax 論を確認してみて下さい。

発表済みの論文
https://www.academia.edu/23192477/The_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1


続きの部分も含めて「ドラフト」を公開して意見交換を行う「セッション」を開催中です。気がむいたら意見や質問等を書き込んでみて下さい。

マドラックス論のセッション
https://www.academia.edu/s/f5ca139f3f
仮構的意味

誰と誰がくっつくことになるのか、これは推測です。
誰と誰がくっついて欲しい、これは願望です。
誰と誰がくっつくこととされる、あるいはくっつかないことになる、というのが単なる結果では済まされない、仮構的意味ということになります。推測や願望とは異なる意識で作品の仮構的意味を読み取るのが、解釈であり評価です。ここにピントを合わせることができずに仮構的意味を見落としてはいないかに注意してじっくり見直してみると、実は意外な魅力が埋もれていたことを再発見することもあるのです。

願望や妄想は、作品からは離れた個人の意識内で展開する限りは、何をやっても構いません。しかし作品の「意味」を誤解することは、避けるように十分に注意することが必要です。



ドラマティックアイロニー

 言葉で一度に二つの異なる意味を語ることは不可能ですが、劇や映画などの映像では、空間的配置を工夫して2重構造の構図を工夫することが可能になります。

先生の悪口を言っている学生たちの後ろに、当人たちには見えない先生の姿が観客の視点からは見えている

こういうのが典型的なドラマティックアイロニーです。様々な応用形が可能ですので、true tears を観ながらサンプル収集を試みてみてください。
反復動作と仮構的意味

  三代吉が、落ちた食べ物を拾って食べるシーンが繰り返されていました。科学的にはただの偶然で、何の意味もある筈がないことですが、仮構世界は現実世界あるいは科学が想定する物理の世界とは異なるので、繰り返されて生じる出来事には特有の意味が担わされることになります。「ギャグ」という意味を主張する際によく用いられる手法ですが、 true tears の場合には、精妙な対比を意図して類似シーンが描き出されていました。
 眞一郎が野絵におばあちゃんのコートを肩にかけてもらうシーンがありましたが、このシチュエーションをよく覚えておいてください。これに符合する「反復シーン」が、 true tears という仮構世界が持つ独特の「仮構的意味」を構築することになる筈です。このような「意味性構築」作業を見落とすことなく指摘し、読者/観客としての主体的な意味創生を行うことが、仮構を鑑賞することの哲学的意義性となります。
true tears ノート

論文を書くための書き出しとして用意した断片です。参考にアップしておきます。

true tears と嘘の言葉

 『true tears』は、2008年1月から3月にかけて放映された、西村純二監督、P. A. Works 制作のアニメ作品である。本作はゲーム制作会社 La’cryma の同名の恋愛アドベンチャーゲームを原作とするテレビ放映番組として発表されたが、ストーリーはゲーム作品にあったものとは全く異なったオリジナルのものとなっている。シリーズ構成として岡田麿里がプロデュースに参加し、脚本[i]も手掛けていて、独特の作品世界のプレゼンテーションが達成された、仮構世界の本体論を考える上で様々な意味で興味深いアニメ作品となっている。一見したところ、高校生達の日常生活を舞台とした、現実的な恋愛模様を描いた群像劇の体裁を取った映像作品のように見えるのだが、ストーリーの展開ときめ細かな演出の手法は、類型的な仮構作品世界の提示の手法を反射的に意識した挑戦的なものになっており、描き出される仮構世界の可能世界としての実質そのものの位相を改めて考え直すことを要求する、斬新な創作戦略に基づく仮構となっている。理念的把握が可能な、主題性を備えた明確な外形を備えた仮構作品として鑑賞者の想念の中で確証され、意味のある可能世界として認証されるための概念的枠組みが様々に脱臼されるという、メタフィクション的な操作が巧みに加えられた、妙味ある作品世界が展開されているからである。

[i] 脚本は岡田麿里、西村ジュンジ、森田眞由美の3人が放映回毎に入れ替わって担当しているが、作品世界の基軸を決定する初回と結びの12、13回は岡田麿里が脚本を手掛けている。“西村ジュンジ”は監督西村純二がシナリオ作家を名乗る時の別名である。作品世界提示の手法と演出の技法に対する自覚が、ジャンル概念を超えた挑戦的な創造行為を達成させたことを納得させる布陣であると思われる。
3回目 マフラー

 海辺で比呂美が眞一郎の首にマフラーを巻いてあげてました。かなりしっかり結びつけてます。野絵がコートをかけた眞一郎に比呂美が後ほどマフラーを巻いてあげたのは、当人同士はお互い知らないことですが、この場面を目にした観客には、特有の「仮構的意味」を読み取るきっかけを与えることになります。「伏線」とはまた異なる演出上の工夫の妙味です。

