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アンチ・ファンタシーコミュのH21文学講義[小説]F

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【テーマ・目標】 講座題目:ロマンスとヒーローとアンチ・ファンタシー
 Peter S. Beagleのファンタシー『最後のユニコーン』(The Last Unicorn)を対象にして、“ロマンス”の典型像とファンタシー文学の基幹的特質と思われる思想的側面を再検証し、その常時反転的な意識機構を反映するために新たに設定した、“アンチ・ファンタシー”という概念の適用から得られた様々な位相を考察する
【授業概要】 論文テキスト“アンチ・ファンタシーの中の英雄(ヒーロー)―『最後のユニコーン』のアンチ・ロマンス的諧謔性とファンタシー的憧憬”を読み進めながら、基本的な文学批評と主体的鑑賞に関連すると思われる用語のいくつかを抽出し、これらとファンタシー文学研究の一つの手法として提示されることとなった”アンチ・ファンタシー”という概念との関連について考察していく。
【授業計画】
1回 騎士道と英雄とcourtship(騎士道的求愛好意)の示す意味
探求の旅(quest)と、倒すべき敵あるいは手に入れるべき目的物
2回 パロディと諧謔の思想的意義生
幕間狂言(interlude)と時代錯誤(anachronism)の効果
3回 伝説と神話、怪物と神―日常性との比較
クリシェ(cliche)と陳腐性が語る世界観
4回 現代と現実と意味性喪失の感覚
重ね合わせの原理に基づく複層的に混淆した仮構世界の構造
5回 慣習と惰性ー戯画と風刺
6回 運命性の喪失と断絶の精神世界
悪漢(villain)と悪魔的(satanic)ヒーローの存在意義
7回 ストイシズムと探求の生ー反骨と生の美学
8回 霊的位相とペルソナー人格と神格の存在論的解釈再考
9回 漫画的記述の試みー演劇的台詞回しの応用効果
10回 日常茶飯的行為とリアリティーー世俗性と類型性の描写
11回 アイロニーとサーカズ厶ーロマンスの驚異とバーレスクの併置
12回 “sublime”(崇高)という概念ーファンタシーの思想的特質
13回 正反対の一致(coincidentia oppositorum)ーウロボロスの表象
14回 崇高性喪失の時代ーアンチ・ロマンスの記述の心理
15回 真摯と諧謔ー価値原理の顛倒と脱幻想
【教科書名】 テキスト:Annotated Last Unicorn、近代文芸社
【参考図書】 『アンチ・ファンタシーというファンタシー』、近代文芸社
『アンチ・ファンタシーというファンタシー2』、近代文芸社
【評価方法】 講座において論考を展開した主題に関してその理解を基にした個々の考究を要求するレポート課題を付す。真正の理解を適切な表現を用いて記述した答案のみが評価の対象として認められる。

コメント(26)

 真の英雄像をあえて「反英雄」のキャラクターを通して見てみようとするような反転的意識が、この講座の主題となっています。これと同等の心構えを持った作品や論説などが他にもある筈です、自分でも色々探してみて下さい。この例にあてはまりそうなものを報告してもらえると面白いと思います。このような精神態度は、「反射的意識」と呼ばれるものです。程度の高い文学作品には、様々な形でこの「反射的意識」が反映されていることが多いのです。
 「英雄」の反対語、あるいは「英雄」という概念に対して対立的な位相を占める語句には、いかなるものがあるだろうか。歴史上あるいは仮構作品中の人物像から、典型的な英雄像とされるものを取り上げて、敢えてこれらに対して「反英雄」・「非英雄」等の否定的記述を適用する試行を行い、上で得られた概念との相関について考察してみよ。
 英雄(hero)という概念、イメージに対してThe Last Unicorn とはまた異なった角度からアプローチを行っている優れた仮構作品に、ゲーム「Fate Stay Night」及び「Fate Hollow Ataraxia」があります。本講座進行の途上で、随時これらに対する参照を行う予定ですので、受講者はこれらの作品世界に対する理解を深めておいて下さい。また、その他にもこれと同等の問題意識を備えたと思われる作品がありましたら、ぜひお知らせ下さい。
課題

