SF的設定要素を多分に含んだ観念アニメである『エルゴ・プラクシー』は、このエピソードにおいて自然科学的方法論自身を変転させた“自己言及的作品解題”を試みているのである。フィクション世界はSFがそうであると信じられて来たように、必ずしも一個の独立した客観世界として現象世界と同様の完結した形を保持して具現している訳ではなく、作品の本体が意識の主体である観客に対する諸概念の提示という情報伝達形式をとった、様々に変換可能な意味構築の手法そのものであっても良い。各種アルゴリズムを通じて網羅的に様態の変化を現出することが可能な原形概念と変換記述手順の数学的定式化の間にある微妙な関系性は、ダグラス・ホフスタッターが『メタマジック・ゲームズ』(Metamagical Themas)において紹介と批判的論考を行った、ドナルド・クヌースの論文“メタフォントの概念” (Donald Knuth, “The Concept of a Meta-Font”)において提唱されたメタ存在概念の発想と照らし合わせて、“プラクシー”概念と深く関わるものであると思われる。14話「貴方に似た誰か」において出現したプラクシーの正体として、既にこの“メタ存在”に対する示唆が行われていたのであった。原理的には異種の仮構作品相互におけるジャンルを跳躍した変換記述や、任意の概念の全くの別次元界面に属する概念への位相変換の試み等が様々に“共変性”の原理に従って実現されることが可能であることを仮定して、ここでは『エルゴ・プラクシー』のSF的基本設定に相当する部分を“クイズ・ショー”変換した形式で観念伝達がなされる、一つの“ゲーム世界”が提示されていることを過たず理解しておく必要がある。
この後に続く省察17「終わらない戦い」において、我々観客が視聴して確認しつつある変換後のプレゼンテーション・モードを、フィクション世界内の存在であるはずのラウルやデダルス達が人工衛星による中継映像として“SF的”に認知している場面が挿入されることにより、典型的な“メタフィクション”の図式を“フィクション”という次元の制約外に拡張して異次元平面の跳躍的連接を企てるのも、やはり“現実=フィクション連続体”としての“ゲーム世界”提示の手法のアクチュアリズム的展開例の一つとして看為し得ることになる。我々は“SF的リアリティ”と“観念アニメ的アクチュアリティ”の位相のそれぞれのプレゼンテーションの成果を確かに見届けながら、知覚と意味の複合体である“擬似現象世界”としての仮構の実相を過たず受容していかねばならない。
『エルゴ・プラクシー』が純正のSF作品であったならば、プラクシーという存在の誕生や彼等が行った行為の具体的内容の実質的提示が科学的手法に則って正確に遂行されることが、読者/観客によって厳しく要求されねばならないことになるのだが、この作品の関心は、むしろこれらの概念の上に成り立つ“形而上的”思考の模索の方にある。仮構作品が特定の情報を特有の様式と技法に基づいた方式で受け手に伝達することで成り立っている意味世界であるならば、必ずしも現象世界として独立した別世界を一定の角度から瞥見し、記述するという過程を踏襲して描かれなければならない原理的制約がある訳ではない。むしろ厳密な意味におけるSF的設定に属する情報については最低限の枠組みだけ欄外で語っておけばいい、という制作者側の選択した自覚的なスタンスがここには窺われる。人類が地球を捨てて宇宙空間に脱出するのに用いた“ブーメラン・スター号”建造や、荒廃した地球環境との宥和を試みた“人類再生プラクシー・プロジェクト”に関するクイズ番組内での唐突な言及は、そのような意味で『エルゴ・プラクシー』が意味の複合体としての一編の仮構であることを先鋭に意識した、典型的なメタフィクション的記述の思弁的展開の一例であるに違いない。
情報局の局長はリルの帰還を認めて、リルに語る。「移民地区の隔離だけでも大変だったのに、今度は例のADW関連の確認データだけでこれだけあるんだ。愚痴の一つも言いたくなるよ。…厚生局から提出された例のADWによる副作用のデータだ。」リルの上司は秩序を失い混乱に陥ったロムドの惨状を直視することができず、机について“いつも通りの仕事をテキパキとこなしている”つもりになっている。しかし彼の指が弄んでいる机の上には、彼が処理しているつもりの書類は一枚も見当たらない。本人は飽くまでも日常的な現実を見失っていないつもりなのだが、彼の現状は幻想への退行以外の何物でもない。いかにも悲惨な精神の極限状況が描かれた残酷なシーンのようにも見えるが、実は我々の現実世界の日常の大部分が呈しているのは、彼の体現しているものと同様の思考の退行現象に他ならない。大概の役人や会社のおじさん達やほとんど全ての教師どもは、彼と全く同等の行動パターンで毎日を生きている。それが“日常”と呼ばれるものの偽らざる定義なのである。
エルゴ・プラクシーの姿のヴィンセントは、実験室の検体の死骸を確認している。ヴィンセントは、逃亡した検体を殺害したのが自分であることを認める。「モナド・プラクシー。殺したのは俺だ。…だが、何故ここまでする?ドノブ・メイヤー。」検体の死骸は、陵辱に等しい扱いを受けて保管されていたのである。ヴィンセントが殺害した検体は“モナド・プラクシー”であった。その遺骸の収められた容器には、“Proxy No 13”の札が付されている。ヴィンセントの手にあるキーには“�鶸�鶚”のナンバーが刻まれている。そしてもう一つのキーには、“�鵯”のナンバーがある。そこでヴィンセントはもう一人のリル・メイヤーの姿をしたものと出会う。
デダルスは、戻って来たリルにロムドの現状を説明して語る。「ウー厶・シスが沈黙した。ウーム・シスの沈黙の理由は、」/「モナドの、いや、ヴィンセントの不在。」/「それでラウルが、自分たちが変われば必要ないと言い出した訳。それがADW。…簡単に言うと人体改造かな。」局長室のコンピュータ画面上には“ADW: Project Aus Der Wickel”の文字が見えている。Wickel は“襁褓(むつき)”つまり“おしめ”、“おむつ”のことなので、“Aus Der Wickel”は“襁褓より脱して”、すなわち“成長、自立”を意味すると思われる。デダルスはさらにもう一つの重大な秘密を暴露する。「君をここで襲わせたのは、ラウルじゃなかったよ、意外なことにね。」これはお爺さまの愛顧を信じていたリルには信じ難い事実であった。執国にとってリルは、使い捨てのオートレーブ同然の存在だったのである。
執国の謁見室に現れたヴィンセントを迎え入れて、ドノブ・メイヤーのアントラージュ達は告げる。「既に時は果てた。創造主よ。」執国のアントラージュ達は、ドノブの心を代弁してエルゴに語るのである。「執国は愛した。」/「創造主はロムドを創り上げ、我らを生み出した。」/「オートレーブを与え、子をなす力を与えた。」/「執国は憎んだ。」/「我らは何故存在するのか。」/「我らの孤独は何者が癒すのか。」/「何故我らを捨てた。」/「何故愛してはくれなかった。」/「執国は求めた。」/「創造主ではなく。」/「奪った存在。」/「モナド・プラクシーを。」創造主によって人に奉仕をすべく造り出された道具達が今、人の想いを代弁して厳しく創造主を譴責しているのである。世界を構築すべき基礎単位となるものたちを規定する存在物の意義性自体が瓦解している有様であった。ヴィンセントは、ただ涙するばかりの無言の執国ドノブ・メイヤーを殺害してモナドの復讐を果たす。