 それぞれの時点で誰が誰の心の中のどこまでを知っているか、事が進んだ後になって改めて確認し直してみると、判断が変化したり見えなかった事が見えてくることもあるはずです。人の心の中だけでなく、実は自分の心の中が当人には見えていないことが結構あるようです。
4回目 上書き

 野絵が眞一郎の肩にコートをかけたしばらく後に、比呂美が自分のマフラーを眞一郎の首に巻きつけるシーンがありました。本人は知らなくとも、ある種の「上書き」に相当する行為を行っていた訳です。こういうところに独特の「仮構的意味」が形成されるのでした。
 愛ちゃんがいきなり眞一郎にキスしてしまいましたが、この行動についても、類似のシーンが後に繰り返されることになります。仮構的意味を構築する「繰り返しシーン」として、やはり「上書き」がなされているのです。次の上書きが確認された時点で、この行動が作品世界が主張する意味軸における「伏線」として機能していたことが理解される結果になります。現実世界は偶然しかない本質的に無意味な世界ですが、仮構世界はこれとは異なる全てに「意味のある世界」として存在するのです。

この問題については、別のアニメ作品『Madlax』について論じた以下の文章で発展的主題が考察されています。

現実世界に生起する出来事としては、力学的関連を持たない遠隔作用的現象等は全て、科学法則を逸脱する“スーパーナチュラル”(超自然)として、あってはならないこととされている。局所的な力学的作用の連鎖として出来事を線的な因果関係上に捉えて理解する科学的世界観においては、質量を持つ物体の運動として記述される物理的な現象生成という以上の“意味”を、世界に見出すことは認められていない。物理法則に従って必然的にもたらされる一連の力学的作用の系の外部に看取される相似は単なる偶然であり、その関連に内在的な意味を見出すことはあり得ないのである。意識の主体によって類い稀なる啓示として受け止められた事象も、神秘として人々の精神を揺さぶる衝撃的な出来事も、主観を投影した見かけ上の“類比”に過ぎないものである。あくまでも“ナチュラル”な合理的事象生成の相関に力学作用以外の秘匿された意味を読み取るのは、純然たる意識の作用である。しかし偶発的符丁として描き出される仮構内詳細記述の特質は、科学的世界観が“偶然の一致”として片付ける事象の中に、独特の“仮構的意味”が読み出されることを要請するところにある。

ここから議論は心理学者ユングが提唱した「共時性(シンクロニシティ)」という概念の持つ内実に発展しますが、詳細は以下の論文をご覧下さい。

https://www.academia.edu/23574076/A_Study_of_Madlax
ゲーム的仮構とアニメ的仮構

『Madlax』 の場合はゲーム世界にも似て、複数の分岐的意味がアニメ世界の中に共存している。

ゲーム世界の場合であるならばプレイヤーが選び取る選択肢の組み合わせに従ってストーリー展開が様々に変化し、仮構的意味性もまた変容して複数に分岐した結末が得られることが既に新規の仮構世界の特質として了承済みの事実となっている。[i]しかしながらゲーム的仮構特質の暗示する平行世界的多義性をアニメ作品のプラットフォーム上で可能にする巧みな手法を開拓したのが、真下耕一監督による『Madlax』の独特の演出的戦略であると言えよう。

[i] 「小説や詩の読者あるいは演劇や映画の観客の場合のように作品世界の展開に対して受動的な鑑賞者としての視座に留まることのない、双方向的関与を行って仮構世界展開の推進を行う“プレイヤー”の存在を前提とする新種の仮構世界」としてゲーム的仮構の保持する原型的特質を照射する機能を評価する視点は、『Fate / stay night』を対象として存在・現象・人格概念再考を試みた筆者の「召喚魔法と個人存在―『Fate/stay night』における存在・現象・人格概念」(『存在・現象・人格―アニメ、ゲーム、フィギュアと人格同一性』、牧歌舎、2014年、に所収。)において提示されているものである。


https://www.academia.edu/23192477/The_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1



『true tears』 の場合は、説明の無い空白部分は確かにあるものの、ストーリーと結末は一つに収束していて、そこに確かな「仮構的意味」が織り込まれています。この結末を主張しているところが、このアニメ作品をかつて例のない独自の創作戦略に基づく挑戦的な新機軸の仮構として成り立たせている部分です。
5回目 省略表現