 本日検証したThe Last Unicornの中の戯画的な一場面である「幕間狂言」の箇所において、「時代錯誤」に該当する語句としていかなるものが指摘し得るか、その効果と本作品のアンチ・ロマンス的主題との相関を指摘してみよ。また、類似の事例を自ら考案し、ミニ・ドラマとしての創作を試みてみよ。講座担当者あるいは他のご立派な先生方の授業風景等を参考にして、風刺的演出の手を加えることも許可する。
「ユニコーンが語っていた、かつてのユニコーンを知る古代の人々が行っていたというユニコーンを目標とした狩の仕方」は、テキストAnnotated Last Unicornの11ページに記載があります。
 ユニコーンの言葉で
“I have been hunted with bells and banners in my time,” ... “Men knew that the only way to hunt me was to make the chase so wondrous that I would come near to see it. And even so I was never once captured.”
 と、語られているのがそれです。
 かつてユニコーンを知っていた人々がユニコーンを狩るのに用いた方法は、現代において支配的であるような実利的なやり方ではなく、狩る対象に対する崇敬の念を備えた、儀式的な形式美を備えたものであったのです。
 この箇所に対する詳しい解説は、ブログFantasy as Antifantasy Daily Lectureの以下のページにあります。
http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/index.php?blogid=1214&archive=2004-10-22
創造的応用課題

 ヒーローとして目覚める以前のリア王子を形容していた「その顔はマシュマロのように柔和で、優し気でした。」の箇所において、独特の比喩表現として用いられていた「マシュマロ」に代替して、これと同等の好意的であるが揶揄的、あるいは敵対的かつ揶揄的表現を、食品名の選択に留意して描写される具体的対象人物の造形と共に示せ。もしくはこれに準じた食品あるいは他の品目を活かした新機軸の比喩表現の作例を、さらなる応用手順の重複結果として提示せよ。
 本講座においては、ハガード王とリア王子の人物像を対照するに当たって、「霊的位格」という概念が導入されていた。「知能」とか「体力」とか「技術」とかいうような評価基準とは異なる「霊的位格」などというものが存在し得るとするならば、それは具体的にどのような界面あるいは側面においてその内実を顕現し得るものであろうか。考え得る種々の状況と当該する人物像を想定して、この概念に対する立体的把握を試みよ。また、このような位階的評価は、既存のいかなる組織あるいは体系の階層構造と類似あるいは相違していると考えられるか、様々の例を参照して考察を試みよ。
 マンガ等でしばしば用いられる「説明セリフ」を、仮構世界提示手法の可能性拡張試行として積極的に評価してみよ。シェイクスピア劇等に効果的に導入されている「演劇的台詞回し」の例を参考にして、マンガやアニメ作品の中で活用された、作品の基軸を形成する登場人物の属性や状況設定等を会話を通して提示してみせた場面を指摘し、観念的仮構世界構築に寄与する要素の内実を検証せよ。
演劇的応用課題

