ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

寺田ヒロオコミュの寺田ヒロオの奥様

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
書き込むのは初めてです。らくだと申します。リアルタイムで「背番号ゼロ」「スポーツマン金太郎」「カメラマン金太郎」なんかを読んでました。

昨日コンビニで立ち読みした「愛しりそめし頃に」で、寺田ヒロオの結婚式のお話が出てきましたが、奥様が中村八大の妹だったなんて! 全然知りませんでした。中村八大も大好きな作曲家でしたから、本当に驚きました。

コメント(14)

えーどういう馴れ初めだったんでしょうねぇ…。
全然知りませんでした。

何でも良いから話題が欲しいですよね。

寺田先生の遺志を継いでくれるような漫画家は登場してくれないものでしょうか?

※「カメラマン金太郎」って…どんなお話だったのでしょうか?気になりますねぇ…(笑)
つのだじろう氏の弟がつのだひろだったのを知った時も驚きましたがね(^^)。

寺田氏の遺志を‥‥ってのはなかなか難しいかも知れませんが、ちばあきお氏の漫画はちょびっと雰囲気が似てる感じもして、好きでした。お亡くなりになっちゃいましたが‥‥。

「カメラマン金太郎」は‥‥ここでもあまり話題にのぼりませんよね? 覚えている方いらっしゃいませんか? スポーツマン金太郎と同じようにいつもでっかい熊さんが同行してるんですよね。

んで、新聞社に勤めてて、記者をしてるんですよ〜。おそらく少年画報に連載されてたんじゃなかったかな?
寺田ヒロオの奥様は、大の猫好き。
もちろん寺田ヒロオ自身も猫が大好きで、いつも何匹か家にいるそうです。

「カメラマン金太郎」思い出しました。
何時もの熊さんと事件現場へ行き、事件まで解決しちゃう凄腕記者だった気がします。
凶悪そうな犯人も、人間味があり最後は良心が戻り改心するような優しさがありました。
>つのだじろうVSつのだ☆ひろ

雅も昔は「えー全然似てない!」とか思っていたのですが、☆ひろ氏がアフロヘアをばっさり落とされた時、
『わ〜クリソツ!!』
と、爆笑してしまいました!(爆)

当時どうしても『恐怖新聞』と『メリー・ジェーン』のギャップが埋まりませんでした!(笑)

実は雅も昔は漫画家を夢見ていたのですが。
寺田先生の作品に触れた時、
『自分の理想の全てはここにある!』
と、すっかり満足してしまい、完全に趣味の世界となってしまいました。

が、しかし。近年になって森本サンゴ先生の作品に触れた時、
『嗚呼。こんな展開もありか?』
と新たな可能性も発見しました。

もしかしたら…また。絵筆を手に取るかもしれません…
 寺田さんと旺子さんはときわ荘仲間のアニメーション作家、鈴木伸一郎氏(「オバQ」のラーメン好きの小池さんのモデルらしいです)が上京時に下宿させてもらってた師匠である似顔絵漫画家の中村伊助氏の紹介でご結婚されたようですね。
 やっぱり漫画家同士、みんな助け合い、仲良かったんだなあと思ってしまいますね。
寺田さんも石ノ森章太郎さんに「みんなのために生きていた人」と後になっても感謝されてましたし・・・・・と、寺田さんとときわ荘に思いを馳せてしまいますね。
●雅さん
その昔、ナベサダのステージを見に行った時、つのだひろがドラムを叩いていました。当時私も若きドラマーでして、ジャズの世界では珍しい長髪のつのだひろを憶えていました。それから数年後ですね、メリージェェエン〜なんつって売れたのは(^^)。この人には2度ビックリした訳です(^^)。

●アル・ウィーラーさん
 >上京時に下宿させてもらってた師匠である似顔絵漫画家の中村伊助氏の紹介でご結婚されたようですね。

この中村さんは‥‥八大さんの親族ではないのですよね? 寺田氏はすっかり漫画の世界から足を洗った?かの様にイメージしていましたが、八大さんとか当然お付き合いはあった訳ですよね? 漫画を書かなくなってからはどんな生活だったのでしょう? ちょっとだけ興味があります‥‥。
筆を折り、茅ヶ崎に移り住んでからは、やはり少年誌に希望が持てずに厭世的だったようですが、奥さんの旺子さんが献身的に支えられたようですね。
>らくだ殿

ナベサダバンドの頃と云うと…70年前後くらいですか?
いやあ〜羨ましい!!