 何が語られるのか、どのような状況が展開するのか容易に予測することができる場面では、要所のみに絞った省略表現が成否を分ける要因になります。惰性で描かれた陳腐な進行になってしまうか、「神演出」との評価を勝ち取ることができるのかの境目です。ストーリーとしては同様でも、プレゼンテーションの技次第で全てが決まるのです。
 事故の後の仲上家の人々の会話、高校での級友たちの反応、校長の呼び出しを受けた際の仲上夫妻の応答など、単にスマートな演出という以上の作品世界の意味を決定する要素を形成するプレゼンテーションがなされていました。色々大変なことがあった後の眞一郎と比呂美の会話が「冷蔵庫にアイスあるよ」だったところなどは、このアニメの表現戦略を代表するハイパーリアリティ記述です。
 省略がなされていた、ということは、反転的には作品の記述において読者/観客には知り得ない未知の空白領域が残されている、ということにもなります。true tears の創作戦略上の最重要課題となっているのがこの要素です。どのような記述の空白が意図的に作品世界に導入されていたかを指摘してみてください。
方向性

 10話が終了した時点で誰と誰が繋がるのか、方向性が見えてきたようです。それとは別にアニメ作品としての主題性を考えると、誰の何をどのように描こうとしたのか、と言う問いが改めて浮かび上がってきます。比呂美、野絵、愛、眞一郎、三代吉、純の6人だけでなく、眞一郎の父と母や他の友人達も含めて「群像劇」としての人々の描き方はかなり広く、そして緻密なものがありました。
しかしこの作品の最終的に呈示する「意味」として、「群像劇」としてのプレゼンテーションが選ばれることになるのかあるいはそうではないのかが、最終話を目前にして気になるところです。「フィクション的」意味をどのように読み取ることを要求されていると理解すればよいでしょうか。
6回目 最終話直前

ストーリーはどこまで整理されたのか?
解明されていない謎は残っているのか?
主人公は結局誰だったのか?
「裏の主人公」は?

どのような結末を用意すれば仮構作品としての「意味」が決定されるのか?
製作者側の権限で無事に落ち着き所を与えられて、収めてもらえた人たち。
製作者側の権限で敢えてしこりを解消せずに、突き放されてしまった事柄。
全てをまとめて観客にすっきりさせてくれるのが優れた作品か?

「真実の涙」と「偽りの言葉」

眞一郎はどのような点で「ぶれて」いたのか?
純はぶれていなかったのか?

2次創作に挑戦して純を救ってやろう!
7回目 全ては解決されたか?

明かされなかった謎の真相を推測する

解決されなかった問題点を様々に分岐させた2次創作で補完する

比呂美のストーリーと理解すればいかなる物語像の一部と解されるか?
野絵のストーリーと理解すればいかなる物語像の一部と解されるか?

愛ちゃんを主人公にして全ての軸を変換すると?

応用課題
前日談を制作せよ。
眞一郎のお父さんと比呂美のお母さんの間にあった過去の出来事
8回目 Glasslip

 前半に検証した true tears と同じ西村純次監督、スタジオPAワークスの作品です。
 演出上の類似と相違を押さえながら観ていきます。意味不明の部分、情報の欠落があると思われる箇所を指摘していきましょう。制作者側がいかなる作品世界を造り上げようと意図し、それがどこまで思惑通りに達成されているかを判断して頂きます。
9回目 好感度調査

それぞれのキャラクターについて好感度を判定して下さい。
ストーリーの展開を見続けることによって、それがどのように変化するのかしないのかを、その都度考えて頂きます。

最初は女性キャラクターから
男性キャラクター

類型的なフィクションとしては主人公のはずの位置にいる人物が、意外とかわいくない。
むしろ問題性を秘めている。観客の期待を裏切る方向にヒロインが行動するのに苛つく。
性格的にそりが合わないタイプ、だんだん反感が増してくる人物。
フィクションのお約束事からずれた「現実的な」人物像があらわれてきます。
脇役?

一番かわいいかも。
それぞれキャラクターが立体的に描かれ、それぞれなりの説得力のある行動をする。
時には意図が測れないような不可思議な行動も描かれる。
仮構世界的立体性ー背景情報

 テロップやナレーション等で明示的に示されなくても、よく見ると確認できる詳細情報が豊かに用意されています。
 橋の名前、やなぎが食べているアイスの製品名など、指摘できるものをこのスレッドにコメントを書き加えて挙げてみて下さい。

 明示的な情報の開示がなされていない、あるいは疑問に思われるがよく分からないことがら等、例えば祐のお姉さんはどうしてよく病院に顔を出しているのか、駆のお父さんは何をしている人なのか、雪哉とやなぎは名字が違うのに何故同じ家に暮らしていて「家族」なのか等。判明したと思われる時点で指摘するのも結構です。