 伝説の世界の驚異的存在を世俗的日常性に引き落として語る皮肉なシーンとして、ドラゴンを倒した英雄がジャガイモの皮むきを手伝いながら、料理番に冒険の結果を報告している姿が語られていたことを参考にして、これと等質の修辞技法を用いた独自のシチュエーションに基づく新規の文飾表現を創出して、本講座に対する嘲笑あるいは偽善的社会通念に対する阿諛追従の身振りを演じなさい。
 観念的であることが常に高尚で、即物的である事がいつも低劣である訳では決してない。筋悪の思考や教育や記述は、しばしば観念的な発想を抽出すべき部分において即物的な理解に失墜し、即物的な感興をこそ享受すべき部分において観念的硬直に陥るものであることを心しておくことが重要である。上の指摘を例示すると思われる超出した記述と表現を、『最後のユニコーン』から抜き出して指摘してみよ。さらに他の仮構作品あるいは現実世界における事例から、同様の模範例もしくは反転的な悪例を指摘する手法を模索してみよ。
 現実生活がつまらないと感じられたり、現代世界の人間の生き方がどこか間違っていると思われたりすることの要因を、「産業資本主義」という体制の持つ特質と社会に及ぼす具体的影響を確認することによって再検証してみよ。そこからファンタシーの希求する理想と願望の実質が改めて理解されることになるはずである。しかる後、その願望と理想とするところがどこまで妥当であり得るのか、あるいはその想念自体が重大な欠陥を指摘し得るものであるのかを考えてみよ。さらにまた、この産業資本主義自体がどこまで自立的に存続し得る永続的なシステムであるのか、あるいはそうではあり得ない重大な問題点を擁するものであるのかについて再考察してみよ。
 現実生活を取り巻く様々な事象の中で、嫌なことやうざいものの全てを産業資本主義に関連する具体的事例として概念化し、攻撃する試行を行ってみよ。満足のいかないものに対して全て他人のせいにして立腹するのは、ある意味健全な精神作用ではある。さらにこれらの不満足要素を根本的に消去し、空隙を種々の代替的要素に置き換えた仮想世界を構築する操作を行ってみると、低質なファンタシーの定型を容易に得ることができる。しばしば教育が歪んだものであったり、道徳がどこかずれたものであったりするように、ファンタシーもまた時として低劣で愚妹な様態を取る事があり得るのである。このような反省的検証の手を加えても、なおかつ有意義な存在価値を主張することのできるファンタシーの実質を正しく評価する必要がある、
今日は豚関係の言葉で、pig とbacon とswineを紹介しましたが、実はもう一つ、「豚」をあらわす英語の単語があります。これもベーコンと同じように実在の人名に用いられているものです。ヒントは、「エトリック・シェパード」とあだ名されている詩人。
今日は豚関係の言葉で、pig とbacon とswineを紹介しましたが、実はもう一つ、「豚」をあらわす英語の単語があります。これもベーコンと同じように実在の人名に用いられているものです。ヒントは、「エトリック・シェパード」とあだ名されている詩人。
 上の書き込みは、涼宮ハルヒの暴走のお陰でループしちゃってたみたいです。キョンよ、なんとかしてくれ。
 「フィードバック系」にあるような系の持つ繰り返しの循環機構である「ループ構造」は、内部にある微細な偏差の増幅をもたらし、突発的変動を誘発することから、この世界を支えるはずのコスモス的安定を破壊し、カオス的混乱を引き起こす要因となり得ることが指摘されています。また一方、円環的に反復する循環構造は、変化と安定の双方を融合させる静的でありかつ又動的構造体でもある二律背反的システム原理であることから、現実の生を支配する様々な難問の弁証法的解法を暗示する特殊な構造体として、神秘思想の根本理念を構築してきたものでもあります。しかしニーチェは「永劫回帰」という呼称を与え、これを宇宙の示すであろう考え得る限りの絶望的実質の規範モデルと見なし、実存的意思を試す非情な概念的対象物として敢えて掲げたのでありました。システム理論的に悪意ある迷宮であるのか、あるいは聖なる構造体であるのか、「ループ」は様々な相反する様相を選んで意識体の眼前に具現化するもののようです。
文学講義レポート課題

 “アンチ・ファンタシー”というファンタシー文学理解のために設定したキーワードの内実を理解するに当たって、本講座において具体的検証を行った“アンチ・ロマンス”の事例が、テキストThe Last Unicornにおいてはいかなる様相を呈して現れていたかを述べよ。ミクシイのトピックの記載あるいは講座進行の途上において講座担当者が提示した折々の“課題”を適宜応用して自らの理解するところを語りなさい。

