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mixi図書館コミュの涙のマイレージカード

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志賀内泰弘 著
翼がくれた心が熱くなるいい話より。


「おい、どうした?」
 内藤アカネは、上司の佐久間に肩を叩かれて仰ぎ見た。
「いいえ、なんでも……ありません」
「なんでもないってことはないだろう」
 学生時代、バスケットボールでインターハイ出場の経験があることが自慢の佐久間
が、190センチ近くある身体を折り曲げるようにしてアカネの顔を覗き込んでき
た。思わず、頰を伝った一筋の涙を両手で拭ぬぐった。
(いやだ……見られた!)
「ちょっと、こっちへ来い」
 そう言い、佐久間は部屋の隅にあるパーティションの打ち合わせ室へと手招きした。
 古い言い方だが、アカネは「男勝り」のところがある。何をやっても男性に負けたく
ないと思って生きてきた。勉強も部活も、そして今は仕事も。そんな性格は就職しても
変わらなかった。女性だからといって、忘年会や新年会で会費を安くしてもらうのが
嫌で、黙って男性陣と同じ金額を払うほどだった。もちろん、アルコールの量だって。電話口で泣かれるお客様
 佐久間は完全に勘違いしている。お客様のクレームで泣いているのだと。
「話せ。なんでも聞いてやるぞ」
 正直、おせっかいだった。いつも「頑張り過ぎるなよ」「少しくらい、みんなに甘
えてもいいんだぞ」などと声をかけてくる。(うるさいなぁ)と思いつつも、今日ば
かりは、そのおせっかいが嬉しかった。話すつもりはなかったが、佐久間の真っ黒に
日焼けした楽天的な笑顔を見ていたら、知らぬ間に言葉が出ていた。
「あのですねぇ。実はさっき、こんなことがあって……」
「うんうん、どうした?」
 アカネが配属されているJALマイレージバンクの事務局に、今から30分ほど前の午後5時12分、その電話はかかってきた。
「あの……、マイレージのことで相談に乗っていただきたいのですが……」 それは、年配の女性の声だった。
「はい、どのようなご用件でしょうか」
「マイレージの名義を夫から変更したいのです」
「と申しますと……」
「夫が亡くなりまして」
「それは……ご愁傷しようさまでした」
 こうアカネが答えると、女性は沈黙してしまった。いや、正確に言うと沈黙ではな
い。ほんの2、3秒のことだったかもしれないが、アカネにはなぜだか妙に長く感じられた。
「お客様、どうかなさいましたか」
「いいえ、なんでもありません。大丈夫です」
 アカネは、その女性が「大丈夫です」と口にしたことがかえって気になった。
「それでは恐れ入りますが、まずお客様のご主人様のお名前を教えていただけます
か? もし、お手元にマイレージカードがございましたら、お得意様番号をお知らせ
ください」「はっ、はい。……ええと」
 アカネは、普段通りに相続手続きの方法について説明をした。遺産分割協議書など
の書類をすでに作成しているかなどを訊き、印鑑証明の添付が必要な旨を説明。も
し、それがなければ、こちらから相続手続きに関する所定の用紙を送付することを告
げた。女性は、その間、ほとんど頷くかのように聞くだけ一方といった感じだった。
それが、一層、アカネには不安に感じられた。
「お手数ではございますが、よろしくお願いいたします」
「はい」
「それでは、奥様、どうぞお身体を大切になさってください」
 そう言って、アカネが電話回線のスイッチを切ろうとしたそのときだった。
「ぐっ」
 言葉にならない、ため息のような、いや、嗚咽にも似た声が聞こえた。アカネは、
思わず問いかけていた。
「どうかなさいましたか、お客様」
「うう……」 今度は、明らかにそれが泣き声だとわかった。
「お客様……」
 何か自分は悪いことを口にしてしまったのだろうか。この5分間ほどのことが頭の
中を駆け巡った。通常の業務内容、ありきたりの会話だったはずだ。
「お客様、大丈夫ですか?」
 一拍おいて返事があった。
「ごめんなさい、嬉しかったものだから……」
(えexclamation & question 嬉しかったですって?)
 アカネは、何がなんだかわからなくなった。てっきり、機嫌を損ねるようなことを
言って、悲しませたり、怒らせたりしてしまったのだとばかり思っていたからだ。
 女性は、続けてこんな話をしてくれた。問わず語りに。
耳元から、やさしい声が……
 3カ月ほど前、30年近く連れ添った夫を亡くした。もうすぐ定年。「時間ができたら、思い切って海外旅行へ行こうよ。それも、できたらヨーロッパのどこかの町に長
期ステイがいいな」と話していた矢先のことだった。
 ご主人は、商社に勤めていたという。そのため、海外出張が年に10回以上。家を留
守にすることも多かった。「悪いな」と言いつつ、子育ては妻任せ。ちょうど、上の
息子さんが高校受験のときにニューヨークに転勤。やむをえず、3年間の単身赴任。
「苦労のかけ通しだったな」と口にはするが、会社がすべてのような人だったという。
 それだけに、二人でヨーロッパへ行くというのは夢のような話だった。
 ところが……。
 会社から、夫が出張先の札幌のホテルで倒れたという知らせが入った。心筋梗塞だった。一人での出張だったので、救命処置が遅れた。ホテルの人が気づいたときには、心肺が停止していたという。そして、そのまま帰らぬ人となってしまった。
呆然とした。しかし、悲しむ時間さえも許されなかった。亡骸を家まで運ぶ手続き。通
夜と告別式の準備。会社の人たちが主になって動いてくれたが、喪主としてただ座っているわけにはいかない。
 病院への支払い。区役所への死亡届と埋葬許可証の申請。次から次へと訪れる弔問
客は、知らない顔ばかりだった。
 疲労困憊で葬儀を終えた後、寂しさに襲われた。
 ひと月が経ち、ちょっと落ち着いた頃、預貯金や株式、自宅不動産などの名義変更
の手続きを始めた。これが、なんともやっかいだったという。銀行も証券会社も、提
出する書類の多いことに参った。「これでいいはず」と持っていく。ところが、あれ
が足りない、これが足りない……と何度も追加や訂正を迫られた。血が通っていない
というか、お役所仕事のような冷たい対応だった。
 他にも区役所の住民課、国民健康保険課、国民年金課、そして社会保険事務所、税
務署などへ毎日のように通った。
 おおよその相続、名義変更の手続きが終わったとき、ふと頭に浮かんだのが、夫と
約束していたヨーロッパ旅行のことだった。海外出張が多かったので、マイレージが
ずいぶんたまっていたはず。夫も、それをあてにして算段していたはずだ。
 夫のカード入れを探すと、JALのマイレージカードが出てきた。思い切って、カ
ードの裏面にある番号に電話をした。そこで出たのが、アカネだった。
 そしてまた、他の役所や銀行と同じような型通りの会話が始まった。「またか」と思った。どこもかしこも、無味乾燥なマニュアル通りの言葉。仕方がない、この人も
それが仕事なのだ。仕方がない。そう思いつつも、心のどこか片隅に憤りと悲しみが
混在してむなしくなった。
「お手数ではございますが、よろしくお願いいたします」
 と言われ受話器を置こうとした、その瞬間だった。耳元から、やさしい声が伝わっ
てきた。
「それでは、奥様、どうぞお身体を大切になさってください」
「先ほどね、電話に出られたとき、いの一番に『ご愁傷さまでした』っておっしゃっ
たでしょう。そしてね、今さっき、あなた『お身体を大切に』って。わたしね、この
3カ月で一番嬉しかったんですよ、その言葉が。だって、銀行へ行っても、区役所へ
行っても、誰一人そんなやさしい言葉をかけてくれた人はいませんでしたから。そり
ゃあ、仕事ですからね。わたしも手続きをしに行くだけで、慰めてもらおうなんて思
ってはいません。でもね、わたしが大切な人を亡くしたことは、相手の人も知ってい
るんです。それなのに……」 アカネは、どう答えていいのか戸惑っていた。別に、深く考えてしゃべったわけではない。ただ、自然に口にしていたのだ。
「ごめんなさいね。わたし、涙が止まらないの」
 そう言う女性の声は、ずっと震えていた。肩を揺らす様子が、目に浮かんだ。
我が身を重ね合わせる
 さて。
 アカネが事の経緯の説明を終えて、目の前の佐久間を見やると、その目が赤くなっ
ているのがわかった。
「お前なぁ、いいヤツだな」
「別に、当たり前のことを言っただけですから」
 佐久間は真顔になって言った。
「いいや、違うよ。お前去年、オフクロさんを……」
「……」 アカネは母親を肺がんで亡くしていた。気づくのが遅れて、あっという間に逝ってしまった。落ち込んだ父親が心配で、アカネは有給休暇の許すかぎり休ませてもらった。
「お前もさ、あのとき、銀行だとか役所だとか、オヤジさんの代わりにあちこち回っ
たって言ってたろ。さっきの電話のお客様みたいにさ、お役所仕事に腹を立ててたじ
ゃないか。だからお前は、我が身に置き換えて人を思いやることができたんだよ」
 日頃、褒められることに慣れていないアカネは、頰がポッと紅らむのがわかった。
(そうかもしれない……)
「オレたちは職場でよく『お客様視点を貫く』って言うだろう。これってさ、当たり
前のことなんだけど、この『貫く』ってのが難しいんだよな。他人のことだから、自
分のことじゃないからという思いが心のどこかにあると、貫けない。我が身と重ね合
わせて考えることができて、初めて貫けるんだろうな。オフクロさんを亡くしたって
いう経験があるから、それができたんじゃないかな」
「あ、ありがとうございます。なんだか照れるなぁ」
「そういう涙もいいよな。爽やかで」「わたし、泣いてなんかいませんよ!」
「うそつけ、ウォンウォン鼻すすって泣いてたじゃないか」
「うそ!」
 ちょっとわざとらしくムキになってみせるアカネに、佐久間はからかいながら言っ
た。
「明日の朝礼でみんなにバラしてやろうっと。アカネが泣いてたって」
「やめてください!」
 頰を膨らませながら、アカネは怒った……フリをした。

コメント(2)

これは…!!

つい先日の「人の心に火を灯す」にて読ませてもらった話だ(≧∀≦)!!


全文、ありがとうございます(*^^*)
いのちゃんも同じ話を同じタイミングで読んでいたんですね♪

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