この先登場人物たちの意味不明の行動や発言が認められたら、それも同様に指摘してみて下さい。

ご指摘を頂きました。「確認出来る詳細情報」
エンディングに出てきた具体的な製品名や、オープニングでの透子の髪型の変化がありました。
(過去数年間が描かれていましたね)
付け加えて以下の指摘がありました。
・やなぎがレッスンに行く所は「ひのでダンススクール」
・未来を見るための媒体は、透子の場合はガラス、駆の場合はピアノ。
それを通じて未来が見えるのは、それぞれが幼い頃から触れていたものだからだと思われる。

文章記述とは異なり、時には見落とされがちな背景に様々な情報が隠されています。
概念情報と、文章記述ー映像記述

 小説の場合などでは文章で明示的に記述がなされるので、初めから概念情報として詳細が用意されています。それに対して映像記述を用いるメディアの場合には、視覚的には明示されていても、概念として確定的に語られている訳ではないので、必ずしも情報の全てが伝達されているとは言えない場合もあります。読み取った情報を概念記述で置き換える作業を行ってみると、改めて映像作品の創作理念が見えてくることもあるのです。
 さらに仮構世界は現実世界とは異なる別世界なので、常識的に推測する範囲で現実世界と変わることのない詳細情報が確認される場合もありますが、身近な現実とは一致しない微妙な差異が見受けられることも少なくありません。それが「仮構的リアリティ」と呼ぶことのできる独特の詳細情報を形成することになります。作品の創作戦略を読み取るための手掛かりとして、できる限りの情報概念化の試みを推進してみて下さい。きっと興味深い発見があるはずです。
10回目 5、6話

シーン毎にキャラクター達の好感度に変化が感じられるかどうかを検証します。
透子の妹の陽菜、祐の姉のてへぺろお姉さんも同様に考察します。
不明だった背景情報の部分が明かされた箇所、依然として不明のままの事柄、新しく謎として浮かび上がる部分等を押さえていきます。

直接の関係はなくても、true tears と構成上の類似があると思われる要素を指摘していくことにしましょう。
人間関係とキャラクターの裏表

Glasslip では、類型的なキャラクター造形とは正反対の、非常に立体的なキャラクター造形がなされているため、人によって好悪の判断が分かれることもあります。今後さらにそれぞれのキャラクターの特有の内実が掘り下げられていきそうです。このような仮構的リアリティの具体的記述の密度の高い表現を「ハイパーナチュラル」と呼ぶことにします。「スーパーナチュラル」が「超自然」として現実の限界を超えた超常現象の記述に対して適用されるのに対して、「スーパーナチュラル」は仮構世界内の緻密な具体性を指摘する表現です。この概念の意義性と述語の使用例については、以下の論文を参照して下さい。

The Annihilation of Genre Axes in Madlax: Amorphous Fiction of Dislocated Perspectives and Archetypes / Fictional Reality 1

https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F23192477%2FThe_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1

自然法則に忠実な“ナチュラル”とも、合理的規範を逸脱する“スーパーナチュラル”とも、容易に理念的なカテゴリー区分に組み入れて判断することを許さない、全てが夾雑物以上の何物でもないあるがままの世界の実体感を確証させる“ハイパー・ナチュラル”な世界像が構築されることになる
11回目 7、8話

人物の性格像や人間関係など、かなり明らかになってきました。よく分からなかった背景情報なども断片的に見えてきた箇所があります。これらを把握して改めて冒頭から観直してみると、実は随分前からそれらが暗示的に語られていたことを確かめることができます。このような創作戦略を抑えつつ、作品としての評価のありかたを考えていきます。
7話、8話それぞれ「分からない」場面が示されるはずです。それらが果たしてどの段階で意味をなすものとなるのか、それとも分からないままで残されるのかが問題です。
作品の舞台となっている街も、特定することが可能な、現実の都市と重なるものなのか?

意外な新展開

7話で現れた3人の駆たち、8話で導入されたやなぎのサービスカット?このお話はこれからどうなっていくのか?何をどこまで説明してくれるのかが気になる Glasslip の創作戦略でした。妄想を膨らませて色々と解釈のあり方を考えてみるのはいいことですが、じっくり再検証してみるとヒントはきちんと示されていたりすることもあるので、これらを見落とさないことが大事です。その上で様々な可能性から自分なりのGlasslip 世界を創りだすのは、観客に許された権利です。
スーパーナチュラルとハイパーナチュラル