 レポートはmanaba folioの所定のレポート欄に9月末日までに送信することとする。
 遂にキョンがやりました。延々続く8月17日から8月31日までの繰り返し。永劫回帰の呪縛を振りほどいたのは、キョンの夏休みの課題共同作業の提案でした。15,532回目にして、堂々巡りの2週間のループは断ち切られることになりました。南北問題とか地球温暖化とかエネルギー危機とか、高齢者保護とかワーキングプアとか、矮小な限りの下らぬ問題が人間界に限ってはさも重々しく論議されてはいるものの、宇宙規模の時空と外延次元にまでまたがる重大事を解決する最重要事項は、やはり夏休みの課題にあったのでした。ニーチェもツアラトゥストラも仏陀もラーも、さぞかし深い感銘を受けていることでしょう。さすがハルヒ、さすがキョン!
後期初日

 これまで裏返しのファンタシーの傑作『最後のユニコーン』を、アンチ・ロマンスとしての印象的な特質に焦点を当てて考察してきましたが、後期初回の今日は、『最後のユニコーン』の「コーダ」として書かれた後日談TWO HEARTSにおける、英雄リア王のアンチ・ヒーロー的描写に注目することにより、『最後のユニコーン』の主題性に別な角度から迫ってみたいと思います。老いることを知らないユニコーンに対して、「老いた」英雄リアが最後にどのような姿を見せるかがとても興味深いものとなっています。

Two Hearts

… “No, we couldn’t. We don’t know how things are.” She looked sad about it, but she looked firm, too. She said, “Girl, it’s not you worries me. The king is a good man, and an old friend, but it has been a long time, and kings change. Even more than other people, kings change.”

His name was Schmendrick, which I still think is the funniest name I’ve heard in my life. The woman’s name was Molly Grue. We didn’t leave right away, because of the horses, but made camp where we were instead. I was waiting for the man, Schmendrick, to do it by magic, but he only built a fire, set out their blankets, and drew water from the stream like anyone else, while she hobbled the horses and put them to graze. I gathered firewood.
The woman, Molly, told me that the king’s name was Lir, and that they had known him when he was a very young man, before he became king. “He is a true hero,” she said, “a dragon slayer, a giant-killer, a rescuer of maidens, a solver of impossible riddles. He may be the greatest hero of all, because he’s a good man as well. They aren’t always.”

“But you didn’t want me to meet him,” I said. “Why was that?”
Molly sighed. We were sitting under a tree, watching the sun go down, and she was brushing things out of my hair. She said, “He’s old now. Schmendrick has trouble with time – I’ll tell you why one day, it’s a long story – and he doesn’t understand that Lir may no longer be the man he was. It could be a sad reunion.”
上の続き

I twisted my neck around to look up at him. “Do you think King Lir will come back with me and kill that griffin? I think Molly thinks he won’t, because he’s so old.” I hadn’t known I was worried about that until I actually said it.
“Why, of course he will, girl.” Schmendrick winked at me again. “He never could resist the plea of a maiden in distress, the more difficult and dangerous the deed, the better. If he did not spur to your village’s aid himself at the first call, it was surely because he was engaged on some other heroic venture. I’m as certain as I can be that as soon as you make your request – remember to curtsey properly – he’ll snatch up his great sword and spear, whisk you up to his saddlebow, and be off after your griffin with the road smoking behind him. Young or old, that’s always been his way.”

“And who may this princess be?” he asked, looking straight at me. He had the proper voice for a king, deep and strong, but not frightening, not mean. I tried to tell him my name, but I couldn’t make a sound, so he actually knelt on one knee in front of me, and he took my hand. He said, “I have often been of some use to princesses in distress. Command me.”

…and he said, “Lisene? Lisene, I should have a bath, shouldn’t I?”
I didn’t cry. Molly didn’t cry. Schmendrick did. He said, “No, Majesty. No, you do not need bathing, truly.”
King Lir looked puzzled. “But I smell bad, Lisene. I think I must have wet myself.” He reached for my hand and held it so hard. “Little one,” he said. “Little one, I know you. Do not be ashamed of me because I am old.”

I didn’t notice the unicorn. Molly must have, but she didn’t say anything. I went on petting Malka, and I didn’t look up until the horn came slanting over my shoulder. Close to, you could see blood drying in the shining spiral, but I wasn’t afraid. I wasn’t anything. Then the horn touched Malka, very lightly, right where I was stroking her, and Malka opened her eyes.

