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オホーツク文化の会コミュのニヴフの話

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本来ならNivkhコミュにでも書いた方が良いのでしょうけれどもこちらに作成。

ニヴフとは「ニヴヒ」「ニグヴン」とも表記されているアムール川下流域から樺太にかけて暮している少数民族の1つ。
かつては「ギリヤーク」とロシアや近隣民族から呼ばれており、中国の史書では「乞烈迷」「乞里迷」「吉里迷」と書かれ、アイヌからは「スレメングル」と呼ばれた。
主に漁労生活でサケ類、海獣狩猟でアザラシ類を獲っており、アイヌや沿海州の民族同様のクマ送り(祭)を行っていた。
他トピックでも触れたかも知れないが、かつて北海道の日本海からオホーツク海にかけて活動していたオホーツク文化人の担い手だったのではないか、とされている。

第二次世界大戦で南樺太のオタスという地に、ウィルタなどの少数民族とともに集住していたが、終戦後に日本国籍を持っていた人は日本に移住して暮している。
しかし、1966年時点では5家族確認されていたが、現在はウィルタ同様ニヴフを名乗っておられる方は日本において誰もおられない。
ロシア側では1979年時点で約4400人暮しておられる事が確認されている。

ニヴフの話についてはロシア革命前にシュテンベルクが、日本側は戦前は服部健、山本祐弘が収集してきた。
戦後は日本の研究者をたよりにアメリカのアウステリッツがニヴフ出身の中村チヨから聞き取りを行った。
網走の米村喜男衛も中村チヨからの調査を行い、その話を参考にしてモヨロ貝塚に「トルフ」半地下式住居を作成した。

現在はロシア側はニヴフ出身の民族作家のサンギが口承文芸をもとにした作品を発表しているという。

コメント(3)

「水の母の息子」

男がひとりぼっちで暮しており、海から上がってきた魚を妻にした。
妻の名は「水の母」と言った。男の子が生まれ、やがて大きくなった。
この息子は刀を持ち歩き、春にはしょっちゅうこの刀で熊を打ち頭に切りつけて殺していた。

ある時の事、1人のお爺さんが凍った魚を獲りに小川を遡って行くと、板の上に年寄りが1人座って、凍った魚を食べていた。
その年寄りが、「一緒にわしの村へ行こうじゃないか」というので、出掛けて行った。
その男の小屋に入ると、脇の高床の上に大きな男が1人、頭を入口の方に向けて寝ており、顔の半分に包帯をしている男がこう言った。
「水の母の息子に伝えてくれ。俺が使いをやったんだ。来年の春、ニシンがやってくる頃、俺は山を降りるから、槍を持って待っていろとな」
お爺さんは山を降りると、この事を水の母の息子に伝えた。すると息子は来る日も来る日も刀を研ぎ続けた。

次の年の春のこと、顔の半分に包帯をした男が海の方に降りていくと、砂浜に鯨があがっていた。
そこへ水の母の息子がやってきた。熊が襲い掛かると水の母の息子は飛びのいて刀を抜こうとしたが、刀がいうことをきかなかった。
それでありったけの力を振り絞って飛び掛り、熊の首を締めに掛かった。
そして互いに相手の息の根を止めてしまったんだ。
熊が上になって死に、水の母の息子が下になって死んだ。


シュテンベルク採録 樺太東海岸
齋藤君子編訳『シベリア民話集』1988 岩波書店

齋藤君子の解説
ここに登場する刀というのは日本刀のことで、熊を打つのに伝統的な狩猟用具である槍を用いず、日本刀を用いたことが熊の怒りを買うのである。
主人公と熊が浜にあがっている鯨のそばで果し合いをして、重なり合って死ぬのは採録者シュテンベルクによれば、偶然ではない。病気で弱って浜に打ち上げられて死んだ鯨を食べて村中の人が死ぬという不幸な出来事が現実にあり、そういう悲惨な光景がこの話の結末の背景にあると考えられるという。
また、シュテンベルクには、この話の語り手がアイヌと隣り合わせで暮しているニヴフであること、主人公が水の母と呼ばれる魚を母としていることを挙げ、これは父系をたどるニヴフの話ではなく、母系をたどるアイヌに起源を発する話ではないかとしている。

私の感想
取りあえず、最初の男がニヴフで水の母はアイヌ、包帯をした男はもしかすると、水の母の息子の刀によって手負いにされた怒れる熊だったのかも知れません。
話の中盤に出てくるお爺さんとお年寄りが、何を象徴しているのか分かり辛いです。
このお話、詳細な内容が荻原眞子『北方諸民族の世界観』に書かれていました。
後日こちらの方もアップします。
「ニヴフの創生期(原題:ギリヤークの創生期)」

ニヴフは泥柳(デドレモーニ)から生まれた(造られた)と言っている。
タヤガント(世の中を造った神様)は泥柳からタラリ、タラリとたれる樹脂(ヌード)をとって7つにまるめ、7人の人間を造ったが、この人たちは頭のはげた人たちでパラフシント(山の神様の名前)と称して、次にまた7人の人間を造ったが、これは目のクシャクシャした人たちで、これを海の神様とした。
これが今日の人たちの祖先となったとの事。

米村喜男衛 採録(一部修正)

『オロッコ・ギリヤーク民俗調査報告書』1974 北海道教育庁振興部文化課 北海道教育委員会

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