「ナチュラル」は合理的で自然法則に従っていること。常識的な現実世界が当たり前に描かれている場合。

「スーパーナチュラル」は、現実ではあり得ないような出来事が起こっている様が描かれた場合。神や悪魔などは存在そのものが「超自然」として否定される。魔法や超能力なども現実にはあり得ないものとして否定される。

「ハイパーナチュラル」は、あまりにも現実的な具体性が仮構の中に描かれているケース。読者や観客の理解を容易にするために整理されていない、雑多な夾雑物に満ちていたり、全体像が明らかにされない不完全な描写を通して見えない背景情報があることを暗示する特有の仮構表現。漫然と観ていると「分かりにくい」ので敬遠されることも多いが、むしろ情報量は豊かなので、考察の仕方を工夫すると充実した鑑賞を行うことができる。

「アンナチュラル」は、「不自然」な記述あるいは描写。作者側の都合でストーリーを無理矢理進めるために、あり得ないような言動をキャラクターが行う場合などがその例。レベルの低い作品に多く観られる傾向。逆にレベルの低い観客/読者は、これと「ハイパーナチュラル描写」との区別を付けることができないことも多いようである。

レビューなどで叩かれている不人気作品は、実際には造形的レベルの高い優れた作品であることがしばしばある。誰にでも受け入れられる好感度の高い作品は、実際には内容の希薄な駄作であることも多い。
12回目 9、10話

9話 
幸っちゃん行動開始ー明日のために
病室の月齢カレンダー
やなぎのメール

10話
麒麟館の地球照
走るやなぎ
唐突な当たり前の孤独
合宿から戻った家の中の雪哉
美術室

 BGMについてご指摘をいただきました。

 作中で駆の母が弾いていた、BGMとして使われていた曲はおそらく
 フレデリック・ショパン作曲の夜想曲第二番変ホ長調
 かと思われます ご確認ください

 ありがとうございました。ネット上に演奏が公開されていたので、いくつか聴き比べてみまし た。演奏者によってけっこう音が違うものですね。


10話で、8話のやなぎの奇行の理由が明かされていました。
陽菜ちゃんのセリフ「やなぎさんが雪哉さんになっちゃった」が関連してました。
13回目 11、12話

11話

「騎士」も「恋人」も「男子」も、何も演じない、いつもあるがままの駆

お母さんの「こないだの話」とは?

気を効かせる陽菜ちゃん

幸の本棚

「レッスン、見に来る?」

美術室のお泊まり
「もし俺の場所ができたら」

陽菜ちゃん奮闘

3人の駆たち
「透子にちゃんと話しておくんだろう」

欠片、花火の幻視

ピアノ演奏会

幸と祐と雪

ピアノと雪



12話 雪の日の透子

日の出浜に引っ越してきた透子と冬の花火大会

カゼミチの駆の仲間たち

麒麟館の雪の坂道

深水さん一家を家に招待した駆のお母さん

雪の街で透子が出会った駆の仲間たち

一人ぼっちの透子を見つけてくれた駆

「透子の現実の世界の俺の投影かな」
「私の想像の世界の駆君?」

雪の花火の日に駆になった透子

お父さんのお土産のガラスの花瓶とキラキラ

「欠片」で見た雪景色

これの予兆であったのか?
だが、この日とそこにいた駆や他のみんなは、一体透子の何なのか?

「当たり前の唐突の孤独」を透子が経験することが二人にとってどのような意味を持ち、お話の収束にいかに作用しているのか?

答えはあるのか、無いのか?



12話ラストシナリオ

雪の花火大会の日に透子を見つけてくれた駆。
透子:「ここは、私の未来の欠片の世界?」
駆:「そうみたいだ。」
透子:「じゃあ、あなたは私が想像している駆君?」
駆:「ああ。それもさっきまでの俺とは違う。強いて言えば、透子の現実の世界の俺の投影かな。」
透子:「やっぱり、私の想像の世界の駆君?」
駆:「そういうことになるな。」
透子:「じゃあ、あそこにいるやなちゃんたちは?」
駆:「あそこにいる彼らも、違う意味で本物じゃない、かな。」
透子:「本物じゃない?」
駆:「何か事情があったのかも。ここに集まれなかったみたいだ。」
透子:「えっ。あぁ。」
4人の姿が透けて見える。
透子:「あなたは本物?」
駆:「ああ。本物さ。」
透子:「さっきの私、さびしそう。」
駆が4人のところに行く。透子は隣にいた駆の方に目を向けるが、駆はもういない。
透子:「私は、この花火大会の間は、この世界のやなちゃんや、幸ちゃんや雪君や祐君には見えない。それは、まだ私がみんなと一緒に過ごした忘れられない場所を持っていないから。そうなのね。」
駆は向こうでやなちゃんたちと楽しそうに会話している。
透子:「駆君。」
駆がこっちを振り向く。駆の目には透子の姿は映っていない。
透子が我に返ると夏の日の駆の家の中。駆のお母さんはピアノを弾いている。お父さんが持ってきたお土産の青いガラスの花瓶に見入っていた。
透子の方に目を向ける駆。
透子:「なんでも、なんでもないの。」
12話 背景  ご指摘をいただきました。

駆が透子を連れてカゼミチに入ったとき、店内にカプセル剤のような置物がありました。そのカットにあったのはごく普通のカプセルでしたが、私は配色から、薬のコマーシャルに登場するMrコンタックというキャラクターを連想しました。
11話の本棚

幸の読んでいる本に様々なヒントが隠されていました。
本棚の全体像がここで示されていました。
14回目 11話から最終話第13話まで連続して観てみます。

最終回の透子のお母さんに注目です。


13話

やはり観客置いてけぼり、の印象も強い最終話でした。
でもじっくり見直してみると、あちこちに手がかりとなる情報は残されていました。主題は「断絶」、「同じものを見る」「心が一つになる、は本当か?」などのようです。「欠片」という超自然的題材を、敢えて収まりの良い結末を導くための材料として用いるのではなく、むしろ仮構内のリアリティを確証させるための準備段階として採用していたのが興味深いところです。最終回は透子のお母さんが全ての意味を決定するキーパーソンの役割を演じているように思えましたが、考えてみると不思議です。駆は透子を見捨てたのか、透子は肩透かしをくったのか、いろいろと気になるところが残る、敢えて全てを語ってくれない表現戦略が完遂されていました。
13話 シナリオ

前半の要点部分です。


駆:「俺のせいだ。」
透子:「違う。私も駆君と一緒にお母さんの演奏を聴きたいって思った。」
駆:「俺には何も聞こえてはこなかった。でも、透子は気を失うほどの何かを感じた。」
透子:「実験は成功したってこと?」
駆:「かもしれない。だけど、俺は透子を危ない目にあわせたんじゃないのか?」
透子:「私、平気だし。それに、…」
駆:「やっぱり一所にいようとすると他の人を余計なトラブルに巻き込むことになる。」

透子:「私、もう少しここにいたい。」
母:「確かに、もう少しじっとしていた方がいいかも。」


陽菜:「本当にお姉ちゃん、置いてきてよかったの?」
母:「よかったのよ。」
陽菜:「でも、どうしたのかな、お姉ちゃん。」
母:「どうしたのかしらね。」
父:「透子も、年頃だからな。」
陽菜:「ええ〜?私だけまだ子供ってこと?」
母:「陽菜ももう直ぐ大人。あっという間よ。」

駆の母:「えっ、もう一曲?」
透子:「はい、お願いします。それを聴いたら帰ります。」
駆:「大丈夫なのか?」
透子:「うん。あの、えっと、ドラマチックなのを。」
駆の母:「はい、分かりました。」
透子:「私、怖くない。だって、あれはこれから起きる未来なんかじゃないから。でも、きっと、きっと駆君は…駆君はいなくなる。」


やなぎ:「陽菜ちゃんから聞いたんだけど、家でお母さんのピアノ演奏会やったんだって?」
駆:「演奏会ってほどじゃない。もっとささやかなものさ。」
やなぎ:「次にやる時は、うちも呼んでよ。」
駆:「高山は…」
やなぎ:「やなぎ。やなぎでいいよ。」
駆:「やなぎは、クラシックに興味があるのか?」
やなぎ:「実はよく聴いてる。」


透子:「お母さんが淹れる紅茶、いつもおいしい。」
母:「ありがと。ねえ、透子。あなた、急に眩しい光を見た時、何かもやもやしたものが見えたことない?」
透子:「え?」
母:「私ね、若い時、時々そんなものが見えて、もしかして、それって自分の未来なんじゃないかって思った時もあったのよ。でも違ったわ。その後に起こったことって、全部思いもしなかったことばっかり。ほんとにあれ、なんだったのかしら。…それでふんぎりがつくの?」
透子:「わかんない、けど、今の私にできることだから。」
母:「そうね。今精一杯やらないとね。」
透子:「うん。」


謎を解明する代わりに、仮構作品としてのプレゼンテーションを完結するための決定的な役割を果たしていたのが、透子のお母さんでした。まるで神のような仕事ぶりです。典型的なデウスエクスマキナでした。
やなぎと駆

やなぎ:「約束を果たして。もし忘れてるなら説明するけど。」
駆:「覚えてるよ。君との約束なんて一つしかない。」

やなぎ:「幸から大まかな話は聞いてる。」
駆:「そうか。君と約束をするはめになった海辺のことも、今回透子が倒れたのも、俺のせいなんだ。」
やなぎ:「それって、どこまで信じればいいの?丸ごと信じるのって難しいかも。」
駆:「それで構わないが本当のことだ。それに、透子の存在が必要だったことは確かだ。だけど俺がいなければ、透子はこんな目には会わなかった。俺が透子を傷つけた。俺には、透子が何を見たのか思いもつかないんだ。」
やなぎ:「いいことばかりじゃないわよ。気づくってことは。」
駆:「井美雪哉のことか?」
やなぎ:「そ、雪のこと。言葉なんてなくても、あいつが何考えてるか直ぐに分かる。」
駆:「確かに、それは少しやっかいそうだ。」
やなぎ:「それで、駆、あなたはいなくなるの?なんだかそんな気がして。」


やなぎのセリフがこのアニメの結末を語る仮構的意味軸を形成しています。
透子と駆

駆:「今日、流星群が見られるらしい。見えたら最高だな。」
透子:「また一緒に花火が見られたらいいね。」
駆:「この空じゃ無理か。」
透子:「冬の花火を。」
駆:「冬の?」
透子:「未来の欠片の中でね。冬の花火をみんなで観に行こうって。」
駆:「観たのか?」
透子:「うん。一人で観た。」
駆:「みんなは?」
透子:「私に気づいてくれなくて。」
駆:「そうか。一人で観たのか。」
透子:「一人で観る花火、初めてだった。唐突な当たり前の孤独、だったかも。」
駆:「その花火、俺も観たかったな。」
透子:「駆君も観てたよ。みんなと。」
駆:「その俺は楽しそうだったかい?」
透子:「うん、とっても。」
駆:「それは良かった。」
透子:「未来の欠片って、なんだったんだろう?」
駆:「もうその言葉は、そぐわないかもしれないな。」
透子:「お母さんが、ううん、なんでも。」
駆:「また透子のなんでもないが始まったって思ってさ。でも透子がそう言う時は、いつも大切なことがある時なんだろ。」
透子:「わたしって、分かりやすい?」
駆:「そうでもない。」
透子:「そっか。そうかも。大切なこと。あの日、花火大会の日。駆君が見えた。あれは偶然?」
駆:「少し違うと思う。偶然なんかじゃない。あの時、見たいと思ったから見えた。」
透子:「あれは未来なんかじゃなくて、まだ起こってない、だけどきっとこれから起きること。あれ、これって同じ意味?」
駆:「同じ意味で言ったのかい?」
透子:「あー、違うかも。」
駆:「だったら、それは違う意味なんじゃないか。」
透子:「私は駆君を見たかった。」
駆:「俺は透子を見たかった。」
透子:「だから、見えた?」
駆:「それに、あの時の花火の音と光がそうさせたのかも。」
透子:「すごい光と音だったもんね。でも、どうして私?私、冬の花火の時も駆君になにもしてあげられてない。ただ、駆君の気持ちが少し分かったような気がしただけ。なんにも。なんにもしてあげられてないよ。」
駆:「それでじゅうぶんだよ。」
透子:「それでいいの?」
駆:「この町で君に会えてよかった。」
透子:「駆君がこの町に来てくれてよかった。星、見えないね。そうだ、これ、星になるかな。」
駆:「これ、全部君が?」
透子:「うん。」
駆:「すごいな。」

透子:「せーの!…流星、駆君にも見える?」
駆:「ああ。」
やなぎの訪問

駆の家にエッシャーの絵がありました
ご意見を頂きました

メモ代わりに書き込み
鶏は透子以外のキャラの比喩
冒険者のジョナサン=駆
哲学者であるその他=グループの4人?
透子のジョナサンは私が守る=透子が駆を守る(助ける)

そのあとの家に保護する演出は蛇足?鶏への反応=駆への反応かもしれないけどいらないような・・・


製作者側の勝手なこだわりというものもありますね。
true tears との類似をどのように評価するかは、観客の自由です。
もう一つご意見

12話の駆のセリフに違和感を感じたので自分用に整理
透子は駆の孤独を追体験
道中で「何らかの理由で集まれなかった」雪とやなぎとすれ違う
透子のことを覚えていない
→自分は覚えているけど相手は覚えてない(覚えてもらえない)という孤独感?
駆と合流後、目の前には集まって花火を見る4人。それに混ざる駆
→特別な場所がない透子は「特別な場所」に集まる5人に入ることができない
顔見知りだけど輪に入れない孤独感