…It looked at me for the first time, past the horn and the hooves and the magical whiteness, all the way into those endless eyes. And what they did, somehow, the unicorn’s eyes, was to free me from the griffin’s eyes. Because the awfulness of what I’d seen there didn’t go away when the griffin died, not even when Malka came alive again.
アンチ・ヒーローと矛盾撞着

 冒険を行うものとその冒険を詩に歌うものは、行為者とその観察者の場合を例にとると明らかなように、原理的に別人格のそれぞれが受け持つべき異なった役割である。自らの英雄的行為を伝説として歌い上げ、偽りの歴史を捏造しようとする行為は、いかさまの英雄キャプテン・カリーの滑稽な姿に描かれているように、笑劇的な矛盾の暴露にしかならない。ところが真の英雄としてユニコーンの眼前でアンチ・ヒーローを演じるという試練をくぐり抜けたリア王子は、カリーの場合とは対照的に、行為者と記述者という相矛盾する双方の役割を兼ね備えるという論理矛盾を体現することにより、アンチ・ヒーローとして自らの存在性の無化を具現化することにより、むしろヒーローとしてのペルソナのアンチ・ロマンス的昇華を達成するのである。
 かつて英雄が英雄たりえた時代の実相は、実はおそらく甚だしく荒涼とした、殺伐としたものでしか無かったに違いない。盲信的崇拝を捨てて揶揄的に英雄像を語ることができるだけの文化的立体性を備えた知的背景があってこそ、ロマンスの秘める意義生はむしろその内実をより豊かに主張することとなる。

 現代の優れた仮構作品は、いずれも何らかの意味において上に挙げたような反射的物語像/英雄像を具現化したものとなっていることが指摘され得るだろう。既存の神話やロマンスの中に潜在的可能性としては確かにあった筈ではありながら、未だ未開拓の重要な仮構世界構築要素となるべき特質を掘削することを企図したのが、ファンタシーの裏の目的であったとさえ語ることもできよう。例えば「Fate stay night」の衛宮士郎は、どのような点で反英雄の条件を満たしていたであろうか?あるいは「化物語」の阿良々木暦は、いかなる特質において反英雄としての資格を獲得していたか?また「けいおん」のゆいは、どのように典型的ヒロイン像を逸脱することによってこの何ら重大な事件の起こらない仮構世界の基軸を支えていたか?
 巧みな位相変換を施されたこのアンチ・ファンタシーにおける英雄像は、模範的なロマンス的英雄行為の放棄という極めて重大なメタフィクション的試練を経た後、初めてその予言を招き寄せる資格を獲得することとなる。主人公ユニコーンの保持していた存在性向と照応するものを、リア王子が固有の存在性向としてようやく身に付けることになるのである。

 上に「模範的なロマンス的英雄行為の放棄」として指摘された「メタフィクション的試練」とは、具体的にどのようなことであったか。それがいかなる特質あるいは様相において「メタフィクション的」であると捉えられねばならなっかたかに留意して、答えよ。
対象離反性

 自らの記述しつつある対象に対して、冷淡で突き放したようなそっけない態度で接するアイロニカルな気質を「対象離反性」という言葉を用いて指摘した訳であったが、この醒めた意識が忌避する「対象癒着性」とはいかなる欠点を持ち、弊害をもたらすものと考えられるか。その実例を日常生活あるいは歴史上の出来事もしくは仮構作品世界の中から渉猟してみなさい。
「化物語」と楽屋落ちとメタフィクション

