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キャッチアズキャッチキャンコミュのキャッチレスラーの画像

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19世紀から現在まで、キャッチ・レスラーの画像をバンバンアップしていきます。
中には「こいつもキャッチレスラーかよ!」というレスラーも含まれますが、それは管理人の趣味なのでご勘弁下さい。

皆さんも、思い入れのあるレスラーの良い画像がありましたら、どんどんアップして下さい。

コメント(16)

nasaさん、どうも。
残念ながら画像はありませんが(画像があっても張り付ける事ができない)、私はハンス・シュタインケを押します。
かつて沖識名が、インタビュ−で最強のレスラ−は誰か?の問いに「ハンス・シュタインケだ」と答えており、また当時(30年以上前)のレトロ系の企画に、最強のレスラ−として「ハンス・シュタインケ」の名前が挙がっており、以来このレスラ−の事が気になっております。

ps.
ドン・レオ・ジョナサンをアップして頂いて、ありがとうございます。     
水森亜土、サンテルさん

もし宜しければですが、このジョナサンの画像をプロフィール画像にお使いになりませんか。
結構画質は良いので、そのままコピーすれば充分アップに耐えられると思います(笑)。

シュタインケ、画像がありますので、いずれアップさせて頂きます。

 蠍座
nasaさん、どうも。

シュタインケは、ロ−ランド・ボック(シュツットガルトで猪木と対戦した時の)の様なレスラ−だった気がします。
シュタインケの画像、楽しみにしております。

ps.
ジョナサンに対するお心遣い、ありがとうございます。
ただ、残念な事に私は画像をアップする事ができません。
せっかくのお心遣いを申しわけありません。     
水森亜土サンテルさん

いつもお世話になります。

シュタインケ画像、8に貼り付けた画像がまさしくシュタインケです(笑)。
書き方がまずかったですね。

 蠍座
nasaさん、どうも。
昨日スピリッツ購入しました。
期待を上回る良作で、間違いなく今年のベスト1ですね。
nasaさん、お疲れ様です。 素晴らしい作品をありがとうございます。

ところで、nasaさんが最初に挙げられた画像のレスラ−は、アル・カラシックだったのですね。
カラシックが、元レスラ−というのは知っておりましたが、この写真を見ると「シュ−トに長けた実力者」というのが分かりますね。
この様な人物だからこそ、木村政彦氏を受け入れたのでしょうし(オ−クランドにはアド・サンテルもいた)。
当時の米マットには、この稀代の柔道家を受け入れる土壌も充分にあったし、相手にも恵まれていた。
勿論不本意な要求をされる事も多々あったでしょうが、当時の海外マットが、木村政彦氏にとっては「闘いの場」であり、また居心地の良い空間だった様に思えます。  
水森亜土・サンテルさん

Gスピリッツ、ご購読、ご感想、有難うございます。
今後も精進致します。

アル・カラシックは、これも拙稿木村記事に登場するベン・シャーマンや、南アフリカでビリー・ライレーを破ったことのあるボブ・マイヤースと同じ、オレゴン州にあった「マルトノマ」(Multnomah)というレスリングジムの出身です。
もちろんアマチュアレスリングのジムですが、その後のシャーマンの活躍などから推測すると、かなり高度なサブミッションの指導を受けていたのではないか、と思われます。
このジムでは、ジョー・アクトンという19世紀のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの高名なレスラーが指導していたようです。
以前Gスピリッツでマルトノマで指導していたのは、同姓同名の別人と書いたことがありましたが、そらきちさんの調査で同一人物で間違いないことが判明しました。

 蠍座
アド・サンテルの、かなりコンディションの良い写真を入手しましたので、久しぶりにアップ致します。

サンテルの主な来歴は以下の通りです。

本名:アドルフ・アーンスト・サンテル(Adolph Ernst Santel)
1887年4月7日ドイツ・ドレスデンで生まれる。
1907年、アメリカに入国、直後よりアドルフ・アーンストの名でプロレスラーとなり、チャーリー・カトラーらとともに巡業を行う。
1911年、フランク・ゴッチとの再戦のために渡米したジョージ・ハッケンシュミットのトレーニングパートナーを務める。一説にはこの時にゴッチ・サイドの依頼を受け、スパーリング中にハッケンシュミットの足を負傷させたというが、真偽の程は不明。ただしハッケンシュミットは後年、サンテルの実力を高く評価していた。
1912年、ウィリアム・デメトラルを破り、世界ライトヘビー級王座獲得する。
1915年、サンフランシスコにおいて帝国尚武会の野口潜龍軒と柔道ジャケットマッチで対戦し、勝利を収める。以後アメリカにおいて講道館の伊藤徳五郎、不遷流の三宅多留次ら多くの日本人柔道家、柔術家と対戦、自ら「柔道世界王者」を称する。
1921年、トレーニングパートナーのヘンリー・ウェーバーとともに来日。東京・靖国神社その他で庄司彦男、永田礼次郎ら柔道家と対戦。無敗のまま帰国の途に着く。
1936年、世界王者になる直前のルー・テーズに“フック”技を伝授する。
1960年頃まで、カリフォルニア州オークランドでプロモーターを務める。
1966年11月10日、オークランドで死去。享年79歳。
nasaさん、ご無沙汰しております。
サンテルの詳細なリポをありがとうございます。

欧州出身なので、元々はグレコ出身なのか、それとも欧州時代にキャッチの洗礼を受けたのでしょうか。
チャ−リ−・カトラ−との巡業が縁で、フランク・ゴッチと繋がりができたのでしょうね。

謎多きサンテルのレスラ−人生、今後のリポに期待しております。     
水森亜土サンテルさん、

こちらこそご無沙汰しております。

彼のレスリング歴は判然としませんが、アメリカに到着してすぐにプロレスラーとしての記録があることからすれば、ドイツですでにレスリングの下地はできていたのでしょう。

サンテルについては資料も大分集りましたので、いずれ何かしらの形でご覧頂けるように致します。

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