白昼夢の中で駆の感じていた孤独を同時に感じている


色々ときになる箇所があり、しこりを残す場合もありますね。
未消化な演出なのか、それとも思い切った演出戦略と評価できるのか?
正解がある訳ではありません。
15回目 1話、12話、13話を改めて視聴しました。

パースペクティブ

Glasslip では作品世界の背景となる基幹的意味を決定する要因として、お母さんの言葉が決定的な役割を果たしていました。仮構世界の特有の意味を規定する要素である「パースペクティブ」という概念については、2015年度アニメ芸術論で取り上げた Madlax について考察した以下の論文を参照してください。

The Annihilation of Genre Axes in Madlax: Amorphous Fiction of Dislocated Perspectives and Archetypes / Fictional Reality 1

https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F23192477%2FThe_Annihilation_of_Genre_Axes_in_Madlax_Amorphous_Fiction_of_Dislocated_Perspectives_and_Archetypes_Fictional_Reality_1


true tears の作品世界としての意味を決定する「パースペクティブ」として、どのような条件が機能していたかを考えてみてもよいでしょう。
『マルドゥックスクランブル』

主題と内容紹介
アニメの博打シーンで考える量子力学と深層心理学の原理
―「卜占」と「共感覚」と「共時性」を原型世界の発想から理解する

麻雀のツモ運を操作することはできるか?
麻雀で言う「場の流れ」とは?
カードや牌はプレイヤーに協調することがあるか?
今日はマンズが味方、昨日はハートに運があったなど
プレイヤーの精神状態のコントロールはツキを呼ぶことができるか?

ゲームをする現在と過去と未来を自覚する意識
因果律的に確定されていない過去とベルグソン的時間論
未来の世界線が無数に分岐してあるように、現在に至る無数の世界線を構成する過去がある
「世界線」を意味あるストーリーとして確定する意識
理性は、因果律として世界像を把握している
無意識は、線として世界像を把握してはいない
「原型世界」では、全ての出来事の組み合わせが可能態として潜在している
知覚と理性の外側の感覚で自らにとっての世界の意味を読み取る術


アニメ「精霊の守り人」における事象と系と賭け
系外と思われる事象をも観察対象に含める
法則性の抽出と隠れた変数の認知
賭けに勝つことが本物の皇帝陛下の資質


アニメ「マルドゥック・スクランブル」における共感覚
エロ・グロ・ナンセンスに隠された教育的要因
汎用生物兵器ウフコックの感じる匂い、恐怖と殺意
ルーン・バロットの感じる「鳥の飛ぶ感じ」、「尖った感じ」、「丸い感じ」
骨董品の真贋を察知する直覚と本物の感触
悪意ある世界と被害者たる自分の間の関係の修復
錬金術の基本原理と科学思想の前提とする世界観
「運が悪いと思ってました」―カードを味方につける心構え

盲目的な神の如く振る舞う人間達
弁護士は依頼人の精神をズタズタにすることによってポイントを稼ごうとする
欲と暴力に精神を乗っ取られて生きる人間達
フェチシズムと殺人衝動と自傷のリビドー
敵対者シェルは、記憶を凍結させて消去する事によって現在を生き続ける
抗争の相手ボイルドは、休息を捨てて破壊行為の中に今を生きる

人に使われて有用性を示すことによってのみ存在を容認される高等知性
理性偏重と男性原理の支配に侵されない人工知性
ネズミとイルカを基体として造った平和な高等知性体
人の姿と人の活動を放棄して暴力の支配から脱して生きる人間達

運命を受け入れて世界と仲良くなる術
ギャンブラーの道は精神修養?不幸と理不尽への対処の仕方
ルーレットのスピナー、ベル・ウィングの見つけた答え
ブラックジャックのディーラー、アシュレイ・ハーヴェストの見つけた答え
主人公ルーン・バロットが学んだ答え
自分の過去を含めて世界を右回りの回転に調整する
ユング の「ヨブへの答え」、神と人の心霊的関係
「マルドゥック・スクランブル」の「答え」
15歳の少女の学んだ謙虚と自制と運命愛
レポート課題

2016アニメ芸術論レポート課題

 アニメ作品 true tears と Glasslip は、いかなる創作戦略に基づくどのような特質を備えた仮構作品であったか。これら2編の類似点と相違点を確認しつつ、演出上の特異性と仮構世界のプレゼンテーションのありかたについて考察せよ。

 あるいはこれら2編のうちの1編について、もしくは他の任意の作品との比較を通して、この主題に対する論考を示すことも可とする。

 もしくはこれら2編の両方あるいはどちらか一方に対して自らの主題設定を通して独自の考察を行うことも可とする。その場合は主題提示を明確に宣言することが望まれる。

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