 『化物語』13話で戦場ケ原ひたぎが、「私の声をやっている齋藤知和さんは、、、」という台詞を語っているように、舞台(フィクション)の上の人物が楽屋(舞台やフィクション作品を構築する背後の現実)のことを参照しているというのが、典型的な「楽屋落ち」でした。これは、フィクション世界そのものが自身がフィクションであることを自覚している、という特有の構図として捉えてみれば、「メタフィクション」と呼ばれるフィクションの中にある興味深いシステム構造性として理解されます。これはクルト・ゲーデルがの「ゲーデルの定理」で示したように、論理の系が系としてのそれ自身についていかに正しく語り得るか、という「自己言及」の論理構造と深く関わる主題として、一昔前には結構流行っていた話題だったのです。
 ところで『最後のユニコーン』において顕著な、作品の中のキャラクターが自分がフィクション世界の中で作者によって書かれた、あるいは読者によって読まれつつある一つの抽象的造形物であることを明確に言明するような自己言及性については、黒田は『アンチファンタシーというファンタシー』(2005年)の中で「代表的なポスト・モダニズム的メタフィクションの戦略である、作中人物自身が自分がこの作品世界の一登場人物であることを語る、という仕掛けをファンタシーの中に導入した先駆者がピーター・ビーグルなのである。」(p. 18)と無謀にも決めつけていますが、これは実はさらに以前の真の先駆者の存在が果たしてあるかどうかを検証するのは不可能に近い困難な作業になることでありましょう。つまりこういう話題は言っちゃったもの勝ちで、もしも誰かが「いや、もっと以前のこの作品に先例があるぞ」などと反証してくれれば、むしろ面白くなるといった代物の指摘なのです。ところが面白いことに、ビーグルの後援者であり親友でもあるConner Cochran氏も、ビーグルとの対談の中で黒田と同様の指摘を行っているのでした。これは星雲賞を受賞した"Two Hearts"を収録したThe Last Unicorn Deluxe Edition (2007年)に収録されている"A Conversation with Peter S. Beagle"において確認することができます。以下に該当部分を引用してみましょう。

You had also succeeded in your goal of making the book both a fairy tale and a parody of the form, which had to be even confusing. That was six years before William Goldman's The Princess Bride pulled off the same trick. Nobody was talking about "metafiction" then -- fiction about fiction, fiction playing with the form and making self-referential commentary. In fact, the three books most often credited with officially launching metafiction as a critically-recognized form, instead of the occasional tricksy sport -- John Barth's Lost in the Funhouse, Robert Coover's The Baby-sitter, and William H. Gass's Willie Master's Lonesome Wife -- all came out slightly after The Last Unicorn. (p. 271)
文学講義 「化物語」のずれた評論

 前回の講義で指摘した朝日新聞掲載のどこか勘違いした紹介文は、以下のアドレスで公開されていました。
間違いを訂正して下さい。

http://book.asahi.com/bestseller/TKY200911120223.html
 『最後のユニコーン』の最も特徴的な「漫画的場面」は、アニメでは映像化されていない。

 The witch’s stagnant eyes blazed up so savagely bright that a ragged company of luna moths, off to a night’s revel, fluttered straight into them and sizzled into snowy ashes.
                                p. 36

 魔女のよどんだ目はあまりにも凄まじい輝きを放って燃え上がったの
で、夜の酒盛りに出掛けるところであったオオミズアオの一行は、そ
の目の中にまっしぐらに飛び込んで、しゅっと音を立てて雪のような
灰になってしまいました。

*********************************************************
 A few grains of sand rustled down Mommy Fortuna’s cheek as she stared at the unicorn. All witches weep like that.
                               p. 37

砂粒がいくつかユニコーンを見つめるマミー・フォルチュナの頬を転
がり落ちました。魔女が泣く時には砂の涙を流すのです。

 原作の主題的特性を存分に活かして入念な映像表現の工夫を凝らして作成されたアニメーション版『最後のユニコーン』では、映像的に最も印象的であろうと思われる上の二つの漫画的場面は、見事に省略されてしまっていたのでした。これは大変賢明な判断であるといえましょう。文章表現における「映像的効果」は、実は容易く映像化できるような代物ではないからです。この場合と同様の実例、あるいは例外的事例を『最後のユニコーン』において、あるいは他の原作と映像化作品の場合において等、様々に渉猟してみるとおもしろいでしょう。

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