☆ひろ氏が仰るには。御自身の演奏には非常にムラがあるため、バンドの事を想い、自ら身を引かれたそうです。

japs gapsの頃が最高だったと雅は思っております。

そんな雅は。実は筆を折った後(笑)、関西ふぉーくまっしぐら!(笑)先日も地元のlive houseで唄いまくり、健在ぶりを示したのでありました。

小中学生の頃。手紙等で作品の講評をして頂いたり、少年画報復刻の際には御連絡頂いたり。気にかけて頂いていたのに…何も御恩返しが出来なかったのが心残りです。

せめてこの場で。少しでも寺田先生のひととなりを語れればと思っております。

宜しくお願い致します!
上記のこと、前に何かの本で読んだ寺田さんの晩年の話を覚えていたので少し書いたのですが、何の本だか思い出しました。
川本三郎氏の「今日はお墓参り」という本でした。

この本の最初の章が寺田さんの話なのですが、川本氏が奥さんと友人だった劇画家兼作家の棚下輝生氏(ボンカレーの松山容子の夫)に取材してます。
晩年は酒びたりで仕事ができず、寺田さんは自分を世捨て人だとよく言われていたそうです。
川本氏は、「背番号0」や「スポーツマン金太郎」の印象とはまるで結びつかない、まるで無頼派の作家のような死に方と語り、
藤子不二雄A氏は「あれは病死、というより緩慢な自殺というんでしょうね」と語っています。
この藤子氏の見方は身近にいた奥さんも認めていて、酒が原因で体を悪くされてもどれだけ言っても病院に行かず、その時、この人は死にたいんだと思われたそうです。
危篤の時、先に死んだ愛猫エルザのところへ行きたいの、と病床で聞くとかすかに寺田さんは頷かれたそうです。
奥さんはちょっと前にお兄さんの八大さんも亡くされたばかりだったのもあって、やはりかなりお辛かったそうです。
筆を折られたことについて、少年誌への想いが挫かれたという見方が多い中、友人だった棚下氏は、描くことがもうなくなってしまったんだ、それまで走ってきたレールがプツリと切れてしまったんだ、自分も同じ作家だからわかる、と語っています。

久々にこの本の寺田さんのとこを読み直してみて、寺田さんの晩年の絶望の深さを改めて思ってしまいましたね。
 寺田さんの最後に最も尽力された仕事である、廃刊になった「漫画少年」を探し集めた「漫画少年史」の発刊への情熱など、寺田さんにとってはある時期から汚れていくようにしか見えなかった少年誌がまだ美しかった頃の作品を自分の最後の仕事=使命として辿り直して後世に残そうとされてるようで、なんとも改めて胸を打たれる思いです・・・・。
 


 
●雅さん
>ナベサダバンドの頃と云うと…70年前後くらいですか?
はい。その頃だったと思います。高校生でした(^^)。

>関西ふぉーくまっしぐら!
はは、同じですね。先月は、中川五郎や赤い風船、なぎらさんのステージを見て青春してきました\(^O^)/。

●アル・ウィーラーさん
情報ありがとうございます。さっそくその本をみつけて見ようと思います。このコミュって静かでしたが、こんな情報を得てうれしいです。
そうですか…
何か。淋しい晩年だったのかなという印象ではあったのですが…

でも雅は。寺田先生の作品にこの上無い安らぎを頂きました。
現在もそのタッチはこの身体に残っております。

せいぜい自身のlive flyerのイラスト・レベルですが(笑)、僅かでもそのタッチを遺していけたらと思っております。

超楽観主義の雅でした!
『あれは自殺だった』発言…
見方によっては、そう考えられなくは無いけど、いわゆる世間で言う自殺とは違います。

晩年のテラさんは、極度な医者嫌いでした。
どんなに体調が悪くなっても、奥様や兄弟が何度説得しても、絶対に医者へ行かなかったのです。
その結果、自宅で静かに亡くなられました。

アル・ウィーラーさんも仰っていますが、我孫子先生にはその姿が自殺行為と映ったのでしょう。


そう言えば、寺田ヒロオ復刻版がほぼ出揃いましたね。
子供の頃に読んだオリジナル版と同じ内容で、懐かしかったです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

寺田ヒロオ 更新情報

寺田ヒロオのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング